白日夢    Daydream Believer



(W) True love will never die


(1)


 第4使徒戦の後の数日間シンジは忙しかった。終わった使徒戦の検討会や次に備えての会議にも参加したためだ。参加はリツコが強く推薦してくれたので実現した。シンジにとって自分の提案がその場で幾つか採用されたのは嬉しさよりも驚きが先にたった。レイとの間の垣根も少し取り払われてシンジは充実した毎日を過ごしているように見えた。周りからみてすべてが順調だったのだ。しかし5日目の雨の日、シンジは一人で訓練に行くとレイに言い、保安諜報部にのみ行き先を告げ出かけた。彼には順調であればあるほど気になる問題があり、そしてそれは日を追って大きくなっていたのだ。

 シンジの問題とは『夢』と第5使徒のことだ。シンジは『夢』のおかげで運命に立ち向かえたことを最近いつも意識していた。『夢』には問題点が二つある。
 一つは、今の自分が『夢』の記憶のおかげで他人から実際の能力以上の存在にみえること。最初は気分が良かったが、『夢』と現実にずれが出始めている以上、無様な碇シンジをさらけ出す可能性があるのが恐い。綾波が今のシンジを好きになったとしても、無様なシンジをどう思うのだろうか?
 もう一つは『夢』自体の問題、あれ以来予知夢らしいものは全く見ない。予知能力があるなら、細かい条件に変化が出始めた今、修正版が見えてもおかしくないはずだ。ところが何も見ないのだ。それどころか予知夢の詳細を次々と思い出すことが多くなってきた。やはり『夢』の中の『レイ』が教えてくれた知識なのだろうか? シンジはこの世界の綾波レイが好きだ。『レイ』には感謝はするが……。
 そして第5使徒、これは初期の使徒の中ではもっとも危険だ。中期の第12使徒、後期の第14使徒、第16使徒に比べれば絶対的な能力は低いが今の初号機には強敵だ。『夢』とは違いシンジには現場での判断がある程度認められた。しかし出撃要請、出撃命令は拒否できない。逃げるつもりはないが痛いのも死ぬのも恐い。まず最初の接触が問題だ。第4使徒戦で通常兵器の攻撃は偵察の役目さえ果せなかった。このためエヴァで偵察して、そのまま攻撃すると言う考えは決してとっぴなものではない。しかも必ずしも初号機が出るとは限らない。冷静に考えれば偵察には零号機を出すこともありえる。未調整の零号機では第1射だけでレイの命は風前の灯だ。次にヤシマ作戦、成功率10%以下は苦しい。『夢』で2人と2機のエヴァが助かったのは奇跡に近い。結果として2人は助かり絆が生まれたと言えるが、死んでしまってはどうにもならない。

 シンジは二子山に向かっていた。保安部とレイには、サバイバル訓練の一環と説明してある。もともと訓練計画に入っていたし、この日シンジの予定に余裕があるのが実行する理由になっている。二子山は『レイ』との記憶が多い場所だ。一晩キャンプしてゆっくり『夢』と使徒戦について考えるつもりでいる。
 今回はサバイバル訓練と言っても別にナイフ1本で野宿するわけではない。それに道路から少し入っただけのところで行う予定になっている。ほとんどその手のことに経験のないシンジは、とにかく単独でキャンプするのを第一目標にした。もちろん保安諜報部は全てを把握している。また手伝いこそしなかったが周辺に人員を手配し安全を確保してくれた。シンジの荷物は1人用テントとエントリープラグ内の防水容器に入っているサバイバルキットが主なものである。簡易テントを設営して中に入り、救命糧食を食べてみた。国連軍が自衛隊と呼ばれていた頃からの伝統的な『がんばれ食』だ。戦自もほぼ同じ内容らしい。解説書には『これを食べると熱とエネルギーを与え、直ちに元気百倍となります。』とあるけど……。さすがに量が少ない。2食分食べてしまおう。あっという間に食べ終わる。雨雲で月は見えないけど、夜間訓練は月の入りの22時からの予定だ。
 今日が三日月か…… おそらく次の満月には第5使徒が来る。綾波のリハビリが終わる頃だし、零号機の再起動もその頃だろう。細かい変化はあるけど大筋では記憶どおりと言うわけだ。『夢』のこの時期の詳細が浮かんできたのでしばらくシンジはそれを消化するのに懸命になった。やはり変だ。自分が知らないはずの未知の知識も入ってくる。ねえ『夢』の綾波レイさん、君なの? 君が情報送ってくれてるんじゃないの? 返事は無しか。また綾波レイの幻が見えて振り出しに戻りよりはいいけどさ。
 訓練時間になった。自衛のためのナイフ、短銃と予備弾倉それに暗視鏡をウエストに装着し、マップ、コンパス、ライトと濡れて足場が悪そうなので伸縮式の杖を持った。目的地はヤシマ作戦の現場だ。地図もコンパスも見ず目的地に到着できた。2人で着替えてタラップで話をした場所、『夢』の碇シンジの気持ちがよみがえる。満月と『レイ』、二人の会話。そして第一射、味わった絶望感、そして使徒の第二射…… あまりも鮮やかな記憶で、ぁ……。『レイ』の幻に惑わされていた。
 何かを思いついたシンジは、俯いたまましばらく立ち尽くしていた。


