NERVからも第一中学校からも大きく離れたマンション団地。
辺りには人が住んでいるような気配が感じられない。
他の人から見ればゴーストマンションにしか見えないかもしれないそれには一人住んでいた。
マンションの一室に『綾波』と書かれたプレートが掛けられていた。
綾波は日常である朝のシャワーを浴びていたために髪の毛が濡れていた。
中学生とは思えないプロポーションの身体も水に濡れて、太陽の陽に反射しそれが一層艶めかしく見える。
彼女は濡れた髪をバスタオルで拭う。
身体と髪を拭き終えるとチェストに向かって行った。
赤木博士より渡された薬を飲むのだ。
彼女はチェスとの上に置かれた白の薬袋を手に取った。
しかし、手に取ったそれからは重みが感じられなかった。
疑問に思った綾波は薬袋の中身を確認した。
「………空。」
そう薬は切れていて空だったのである。
暫くして彼女は思い出したように顔を上げた。
自分が、薬が切れていたことを忘れてしまったことに気づいたらしい。
綾波は赤木博士よりこの薬を飲むことを忘れてはならないと言われているが、切れてしまっては飲もうにも飲めなかった。
忘れてしまったのは自分のミスだと自分に言って、今日のするべき目的が今決まった。
「……薬もらいに行かなくちゃ。」
彼女の目的が決まり、着替えるためにクローゼットへと歩んだ。
クローゼットを開けるとそこにあるのは第壱中学校の制服との他にある多数の女物の服があった。
この間にショウとシンジとで買い物をしたときに買ったものだ。
どことなく彼女の表情には楽しそうに見える。
彼女のことを知らないとわからないぐらいの笑顔だった。
女の服の着方はショウに教えられたので概ねわかるようになった。
綾波は淡い水色と白のサマードレスを選んだ。
これをショウに薦められて着てみるととても似合っていると言ってくれた事を覚えている。
それを思うと顔がすこし緩みまた笑顔になる。
着替えを終えると財布とカードを確認し、それをポーチに入れてドアへと向かう。
玄関に着き、靴を探し、目当てのものを見つけるとそれを履く。
いつも履いているスニーカーではなく、ワンピースに合わせて白とベージュの少し高めのヒールのサンダルを選んだ。
それを履いて、ドアを開けて閉めると鍵を掛けた。
鍵が閉まったことを確認するとNERVへと向かうべく歩を進めた。
空は曇り一つない快晴だった。
今日もまた暑くなりそうだと思えるほどに明るかった。
彼女は一人でNERVに向かって行った。
今日は休日だったので学校もない。
シンクロテストもハーモニクステストもないが、今日は薬が切れたということで赤木博士に会いに行くために単独で来たのだ。
時々すれ違うNERV職員も彼女を見ると驚いたような表情になっていた。
女性職員も彼女を見ると微笑みながら"可愛いわね"と言ってくれた事に少し驚きと戸惑いを覚えたが一応うなずくことにした。
その仕草に女性職員はほのぼの気分になったとかならなかったとか。
とにかく彼女のいつもと違った姿にNERV職員たちは感動を覚えたのであった。
そして、目的の場所である赤木博士の執務室に着いた。
自動ドアが開き、中へと入ると赤木博士の姿を探した。
しかし、いつもならコーヒーを飲みながら実験結果やチルドレン、使徒などの書類を処理する姿が目に入るはずだったがその姿がなかった。
辺りを見るがやはりいなかった。
どうしようかと困り果てたところ目に入ったのは赤木博士が使っているであろう机の上に一つの薬袋があった。
おそらく自分宛のだろうと思ったそれを手に取り、中身を確認した。
中にあったのは白のカプセル錠剤が開けられていないままの状態で入っていた。
おそらくこれなのだろうと思って持ち帰ろうとした。
