第壱話 「涙の種類」
僕はなんとか手遅れになる前に気づけたんだと思う。
本当にギリギリだったけど。生きてきて初めての選択。彼女だけは何者にも代えられない。
初めて自分を誇らしいと思えたんだ。
私は最後の最後になって自分の心に息づく想いに気づいた。
本当に手遅れだったけれど。最初で最後の私自身の選択。彼だけが私自身を見てくれた。彼だけは失いたくはない。
人形だった私が人としての想いをもった瞬間。私は、私は最後の瞬間、人になれた。
「零号機、使徒に生態融合を仕掛けられています。危険です!」
「使徒がエヴァを侵食していると言ううの?!」
「アスカ!レイの救出急いで!!」
「どうしたのアスカ!」
「動かない。動かないのよ。」
「駄目です!シンクロ率が二桁を切っています。」
「アスカ!」
もう駄目ね...
「戻して!早く!このままじゃ使徒に餌食にされるわ!」
「現時刻をもって初号機の凍結を解除。直ちに出撃させろ。」
「ハイ。」
「何よ!私の時は出さなかったくせに。」
「待ってろ!綾波!今、助けに行くから!」
「なによ!ファーストのときは意気込んじゃってさぁ。」
私の時は助けにすら来てくれなかったのに....
「これが涙。泣いているのは私。これは碇君と一つになりたい私の心けど...駄目。」
この言葉が聞こえた瞬間に僕は選べたんだと思う。我ながら手遅れになる一歩手前っていうあまり威張れたものじゃないけれど
「A.T.フィールド反転一気に侵食されます!」
綾波が泣いてるって思ったらほっとけなくて
「自爆する気?!」
僕は今まで生きてきて初めて自分自身で自分の「道」を選んだ。
「臨界点突破。コアが持ちません!」
誰に助言されるでもなく、誰に強制されるでもなく、自分自身で...。
「レイ!機体を捨てて逃げて!!」
この想いは本当で
「だめ。私が居なくなればA.T.フィールドが消えてしまう。だから駄目。」
いつもの様に澄んだ綾波の声が回線越しに聞こえた時、僕は...
「レイ!!」
それはもう理屈とかじゃなくて
「初号機シンクロ率上昇!80、86、92、105、口頭では伝えられません!」
ただ、ただ、もう少し一緒に生きてみたいって
「なに!」
彼女と一緒に、大切な彼女と一緒に歩いて生きたいって
「初号機なおもシンクロ率上昇中!」
そう...
「シンジ君...。」
生まれて初めて純粋に誰かを想いながら零号機に向かって駆けた。
「まずい!初号機シンクロカットだ!」
無駄だよ、父さん。だって解るんだ。エヴァが僕に力を貸してくれてる。
「カットですか?」
「そうだ。早くしろ!」
「...はい。」
「駄目です!エヴァ信号を受け付けません。」
ほらね。誰にも邪魔はさせない...そう、誰にも
「初号機、零号機に接触!既に99%まで侵食されています!」
これが僕自身なんだ。そうだよね?母さん。
「フィールド全開!!!」
邪魔する奴等は全て蹴散らしてやる!
「何なの?!あのフィールドは...マヤ!状況、説明して。」
「...はい。初号機の体を包むように展開されています。しかも、通常の20倍です!使徒からの侵食も防ぎきっています。」
「なんですって?!」
「零号機、エントリープラグを初号機が回収!」
「シンジ君!早く逃げて!!」
「零号機、コア臨界点突破!」
ドォォォォォォォォォォッォォォン!!!
