紅い海…

血のように紅い海…

水際の砂も真っ赤に染まっている…

まるで世界中の人間の血を海に流したようだ…

間違いではない、なぜなら…

全生命の肉体が、魂が、溶けているのだから…

この世界には微生物の存在すら許されていない…

彼らをおいては…


Re:birth-福音再び-
〜プロローグ〜


 水際から少し離れた場所に人が二人―年齢は中学生程度に見える―倒れている。 死んではいないようだが、少女のほうには左目と両腕に包帯がなされ、それ以外の部分はプラグスーツと呼ばれた身体にぴったりとフィットしたボディスーツに包まれていた。 少年はワイシャツと学生服のズボンと普通の学生の格好で外傷も特に見当たらない。

「生きてる…」

 目を覚ました少年は周囲を見回して今まで生きてきた世界が永遠に失われたことを知る。 それが生まれたばかりのこの世界最初の絶望。

「なんだよこれ…アスカ、ねぇ!起きてよアスカ!」

 いまだ目を覚まさない少女の名前を叫びながら身体を揺する。 彼女の名前は惣流・アスカ・ラングレー、ドイツで14歳にして大学を卒業し天才の名をほしいままにしてきたが日本に渡ってきてから味わったことは挫折。 それまでは彼女にとって誰かに負けることは許されなかった、負けることは恥だった。 しかし激しい戦いの中で彼女は幾度も敗北を味わってココロを壊していった。

「くっ…ぐすっ…ひっく、ぐすっ…」

 いつのまにかアスカは首を絞められていた、体の上で泣き続ける少年の手で。 目を開いた彼女の眼に映るのは俯いたまま泣きながら自分の首を絞める少年。 震える手を持ち上げて相手の顔に触れる。

 少年ははっとして顔を上げる。

「…キモチワルイ」

(ぱしゃっ)

 しかし、一言そう言った彼女は液体へ、紅い海をつくるものへと姿を変えてしまった。

「アスカ?」

 彼の目の前で人としての輪郭を失って崩れた彼女を見て驚愕に目を見開く、だが何処を見てもそこにあるのは中身のなくなったプラグスーツだけだった。

「アスカ! アスカッ!? ウワァァァァァァァッ!!」

 少年は、紅い液体――LCLと呼ばれていたものと化し流れた彼女を探す。 無駄だと理解っていながら砂を掘りその姿を求める。 しかしどんなに砂を掘ってもどんなに辺りを見回してもそこに在るのはかつて第三新東京市と呼ばれた瓦礫の山と、紅い海だった。

(どうしてこんなところに僕は居るんだ)

 そして彼は思い出す、紅の世界誕生の瞬間と誕生までに起こったことを、自分の知らない知識までもが自分のことのように思い出すことまでもが出来る。 壊れた世界の全てを知った少年は、寝転がって見上げた空にある"もの"を発見した。 それは白いシルエット、人のようだが大きさが尋常ではない…遥か遠くに見えるのに目の前にいるかのような大きさなのだ。 首のない人の形をしたものを見上げて少年はある少女のことを思い出した。

(…綾波、レイ)

 少年は少女の顔を思い出していた、駅前で見た幻、エヴァンゲリオン初号機の前で初めて出会ったときの苦悶の表情、第5使徒戦の後の微笑んだ顔、人類補完計画の中で見た普通の少女のように笑い、会話する彼女。

(ごめんよ綾波…僕は、自分は三人目だという綾波と話して、ターミナルドグマにある綾波見て、目の前で壊されていく綾波を見て、綾波の存在が怖くなったんだ…。今ならわかる綾波は綾波なのにね)

 蒼銀の髪と赤い瞳をもったアルビノの少女"綾波レイ"に懺悔する少年。 懺悔する対象は空のシルエット、彼女は新しい世界への扉、扉を開いたのは少年、少年はただ懺悔する。

(最後に綾波が父さんじゃなくて僕を選んでくれて、僕は嬉しかったんだと思う…)

 見ていない状況の記憶までもが出てきてしまうが彼は気づかない、いや気づけない。 少年は思い出し続ける…。それは綾波レイによく似た、いや綾波レイが似ていた少年の母"碇ユイ"のことにまで至った。

(母さん…サードインパクトの時に会うことが出来たね…父さんと一緒に謝ってくれた…エヴァの中でも守ってくれたんだと思う…初号機に溶けてしまった母さん、その初号機に乗って戦った僕、これも最初から決まっていたことなの?)