このまま黙って持って帰ると赤木博士が探しても見つからないことで困るとまずいので伝言をメモに書き残した。
"ここに置いてありました薬を引き取りました。 綾波レイより"と書き残すとそのまま執務室を静かに去った。
もし、彼女が薬袋の裏側を見ていたなら気づいたであろうリツコ印の猫さんマークが。
薬の裏側にはリツコ本人の手書きで隅っこに小さく猫のイラストとその上に危険にゃと描かれていた。
それに気づくことなく綾波はNERVを去っていった。
赤木リツコが執務室について、デスクの上にあるはずの薬袋が無くなっていることに気がついて綾波直筆の置手紙を見て絶叫したのは後の話だった。













EVANGERION
Another Story
漆黒の騎士と白衣の天使

―第十五話―
― She who became a cat ―
―猫になった彼女―













ショウは一人でスーパーマーケット“ニコニコスーパー”に来ていた。
インスタントコーヒーが切れていたので、食材の買出しのついでに来ていたのだ。
今日のご飯は何にしようかな〜と買い物をしていたところ、ちょうど10周年を記念とした安売りセールが行われていたので肉や野菜が安く買えたことに喜んでいた。
安く買えたうえに肉や野菜が多く買えたので今日は肉のキャベツロールにしようと主婦の思考をしていた。
“安売りセールだったのはラッキーだな〜♪やっぱりだしはコンソメスープかな。トマトのスープも捨てがたいな〜。”
ハミングしながら今日の場御飯の献立を考えながら両手にこげ茶色の紙袋を持って歩いていた。
こういうときに車があればいいんだけどな〜と内心思っていた。
まだ、この世界では車の免許も取っていない上に車もまだ買えてもいないので乗ろうにもできないので仕方がない。
暫く歩いているとどこからともなくにゃ〜と猫の鳴き声が聞こえてきた。
「ん?…猫か。」
また、にゃ〜と猫の鳴き声を聞こえてきた。
「?」
ショウは猫が困ったような声にどうしたのだろうと思った。
自分は動物だけの住まう世界にいったことがあり、もう人間は滅んだであろうと思ったところである少女と出会った。
彼女に出会って数多の動物の言葉を学び勉強した。
そこで彼女のもとで二十年学んだ。
それから動物の言葉を覚えるようになって動物と話すことができるようになっていた。
だから動物の言葉を理解することができた彼には猫が何を言っているのかがわかるのだ。
「にゃ〜。(どうすればいいの……。)」
「…?(どこかで聞いたような声だな。)」
聞こえてくるほうに顔に向けると向けたほうに覚えのある気配を感じた。
しかし、声は聞こえども、姿は見えず、ショウはこれを変に思った。
「(…気配は感じるけど、姿が見えない。)お〜い。そこに誰かいるのか?」
叢のほうにおもむろに声をかけると草がガサガサと揺れた。
そして、叢から姿を現したと思ったら、目に入ったのは。
「猫?い、いや…でも………まさか!?」
目の前にあるのは猫だ。しかし覚えのある気配にショウはそんなはずはない!と驚き戸惑っていた。
「みゃあ!(牧野君!)」
「!!レ…イ…なのか?」
「みぃ…。(私のことわかるの?)」
この言葉を聞いて、ああ、やっぱりレイなんだな…とショウは少し眩暈がして手にしている紙袋を落としそうになった。
落ち着きを取り戻したショウは近くの公園に行ってベンチに座り休むことにした。
紙袋は側に置いて綾波であろうその猫はショウの膝の上にちょこんといった擬音が似合いそうなほどに可愛らしく座っていた。
毛並みは白で目は金色ではなく紅の色をしていた。
猫になった綾波にショウは説明を求めた。
「一つ聞いてもいいか?…なんで猫になってしまったんだ?」
