第拾伍話
リツコの戦い
今回オートパイロットの試験、つまり裸になって模擬体での試験は行われ無かった。
初号機は無く、零号機もサルベージ作業の為使えない。
何よりレイも居らず、素体のない今、ダミープラグの開発は完璧に頓挫していたのだ。
今日はいつものようにシンクロテストが行われている。
いつもと違う事は模擬体が使用されている事だ。
『各パイロット、エントリー準備完了しました』
『テストスタート』
『テストスタートします。シュミレーションプラグを挿入』
『システムを模擬体と接続します』
『シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入ります』
『気分はどう?』
「なんかいつもと、ちゃいまんなぁ」
トウジがいつもと違う、言い知れない違和感を訴える。
『右手を動かすイメージを描いてみて』
「はい」
模擬体の右手が少し動いた。
『問題は無いようね。MAGIを通常に戻して』
リツコは試験の続行を告げた。
その頃、発令所では冬月とシゲルが不審な物を発見していた。
「3日前に搬入されたパーツです。」
シゲルが報告する。
「拡大するとシミのように見えますが何でしょう?」
「第87タンパク壁か、」
冬月にも予測が付かない様子だ。
「浸食でしょう。温度と伝導率が若干変化しています。」
マコトが推測した。
「また、気泡が混じっていたのかもしれません。工期が60日近く圧縮されていますからね。ずさんですよB棟の工事は!」
「無理ありませんよ。みんな疲れていますからね。」
「明日までに処理しておけよ、六分儀がうるさいからな」
冬月は溜息混じりに指示を出すとその場を後にした。
実験場では、そのタンパク壁が災いしたのか、異常が発生していた。
『また水漏れ?』
『いえ、侵食だそうです。この上のタンパク壁です。今のところテストに支障はありませんが・・・』
『では続けて。支障が出るようなら即刻中止しましょ・・・』
『了解。シンクロ位置正常』
『シミュレーションプラグを模擬体経由でエヴァ本体と接続します』
『エヴァ初号機、コンタクト確認』
『ATフィールド、出力2ヨクトで発生します』
直後に非常警報が鳴り響く。
『どうしたの!』
『シグマユニット、Aフロアーに汚染警報発令』
『第八十七蛋白壁が劣化、発熱しています。第六パイプにも異常発生』
『蛋白壁の侵食部が増殖しています。爆発的スピードです』
『実験中止!第六パイプを緊急閉鎖!』
「ポリソーム出動、レーザー急いで!多少のことはいいから浸食をくい止めなさい。」
『侵食部にATフィールド発生、レーザーを弾いています』
『『なんですって!!』』
ミサトとリツコが同時に叫ぶ。
「エントリー・プラグ緊急射出!」
リツコがいち早くパイロットの安全を確保する指示を出した。
「分析パターン青!間違いなく使徒よ!」
すばやく計測機器を確認したリツコから絶望的な言葉が漏れた。
発令所ではATフィールドの発生による警報が鳴り響いている。
「使徒の侵入を許したのか!?」
報告を受けた冬月は苦々しげに言い放った。
自分が明日までに処理しておけと命令したものが原因だとは全く気付いていない。
「警報を止めろ。誤報だ、探知機のミスだ。日本政府と委員会にはそう伝えろ」
ゲンドウがオペレーター達に、静かだが威圧的に直接指示を出す。
「汚染区域は更に下降、シグマユニット全域へと広がっています」
「汚染はシグマユニットまでで押さえろ、ジオフロントは犠牲にしても構わん。エヴァは?」
「第七ケージにて待機、パイロットを回収ししだい発進できます」
「パイロットを待つ必要は無い。すぐ地上に射出しろ、零号機を最優先だ」
いつもよりも焦り気味になっているゲンドウに、冬月は目を向けた。
「しかし、エヴァ無しでは使徒を物理的には殲滅できません」
「その前にエヴァを汚染されたら全て終わりだ。急げ!」
「はっ、はい」
ゲンドウの威圧に押されるようにオペレーターはエヴァの射出を行った。
(しかしパイロットも居ない、動いてもいない零号機を最優先と指示するとは、六分儀もかなり焦っていたな・・・)
冬月は冷静にゲンドウの行動を分析していた。
「モニター室を破棄します。総員待避!」
ミサトの指示にオペレーターたちが急いで脱出していく。
その中を呆然と立ちつくすリツコ
暴れ回る模擬体のため、さすがのモニター室の強化ガラスもひびが無数に入っている。
「何してるのよ!行くわよ」
全員の退去を確認したミサトがリツコの腕を掴む
我に返ったリツコはミサトの後に続いた。
ブシュッ
ザバーン
閉じた隔離扉に大量のLCLが鉄砲水のようにぶつかってきた。
間一髪であった。
「LCLと純水の境目には入ってこないわね。」
発令所でモニターを見ていたリツコが浸食のパターンに気がついた。
「無菌状態維持のため、オゾンを噴出している所は汚染されていません」
「つまり、酸素に弱いって言う事?」
「違うわ」
リツコは否定した。
「酸素とオゾンは同素体だけど全く性質は異なるのよ。オゾンを注入して!」
オゾンの注入を増やして、少しずつ侵食部分を減らしていく。
「効いてる効いてる」
シゲルも安心した声で呟く。
「周辺部は死滅してきたけど、模擬体に寄生した本体部分はしぶといわね」
ミサトは冷静に現状を見ていた。
「もっとオゾンを増やせ!」
副司令の指示が発令所に響きわたった。
かなり減少したところで停滞が訪れた。
「・・・変ね」
状況を見ながらリツコが呟く。
「汚染域、また拡大しています」
「ダメです。まるで効果が無くなりました」
「今度は、オゾンをどんどん吸っています」
(進化しているって言うの!?)