 そして、ふと気が付いた。

(あれ?僕はあの時初号機の中に居たのにどうして外に倒れていたんだろう…?)

 いったん考えてしまうと気になって仕方が無くなってしまう人間がいる、彼はそういうタイプの人間のようだ。

(一回初号機を見てみれば判るかかな?初号機を探してみよう。リリスの傍にあるはずだからあっちに行けばきっと…)

 既に自分の知らなかった情報を完全に知識として取り込んで無意識に扱っているだが、それに気づかぬままに、よし!と意気込んで立ち上がった少年の勢いを消したのは腹の虫だった。

「そういえばお腹空いたなぁ…とは言うものの何も食べる気にはならないんだけど…食べないと生きていけないんだから何とかしないと」

 そう呟いてしばらく町を歩き回って見つけたものはある男が教えてくれた地下施設だった。

「加持さん、本当に下手なシェルターよりも頑丈でしたね。ここ」

 そこには何処から集めてきたのか大量の非常食料と水があった。

「けど、これって大丈夫なのかな?今が何月何日なのかもわかんないけど…」

 そうそう悪くなっては保存食料としてどうかと思われるが、濡れているものはさすがにいやだ。 無事だった非常食料と水を一緒にあったリュックに詰めて歩き出す。

「とりあえずリリスのほうにいけば何とかなるかな…」

 少年は、そう呟き首の無い人型のもとへひび割れた廃墟の道をひたすらに歩いて行く…。 その間、少年は今まであったことをいろいろと思い出していた。 第3新東京市…女の子…使徒…紫色の巨人…ミサトさん…リツコさん…エヴァ…父さん…綾波…指令所の人達…出撃……………そして、サードインパクト!

「あった…初号機だ…」

 巨大な人型"リリス"の近く、そこにはレイにそっくりな割れたリリスの頭と全身が真っ黒になっている初号機が在った。 初号機は斜めに地面に突き刺さり両足と左腕が埋まった状態になっていて、装甲の中身は空になっていた。 残っていたのは閉じたままのエントリープラグと剥き出しのコアだけだった。

「そんな、中身が無い…人造人間って言ってたから補完されちゃったのかな」

 コアに触れて少年は問いかける。

「ねぇ初号機…僕はこれからどうしたらいいと思う? 誰も居ないこの世界でただ一人死ぬのを待てばいいのかな? …寂しいよ、僕を一人にしないでよ! 僕を見て! 僕と一緒に居てよ〜〜!!」

 コアが鈍く輝き少年の叫びに応えた様な気がした。

「母さん? 初号機? 誰か居るの?」

 ぼろり、とコアが真っ黒に変色して崩れ落ちていく。

「え? 初号機のコアが…」

 涙があふれてくる、自分の母親が溶けたコアがぼろぼろと朽ちていく様を見ながら更なる悲しみが胸にわいてくるのを感じて泣いた。

「うそだ…そんな、僕を一人にしないでよ…やっと…僕のしっているものに会えたのに…酷いよ…こんなの…」

 彼にとってコアは希望であった、しかしその希望が消えてなくなってしまった。

「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁ…・」

 激しすぎる感情を抑えることが出来ず、それを叫びにして発散しようとしたがそれは消えることはなかった。

「あああああああああ…はぁ、はぁ、はぁ」

 息が続かなくなってへたり込んでいるとエントリープラグにも異変が起こった。 突如開かれた搭乗口から勢いよく流れ出てくるLCLと共に少女が流れ出てきた。

「なっ、えぇっ!?」

 何処からエントリープラグに乗ったのか 中に溜まっているLCLをよく見ると薄くにごっていて到底呼吸できるような状態ではない。 少年は気を失ったままの少女を見つめたまま訳が解らず立ちすくんでしまった。

