白日夢    Daydream Believer


(Z) I crossed the ocean for a heart of gold


(1)


 葛城ミサトは最近虫の居所が悪い日が続いている。かといって大きな不幸が彼女を襲ったわけではない。今日も執務室でぼやきが始まった。

 そもそもけちのつき始めはシンジ君の進路指導をリツコとマヤちゃんに取られたことだった。あの後あちらさんは蜜月時代に突入、こちとらお払い箱だものなあ。
 それにシンジ君がレイに惚れちゃった時はネルフに残ってくれると喜んだけど、レイは『命令ならそうしますっ娘』でリツコべったりなのを忘れていた。何しろもともと訓練してるよりリツコの所で実験してる時間の方が長いんだから。
 おまけに初号機パイロットをレイにするってどうよ! シンジ君は使徒2体を殲滅し第5使徒でもその非凡な力を示したのに……。初号機とシンジ君は戦史で言えばフォークランド紛争直後のエグゾセのようなものだ。使わない手はない。突然パイロットとして乗せられたのだから、恐怖もあるだろうし命令どおりとはいかない。でも、それは徐々に慣らしていけば良い。
 まあ、レイなら命令どおり動けるのは確かだけど……。あきらめられないなあ。

「くそ! エビチュでも飲まなきゃやってられないわ!」
「わぁ! 葛城さん」
ノックに返事が無いので様子をうかがった日向二尉は仁王立ちしたミサトに驚いてしまった。
「あら、日向君。どちたの?」
「早くお知りになりたいだろうと思って」
「なによ? シンジ君が初号機パイロットに戻ったの?」
「いえ、そうじゃないです。でもシンジ君もレイちゃんも零号機と初号機それぞれの起動に成功しましたよ」
「あっそ」
かえって不機嫌になったミサトに日向は慌ててしまう
「すいません。でも申請が通りましたよ」
「ん?」
「ですからドイツの」
「え?」
「弐号機とパイロットの派遣が正式に決まって実行されました」
「何ですって! アスカが来るの?」
「はい。もう洋上に出ています」
「やりぃ〜! リツコ、見てなさいよ」
「赤木博士がどう関係するんですか?」
「日向君には関係ないわ」
「とほほ」

 日向から受け取った書類を確認したミサトは先手必勝とばかりに総務へ向かう。何しろ直属の部下のはずのレイとシンジは実験とカウンセリングを理由に保護者役をリツコに取られてしまっている。ミサトはアスカを梃子にしてチルドレンを確実に支配下におきたかった。レイはさすがに無理でもシンジは。
 総務の担当の説明によればアスカに関してはミサトの心配は杞憂に終わりそうだ。何しろドイツで知り合っているので最初から仮の保護者役にミサトの名前が出ている。ミサトは嬉々としてアスカの来日前にできる手続きを全てしてしまった。
 最後の書類にサインを終えて周りを見ると結構人が来ている。家族を疎開させるので健康保険の遠隔地申請などを出すものが多いらしい。見知った顔もいた。
「部長?」
「え? ああ、葛城さん」
保安部長の霧島は少し照れくさそうだ。やはり家族を疎開させるのだろう。
「大変ですね」 ミサトは周りを顎で示す。 「疎開される方、多いんでしょう?」
「申し訳ない。我々が至らぬばかりに」
最近一部マスコミに使徒の情報が出ている。社会不安をあおるような記事はさすがに日本政府も止めたが、とても隠し切れない。エヴァのパイロットもさすがに名前や顔は出ないものの注目を浴びてしまっている。
「そんなぁ。充分な働きをして見えます。地上には一般市民も多いんです。もれて当然ですよ」
「そう言っていただけると助かります」
ミサトはご機嫌のまま霧島の耳元でセカンドチルドレンの来日をつげた。霧島は少し驚いたようだったがレイとシンジの負担が減ると歓迎した。

(2)

 レイはターミナルドグマでの実験を以前から苦にしていない。ただ最近は実験が続くとシンジといられないのを寂しく感じる。それでも実験が続くときはシンジも学校を休み、はるか上層とはいえ同じ施設で訓練をしていると思うと少し気が楽になった。