[零号機自爆現場付近]
「・・・・・っつ。」
少しの間気絶してたみたいだ。朦朧とする意識を頭を振ることで無理やりにはっきりとさせた。
モニターから外の様子を窺った。
装甲は激しく崩れ落ちていたがしっかりと彼女のいるエントリープラグを包むように握っていた。
軽い安堵が彼を満たす。
「綾波、大丈夫?綾波!聞こえるか?綾波?!」
通信機を使って問い掛けてみたが返事は返ってこない。どうも向こうのプラグの機械は故障しているようだ。
今のシンジにはそんなことは思いつかない。
「もしかして、大怪我してるんじゃ?...クソっ!」
すぐ初号機から降りて僕は綾波のもとに向かった。でも、なんか歩きにくい。綾波のプラグに向かう途中で何度も転んだ。
なんでかな?と思ったらなにやら左腕の肩から先がないのだ。
「上手く歩けないわけだ。」
痛みは感じないな、麻痺してるみたいだ。
あ〜、まずいのかな?結構、血が出ちゃってるけど。う〜ん、とまらないや。
そんなことよりも今は綾波のことが心配だ。
「よいっ〜〜〜しょっ〜っと。」
やっとの思いでハッチを開けた。利き腕が無事なのは不幸中の幸いだったな。
「綾波!大丈夫か?!綾波!」
怪我はしていないみたいだ、良かった本当に良かった。
「っんん...」
苦しそうにしながら綾波は瞼を開いた。
護れたんだ。僕が初めて他人を自分よりも大切に想える彼女を
「...碇君、碇君がいる、どうして?私は死んだ筈....碇君も死んでしまったの?どうして...。」
愛らしい真っ赤な目を涙で煌めかせながら綾波がそんな事を聞いてきた。
「綾波は死んでないし、僕も死んでないよ。町はかなり吹き飛んじゃったけどね。だから、泣かないでよ、綾波。」
「泣く?...私、また泣いてる。なぜ泣いてるの?私は、何が悲しいの?」
「綾波....とりあえずプラグの外に出よう?ね、綾波。」
コクりと、頼りなく頷く彼女がとても小さく見えて。僕はなんだかとても切ない気持ちになった。
これも多分、彼女が大切だから感じる気持ちだと思う。
「さ、僕の手に掴まって。」
プラグの外に出て適当な場所で腰をおろした。綾波も僕の隣に座った。
膝を抱えて顔をうずめて...
「さっき、『何が悲しいの?』って聞いてたよね?多分なんだけどさ、怖かったんだよ独りになるのが、そしてなによりも
寂しかったんじゃないかな綾波は、独りで死ぬのが、独りぼっちになるのがさ。泣きたいときは泣けば良いんだよ。独りで泣くのが嫌なら
僕がいる。頼りないかもしれないけどさ。おいで綾波。」
多少、強引だったけど綾波を僕の胸の中に抱き寄せた。
「何も心配要らないよ。泣いて良いんだ寂しい時や悲しいときは、僕で良ければどんな時でもどんなことがあっても綾波の傍にいるから
綾波の全てを認めるから。ね?」
そう、言った途端に綾波は声を上げて泣き出した。今まで積もり積もった孤独と絶望を吐き出すように...
「っぅっぅぅううわぁぁぁぁぁぁぁ!」
その間僕は、綾波の水のように透き通った綺麗な水色の髪を撫で続けた。
[零号機プラグ外]
「少し、落ち着いた?」
「ええ。」
「私は自分が今まで良く解らなかった。でも今日解ったことが一つだけあるわ。
私は怖かった何よりも寂しかった。『私』が碇君にもう二度と会えないことが...。」
「ありがとう。綾波。」
「なぜ?お礼を言うのは私のほうだわ。『私』を見てくれるのは碇君だけだもの。ありがとう碇君。
でも...なぜ、私を助けたの?死んでいたかもしれないのよ?」
綾波が責めるようににそんなことを聞いてきた。
「僕が君に生きていて欲しいから助けたんだ。」
「なぜ私に生きていて欲しいの?私に価値なんて無いのに...」
なぜか綾波は責める様な目つきで僕を見ながらそう聞いてきた。
「なぜって、君に傍にいて欲しいし生きて欲しいからかな。こんなにも愛しい君だから...」
僕は泣きながらそして、たぶん生きてきて一番の笑顔を綾波に向けて僕の気持ちを伝えた。
心から笑えたのはたぶんこれが初めて...