数秒後復活した少年はその少女に見覚えがあった。

「え…綾波?」

 少年は驚愕に目を見開き、自分はまだ一人でないことを知って歓喜した。 そして今更ながら気が付く、彼女が一糸纏わぬ姿であることに…

「うわっ!? どどどどうしよう」

 柔らかそうな肌、濡れて張り付く艶やかな髪の毛、可愛らしい唇、LCLに濡れた姿はどこか扇情的ですらある。

「やっぱり可愛いなぁ…じゃなくてっ! 何か着る物を探さないと…」

 辺りを見回すとLCLに浸かった自分の制服があった。

「ちょうどいいや、今はこれで我慢してもらおう。って何でここに僕の制服が? 僕が今着ている筈なのに…」

 そんな疑問も考えても分かるはずもないのであっさり思考停止、彼女にYシャツを着せることにした。 LCL色に染まったYシャツを着せるのはなんとなく嫌だったので、自分がそっちをよく絞って着ることにした。

「さて、どうしようかな…」

 顔を真っ赤にしながらできるだけ見ないようにして、でも見ないと着せれないという矛盾した状態になった少年。 目をつぶって着せようとするも、柔らかい体の感触に思わず股間の超兄貴が目覚めてしまい焦ったりと無駄なことをしている。

 やっとの事でシャツを着せることに成功した少年。 レイを横たわらせて今後の事を考えていると、しばらくして彼女が身じろぎして目を開けた。

「んん…?」

「あ…起きた?」

「ふわぁ〜〜〜…んん?」

 起き上がってまぶたをこすりながらあくびまでしているのを見て、彼は少し呆れてしまっていた。

「えっと…もしもし? お〜い」

「おはよう、碇君」

 なんでもない日常。レイはそれを思わせるような朝の挨拶をする。

「お…おはよう」

 突然の事に驚いた表情のまま挨拶を返す碇と呼ばれた少年。こちらは突然のことに対応できていない。 彼の名前は碇シンジといった。この世界を作るための最後のピース。仕組まれた堕天使、それが彼だった。

「どうかした?」

 レイは固まっているシンジをみやって首を傾げる。

「いや、その…」

「私がここにいてはいけないの?」

 未だ驚きから抜け出せない様子のシンジに不満そうな顔をして問いかける。

「そんなことないよ! 僕は綾波がいてくれるとすごく嬉しい…」

「と、突然何を言うのよ。でも、悪くないわ…」

 シンジの思わず口をついて出てきた言葉にレイは頬を桜色に染めてしまった。

「でも、どうして綾波がここに?」

「私がここにいてはいけないの?」

 やっと気を取り直したシンジが尋ねると、レイは先ほどと全く同じことを言う。

「綾波…なんでそうなるのさ」

「冗談よ。だけど、どうして?」

「だって、綾波…リリスはあそこにいるじゃないか」

 シンジは真っ二つに割れた例と同じ形をしたりリスの巨大な頭部を指差す。

「碇君。生き物の形は基本的に魂とATフィールドが決めているわ。 それは解るわね」

「うん。前はわかんなかったことも今は昔から知っていたみたいにわかる」

 レイは小さく頷いて言葉を繋ぐ。

「私は綾波レイと同化したリリス。あの子は私、私はあの子。 どちらでもありどちらでもないわ。元から同じ存在ですもの」

「うん。それもなんとなく解る。僕が訊きたいのは綾波が何でエントリープラグから出てきたのかってことだけど…」

 レイは考えるそぶりを見せながらそれでいて即答に近い速度で答える。

「碇君とも一つになりたいからよ」

「あ、綾波? それってどういう…」

「エントリープラグには碇君が溶けていたもの」

 シンジが顔を真っ赤にしながら訊きかえす。するとレイも頬を染めて小さく呟いた。

「身体は魂さえ無事ならLCLがあれば作り直せるわ。私も一応使徒だから」

「使徒、か。でも人間だって使徒なんだろ?」

 レイはその言葉に対して肯定の頷きを返して微笑んだ。

「そう。あなたたちリリンはリリスから生まれた子供達。生命の実ではなくて知恵の実を得た個別の意思を持った群体」

「それもこの世界じゃ僕一人になっちゃったんだね」

 その言葉に、レイはかぶりを振り否定した。

「違うわ。リリンは今群体から一つに成ったのよ。今の碇君は知恵の実、リリン全体の記憶を持った状態。 そして群体から固体になったことで分散した存在が一つになって生命の実に匹敵する生命力も備わっているはず」