(2)


 レイはシンジを見送ると自分の部屋に入った。今日はシンジがキャンプの訓練で外泊するので、夕食の代わりに初めて朝食を一緒にした。初めてレイの部屋で一緒に食べた。片手しか使えないこともありトーストと紅茶だけしか出せなかったけれど、シンジの喜んだ顔は嬉しかった。シンジが予定を繰り上げてキャンプの訓練をしたのは週明けにレイのギブスが取れるので、2人の訓練計画を合わせるためなのだろう。レイは本を読み始めたが集中できないので、ベッドに横になりシンジのことを考え始めた。

 碇君は友だち? 碇君が転校した日にクラスメートの問いに、私はステディな関係と打ち込んだ。あの選択肢では一番これが近いとその場で皆に説明している。納得してくれたと思ったが、翌日1人のクラスメート、よくクラスの雑用をしている洞木さんと言う女生徒に再度質問された。2人の学校に届けだ住所が隣同士なのに気づいたためだ。彼女は中学生の男女交際について何か妙な固定観念を持っているらしい。自分の言葉だけで説明するのは難しいので、私は葛城一尉からもらった本の一節で答えた。

 葛城一尉が退院祝いにくれた本は、ほとんどが昔の車のものそれに漫画だった。その中に1つだけ昔の歌のデータメモリと歌詞の本がセットになったものがあり私はよく聴きながら本を開く。歌はほとんどが英語で、歌詞は意味不明や陳腐なものも多い。碇君によれば、聴いていい感じなら歌詞の意味はどうでも良い時代だったそうだ。

 彼女に伝えた歌詞の一部を訳すと、
《 『私のこと愛してる?』って女の子が言ったら、それは『私だけを大事にしてね。』と言う意味だ。
『もちろん愛してるよ。』って、男の子が言ったら、それは 『“ make love ”してもいいかなあ 』 って言う意味なのさ 》 と言うものだ。

 これは男女の性欲の違いからも説明できることで赤城博士も同意している。だから、男性の好意を受け入れるなら実際するか否かは別にして、それなりの覚悟がいる。彼女の顔は真赤になり、決まり文句が出そうだったので私は付け加えた。
『私は今の碇君がそんなことを考えていると思わない。でもたった一人の一番の親友が男性である以上これは知っておくべき事 』
そのあと彼女は黙って考え込んでしまった。今思うと彼女は好きな人が居るに違いない。
 碇君じゃないよね? 洞木さん。

 碇君は大事な人? 私の一番大事な人は碇司令。初めて自分を意識した5年前、私は最初から碇司令と赤城博士だけは知っていた。前の私が事故で死んだあとのパーソナルパターンの移植では記憶のごく一部しか移せなかったそうだ。MAGIが完成してからは記憶の移動もかなり完全に出来るらしい。私には代わりが居るのだ。意識が覚めた時、周りに居た体がそうなのだろう。私もたくさんの体も碇司令の目的のために創られたと説明を受けている。赤木博士はその協力者だ。2人の命令に従い今日まで私は生きてきた。これからも……。

 碇君は私のなに? 私の心の中では、いまも碇司令の大きさは変わらない。協力者の赤城博士の命令にも従う。でもまだ会って1月たたないのに私の心の中の碇君はずいぶん大きくなっている。いつか将来、碇司令の大きさを越えるのだろうか、何か恐い気がする。

