結局、僕はミサトさんの誘いを断る口実を手に入れられず、今晩はミサトさんの家に泊まる羽目になった。 明日には荷物も届くはずだから、それまでは我慢するしかなさそうだ。 しかし、またあの夢の島で寝ることになると思うと…。
「はぁ…」
 自然にため息も出てしまうよね。
「どうしたの?シンジ君。ため息なんて吐いちゃって」
 ちなみに今はミサトさんのルノーで移動中。
「なんでもないですよ」


Re:birth-福音再び-
〜第参話 ボクハナク?〜



 夕方の道路を走るルノーは青い車体に夕日を浴びて不思議な色になっている。 運転がミサトである以上、ネルフに向かう時ほどではないがかなりの速度が出ている。

「ホホホホホホ!!今日はパーッとやらないとね!」

「パーッとって何をデスか?」

「何って、シンジ君の歓迎会と祝勝会じゃない」

「…そんな気分じゃないんですけど。(これから行く部屋が夢の島のような惨状であることを考えると、ね)」

「ちょっと、寄り道するわよ」

 ふぅ…とまたため息を吐くシンジを見ながらミサトはそういって車を走らせる。 ミサトの目的の場所に到着し、降りるとそこは第三新東京市を一望できる公園だった。

「(ここは…)いい風ですね」

「そうね…。そろそろね」

 腕時計を見ながらそうつぶやくミサト。 そのとき、時報のサイレンのような音と共に、地面に描かれた巨大な四角形が開いてゆく。

「対使徒迎撃用要塞都市:第三新東京市。これが私たちの町よ」

 次々と地下に格納されていたビルが顔を出す町を見ながらミサトは続ける。 地下に格納されていたビルが生えてくる様はとても不思議な光景に思える。

「そして、あなたが守った町よ」

「そんな立派なもんじゃないですよ。僕が守りたかったのは大切な人。そして自分が生きている未来です」

 溜息の理由を少々間違えた解釈で受け取ったミサトが連れてきたのだが、シンジは律儀に返している。

「ただ、結果的に町が守られたってだけです。そんな風に言われると、自分が嫌なやつに思えます。(自分の欲望のために僕は帰ってきたんだから…)」

「いいのよ、理由はどうあれあなたのしたことは褒められることなんだから。もっと胸を張りなさい」

 高層ビルが整列し完全に歳としての姿を取り戻した第三新東京市に夕日が沈んで行く。 二人は夕日が見えなくなるまで、その景色を眺めていた。


 ミサトの住む、そしてこれからはシンジも住むコンフォート17マンションの前に着いたときにはもうとっぷりと日が暮れていた。

「いやぁ〜すっかり遅くなっちゃったわね」

「そうですね、お腹が空きました」

「そういえばそうね。早く入って始めましょうか」

 そこでシンジはとても、そうとても重要なことを思い出した。 現時点において最重要事項と言っても差し支えはないであろう、食事は誰が作るのか、ということだった。

「ところでミサトさん。誰が食事を作るんですか?」

「あら、やっと名前で呼んでくれたわね。今日は疲れたからさっき買ったレトルトかな? 本当なら手料理をご馳走したいところだけど」

「そうですか、でもレトルトもたまには悪くないですね(あぶねぇ〜〜〜!!)」

「たまには…ね。あはははは」

 恐る恐るたずねたシンジは手料理という言葉に内心冷や汗たらたらだったが、レトルトという言葉にほっと胸をなでおろした。 しかしミサトはシンジのたまにという言葉になんとなく敗北感というか悲しみというかそんなものを感じていた。

「シンジ君は向うにいたころご飯はどうしていたの?」

 と、その気持ちは質問となって現れたようだ。

「向うに居た時のご飯ですか? 自分で作ってましたよ」

「へ? シンジ君、ご飯作れるの?」

「えぇ、一応和洋中作れますよ。一番得意なのは和食ですけど」

 エレベーターに乗った後も会話は続いていく。

「むむ…」

「どうしました?」

「ちょっと驚いたのよ。シンジ君が料理できるってことに」

「…意外、ですか?」

「意外って言うより…。ごめん、やっぱ意外だわ」

「変ですか?」

「そんなことはないけど。ちょっと待ってね、今開けるから」

「誇りこそすれ恥じる必要はないですね」

「私もたまに料理はするんだけどあんまりうまく行かないのよね。 まぁ入って入って、私もここに引っ越してきたばかりだから、ちょ〜っとばかし散らかってるけど…」

「はい、お邪魔します(ゴクリ)」

 ミサトは半ば呆れながらもシンジを自らの棲息地(笑)へと招き入れた。 中の様子は、まぁ今更なのだがなんとか表現してみよう。 彼女曰く"ちょっと散らかっている部屋"に突入。