「それって…まさか」

 レイの話を聞いて、シンジはリリンの知識を元としてある結論へ辿り着く。

「そう、碇君も私はタブリスと同じような存在ということね」

「は、はははははははははは! 僕は、謀らずもSEELEの奴らが望んでいた姿になったってことか」

「そうね、以前のリリンから見たら今の碇君は神のようなものね。きっとATフィールドだって張れるし膂力だって常人の比じゃない」

「でも、だからってこんな世界で力を手に入れてどうするって言うんだよ。 力が欲しいと願った時に僕は力が無くて、全てが終わってからどうにかできたかもしれない力が手に入る…」

 シンジは悲しそうに目を伏せる。レイはしばらくの沈黙の後静かに唇を開いた。

「あなたのせいではないわ」

「でも、それでも僕は助けたかった! バルディエルに取り付かれた参号機の時だって僕がしっかりしていればトウジは死なずに済んだんだ! アルミサエルの時だって綾波が自爆しなくても倒せる方法があったかもしれない…」

「それは傲慢というものだわ」

 レイはシンジの独白を一言で切り捨てる。

「傲慢。自分の手に届く範囲のことを、ものを守りたいと思うのは傲慢なんだろうか…」

「今の自分ならどうにかできたかもしれないなんて考えることが傲慢だって言うのよ」

 シンジが俯いたままボソボソと話す内容にレイはさらりと付け加える。

「だったら、僕はどうすればいいのさ! 今更こんな力を手に入れて! 今更いろんなことを知って! 今更後悔してる…」

 シンジは激昂してレイの肩を思い切り掴み思いの丈をぶちまける。レイの顔がわずかに苦痛に歪むがすぐにもとの表情に戻る。

「あなたはどうしたいの」

「…どうって、どうしようもないじゃないか。でも、もしできるのなら過去に戻ってやり直したい。 何もかも、誰のためでもなく。自分のために生きてみたい」

「…そう。碇君は過去へ戻りたいのね。それなら、私が連れて行ってあげるわ」

 シンジにはレイの言っていることが理解できなかった。いや、理解できても意味を認識できなかった。

「連れて行く?」

「えぇ」

「僕を?」

「えぇ」

「過去へ?」

「そうよ」

 レイはシンジの事を過去に連れて行くというのだ。未だかつて、そんなことを可能にした存在はいないというのに。

「そんなの無理だよ。できるはずない…」

「そうね、確かに人間の"理"には無いわ。でも、不可能ではないのよ」

「いったいどうすればそんなことが出来るっていうのさ、僕には想像もつかないよ」

「リリンには思いつけないこと。そして私にしかできないこと」

「綾波にしかできない?」

「過去へいくには膨大なエネルギーが必要なの。だから私の"力"なら何とか開けるかもしれない」

 シンジの問いにレイは自分の力を使うという。レイ、使徒たるリリスの能力は存在を生み出すこと。 リリスは悪魔と交わり一日に百を超える命を生み出したと伝説にもあるように彼女が秘める力は大きい。 その力を使って過去へ行くというのだ。

「でも、身体ごと行くのはたぶん無理」

「どういうこと?」

「それほどの力は無いもの。行けるのは魂だけ」

「綾波は…?」

 シンジの問い。それはレイは自分を送った後どうするのかという意味だった。

「言ったでしょう? 連れて行くって」

 その数時間後、この世界から生物は完全に消えた。

























「ねぇ綾波」

「何?」

「ごめんよ」

「どうして謝るの?」

「僕は君を避けてしまった。地下の綾波たちを見て僕は…」

「…」

「だから、ごめん。それから…ありがとう」

「どうして礼を言うの?」

「サードインパクトの時、父さんじゃなくて僕を選んでくれたんだろう?」

「私は…そうしたかったからそうしただけだわ。碇君の事が好きだからそうしただけ」

「僕も…綾波の事が好きだよ。今度はずっと一緒にいよう」

「碇君と一緒にいること、それはとても嬉しいこと…」

「第三新東京市でまた逢おうね」

「えぇ、待っているわ」




始まり。