太古の昔、まだ生命が誕生したばかりの頃、その生命にとって酸素は猛毒だった。
しかし、少しずつ環境に合わせて進化した生命は、酸素を毒から必要不可欠な物として取り込むように進化し、爆発的な増殖を行った。
まるでそれをなぞるように使徒が進化している。
しかも、驚異的スピードで。
リツコは、背筋に悪寒を覚えた。
「オゾン止めて!」
あわててバルブを閉める操作員
ビービービー
突然、警報が響きわたる。
「どうしたの?」
ミサトの質問にオペレーターからすぐに答えが返った。
「サブコンピュータがハッキングを受けています」
「侵入者不明」
「ちくしょう、こんなときに!」
マコトが叫ぶ。
口々に罵声が飛ぶ中、シゲル達は防戦に全力を尽くした。
「疑似エントリー展開します」
「疑似エントリー回避されました」
「逆探まで18秒」
「防壁を展開します」
「防壁を突破されました」
「これは人間業じゃないぞ!」
日向がつぶやく
「逆探まで6秒」
「疑似エントリーをさらに展開します」
「逆探に成功!この施設内です」
「特定できました。大深度設備の模擬体です」
「何ですって!」
「模擬体の光学模様が変化しています。」
「光っている部分は電子回路だな、これではまるでコンピュータそのものだ。」
オペレータ達が口々に状況を見て感想を述べる。
ミサトが険しい表情のまま指示を飛ばした。
「疑似エントリーを展開して」
「失敗、妨害されました」
「メインケーブルを切断」
「だめです。受けつけません」
「レーザー打ち込んで」
「ATフィールド発生!効果ありません」
対処策は次々と打ち破られて行く。
「保安部のメインバンクにアクセスしています。パスワードを走査中」
「12桁、・・・16桁・・・パスワードクリア」
「保安部のメインバンクに侵入されました」
「内部を読んでいます。解除できません」
報告の飛び交う喧噪の中、微動だにしない指令と副司令
「やつの目的は何だろう?」
冬月はゲンドウにだけ聞こえる声で呟くがゲンドウは答えない。
「メインバスを探っています」
「まずい、このコードは・・・MAGIに侵入するつもりです!」
オペレーターのシゲルが悲鳴に近い声を上げる。
「I/Oシステムをダウンしろ」
ゲンドウが指示を出す。
シゲルとマコトが別々のキーを自席のキーエントリーに差し込む
「カウントお願いします。」
「3・2・1・」
同時にスイッチを回すが変化は起きなかった。
顔を見合わす二人。
「もう一度だ」
「3・2・1・」
同じだった。
「だめです。電源が切れません」
「使徒、さらに侵入!メルキオールに接触しました」
「使徒に乗っ取られます」
ビービービー
「メルキオール、使徒にリプログラムされました」
「人工知能メルキオールから自爆決議が提訴されました」
「賛成」
「否決」
「否決」
「1対2・・・否決」
「バルタザールとカスパーの否決により回避されました」
「今度はメルキオールがバルタザールをハッキングしています。くそっ、速い」
「なんて速さだ。」
そのとき沈黙を守っていたリツコが指示を出した。
「ロジックモードを変更!シンクロコードを15秒単位にして!」
ヒューーーー
それまで怒濤のような勢いでバルタザールを浸食していた使徒のスピードが停止すれすれまで遅くなった。
発令所全体に安堵のため息が漏れた。
「どのくらい持ちそうだ?」
しかし、冬月の質問に対してさして明るい答えとは言えなかった。
「今までのスピードから見て2時間くらいは大丈夫だと思われます」
「MAGIが敵に回るとはな」
指令席から見下ろすゲンドウの視線の先には、肩を落としたリツコの姿があった。
「彼らはマイクロ・マシーン!細菌サイズの使徒と思われます」
幹部の集まるスクリーンだらけのミーティングルームでリツコの説明が続く。
「その個体はより集まって群れを造り、この短時間の間で知能回路の形成に至るまで爆発的な進化を遂げています」
「進化か?」
冬月が確認する。
「はい、彼らは常に自分自身を変化させ、いかなる状況にも対処できるシステムを模索しています」
「まさに生物が生きるためのシステムそのものだな」