(ぐふっ…やっぱりこれか。寧ろ前のときより酷い気がするし)

 一言で言えば、夢の島。 レトルト食品の箱が散らばり、発泡トレーも大量に重なっているし、ビールの空き缶でピラミッドも作れそうな勢いだ。 何故虫が湧かないのかが不思議でもある

「シンジ君、悪いけどそれ冷蔵庫に入れてもらえる?」

 もはやこれがちょっとなのかという突っ込みを入れる気力もなく、ミサトに頼まれたとおりシンジは冷蔵庫に入れるべく扉を開けた。 外に転がっている空き缶と同じ様な量のビールによって冷蔵庫は占領されている。 とりあえず、冷やさないとまずいものから順にスペースを空けて詰め込むことにした。

「さって、シンジ君。ご飯にしましょう」

 詰め終わったのを見計らってミサトが声をかけた。

「そうですね」

 ミサトはふんふんと上機嫌に鼻歌を歌いながらご飯にカレーのルーをかけている。 もちろんオールレトルトだ。 その後ろで風呂場からペンギンが歩いて出てくる。

「あ、ペンペン起きてたのね。 シンジ君、彼は新種の温泉ペンギンで名前はペンペンっていうの。 よろしくね」

「くわっ!」

 ペンペンが片手(?)をあげて挨拶してくる。

「よろしくペンペン」

 シンジもなんとなく握手して挨拶してみたりしている。 夕食を食べたあと、特にすることもなくシンジはすぐに眠ってしまった。


***

 三日後、部屋も片付いてひと段落したシンジは、レイの見舞いに来ていた。 看護士に訊いた部屋の前で深呼吸をしてからノックする。

「どうぞ」

 中から返事が聞こえて来たので、シンジはドアを開けて中に入る。

「こんにちは、怪我はどう?」

「なんともないわ」

 シンジの言葉にレイは微笑んで答える。 シンジはベッドの横にある台に持ってきたくだものの入ったかごを置く。

「くだものは平気だよね」

「えぇ。でもギプスじゃ食べれないわね」

「あ、ごめん」

「気にしなくていいわ。もともと包丁は使えないもの」

 レイは声が小さくてもきっぱりという話し方なのできつく聞こえがちだが、本人にそういう意思はない。

「でも、本当に久しぶりだね」

「ずっと…逢いたかったわ」

「"俺"もだよ…」

 見詰め合う紅い瞳、ほとんど感情を浮かべることのないレイの瞳が僅かに潤む。 シンジはレイの頬に手を伸ばす。

「はぁ〜い、レイ。あれから具合はどう?」

「「―――――ッ!」」

 不意の闖入者に二人は驚いたが、素早く離れた。 レイはやや睨むような視線でそれを見た。シンジは背中を嫌な汗が流れるのを感じていた。

「別に、なんとも、ありません」

「あ、あれぇ…。お邪魔だったかしら〜…なんて」

「そんなことはないですよ」

 レイの凍りつくような口調に冷や汗をたらすミサト。シンジは頬をひくつかせながら必死に取り繕う。

「あは、ははは。出直すことにするわ…ごゆっくり、あはははは〜」

「わざわざ来たってことは何か用事があったんじゃないんですか?」

 出て行こうとするミサトをシンジは引き止める。レイは「何故?」という視線をよこすが黙っていた。

「ただのお見舞いだから特に用事ってほどの事はないのよ。元気そうにしてるか見に来ただけ」

「そうでしたか。あ、せっかくだから何か剥こうか?」

「…じゃあリンゴお願い」

「わかった」

 シンジは果物ナイフを手に取ると危なげのない手つきで切り始める。 ミサトは二人の会話が成立していることに驚いて口がぽっかりと開いていた。

「葛城さん、なに変な顔してるんです?」

「へっ? あぁ、いやね…。レイが会ったばかりのシンジ君と普通に話してるから驚いちゃって」

「…おかしい?」

 レイに首を傾げて聞き返されてうっとなるミサト。実際ミサトはレイと話したことは全くといっていいほどなかった。

「綾波と話せて"僕"は嬉しいけど?」

「私も嬉しいわ」

「あぁ〜ら。見せ付けてくれちゃって、やっぱり邪魔者は退散するわ」

 返事を誤魔化して病室から出て行くミサト。シンジはそれを見ながら皿にリンゴを盛りつける。

