白日夢    Daydream Believer


([) Alone again, naturally


(1)


 夜のデッキでアスカと会った翌日、加持は充分考えて気のない事をはっきり伝えた。エヴァのエースパイロット( 本人の自信に根拠があることを加持は心得ていた ) と親しくしておくのは充分メリットがある。組織の一員として必要があれば関係を結ぶことだって考えるべきだろう。しかし長期的に見た場合、スパイとしてはともかく加持自身の目的のためには不必要もしくはかえって重荷だと判断した。
 一つには加持の危ない綱渡りはミサトとの仲を引き裂くか取り持つかのいずれかに働くと考えられることだ。いつまでもゼーレと碇ゲンドウの両者に良い顔を続けるのは不可能だ。その時ミサトは職務を果たすか、加持と共に真実を追究するかを選ぶことになる。加持と親しくなったアスカにはどちらも耐えられない。そしてそれはネルフがエースを失い人類が滅ぶことを意味するかもしれない。
 もう一つは加持の三つ目のバイト先の日本政府のことだ。彼らはゼーレに尾を振る飼い犬と化してはいるが、エヴァの秘密を探るのを止めたわけではない。碇ゲンドウの子息のシンジや秘蔵っ子の綾波レイに比べアスカのネルフ本部での扱いは軽くなるはずだ。加持がアスカを掌中に収めたとみれば身柄の拘束を考える可能性がある。拒否もできないが実行すればゼーレに睨まれてアウトだ。
 アスカが加持を探している。無理なはしゃぎっぷりが加持にはよけい辛い。

「加っ持さぁ〜ん」
「どうした、アスカ?」
「なにしょぼくれた顔してんのよ! 日本が故郷なんでしょう?」
「まあ、そうだが。仕事だからなあ」
「あら、仕事だって楽しいときもあるでしょう。美少女との船旅とかさあ」
「まあな」
「そんなんじゃ、大人の女にもてないんじゃないの?」
「そうかなあ?」
「まあ、おじさんたちの恋はどうでもいいわ」
「やれやれ」
「ねえねえ、本部から迎えが来るって聞いたけど?」
「ああ、エヴァの外部電源と言うのを運んでくるらしいな」
「どうしてかしら、使徒は日本近海でしか出ないってことかなあ?」
「さあな。本部の赤木に聞くんだな」
「赤木博士のこと?」
「ああ」
「ミサト以外にも知り合いがいるんだ」
「赤木と葛城は親友同士で、俺は大学時代の二人を知っているのさ」
「へぇ〜。くそ! どっちかが加持さんの相手ね
「ん?」
「ねえ、ミサトも来るの?」
「どうかな? 忙しいだろうから代理じゃないか。え〜と日向君とか言う」
「ちぇ」


(2)


 ミサトがシンジの居場所を検索するとリツコの研究室にいる。
( まったく、リツコのところに入りびたりなんだから。それとも、リツコのやつシンジ君に気があるのかな? よし、呼び出さずに直接のぞきに行こう )
残念ながらミサトは不意をつくことはできなかった。本部でMAGIの目を逃れるのは至難の業だしMAGIの2/3はリツコの味方なのだから。リツコはシンジの保護者役になったときから保安諜報部の霧島と連絡を密に取り、MAGIによるバックアップ体制を整えている。
 リツコはシンジが保安局の保護を唯々諾々と受け入れたのを不思議に思ってたずねたことがある。シンジは自分にも知られぬよう極秘に護衛するとなると諜報局も参加するのではないかと思うという意見で、それを霧島に確かめたリツコは大いに感心した。しかもシンジは保安局員と親しくなっており、かなりのプライバシーも確保している。その冷静な判断にリツコの頭脳の一部はシンジへの興味と疑惑を抱いた。