「レイ?」
「大丈夫です」
「じゃあ続けるわよ」
「はい」

 それに最近赤木博士が優しい。以前は意地悪だったというわけではない。それはレイが司令と副司令を含めた男性の実験立会いを拒否してからかもしれない。
 昔から衣服なしで実験しているのでレイはたいして気にしていなかったのだが、シンジがレイの裸体を見て慌てた理由を聞いて赤木博士に頼んだ。
 レイは玄関のチャイムは実験室のアラームが想像されて嫌いなので壊してある。鍵はかけるようになったがシンジは自由に入れる。ある日ペンギンの人形を置き忘れて浴室を出たとき、シンジがたまたま目の前にいたのだ。シンジはもっと親しくなるまで裸は見るものではないと言っていた。碇司令はレイの一番大事な人ではあるがシンジより親しいとは言いがたい。会話の内容も行動もシンジの方がはるかに親しい。それに学校でも男女ははっきり分かれている。赤木博士も言い出しこそしなかったが賛成してくれた。レイの決断に問題はないのだろう。

「ご苦労様、予定の実験はここまでよ」
「はい」
「もう深夜に近い。送ろうか?」
「え?」
「今日はおそくなるから車で来たの。遠慮しないで」
「はい」
「シンジ君が心配してるからね」
「そうなんですか」
「ええ、本当よ。迎えに行った方が良いかってメールが来てたの」
レイは赤木博士のおせっかいを少し恨んだ。

(3)

 シンジはレイの実験が連日続いているので登校せず訓練を続けている。リツコは一度だけ学校の質問をしたが、シンジがレイと同じ英語と数学の教材をこなしているのを確認するとそれきり何も言わない。
 シンジは徒手体操の訓練を中心に受けていた。シンジにとって格闘技よりさらに苦手な鬼門である。
「イズミさん、すみません。限界らしいです」
霧島がつけてくれた講師役の管理部職員は同情的だ。職員の訓練は管理部が受け持つのだが、ビップ扱いのシンジには保安局第一課のスッタフがいつも警備に付くので保安諜報部長の霧島を通した方が手続きが早い。講師役を再審査するためである。
「充分よ。無理しすぎないようにね」
「苦手なので……」
「言わなくても分かるわよ」
「トホホな気持ちです」
「まあ、競技者としてするわけじゃないのなら充分よ。さあ、そこに横になって」
「いいです」
「だめだめ。きちんとマッサージをしておかないと明日訓練受けれないわよ」
「保安部の知り合いに……」
「あら、男の方が好きなの?」
「そうじゃなくて」
「あきらめなさい。霧島部長命令なの」
「え?」
「君の知り合いのマッサージ師は自己流らしいわ」
「でも」
「言っておくけど、私は合気道も」
「これで良いですか?」
「よいよい」
シンジにも違いが分かるほどマッサージは素晴らしかった。イズミは独身だが30代半ばくらいで母親の年配のため頭が上がらない。
「すみません」
「何言ってるの。それだけのことしてるじゃない」
「部が違うのに霧島さんを知っているんですか?」
「ま、まあね。うつぶせに」
「はい」
「良い子良い子」
「ちょっとさすがに」
「ごめんごめん。そういえばシンジ君、楽器するんだって?」
「え! どうして?」
シンジは誰の前でもチェロを引いていない。
「ごめんなさい。秘密だったのかな」
「そうじゃないんですけど……」
「保安部に知り合い多いの」
シンジの護衛には聞こえてたのだろう。
「余り知られたくありません」
「そう、わかったわ。よし、これで良いわよ」
「ありがとうございました」
「ご苦労様。今日はもう筋トレも禁止よ。かえって悪いから」
「はい」
「そういえば今日はレイちゃんも赤木博士も実験なんでしょう?」
「ええ、まあ」
「うちに食事に来ない?」
「一人は慣れているから大丈夫です」
「そう。気が変わったら携帯にね。6時過ぎまで本部内にいるから」
「ありがとうございます」