「ハイ、ウサギさん」

 シンジがリンゴの皮をウサギの耳のようにして皿に置くと、レイは微笑みながらそれを食べる。

「これじゃ頭から丸かじりね」

「じゃあ僕は尻尾から」

 しばらくの間リンゴをかじる音が病室の中を支配した。

「「ごちそうさま」」

「そろそろ今日は帰るよ。次は学校になるかな」

「そう、またお別れなのね」

「一週間もないよ。それじゃあ、またね」

「また…」

 そういってシンジは病室を後にした。レイはシンジが出て行ったあともしばらく扉を見つめていた。


***

「碇 シンジです。これからよろしくお願いします」

 翌週、引越しを終えたシンジは市立第壱中学校の2年A組へ編入した。 中性的な顔立ちのシンジに何人かの女子が見惚れるが、ただ一点どこかやる気のない赤い眼が違和感を放っていた。

 レイも窓際の席からシンジたちに視線を向けている。 実は今朝登校したときに挨拶をしたら酷く驚かれたというエピソードがあったりもしたのだが、それは別のはなしである。 特に問題も起こらずシンジはクラスに迎えられた。


「というわけで、人類は科学の発達と共に爛熟した文明を謳歌してきたわけですが、全てが灰燼と帰す時がやってきたのであります」

 老教師のややのんびりとした喋り方で授業は進んで行く。 しかし、この教師は生徒が聞いていて意味が解らない単語を使うのであまり真剣に聞いている生徒は少ない。 シンジは特に聞くつもりも無いのでただボーっとしているだけだった、というかクラスのほとんどが話を聞いていない。 老教師の語りをBGMに寝ているものまで居る。

「えぇ!? マジ?」

 突然上がった声に老教師は話をやめてそちらを見る。 声を上げた生徒がばつが悪い顔をして黙り込むと、眉をひそめて再び授業を再開した。

つまらない授業が終わった後、シンジは囲まれていた。 転校生の宿命、質問攻めだ。

「ねぇねぇ、なんで疎開が始まってるのに今頃ここに来たの?」

「なんで、か…」

 いくつかの質問に答えを返した後のその質問にシンジは答えに窮した。 質問の答えを用意するのを忘れていたのだ。

「ねぇ、やっぱりあの噂本当なんでしょう?」

「噂って?」

「とぼけないでよ碇君があのロボットのパイロットだって言う噂よ」

「あれ本当なんでしょう?」

「う〜ん…まぁ、どうせその内ばれるしね。そうだよ」

「キャー、やっぱり!」

「おい、やっぱり本当だってよ!」

「すげぇ、カッコイイ」

 シンジが答えた途端全員がヒートアップする。

「しつもーん! どうやって選ばれたの? やっぱりテストとかあったの?」

「特にはなかったよ」

「必殺技とかあるのか!?」

「必殺技…判らないな」

「ねぇねぇ、それじゃああの怪物みたいなのはなんなの?」

「…誰もよく分かってないみたいだけど、使徒って呼ばれてる以外は」

「偉そうにしとってもな〜んも知らんのやな。パーとちゃうか?」

 当たり障りの無い内容で答えていると、突然輪の外からかかる声に一気に静かになって全員がそちらを向いた。 声の主は教室の入り口に扉を背に立っていた。それは年中ジャージを着続ける男、鈴原 トウジだった。

「あーっ! 鈴原! 一週間も無断で欠席して「じゃかぁしい、だぁっとれ!!」

 叱るクラス委員長洞木 ヒカリの声をさえぎってトウジが吼える。 ヒカリはむっとした顔をするがそのまま黙ってしまった。

「転校生!! ちょっと面貸せや」

 ガタガタと机と椅子を押しのけてシンジの前までやってきたトウジは、机に手を叩きつけながらそういってシンジを連れ出した。

 校庭へと連れてこられたシンジは、トウジと一緒についてきた取り巻きカメラマン、相田 ケンスケの二人と向き合った。

「えぇか? 転校生、よう聞けよ。ワシの妹はいま怪我して入院しとるんや。 オトンもオジーもお前のおる研究所勤めで妹看病したるんはワシしかおらん。 まぁワシの事はどうでもええ、けどな妹の顔に傷でも残ってみい。 ベッピンさんが台無しや、可哀相やろ?」