 そんなわけでミサトがリツコの部屋のドアを開けると、リツコとマヤ、レイとシンジが珈琲を用意して待ち受けていた。
「あ、あら。ノックするの忘れちゃったわ。あはは」
「なんのようなの、ミサト?」
「ちょっとリツコ。親友に冷たいじゃない」
「私たちは忙しいのよ。レイの実験、シンジ君の訓練、私とマヤはそのデータの整理、その合間に四人で話し合いをしてるのよ」
「四人で話し合いって……。ああ、シンジ君の学校のこと?」
「ちょっと! あーのーねぇー、ミサト。休憩してるわけじゃないの」
「じゃあ、なんなのよ」
「なにって」 リツコはつい噛んで含めるような言い方になってしまう。 「例えば今は機体の相互互換試験をおこなった結果を話し合っていたの」
「データを検討するんじゃなくて実験の結果をシンジ君たちと話す意味があるわけ?」
「パイロットとエヴァの接続が完全には解明されていないA10神経で接続されてるのもある。それにシンジ君が始めての男性パイロットだということもある」
「ふぅ〜ん」
「例えばレイやアスカは起動時の感想を韻文的に言うことが多いけどシンジ君の感想は違うのよ。三人だけだから断定はできないけど性差もしくはパイロットによる差を考えると非常に興味深いわ」
その時シンジが少し顔を赤らめたのをミサトは見逃さなかった。
「どれどれ、これが感想?」
上の段に時間と観測データ、下の段にパイロットの発言内容が書いてある台本のような書類をミサトはシンジから取り上げた。
「ちょっとミサトさん!」
「レイのは……
『これは誰 これは私 私はなに……』 ふんふん。
『体が溶けていく感じ……私で無い人を感じる』
なかなか詩的ね」
「ミサトさん止めてくださいよ。綾波もほら」
「別にかまわないわ」
「シンジ君、そうなったミサトは制御不可能よ」
「そんなあ」
圧倒的なパワーを誇るミサトを止めるには兵士が二、三人が必要そうだ。
「まあまあ、ちょっち読むだけなんだから。シンちゃんのは……
『零号機は雰囲気が全く違う。エントリープラグの内装のせいばかりではない。これは何というか……あ、変な意味じゃないですよ。綾波、マヤさん、リツコさん。やはりこの感じは『綾波の匂い』と表現するのがぴったりです。『綾波の匂い』を感じます』
でへへ、しんちゃぁ〜ん」
「ああ、最悪だ!」
「何を言うの、問題ないわ。私も碇君の匂いがした」
「何か不潔です」
「そんなあぁ、マヤさんまで」
「まだあるわね。え〜っと……
『これは……。君は綾波だね。何か言いたいのかな? 僕を恐がらないで、僕も君のこと怖く無いさ』
ほっほ〜、どういうことかな?」
タイミングを見てリツコは資料を取り返した。
「返しなさい。はいシンジ君」
「ありがとうございます」
「これ以上は部外秘とします」
リツコの額の青筋を見たミサトは引き際を間違えない。
「わるいわるい。私だって知りたいじゃない」
「口外無用よ」
「へいへい。まあ、シンちゃんの感想がレイと違うのは分かったわよぉ〜ん」
「ミサト、シンジ君をからかうのなら出て行ってちょうだい!」
なによ、やっぱり気があるのかしら?
「用が無いなら本当に出て行ってちょうだい」
さすがのミサトも真剣に謝らざるを得なかった。リツコの怒りはなかなか解けなかったが、ミサトを知りすぎているために最後には折れることになった。
「わかったわ。でもこの会議には二度と来ないで」
「ごみん。分かったって」
「ところで、あなた単に邪魔をしに来たわけじゃないんでしょう?」
「当たり前よ」
どうだか
「前にも言ったエヴァンゲリオン弐号機とセカンドチルドレンがもう直ぐそこまできてるのよ。シンジ君」
「はあ。知ってます」
シンジの気の無い返事はミサトには少し意外だった。アスカのことはかなり誇張してシンジに何度か話をしている。
「碇司令の命で明朝エヴァ用の外部電源を届ける際にパイロットを1名連れて行くの。私と行きましょう」
「え?」
ミサトはシンジの耳元でささやいた。
きっとアスカも良い匂いがするわよん
「な、なに言ってるんですか! 僕は行きません」
「どうしたの、碇君」
レイの聴力は平均よりかなり良い。
「な、なんでもないよ。綾波」
「ミサト、あなたの所、まだまだ忙しいでしょう? 電源届けるくらい日向君に行ってもらえば? 一日仕事になるわよ」
「まあ、艦隊司令に敬意を表するためにも責任者が行かないとね」
「ふぅ〜ん」
「な、なによ」
「まあ良いわ。それで司令はシンジ君を名指しなの?」
「そうじゃないけど、レイは忙しいでしょう?」
「問題ありません。セカンドチルドレンに敬意を表してファーストチルドレンが行きます」
「あっちゃぁ〜」 おとなしいレイがなぜか怒ったようにも見えるのがミサトには不思議だった。 「じゃあ、二人で行く?」
最初シンジが断ったのでミサトはあせった。ところがレイはシンジと行きたかったのでミサトの提案が受け入れられた。
 ミサトはアスカをレイとシンジの間に楔として打ち込みシンジを取り込もうと妄想していたのだ。
( 予定と違うけど、いきなりシンジ君を挟んで勝負ね。ちょっと見ものだわ )
ひどい上司である。