 シンジは着替えるとケイジに向かった。レイがいない日には顔を出していくことが多い。整備のスタッフとも顔見知りになった。第十七使徒のようにエヴァを傀儡のごとく操れるとは思えないが、非常時動いてくれて助かる場面が夢にあったからだ。零号機の起動は恐怖心を全く覚えなかったためか拍子抜けするほど簡単だった。レイほどのシンクロ率では無いけれど必要充分な数値を出している。レイも初号機で良い値を出してリツコを喜ばせた。これでダミープラグの開発はかなり早まるだろう。
 一見嫌悪感を覚えるダミープラグだが早期開発のメリットは大きい。安全性が確立すれば ( 第十三使徒に乗っ取られた ) 参号機の起動はダミープラグで行われる可能性が高い。第二支部消滅は原因不明で実験自体にかなりの不安が付きまとうからだ。 ( 事故を防ぐのはシンジではまず無理だし、リツコが信用してくれてもほとんど打つ手は無いだろう ) そして精神攻撃の第十五使徒、融合タイプの第十六使徒にも工夫すれば使える。そうすればその頃には来日しているはずのアスカを救うのにも役立つと考えられる。シンジはレイを危険にさらす気はさらさらなかったが、二人とも無傷で使徒戦を乗り切るのはたとえダミープラグを使っても困難だと思っていた。

 ガキエル君は10番目くらいになるんだろうな。そういえば量産型エヴァもダミープラグで来るんだっけ。弐号機と初号機に襲い掛かったあの異形の敵は名前こそエヴァだが人工の使徒に違いない。何しろダミープラグ搭載でエヴァを敵と認識したうえ同士討ちをしなかったのだ。それとも短期間に技術が上がった? それは考えにくい。それほどの技術格差があるなら碇ゲンドウのような危険な男に使徒退治を任せる必要は無い。量産エヴァだと使徒と肩を組んで人間を襲ってくるんだろう。おそらく量産機は使徒戦中盤までで採取可能だった使徒の細胞からできている。これでS2機関を短期間に実用化できたことも説明がつく。科学ではエヴァのS2機関を実用化できなかったに違いない。だいいちリツコさんたちが注目していたコアはS2機関ではないのだ。

 零号機に挨拶を終えたシンジは初号機のところへ移動した。
「あらシンちゃん」
「ミ、ミサトさん。どうしたんですか?」
「ごあいさつねぇ。そんなに驚かなくてもさあ。Lebel 3に私がいても不思議じゃないでしょう?」
シンジとミサトは多少ギクシャクした時もあるが別に不仲になってはいない。挨拶もするしミサト得意のからかい攻撃も頻繁に見られる。
「それはそうですけど……」
「まあケイジに来たのは気まぐれだけどさ」
「ですから何かようかと」
「九日十日」
「?」
「まあいいや。えへへ」
「な、なんですか?」
ミサトの笑みはシンジを不安にする。ミサトは初号機に少し視線を走らせて話しかける。
「やはり初号機が良いんじゃない?」
「ああ、シンクロのことですか。確かに零号機には相違点もあったので最初は戸惑いましたけど」
「今も初号機のほうがシンクロ率高いでしょう?」
「はい。でも、痛すぎます」
「もう! 男の子でしょう」
「男の方が痛みに弱いそうです」
「リツコね!」
「いえ、科学的に」
「ったく!」
「レイを危険にさらす気はありません。でもけんかもしたことも無い僕は痛くないほうが思い切って動けるのも確かです」
「まあいいわ。でも痛がりのシンちゃんが無理しなくてもレイはもう大丈夫よ」
「え?」
「ふふふ」
「なんですか?」
「我が作戦部の要請によって、レイと同じく訓練をちゃぁ〜んと受けた正規パイロット、セカンドチルドレン惣流アスカの来日が決定したのよぉ〜ん」
「えぇ!」
「なによ。セカンドチルドレンがいるってのは前に話したでしょう」
「それはそうですが……」
まあシンちゃん驚くわよ。日本人離れしたとんでもない美少女なんだからといっても、まあクォーターなんだけど……