「みぃ…にゃあ。(…私にもわからない。……気がついたらこんな姿になってしまったの。)」
「――――そうか。……………う〜ん、どうしたものか…。」
「にゃー…。(……私、もう戻れないの?)」
彼女の声は暗く沈んでいた。
ショウは魔法の世界でもなんでないごく普通の世界で人間であった彼女がいきなり猫になってしまったことに戸惑っていた。
彼女を見ているとかなり昔に魔法の使えた世界で自分もある魔法使いに悪戯に魔法を掛けられて猫に変身してしまった思い出があり、自分もこんなになっていた頃もあったんだよなぁ〜とじみじみと黄昏ていた。
今では自分で変身魔法呪文を詠唱すれば猫に変身することが可能ではあることを付け加えておく。
現実に意識を戻すと猫になって小さくなった彼女見てその姿が悲しげな様子に不憫に思えた。
「…………とりあえず、俺の家に来るか?」
「にゃ?(…え?)」
「じたばたしてもどうにもならんし、かといってこのままじっとしていても仕方がないから俺の家に来ないか?」
「にゃあん…。(いいの?)」
「構わないよ。このままの姿でうろついていたら車とか人の足だとかで危険だしな。」
このまま放って置くのもなんだし、とショウが助け舟を出した。
「みゃ〜…。(ありがとう。)」
ペコリと可愛らしく礼をした姿に妙な感じを受けた。
「気にするなって。」
―――魔法もないこんな世界で猫になるなんてのは在り得るのか?…っていうか何をしたら猫になるんだ?
全くわからんとショウは頭の中で悩んでいた。
ショウは肩に彼女を乗せた。
そして、側に置いてあった買い物袋をひょいと持ち上げて帰路についた。

――同時刻NERV本部・諜報部
諜報部では使徒が迫ってきているというわけでもないのに喧騒としていた。
無理もないだろう重要人物であるファーストチルドレンである綾波レイが行方不明なのであるからだ。
「おい!まだ、ファーストチルドレンの所在は掴めないのか!?」
「依然不明です!マンションにも部下を向かわせましたが、まだ帰られていない模様です!」
「くそっ!なんだってこんな時に使徒に攻められてしまったら戦力も下がってやられるかもしれないというのに!…そっちはどうだ!?」
諜報部の部長である谷本は苦虫を噛んだ様な顔で言った。
「はっ!葛城三佐宅にも連絡を取ってみましたが、来られていないようです!」
「くっ!このままでは私たちの首が飛ぶぞ…!最悪、命をとられるぞ…。いいか!貴様ら!何が何でも必ずファーストチルドレンを見つけ出すのだ!」
「「「了解!」」」
部長の命令を最後に各々は探索に向かった。
全ての原因は赤木リツコなのだが、事件の末端である彼女やファーストチルドレンのロストについては総司令碇ゲンドウと副指令である冬月コウゾウは知らない。
知られてしまったら自分も首が飛ぶかもしれないからだ。
リツコも自分の命は惜しいので研究や仕事はそっちのけで綾波を探し回っていた。
リツコは加持の車に乗せてもらい、一緒になって探していた。
「全く、りっちゃんよ。葛城じゃあるまいし、こんなミスはするもんじゃないぜ。」
「悪かったわね!そりゃあ、全ての原因は私だってことは自覚しているわ!こんなことがミサトに知られたらお笑いモノよ!」
あの薬をレイが持っていってしまうなんて迂闊だったわ!ちゃんと保管すべきね。とリツコは自分のミスに悔やみながら綾波を探していた。
加持は諜報部に所属していたので綾波がいなくなってしまったことについて連絡が届いたので知っていたのだ。
そして、リツコと共に探すことになって原因を聞いた。
「そもそも、一体何の薬を作っていたんだ?まさか………。」
「違うわよ!あの薬は命にかかわるようなものじゃないわ!…でもいずれにしてもまずいわ!あの薬を飲んでしまったら…。」