 いつの間にか少し寝てしまったらしい。睡眠中に何か映像の様な物を見た。あれが夢? 今まで夢など見たことないのに。そのためだろうか汗で体がべっとりしている。気持ち悪いのでシャワーを使うことにした。バスルームの前の廊下に碇君にもらったペンギンの人形を置いてから入る。理由は分からないけど碇君のお願いなので入浴する時は習慣にしている。
 ふぅ〜、入浴後は大き目のタオルとペンギンを持ちエアコンのある部屋へ移動、涼しくて気持ちよい。体が乾いてから下着を着けて大きめのTシャツを着た。以前は下着でいたんだけど、これも碇君のお願い。碇君のお願いはたくさんある。わたしも今度何かお願いしてみよう。お願いするって楽しいのかもしれない。


(3)


 レイは久しぶりに夕食を1人で取ることになる。退院後はもちろんだけれど40日ほどの入院の後半は毎日シンジが来ていた。レイは冷凍庫のメニューからシチューを選び、最近買ったレンジで解凍しパンと食べた。病院のメニューでレイが好んだものから嫌いな肉を除き、さらに工夫した味付けの一番のお気に入りだ。解凍して食べても美味しいわ、碇君。いないせいか、レイはシンジのことをますます考えてしまう。
 考えるうちシンジの様子がおかしいことが最近何度もあったことを思い出した。特に皆が初号機の戦いを誉めた時だ。
 なぜ嫌がったの、碇君。誉められて嫌がるのはなぜ? あの時なんと言ったの? 思い出した。確かあの時、皆に強いと言われて、『強いのは、初号機自体と発令所からの情報、それにレイ……』と、最後の方は独り言のようで私にしか聞こえなかった。喜んだ葛城一尉が私の情報のおかげでしょう! と言って抱きついたので、その後話題が変わってしまった。碇君は私を綾波と呼ぶ、レイと呼んだことは無い。それとも頭の中ではレイと呼んでいて、たまたま出たのだろうか? いえ、あの時碇君の注意は私のほうを向いていなかった。あのレイは別の誰かだ。まさか1人目の私? 直接会ってないはずだし、碇君は零号機にまだ乗ったことはない。だいいち話の流れからも……。レイ? クラスメートにはいない。ネルフのたくさんの職員の中には居るかも知れないけど碇君と接点のある部門には1人もいない。

 夕食を終え食器を片づけた後もレイは同じ問題を考え続けた。
 碇君の様子は使徒戦後から徐々におかしくなったわ。『本当は使徒が恐いんだ』 『僕は強くない、弱虫だ』 『次の使徒戦は自信がない』 など、それに考えてみれば私しかいないときばかりだった。私はそれに答えられなかった。
『次からは私も手伝うわ』としか言えなかった。碇君は少し悲しそうな顔をしただけだ。どうしてなのか私にはわかっている。きっと私を心配したのだ。
 碇君は私のこと、次の使徒のこと、それに何かほかの彼自身のことを考え続けていた。そうだ、私は気付いていたけど黙ってみていたんだ。碇君の悩み、碇君が誰にも言えないこと、でも私に聞く権利はない。私も秘密を持っている。それを言えば碇君は私の碇君ではなくなってしまう。そんなのいや。でも碇司令の計画が発動すれば私が普通の人ではないのは碇君にわかってしまう。今ならまだ平気だろうか、その時にはどうだろうか。それまでに3人目に代わっていれば私は苦しまない。でも3人目には記録をとってある時点までの私の記憶がほとんど移されるらしい。3人目は何を考えるのだろう……。よく分からない。
 何かがおかしい、非論理的だ。どこが? 『次の使徒戦は自信がない』と言う発言だ。今までの2体は自信があったの? どうして次はもうだめなの、碇君。なぜなの、おかしいわ。次の使徒について何か知っているんだろうか。レイはそのまま考え込んでしまった。
 
 レイがやっと決断出来たのは、午後10時を少しすぎたころだった。明日まで待てない気がするけどシンジは訓練中だ。どうすればいいのだろう。レイはシンジの訓練を見学した時に会った保安部長の顔を思い出した。彼はシンジを高く評価していた、それにレイにも優しかった。シンジも緊急の時は居場所を彼が把握しているから相談するよう言っていた。携帯の番号にかけてみる。シンジの夜間訓練は10時から始まっており順調なら1時間半ほどで終わるらしい。訓練後会いたいことを告げると、レイの口調から重要事項と判断したのかすぐ手配をしてくれた。
『怪我の具合は?』
「はい、眼帯は取れています。月曜にはギブス切断の予定です」
『それなら、現場までいけるでしょう。部下をつけますから』
「ありがとうございます」


(4)