「自己の弱点を克服、進化を続ける目標に対して有効な手段は死なばもろとも、MAGIと心中してもらうしかないわ。MAGIシステムの物理的消去を提案します」
ミサトの結論はMAGIの破壊だった。
「無理よ、MAGIを切り捨てることは本部の破棄と同義なのよ」
「では、作戦部から正式に要請するわ」
ミサトは肩書きを振りかざす。
「拒否します!これは技術部が解決すべき問題です」
「なあに意地はってんのよ」
ミサトは手遅れのMAGIの破壊にどうしてリツコが反対するのか分からなかった。
「元々、わたしのミスから始まったことなのよ」
床を見つめたまますべての責を負うようにリツコはつぶやいた。
「あなたは昔からそう、全部一人で抱え込んじゃって・・・。他人を当てにしないのね」
ミサトは10年来のつき合いのリツコの人間不信をまた確認することになった状況が悲しかった。
「・・・・・」
リツコは答えなかった。
俯いていたリツコが顔を上げる。
「使徒が進化し続けるのなら勝算はあります。」
「進化の促進かね」
ゲンドウの思考は速かった。
「はい」
「進化の終着地点は自滅・・・死そのものだ」
「ならばこちらで進化を促進させてやればいいわけか」
冬月の声も解決の糸口が見えたことにより軽くなる。
「使徒が死の効率的回避を考えれば、MAGIとの共生を選択するかもしれません」
「でも、どうやって?」
作戦部長としてミサトは詳細を知りたがった。
「目標がコンピュータそのものならカスパーを使徒に直結、逆ハックを仕掛けて自滅促進プログラムを送り込むことができます。ただ・・・」
「同時に使徒に対して防壁を解除することにもなります」
マヤが言葉を続けた。
「カスパーが速いか、使徒が速いか、勝負だな」
「はい」
「そのプログラム間に合うんでしょうね。カスパーまで侵されたら終わりなのよ」
ミサトはリスクの大きさを指摘する。
「約束は守るわ」
リツコの言葉は決して大きくはなかったが、部屋にいた全員の胸に刻み込まれるほど重々しい響きを感じさせた。
『R警報発令!R警報発令!ネルフ本部内に緊急事態が発生しました。D級勤務者は全員待避してください』
最悪の事態を想定して一般職員の待避が勧告される。
半地下方式のカスパーが上昇を開始した。
ハードのメンテナンス用通路のハッチが現れる。
リツコが中に入り、マヤも入り口からのぞいている。
「これ、何ですか?」
マヤが内部にびっしりと貼られているちいさな白いメモを見つけて驚く。
「開発者の悪戯書きだわ」
リツコも圧倒されていた。
「うわ〜、すごい。MAGIの裏コードですよ」
「さながらMAGIの裏技大特集ってとこね」
リツコものぞき込みながらその量の多さに呆れた。
「こんなの見ちゃっていいのかしら、これなら意外と速くプログラミングできますね、先輩!」
マヤがはしゃぎ回る。
「そうね」
リツコは肩の荷が少し軽くなる気がした。
(ありがとう、かあさん、確実に間に合うわ)
「レンチ取って」
リツコが自動車修理工のように仰向けに寝そべり、傍らで膝を抱えているミサトに指示を出す。
「大学の頃を思い出すわね」
ミサトは大学の狭いコンピュータルームでリツコが機械のシステムアップに格闘している姿を思い出していた。
「25番のボード」
過去の余韻に浸るミサトとは対照的に事務的に指示を出すリツコ。
「う〜んと、これね。」
25の殴り書きのシールの貼ってあるキーボードを渡すミサト。
「ねえ、少しは教えてよMAGIの事」
ミサトは半分は作戦部長として、半分は個人的な興味から質問した。
「長い話よ、その割におもしろくない話」
リツコは作業の手も休めずに話し出した。
「人格移植OSって知ってる?」
「ええ、第7世代の有機コンピュータに個人の人格を移植して思考させるシステム。エヴァの操縦にも使われている技術よね」
さすがに作戦部長としてミサトはその程度の情報は知っていた。
「MAGIはその第1号らしいわ、母さんが開発した技術よ」
「じゃあ、お母さんの人格が移植されているの?」
「そうよ、言ってみればこれは母さんの脳味噌そのものなのよ」
「それで守りたかったの?」
「違うと思うわ。母さんのことそんなに好きじゃなかったから、これは科学者としての判断ね」
自分を分析するリツコの声はいつもと変わらず冷静だった。