最後に何か言おうとしたところでやめた。
何か言おうとしていたことに加持は訝しげに思ったが敢えて追及しなかった。
「まぁ、とにかく彼女がいないなどと碇司令に知れてしまったら俺らの首も飛んでしまうな。」
「そ、そうね。とにかく探しましょう!」
あの薬が何なのかは、リツコは知っていた。
あれは猫になるための薬なのだ。
猫が好きでたまらない彼女はどうにかして自分も猫になれないかと思って自ら猫になるための薬を調合していたのだ。
しかし、それはまだ実験段階のものなので飲んでしまったらどうなるかは自分にもまだわからないので慌てていたのだ。
一応、人体に対しては有害ではないように調合はしたものの、結果を見てみないことにわからないことに変わりはなかった。
リツコは血眼になってあたりを探していた。
数時間後にリツコ印マークの描かれた薬袋と綾波の服だと思われるワンピース、ポーチの中に財布が入っており、中にNERVのIDカードがあるのを諜報部の者が見つけて、確認し、綾波レイ本人のものと見て間違いがないことがわかったと連絡が入り、リツコが再び絶叫したのは後の話。

ショウは自宅であるマンション"フォレスト"に着いた。
ドアの鍵を開錠し、部屋へと入った。
ショウは手に持っていた紙袋をテーブルの上に置き、続いて肩に乗せていた綾波を痛くしないように優しく両手で持ち上げて机の上にゆっくりと乗せた。
自分を見上げている彼女を見てみるとどうしても猫に見えてしまう。まぁ、実際猫なのだから仕方がないが…と思っていた。
不思議そうにこっちを見ている綾波に人差し指で頭を撫でる。
それを拒絶しない彼女はとても気持ちよさそうに目を閉じながら恍惚としたような表情になる。
撫で終えるとショウは椅子に座り、彼女を見る。
「もう一度聞くようで悪いが、こうなってしまった原因とか思い当たるものはないのか?」
「にゃぅ…。(ええ。)」
「まいったな…。魔女なんかに掛けられた呪いじゃあるまいし、普通人間が猫になるなんてありえないし…。」
どうすればいいんだ…と腕を組んで上を見上げて考えていたら綾波はにゃうと一鳴きしてショウに呼びかけた。
呼ばれたショウは綾波に顔を向けた。
「にゃあ〜う。(一つだけあったわ。)」
「思い当たるものがあるのか?」
「みぃ…。(…多分。)」
「何でもいい。言ってくれ。」
「にぃ…にゃあう…みゃぁ。(憶測でしかわからない。…でもさっき牧野君に会う少し前にある薬を飲んでいたの。)」
「薬?」
彼女に何かしらの病気でもあったかなと訝しげに首を傾げながら彼女の話を聞く。
「にゃうん。(…私は赤木博士からある薬を定期的に飲みなさいと言われているの。)」
「……ふぅん?それで?」
「にゃあ〜ぉ…にゃお。(今まで飲んでいる薬なの。…でも今までこんなことはなかった。新しい薬を引き取ってから飲んでみたら胸が熱くなって苦しくなって、それから周りの景色が大きく見えたの。)」
「―――……う〜ん。理解し難いが原因はそれとしか考えられないな。……その薬は間違いなくいつもと変わらないものなのか?」
「……にゃう。(そういえば。)」
「?」
「みぃにゃぅ…。(体が縮んでから薬袋を見てみたら、裏側に…。)」
「…に?」
「みゃう…。(『危険にゃ』と文字と一緒に猫の絵が書かれていたわ。)」
「………………飲むまで気づかなかったの?」
ショウの言葉に綾波はコクリと縦に頷いた。
暫く、部屋全体に沈黙が数秒ほど流れた。
やがて、ショウは口を開いた。
「どうやって調合したのかは知らないが…猫になってしまった原因はそれだろう…。」
ショウは呆れと共に、猫に変身してしまう薬を調合した科学者に対して感心していた。
自分も動物に変身する為の薬は調合した経験がある。