 沈んだ面持ちで言うトウジ、本当に妹の事が大切なのだろう。

「誰のせいやと思う? お前や! お前がムチャクチャ暴れよるからビルの破片が直撃したんや! ちやほやされていい気になってんちゃうわ!」

 今度は一転怒りに染まった顔で一気にまくし立てる。

(やっぱり怪我しちゃったのか…)

 そう考えていた時、シンジは思い切り殴り飛ばされた。

「舐めとんかワレ! なんで何も言わんのや!」

「おい! トウジその辺でやめとけって!」

 シンジは立ち上がり、トウジのほうを見る。

「お、やる気やな? くんならこいや!」

「トウジ、やめろって」

「一つ、聞いてもいい?」

「なんや」

「妹さんの怪我は酷いの?」

「なんじゃ、実は大した事ない思っとるんとちゃうか? 今はもう意識はもどっとるが見つかった時は意識もなくて頭から血ぃ流しとったらしいわ」

「そうか…」

 シンジはそういって立ち去ろうとする。

「まてや、ワイの話はまだおわっとらんぞ!!」

「こら! あんたたちなにやってるのよ!!」

「委員長…」

「ちっ、邪魔が入りよったわ。 ええか! これだけはいっといたる、今度からは足元よう見て戦えや!」

 そういって教室へ戻るトウジとケンスケを見送ってからシンジも歩き出した。

 教室へ戻ったシンジを見つめる視線、レイがシンジの顔を眼で追っていた。 視線に気付いたシンジはレイの方を見ながら微笑んで席についた。

(今度トウジの妹さんのお見舞いに行こう…)

 そんなことを考えながら午後の授業時間も過ぎていった。


 ここはネルフの地下演習場、エヴァの視界領域を仮想空間に繋いで訓練する施設である。

「どう? シンジ君、調子は」

『基本操作はもう頭に入ってます』

「そうじゃなくて学校の事よ」

『そうですね…そろそろ友達もできそうですよ』

「そう、よかったわ」

 オペレートルームには3人の人影、リツコとマヤ、そしてミサトである。 そして、今日も訓練が始まる。

「それじゃあシンジ君昨日の続き、インダクションモード始めるわよ」

『あ、待ってください』

「どうしたの?」

『この銃の仕様書、僕も読ませてもらったんです。 できれば使いたくないんですけど』

「どうしてかしら?」

 自分の開発した武器を使いたくないと言われちょっとむっとしたリツコが聞き返す。

『これの弾丸、劣化ウラン…つまり放射性物質を使ってるんですよね。 そしてこのシミュレーションは市街戦を想定してます。 つまり、この武器がもしも使徒に効かなければ市街地で放射性物質を撒き散らすってことになるわけで、僕はそんな武器は使いたくありません』