 我に返ったシンジが時計を見ると5分ほど立ち尽くしていたらしい。無線で担当に連絡を入れ目標地点に到着したことを伝える。担当からは15分ほどこのまま待機するよう言われた。雨もやんでいるのでシンジは防水の上着を脱ぎ地面にしき座って待つことにした。靄も晴れて、第三新東京市の灯りが見える。
 『夢』の謎はあまり解明できなかった。これまでも何度か試みたように、心で呼びかけてみたが、相変わらず返事はない。ただよく考えれば、情報の中心はあくまで碇シンジだった。綾波レイの幻の印象が強くて勘違いしていたが、あれは『碇シンジ』からのメッセージと思う。あの『シンジ』がどこかの世界に実在しているのなら、『レイ』と一緒になれたのだろうか、赤い水辺の後で。
 ここに来てヤシマ作戦の詳細が見えたので、いろんなことに踏ん切りがついた。結局、怖気づく弱い心は『夢』と同じってわけだ。綾波の秘密を知っていてそれを彼女に言わないのは、ネルフに知られたくないからだと心の中で言い訳していたけど、無意識に『夢』と現実の乖離が大きくなるのを恐れたんだ。帰ったら綾波には正直に話そう。ヤシマ作戦が採用されれば守備担当または2人とも死ぬ可能性があるのだから。今の綾波が父さんに話したらそれまでだけど、黙ったまま綾波を盾にするのはちょっとね。
 さて、後は使徒迎撃の作戦だ。できれば一度の出撃で決めたい。
 第一案は、通常兵器での偵察後、本格的攻撃の作戦を立てる。
 第二案は、エヴァでの偵察時、使徒に撃たれてさあ大変♪ あれ痛いんだよなあ。胸部装甲の補強をリツコさんにお願いしたから、多少はましかな。でもやはり案2はいやだな。拘束をタイミングよく引きちぎれば逃げ出せるだろう。  第三案は、エヴァでの偵察時、使徒の初弾を避けてそのまま攻撃する。または無傷で本部に引き返して、作戦を立てる。これだベストだなあ。
 シンジが自分なりの案を練り上げたころ、後方に足音がした。保安部を信頼していたが抜き打ちの訓練も疑い銃を手に振り返った。
「シンジ君、良い心構えだ。合格だよ。でも撃たないように、綾波さんが面会だ」
保安部長が落ち着いた声で答えた。
「部長さん? あ、綾波ぃ!」
「碇君、話がある」
「じゃあ、私は保安部の車まで戻る。部下もギリギリの距離まで離すし、盗聴装置も切る。安全確認のため後方にカメラだけ置いていきたいのだが?」
「ありがとうございます。もちろん結構です」
「終わったら連絡をくれ」
「はい。綾波、この上着に座って」
「うん。碇君も」
「ぇ?」
「シンジ君、カメラ設置したいから、諦めて座りなさい」
「部長さんが困ってるわ」
「うん」
「じゃあな!」
「はい」

「碇君、私……」
「ねえ綾波。僕は綾波に伝えておきたい事と打ち明けたいことがあるんだ。今まで黙っていたのは軽蔑されても仕方ないと思う。でも、最後まで聞いて欲しい。お願いだ」
「判った。私の話も、最後まで聞いて欲しい」


 保安部長は道路まで戻り、用意された大型のバンに乗り込んだ。
「部長お疲れ様です」
「ああ、周辺はどうか?」
「はい、一帯は完全に封鎖しました。危険はありません」
「ご苦労」
今回帯同してきた部下は子飼の信用できるものばかりだ。逆に言えば、子供2人を守るのが精一杯の人数しか掌握できてないと言われても仕方ない。保安部長は自虐的な考えに取り付かれた。まあ、スパイだらけのネルフではこれでも上出来だろう。
「霧島部長、でもこんな夜半に緊急でしたか?」
「なあ、あの2人のことは知ってるだろう。彼らの話題は、人類の危機についてかもしれないし、ネルフの極秘事項かも知れない。あるいは、単なる告白かもな。でもな、例え中学生の恋愛ごっこだとしても俺は応援してやりたい。人類を守るために戦い、明日死ぬかもしれないんだぞ」
「ええ、シンジ君の努力には感心します。戦いが向いていない彼には、可哀想なくらいです」
「俺の娘は、あの2人と同年代だが、週末のデートに着ていく洋服の心配ばかりしている。まあ、親ばかで毎週のように買わされるんだけどな。それでよけいにそう思うのかもしれん」
「彼らは、デートにも見張りつきですものね。私も応援します」
「ああ」




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新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
拙著は当該作品を元に作成した代物です。