それは魔法世界に存在するものとで調合したものだ。
しかし、目の前にいる猫になった彼女は魔法薬でもなんでもない、ごく普通の材料を使って調合して変身したのだ。
何で調合したのかは気になったが、驚きが勝っていた。
「薬の成分を調べれば、自分でも解除薬は作れないこともないが、今その薬を置いてしまった場所に戻るのは無理だろう。」
「みぃ?(…どうして?)」
「もう既に諜報部のものが見つけ出しているころだろう…エヴァのパイロットであるレイが消失してしまったなどと知れたら探すのは目に見えているだろう?」
だから今更戻ったとしても意味がないって事さ。とショウが手を上げながらお手上げのポーズをとった。
何の気なしに時計を見ているともう既に正午になっていた。そろそろ昼ご飯の時間だった。
その時、ちょうどグゥ〜とお腹の音が鳴った音を聞いた。
それは自分のお腹の音ではないと気づくと、音の正体を目で追うとそれは彼女のお腹から鳴る音だった。
彼女は恥ずかしがっているのか縮こまっていた。
その様子にショウはクスクス笑っていた。
「ちょうど昼時だ。飯を食おうか?」
「にゃぅ…。(………ええ。)」
彼女の了解を聞くとショウは料理を作ろうとしたところ“あ”と何かを思い出した。
「そういえば、レイって猫なんだよな?…ってことは食事も猫にあったものじゃないと駄目なのかな?」
キャットフードなんてレイが食えるだろうか?とちょっと不安になった。
「みゃお…。(猫の食事って何?)」
「言いにくいが…キャットフードとか魚の煮干とかだけど。無理……だよな?」
この言葉に綾波はフルフルと横に何往復してこれを拒否した。
これにショウはやっぱ無理だよな〜と頭を悩ませていた。
あとでわかったことなのだが、綾波が変身した猫の種類はスコティッシュフォールドらしい。
かなり昔のことではあるが、かつて猫を飼っていたことがある。
しかし、彼女は猫ではなく人間なのだ。
体の仕組みが猫とはいえ、猫の食事を拒否する彼女に人間の食事を作ることにするが、人間とは違って猫の身体なので人間と同じように食事をしていては病気に倒れる可能性もあるので注意しなければならない。
特に有名なのがネギ類だ。イカや蛸も原則的には禁止なのだが、小さく切り刻めば問題はない。
牛乳は人間用のはまず駄目だろう、猫用のミルクなら大丈夫だ。
ショウは彼女のために少しでも食べられそうなものを考慮して料理に勤しむ。

数分後、ショウはイカと鮭のお茶漬けを食べることにした。
綾波は小皿のうえに載せられた細かく切り刻んだイカと焼き鮭の少な目の御飯が混ぜたのを食べる。
質素では在るがこの際仕方がない。
猫になった綾波ではあるが、なんとか食べてくれている様子にショウは安堵していた。
猫の姿なのでもちろん箸も持てないのでそのまま口で食べるしかない。
人間としては行儀が悪いが、猫ではこれが普通なのだ。
ちょっと彼女を猫としてみてしまった自分に少し罪悪感を抱いた。
「味のほうはどうだ?」
「みゃう。(美味しいわ。)」
「そうか、よかった。(………やっぱり猫の舌だから味覚も違うのか?)」
少し猫と人間の味覚に疑問を感じたショウであったが、美味しそうに食べる彼女を見ているとそんなことさえもどうでもよくなった。
机の上でもぐもぐと可愛らしく食べる様子にショウはふふふと笑みを漏らす。
微笑むショウに綾波は気づくと『?』と可愛らしく首を傾げた。
その仕草にショウはなんでもないよと言って彼女はにゃあと鳴いてまた食事についた。
自分もお茶漬けを食べることにした。

―――同時刻、NERV本部・諜報部
諜報部専用会議室の中は暗く重い空気だった。
目的の綾波レイを見つけることができず、彼女の衣服やIDカード以外は何の情報もないので未だに前進していなかった。