 どういうことなんだろう。ネルフ本部の体制は強固なはずだ。エヴァは2機とも完調だし、招聘した予備のパイロット、シンジも実戦に使える。自分の思うようにならないからといってミサトが呼ぶとしても司令部が許可して委員会がなぜ承認したんだろう。しかも外部電源なしのまま途中で襲われる危険をおかしてまで。
 使徒の出る予定が完全に分かっていてガキエル退治目的で来るのかな。しかしあれは海上で見つけてもらって陸に近い所で始末した方が良い。弐号機が必要……。ああ、火口のやつか。確かD型装備は零号機には付けられない。初号機には可能だが碇司令は許可しまい。
 なるほど、きっとある程度使徒のことは分かっているんだ。それにしてもガキエルはなぜ日本近海で弐号機か加持さんの荷物を襲ったんだ?

ちょっと、シンジ君。聞いてるの!」
「はいぃ?」
「もう! そうそう、アスカの写真が家にあるから来ない? なんなら夕食もどうぞ。今日はカレー……。どうしたの?」
「ごめんなさい。今日は講師のイズミさんと約束があるので」
言い訳と思ったミサトの前で携帯をかけたので、シンジはその日イズミの家の夕食に本当に招待された。

(4)

 数週間後の夜、空母オーバーザレインボウは日本近海に達していた。

I wanna live, I wanna give
I've been a miner for a heart of gold.
It's these expressions I never give
That keep me searching for a heart of gold

I've been to Hollywood I've been to Redwood
I crossed the ocean for a heart of gold

 加持を探してデッキに出たアスカは悲しげな歌声を聴いた。
( な、なによ。告白する前に失恋ってわけなの! )
「加持さん!」
「おや、アスカ。こんな時間にどうした?」
「今のなに。以前言っていた日本の念仏ってやつ?」
「おいおい、ひどいなあ。歌だよ歌、俺の親の時代のだがな」
「へぇ〜」
「大学時代昔のものが好きな友達がいたのさ」
女性ね
「ん?」
「なんでもない。セカンドインパクト世代は古いのもの好きね。未来を見なきゃ。もうもどれないんだから」
「そういうことだな。ということなら未来を見つめるアスカは日本に期待というわけだな」
「日本が私に期待してるんじゃない?」
「こりゃまた凄い自身だな」
「使徒の3回の襲撃で本部の迎撃体制がぼろぼろになったから私を呼んだんでしょう?」
「ちょっと待てアスカ。そういえば具体的な話をしたことなかったけど、支部でどう聞いたんだ?」
「開戦以来パイロットの怪我が絶えなくて、2機で立ち向かった前回も初号機は破損でパイロットも怪我をしたって」
「まあ、そうなんだが」
「私が行ったら、使徒なんていちころよ!」
「勇ましいのは良いんだが……、ちょっと聞けよアスカ。ドイツ支部長は本部の碇司令を毛嫌いしてるからなあ」
加持の説明を聞いたアスカはかえって疑問が増えてしまった。
「そのサードはなんなの? 司令の息子よね、確か」
「ああ、碇シンジ。彼が使徒3体を実質的には倒したんだぞ」
「そのくせパイロットを降りたわけ?」
「いや綾波レイが完全復帰したので、自分は予備パイロットだと強く申し出たらしい」
「バッカじゃないの! ふん、それじゃあミサトも困るはずだわ。私が行ってファーストチルドレンともども鍛えなおしてやる!」
「おいおい。アスカの実力はよく知っちゃいるが、彼らの事情は話したとおりだ。お手柔らかにな」
「この惣流アスカに、まっかせなさい!」
「頼もしいねえ。さてもう晩い、俺はキャビンへ引き上げるぞ。アスカは?」
「さっきの加持さん気持ち良さそうだったから、私も無人のデッキで歌ってみる」
「そうか、早く寝ろよ」
「うん」

 てっきり加持自身が70年代の歌が好きと思って覚えた歌をアスカは小さな声で歌う。闇が涙の痕を隠してくれた。


I am woman, hear me roar
In numbers too big to ignore
And I know too much to go back an' pretend

Oh yes I am wise
But it's wisdom born of pain
Yes, I've paid the price
But look how much I gained
If I have to, I can do anything

I am woman
I am invincible
I am strong
I am woman







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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
拙著は当該作品を元に作成した代物です。