(3)


 リツコは早朝ミサトたちの乗ったヘリがエヴァのアンビリカルケーブルを運んでいくのを見送った。特にリツコに仕事があるわけではない。でかけるレイとシンジの様子を見たかった。

 最初は参加を嫌がっていたシンジ君も結局レイには勝てなかった。それにしてもシンジ君が行くのを嫌がったのは本人が言うように最近まで泳げなくて海が恐いせいだけなのかな。レイの手前ということもあるだろうが、ミサトの話しが本当ならアスカを避けているとしか思えない。まあ、これはミサトが強引すぎるせいかもしれない。何しろミサトのせいで昨日のレイは初めて見るくらいかんかんだったもの。

 しばらくするとヘリポートからスタッフの姿は消えた。一人残ったリツコは携帯を取り出し小さなディスプレイを見る。北欧の有名メーカーのデザインを模したこの機器はもちろん携帯電話としても使えるが、MAGIとの通信機である。MAGIによればいまも2名の保安諜報部員がリツコの警護に当たっている。リツコは居心地の良い自分の部屋に向かいながら考え続けた。

 シンジは天才でも明らかな不審人物というわけでもない。でも事前の調査と比べ、いや普通の中学生としてもできすぎ君だ。リツコが言うのは運動能力や学校の成績のことではない。
 例えば最初にリツコが感心したのは保安諜報部への態度、嫌がらずにシンジから保護を求めたので警備も楽だし互いの関係も良好だ。普通なら被保護者が嫌がらないよう極秘裏に警護をつけるから困難な仕事になるし、保護のため常に身辺を調査され続ける。もちろん今もシンジは調査され続けてはいるが、リツコの推理では部長の霧島はかなりの自由をシンジに与えているに違いない。
 いちばんリツコに影響を与えたのはレイと碇司令の関係のシンジの解釈だった。シンジは自身とゲンドウは遺伝子や戸籍を除けば親子とは言いがたいと思っているらしいが、レイとゲンドウを擬似的な親子だと指摘した。リツコは最初この意見には懐疑的だった。ゲンドウの視線にレイへの性的な関心があると思っていたからだ。だが父親と娘との間に心理的には全く性的意識が無いわけではない。まあ実際行えば犯罪だが。
 決定的だったのはレイが脱衣での実験で必要ない限り男性の立会いは止めてほしいと言ったときだ。( これはシンジの影響なのはまちがいなさそうだ )ゲンドウは 『レイがそう言ったのか?』と言っただけで受け入れた。考えてみればリツコの邪推が当たっているなら、レイ好みの環境のアパートに一人暮らしをさせているのは矛盾している。ターミナルドグマに住み続ける事だってできたのだ。ただ利用するだけなら人間らしい生活をレイに与える必要は無いはずだ。確かにレイは碇ユイに似ているがゲンドウはそれだけに自分の目的の妨げにならない限りは娘として扱っているのだ。不器用にではあるが。
 そしてゲンドウの望みと心理を考えていくと、それはリツコの望むものは全く違ったわけだ。
 リツコが詰め寄ればゲンドウは、愛していると陳腐なセリフをはき、リツコの体を求めるかもしれない。彼にとってそれは嘘の気持ちではない。男とはそういう生き物なのだ。リツコには裏切りにしか過ぎないが。
( 結局は男女の差、考え方の、いえ脳の差というわけね。A10神経を扱う私がその差に翻弄されるなんて、ばかばかしい。しかもライバルは永遠の27才の碇ユイ、おまけに確実に死んだわけでもない。いや理論的には生きている。結果は明らか……。女の論理としてはゲンドウへの興味は失せる。これで良いのよね )