まして、彼女の所在が不明であるなどと総司令である碇ゲンドウに知れたらそれこそ命が危ういのである。
その中で一番危ういのがリツコ自身だった。
事の発端である彼女は更に暗く沈んでいた。
このことについてはまだ碇指令は知らない。
言ったら最後だからである。
誤魔化すことができるのは最低でも2日で、長くても3日である。
この間に探して見つからなければこの先、人類補完計画が御釈迦になってしまう。
このことに危惧を感じられずにはいられないリツコだった。
「それでレイの衣服やIDカード以外は何の情報もないわけね?」
「残念ながら……。」
「全ての原因は私にあるわ。…諜報部の一人や二人はレイの尾行はつけているはずよね?」
「はい。しかしながら、あまりに一瞬のことなので自分でもわからないと証言していたそうです。」
「?……どういうこと?」
「証言によると何かしらの薬を飲んでいた時に一瞬にして猫になったとか…あまりにも非科学的なことなので信憑性は無いと思いますが…。」
「………それ間違いないの?」
「…は?はぁ、確かにそう言っていました。」
「………それよ!やったわ!私ってなんて素晴らしい科学者なの!ああ…私の才能が怖いわ。」
リツコは若手の諜報部員の言葉に嬉々として飛び上がったと思ったら次にはうっとりと恍惚な表情をした。
背景には薔薇が出てきそうなほどに錯覚してしまうほどだった。
あまりのことについていけずわからないままに諜報部員は混乱するしかなかった。
「あ…あの?どうされたんですか?」
その言葉にリツコは我を取り戻し、落ち着きを払って体裁を整えた。
「まさかとは思いますが……猫になる薬ですか?」
「…………。」
「…………。」
「………ちょっといいかしら?」
「は…はい?」
「このことについて碇指令や副指令…いいえ、NERVに関する人の誰かに言いふらしたら命は無いと思いなさい。」
ゴゴゴゴゴと醜悪な黒のオーラと毘沙門天に見えた彼女の表情は目を向けられないほどに歪んでいたことを若手の諜報部員は恐怖した。
「いい?これは極秘事項よ?」
「りょ…了解。」
「捜査対象を綾波レイから猫に変えて捜索する事!わかったわね?」
その言葉に男はそんな無茶な…と目の前の女科学者に呆れていた。
「ね…猫といってもこの第三東京市には猫はごまんといますよ!」
「そうね…でも猫といっても記憶は失われることはないから、遠くに行っていることはないわ。まだ、この周辺にいるかもしれないわ。」
「それでもまだ多いですよ!」
「……ねぇ、さっき言っていた証言に猫について特徴は言わなかった?」
「はぁ、特徴ですか…確か白の猫に変身したとか言っていました。」
「白か……茶色とか黒なら良かったんだけど……白か…。」
残念そうにため息をつくリツコ。
男はそういう問題じゃねぇだろ、オイ!と突っ込みしたかったがここは抑えることにした。
「そ、それよりも早く探さなければ。」
「はっ…そうね。それでは白の猫を対象に捜索を命じます!ただし、飼い猫は除外。野良猫を中心に探すこと!」
無茶苦茶な命令に眩暈がしてきたが堪えて彼女の命に従った。
了解!と言ってから若手の諜報部員は通信部に向かうべく足を速めたのだった。
俺、就職先間違えたかな…と黄昏たとかしなかったとかそれは誰も知る由も無かった。

所変わってショウは綾波を抱えながら大手のペットショップ"アニマルDEポン!"に来ていた。
いつ元に戻るかわからないし、早くても一週間、長くても一ヶ月掛かるかもしれないので彼女のための生活用品を買いに行くことにした。
猫用のトイレ用品を買う自分は複雑な気持ちだったが、人間用のトイレはドアノブもあるし、届かない上に回す事が困難なので仕方がない。