ビーーーッ
「始まったの?」
ミサトがメンテナンス用通路から顔を出し、発令所に声をかける。
「きた!バルタザールが乗っ取られました」
マコトの声が決定的瞬間が近づいたことを知らせた。
ビービービー
「人工知能メルキオールから自爆決議が提訴されました」
「賛成」
「賛成」
「否決」
「2対1・・・可決」
『人工知能により自律自爆が決議されました。結果は3者一致の後、ゼロ2秒後に実行されます。自爆範囲はジオ・フロントとその周辺2キロメートルです』
「こんどはメルキオールとバルタザールがカスパーにハッキングを仕掛けています。」
「なんて速度だ!」
「押されているぞ」
「自爆装置作動まであと20秒」
「いかん」
「カスパー、18秒後に乗っ取られます」
「あと16秒」
「リツコ急いで!」
ミサトが慌てて急かす。
「大丈夫1秒近く余裕があるわ」
リツコの手は相変わらず前と変わらず、それでも人間業とは思えないほど速く正確にプログラミングを積み上げていく。
「1秒ですって」
あまりの僅差にミサトは唖然とする。
「ゼロやマイナスじゃないのよ」
リツコにとって1秒も1万秒も間に合うことには代わりがなかった。
「10秒」
カスパーが使徒に乗っ取られるまでのカウントダウンが始まった。
「9秒」
「8秒」
「7秒」
「6秒」
「5秒」
「4秒」
「マヤ!」
入り口付近でサブプログラムを担当していたマヤに対して、やっとリツコは声をかけた。
「3秒」
「いけます!」
マヤもなんとか自分の担当を終わらせていた。
「2秒」
「押して!」
リツコが実行キーの指示を出した。
カチッ
運命のスイッチをマヤが押し込んだ。
「0秒」
ピッ、ピッ、ビッ
浸食のパターンをイメージ表示していたディスプレイでカスパーの最後のブロックが点滅を繰り返していた。
既にディスプレイの99%までが使徒に浸食された赤のブロックで埋められている。
ピッ、ピーーーーッ
最後のブロックが緑で固定された後、一気に全ブロックが緑に書き換えられた。
『人工知能により自律自爆が解除されました』
『MAGIシステム通常モードに戻ります』
『シグマユニット解放、MAGIシステム再開までゼロ3秒です』
「はい!お疲れさん」
規定の放送が流れる中、ミサトはマグカップのコーヒーを差しだした。
「ありがとう、もう歳かしらね。徹夜が堪えるわ」
リツコもめずらしくホッとした感じでお礼を言う。
「また、約束守ってくれたわね。」
「ミサトの入れてくれたコーヒーがこんなにうまいと感じるのは初めてだわ」
「えへへ」
レトルトカレーでさえまずく作るミサトである。
インスタント・コーヒーも例外でなかった。
マグカップを両手で握りしめるリツコはプレッシャーからの解放からか胸の内をミサトに語っていた。
「死ぬ前の晩、母さんが言ってたわ、MAGIは3人の自分だって・・・」
「実は3台ともプログラムを微妙に変えてあるのよ」
「科学者としての自分、母としての自分、女としての自分、その3人がせめぎ合っているのがMAGIなのよ。人の持つジレンマをわざと残したのね」
「わたしは母親にはなれそうもないから母としての母さんはわからないわ」
「けど科学者としてのあの人は尊敬もしていたわ・・・」
「でもね、女としては憎んでさえいたわ」
ぽつりぽつりとまるで独り言のようであった。
「今日はおしゃべりじゃない」
久しぶりに本音を語る親友に対してミサトの声は優しかった。
「たまにはね・・・。」
「カスパーには、女としてのパターンがインプットしてあったのよ、最後まで女であることを守ったのね。ほんと、母さんらしいわ」
それは、母としてよりも、天才科学者としてよりも、一人の女として自殺した母と、同じ道を歩もうとしている自分に対する皮肉でもあった。
今回、裸で射出されなかったので、すかさず着替えに戻り、発令所の様子をアスカはじっと見ていた。
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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
拙著は当該作品を元に作成した代物です。