質問の答えにはなっていない気もするけど。
ははっ相変わらず僕は馬鹿だな、アスカが馬鹿シンジって言うのも納得だ。
「愛しい...?」
「たぶん、自分ではない大切な誰かを自分の近くで感じて、出来るなら心も体も一つに感じるように
近くに感じたいと想うことじゃないかな。」
それは決して一つになることなんかじゃない。僕は僕のままで他人を自分の外に感じたいそれを僕に解らせる為に
僕をエヴァの中に取り込んだんだろう?母さん。
僕は初号機を見つめ綾波の頭を撫でながらそう、語りかけた。
「...そう、なの?でも、私が死んでも換わりが居るわ。だけど、碇君にはいない。重さが違う。」
「綾波、君が何をもって換わりって言うのか解らないけれど、これだけは言えると思う。自分の命を軽く見ちゃ駄目だ。
命の重さに違いなんかない。僕に言わせて見れば僕なんか死んだって誰も困らないし哀しんだりしない。代わりなんか幾らでも
きくのは僕のほうだから何時死んでも良いってついさっきまではそう思ってたよ。でも、今は死にたくなんかないもっとしっかり生きて
大切な君を近くで見て生きたいと思ったから、そのためだったらなんだってする。
もう他人の顔色を窺って生きるのも事なかれ主義も今日この時から卒業
大切な人を守るのを邪魔する奴等は蹴散らしてでも護ってみせる
これがたぶん、僕が見付けた僕の真実だから。それに僕にとっては君の換わりなんて居やしないんだ。
だから簡単に自分の命を捨てたりしないで僕からのお願いだ
ゴメン...なんか偉そうにお説教しちゃって。」
綾波は真っ直ぐと僕を見つめながら黙って話しを聞いてた。
「.....私も、私も碇君と一緒に居たい。私も碇君が愛しいの?解らない。解らないわ。でも、貴方に触れたい貴方に触れて欲しい
貴方をもっともっと近くに感じたい。そして、もう一人では生きて居たくない。これだけは解るわ。これが愛しいという気持ち?
でも、私はどうして良いのか解らない。」
こんな表情もするんだ。目をまんまるに見開いてほっぺを朱くしたかと思ったら今度は俯いちゃった可愛いな。なんて愛しい...
これが愛するって気持ちか...でもやっぱり俯いたままは良くないよ。綾波は綺麗な笑顔を持ってるんだから。
「どうもしなくて良いんだよ。ただ、一緒に居てくれればそれで。君が僕を必要としてくれて僕も君が必要で一緒に生きる。
簡単なことだけど難しい、難しいことだけど簡単だよ。僕たちはお互いを想い合って自分の限りなく傍に
大切な誰かを感じていたい。これがたぶん好きってことだから。」
僕は綾波にそして自分自身に言い聞かせるように言った。
「貴方の傍で一番近くで貴方を見て生きたい。この感情は愛?そう愛。私は碇君を愛してる。貴方を求める私の心...。」
「ありがとう綾波。僕も君のこと愛してる。」
碇君の右手が私の頬を
そして
綾波の両手が僕の頬を
言葉も無く目を瞑り抱きしめ合ってキスをした。
夕陽がそんな僕らを祝福するように静かに照らしてくれた
どちらからともなく離れてお互いに恥ずかしくて俯いた。
「これが嬉し涙。貴方が前に教えてくれた私にも解ったわ。そしてこういう時は笑えばいいのよね?ありがとう碇君。」
僕はますますはずかしくなって誤魔化すように話し掛けた。
「ああ、そういえば街が半分くらい吹き飛んじゃったよ。かなり強いフィールド張ったと思ったんだけど駄目だったみたい。
エヴァも大破しちゃったし。綾波の家、大丈夫かな?今度、隣に引っ越そうと思ってるんだけどどうかな?」
あ、驚いてる驚いてるまん丸な目が証拠だよ まったくもう可愛いな。
綾波のいろんな表情をこれからも見ることができるな〜なんて考えてたら瞼が重たくなってきた。
「ごめん綾波。ちょっと僕、疲れたみたい少し眠らしせてね。」
そうして僕は言いようのない安堵と喜びの中で綾波に持たれ掛かるようにして意識を手放した。
私は寄りかかってきた碇君を抱きとめた。
大切な碇君。
しかし、ある一点に焦点がまじわったとき彼女の目は驚愕によりいっぱいに見開かれた。
「なぜ?...なぜ?.....碇君の腕がないの?なぜ碇君は血だらけなの?」
「なぜ?ナゼ?何故?何故?ナゼ?
...........................
....................
.......................なぜ?」
「イヤアァァァァァァァアァッァァ!」
「碇君!碇君!返事をして!碇君!」
私はこのときあまりの恐怖に体を震わせながら彼の名を叫び続けた。
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