綾波は女の子なので流石に排泄をしている姿を見るのは失礼なので専用のカーテンも買うことにした。
「トイレ用品とカーテンは買うとして…。」
カートに入れた物を確認して周りを見渡すとペット専用の首輪が目に入った。
「……………。(汗)」
彼女に首輪をつけるのか?と考えたが自分にとって首輪は拘束、束縛のイメージがあるので買う気になれなかった。
理由はある。
かつて昔、ある鬼畜ロリペドマッドサイエンティスト科学者にいろいろと実験されたトラウマがあるのだ。
その科学者に洗脳されたため、性欲処理用の人形として扱われたのだ。
自分の身体を自分の好きなように弄繰り回して、女にされて、犯されたことがある。
SMプレイや拘束プレイなどやらかされたのを覚えている自分が嫌になった。
他にも怪しい薬を打たれて猫耳や兎耳など生えられた覚えもある。
それ故に首輪に対してはいい思い出がないので敬遠している。
「なぁ〜う。(首輪は買わないの?)」
「………忠実な僕になりたいのか…。…首輪は買わん。レイに首輪をつけるって事は俺がお前に対してペットとして扱うわけになるだろうが。そんなのはお前に対して失礼だ。だから買わない。」
綾波が自分の僕(しもべ)になりますみたいな発言にあわやずっこけそうになるが堪えることに成功した自分にエールを送りたい気分だった。
それに首輪をつけることは主従関係を結ぶという契約になるということに繋がるのだ。
自分が主になり、彼女を自分の僕になる。そんなことをすることは毛頭ない。
不意にショウ!と後ろから声を掛けられた。
覚えのある声に後ろを振り向くとそこにいたのは…。
「ショウ?こんなところで何しているの?」
「よう、シンジか…。ちょっとな、あるものを買いにきていたんだ。」
「ふうん。何か動物でも飼うの?」
この問いにショウはどうしたものかと考え込んだ。
「まぁ……自分の叔父に暫く猫を預かってくれと頼まれてな。その買出しに来ていたんだ。」
これは全くの嘘だ。
この間の休日に架空の叔父の話をしていたので信じてはもらえるだろうと思ったからである。
よく飄々と嘘をつけるものだな、俺も。まぁ、長く生きてりゃ嘘もすぐに思いつくけど…とショウは思っていたりする。
「へぇ?あ、もしかしてその猫?」
シンジはショウの腕に収まっている白い猫を見つけた。
それを見つめていると彼女は鳴いた。
「なぁ〜。(碇君…。)」
「かわいいね。まだ子猫なんだ?」
「ああ、生後6,7ヶ月ぐらいだそうだ。(…ということにしておこう。)」
「ふぅん。…あれ?この子って目が紅いんだね?」
「突然変異だとかで珍しがっていたそうだ。病気ではないがな。」
「へぇ。…なんだかこの子って。」
「ん?」
「綾波みたいだね。」
何気ないシンジの言葉に思わずショウはぎくりと身体を強張らせた。
鋭いとショウは思った。
子供とは侮れないものである、子供は何かしらの感受性や観察眼が結構大人が思っているよりも鋭いのだ。
シンジは自分の手に納まっている彼女にシンジは無意識にそう思ったのだろう、そう信じたかった。
「な、なんで。この子が綾波だって思ったんだ?」
思わず自分の言葉がどもってしまうことに情けなく思った。
「え?…う、う〜ん。別に意味はないけどやっぱり瞳の色の印象が強かったからかな?それに綾波って飄々としたイメージもあるから例えるなら水か雪って感じがするんだ。それにほら雪って白いでしょ?綾波にぴったりのイメージだと思って…。だからかな?白の毛並みに紅の瞳が綾波を思わせたんだと思うよ?」
これにショウは絶句していた。
…あ、侮れない!とショウはシンジの感受性の豊かさに改めて感心した。
それに対する綾波はシンジを見つめながら悲しそうに鳴いていた。