Now she's asking me if I love her
And it really means; will I marry her
And I answer her ; ” yes I love you. ”
But it really means that I won't be untrue


(4)


 葛城ミサトはシンジとレイの間を裂こうとか、シンジを無理やりアスカとくっつけてしまおうと画策したわけではない。でもシンジとアスカが親しくなれば( アスカの魅力から言って、これは確率が高い )もう少し打ち解けてくれるとは思っていた。打ち解けてさえくれれば仲良くやっていく自身がミサトにはあった。とにかく今のままの状態はミサトが使徒と戦うには障害が多すぎる。
 ミサトの作戦は単純だ。そもそもセカンドインパクトとそれによりこうむった障害でミサトは満足な中高校生生活を送ることはできなかった。本嫌いのミサトが知っているのはマンガとアニメの中高生だ。そのミサトから見るとシンジとレイの学生生活はきわめて不健全だった。
( シンちゃん待ってなさいよ。ラブラブコメコメの学園生活の始まりよん。困ったら先生役……いえ、お姉さん役のミサトさんに何でも聞いてねぇ。こういうことは冷血リツコに聞いても無駄だからね )
いやはや、ひどい友人である。

 物思いにふけっていたミサトがヘリの機内に注意を戻すと雲行きがおかしかった。
「碇君、マナってだれ?」
「保安諜報部の霧島さんの娘さんらしい」
「え?」
「第二新東京市の学校に行ってるってさ」
「どうして?」
「ほらエヴァのパイロットが子供らしいって言うのは報道されたでしょう? うちの学校に知り合いがいるんじゃないかな」
( あっちゃ〜。中学生にばれてどうすんだろう。まあ霧島部長の娘で止まっていれば良いけど ) 
「ちょっとごめん。シンちゃん聞こえちゃったんだけど、どういうこと?」
「え〜」
「なによ、私には言えないってこと」
「葛城一尉」
「な、なに、レイ」
「碇君が先日下校時に霧島マナと称する人物と会ったようです」
「は、はい」
「不審なので質問中です」
「は、はあ」
「だから僕も知らないって」
「なに話したの?」
「『うん』と言ってそれから『バイバイ』って」
「相手のマナちゃんは?」
「ぼくの名前を確認して、今日は会いに来ただけだって言ってから、さよならって」
「なにそれ?」
「だから不審」
「僕だって妙だと思ったよ。あとで話したら霧島さんも困ってたし」
「ねえ、マナちゃんって最近ここから第二新東京市へ引越したの?」
「いえ、以前霧島さんは娘さんを親戚にあずけているって話してました」
「あれ?」
 これも親しくなるチャンスと思ってミサトは最初から経過を聞いてみた。
「最近、綾波が忙しいので、僕もほとんど毎日ネルフで訓練を受けています。ミサトさんは反対でしょうけど、運動嫌いの僕にとっては学校より辛いんですよ」
これにはミサトも反論できないので先を促した。
「先日訓練の講師の都合で空き時間ができたとき貯まっているプリントをもらいに一人で学校へ行きました。そして帰りに声をかけられたんです。最初は綾波かと思って……」
「なぜ?」
「最初声が似てると思ったんだ」
「そう」
「それがマナちゃんだったのね」
「ええ。彼女は自己紹介してから僕に質問をして答えを聞くとさっと帰ってしまいました。彼女にも護衛がついていたらしく保安局の人も危険はないと判断したようです」
「まあ部長のご令嬢じゃ念のためつけるでしょうね」
「そうなんですか?」
「人質にでも取られたら厄介でしょう?」
「なるほど」
「で、シンジ君。可愛かったの?」
ミサトはレイの肩がこわばったのに気づき、にやりとした。
( うひひ ) ひどい性格だ。
「え?」
「マナちゃんよ」
「相田や鈴原は喜ぶんじゃないかな」
「あら、シンちゃんは?」
「僕には関係ないですよ」
「え〜、まさかレイがいるから?」
シンジもさすがに返答に窮した。
「ミサトさん、僕をからかうのがそんなに面白いですか?」
「ええ」
「……」










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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
拙著は当該作品を元に作成した代物です。