「にゃあ〜。(私はここ…碇君。わからないの?)」
「あれ?なんだか悲しそうだよ?どうしたのかな?」
「にゃう…。(碇君……。)」
綾波は自分が猫になっていることでシンジにわかることができないことに悲しみを覚えていた。
初めて悲しいという気持ちを覚えた自分に驚きを感じていたが、それを嬉しくも思えた自分もいたが胸が締めつけられる想いに嫌気が差した。
「………。」
「ねぇ?この子抱いてもいいかな?少しは喜ぶかも。」
爛々と目を輝かせているシンジにショウは了承するが、その前に彼女に聞いた。
「シンジに抱かせようと思うんだけどいいかい?」
「なぁ〜。(ええ。)」
抱かれることを拒絶しない綾波をショウは両手で彼女を持ち上げてシンジの腕の中に納まるようにした。
「えへへ〜。猫ってふかふかなんだね。暖かいや。」
「にゃう〜。(暖かい…。碇君…。)」
綾波はシンジに抱かれることを嫌がることなくただ素直に受け入れていた。
「ところでこの猫の名前は?」
ストレートな質問にショウはうっと答えに詰まった。
「?どうしたの?」
「あ〜、……突然この子を渡されたからなぁ……確か…………そう!『綾ちゃん』!」
「は?」
ショウは自分のネーミングセンスの無さに少し後悔した。
穴があったら入りたい気分であった。今となってはもう後の祭りである。
今更、名前も変えるわけにいかなかった。
名前を変えてしまったら疑わしくなってしまうのでここは黙っておくことにした。
「綾ちゃんって…この猫、女の子なの?」
「あ、ああ。…そうだ。」
「ふぅん……綾波と同じ名前って偶然だよね?」
―――シンジよ!お前、もしやこの猫が綾波だとわかってて言ってないよな!?いや!それはないはずだ!うん、絶対にそうだ!
シンジに対して内心思っていた。
「そ、それより。シンジはどうしてここに?」
「え?ああ、実はペンペンのご飯を買いに来たんだ。」
「ペンペン?」
「うん。何でも温泉ペンギンだとかで珍しいペンギンなんだ。それでそのペンギンのビーフジャーキーを買いに来たんだ。」
全く最近のペットってグルメで困っちゃうよねとシンジはぼやいた。
それにショウは相槌を適当に打った。
シンジとショウはそれぞれ目的のものを買うと一緒に帰路に着いた。
その帰りの途中でシンジから質問が来た。
「そういえば、綾波がなんか行方不明らしいけど、ショウは知らない?」
「……………悪いが、知らん。」
少し間があったことにシンジは訝しんでこっちを睨んでいた。
「本当に?さっき間があったけど、気のせいかなあ?」
「ああ、気のせいだ。」
言えるはずもない。彼女は今、猫になっているのだ。
それをシンジに伝えたところで信じてもらえるかどうかも定かではないので沈黙を押し通した。
言ったところでシンジに痴呆症にはまだ早いよ?と言われかねない。
ショウの答えにまだ納得できないところもあったようだけどまぁ、いいやと一応は納得してもらえたようだ。
そして、シンジとショウの帰る道に分かれるところに着くと別れの挨拶を告げて後にしたのだった。
その姿をショウと綾波は見送った。
にゃあんと悲しげな鳴き声がショウの耳に入った。
「気にするな。…元に戻ったらいつもどおりに戻れるさ。」
「なぁぅ…。(ええ…。)」
「さ、帰ろうか。」
「にゃん…。(……うん。)」
コクリと縦に頷いた綾波。
彼女を慈しむように顎を指で撫でた。
ごろごろと喉を鳴らす綾波。
「にぃ…。(…くすぐったいわ。)」
「はは、そうか。悪かったよ。」
「みゃう。(いいの…。)」
ショウは綾波と共にショウの自宅へと帰ったのだった。




                                              ……………To be continued