「それは…ならどうするの?」

『使徒に有効なのは接近戦での武器攻撃でしたよね。 それなら主に接近戦用の武器を作ったほうがいいと思うんです』

「そうね、理論的には間違っていないわ。じゃあ遠距離から支援する時はどうするのかしら?」

『銃でいいんじゃないですか? 問題は弾丸に劣化ウランを使っていることなんですから他の素材を使えばいいと思うんですけど』

「そうね…、確かに市街地で使う武器としては欠陥品ね。 人道的な配慮が足りなかったわ」

「あら、珍しいわね。あんたが言いくるめられるなんて」

「私は現実的に考えただけよ。 シンジ君の言っていることは正しいわ。 気付かなかった私もだけどこの武器を発案したのはあなたよ、ミサト」

「うっ!」

 ミサトのちゃちゃはリツコに冷静に返され、ミサトは言葉に詰まった。

「取りあえず、その件に関しては後で考えましょう。 今はインダクションモードの練習ね」

『我がまま言ってすいません』

「いえ、気にしなくてもいいわ。 これからも何か気が付いたことがあったら教えてちょうだい」

『解りました』

「あらぁ〜知らない内にずいぶんリツコとシンジ君仲良くなったのねぇ」

 その言葉に今まで黙っていたマヤも反応する。

「そうですね、なんか研究室に二人で篭ってることもありましたよ」

『リツコさんには色々助けてもらいましたからねぇ』

「そうね、私もシンジ君には色々と思い出させてもらったことがあるわ」

「先輩、そんな、不潔です!?」

 マヤが頬を染めていやいやをするように頭を振る。

「マヤ? あなた何を想像してるの?」

「え? あはははなんでもないですよ」

 呆れた顔と口調でリツコに突っ込まれてさらに赤くなってパタパタと手を振るマヤ。

「はぁ…何を赤くなってるのか知らないけどそんな勘ぐるような関係じゃないわよ」

『終わりましたけど、どうしますか?』

 突然のシンジの言葉に話していた三人は驚いた。

「え、えぇ上がっていいわ」

「は、早い…もう終わったの?」

 今回は敵ターゲットの一定数撃破のミッションで、耐久度はサキエルと同程度らしいがやけにあっさり沈んでいた。 しかもこれに使われているのは劣化ウラン弾のデータ、他の弾丸とは違い劣化ウラン弾は高い貫通性を誇り同時に焼夷性も持ち合わせる稀有な特性を持っている。 しかし工程が特殊なため製造コストは高いのだが、材料が原子力発電所などからも手に入るため全体コストを考えると他の弾丸よりも安くなるという。 だが、元は放射性廃棄物なので弾丸にもその特性は現れる。 そう、弾丸が当たったときに突き刺さらず砕けると当然のごとく辺りを汚染するのだった。

 忌まわしき未来で人類が生き残っていたとしたら第三新東京市近郊では奇形児が生まれるなどの被害がでていただろう。 実際は自分しかいなくなったのだが…。

 閑話休題、ミッションの結果は誰も見ていなかったが、データは確かにMAGIの中に存在していた。 結果はいうまでも無く、理想的な勝利であった…。


 シンジは訓練が終わった後、レイと合流してトウジの妹のお見舞いに行くことにしていた。

 病院についた二人が受付に近づいていくと看護士がすぐに声をかけてきた。

「こんにちは、どうしましたか?」

「ええと、ここに鈴原っていう苗字の女の子は入院していませんか?」

「鈴原…? あぁ、ナツミちゃんですね。ごめんなさい。面会謝絶なんですよ」

「面会謝絶、ですか」

「えぇ、ここだけの話ですけど」

 そういって看護士の女性は手招きをする。シンジたちは顔を近づけると彼女は小声で話し始めた。

「実はネルフからのお達しでご家族とネルフの関係者の方以外の面会はだめなの」

 ゴメンネ、と手を合わせて説明してくれる。シンジはすぐにほかの人には見えないようにポケットからIDカードを取り出して看護士に見せた。

「あ、それは…」

「し〜っ」

 思わず声が大きくなる看護士に人差し指で大きな声を出さないようにと伝える。看護士は慌てて口を押えて声音を戻した。

「ネルフの方だったんですか。後ろの子も?」

「えぇ」

 そういってレイもカードを取り出す。

「それじゃあ、お部屋をお教えします。ナツミちゃんのお部屋は3階の5号室になります。 ちゃんとノックしてから入ってくださいね」

「解りました。ありがとう」

「失礼します」

 受付を後にした二人は階段を使って3階まであがると、ちょうどトウジがエレベーターを使って帰るところだった。 鉢合わせを危惧したシンジは少しホッとした。できれば見舞いに来たことを知らせたくなかったのだ。 エレベーターが閉じたのを確認した後二人は病室のドアをノックした。

「だあれ?」

 すぐに中から返事が聞こえてきたので、シンジたちは扉を開けて中に入ろうとした。 しかし、扉を開けた瞬間何か嫌な感じがして思わずシンジはあとずさってしまった。

「…お兄ちゃんたちは誰?」

 中から不審そうな顔で女の子―鈴原 ナツミ―がこちらを見ている。シンジは平静を装い中に入って声をかける。

「こんにちは、僕は碇 シンジ。こっちは綾波 レイ。今日はどうしても言いたいことがあって来たんだ」

「言いたいこと?」

 何のことかわからないという顔になるナツミにシンジは向き直った。

「ごめん!」

 突然謝ったシンジを見てナツミはびっくりした顔をしている。

「ど、どうしたの? おにいちゃん」

「実は、君のその怪我は僕のせいなんだ。だから君に謝りたくてここに来たんだよ」

「ナツミの怪我はこの前おっきい石が頭にぶつかってできたんだよ。お兄ちゃんのせいじゃないよ」

「その前に大きいロボットが居ただろう? あれに乗ってたのは僕なんだよ…。あのビルを崩してしまったのも。 痛かったろう、こんなに包帯を巻いて」

 シンジが悲しそうに目を伏せると、ナツミは小さくかぶりを振った。

「前までは痛かったけど今は痛くないよ。 それに、お兄ちゃんが居なかったらきっともっともっと痛かったと思うの」

「そっか、ナツミちゃんはえらいね」

「そうかな」

「うん、すごくえらいよ。だから素敵な贈り物をあげようか」

「わあ、なんだろう」

 贈り物と聞いて花が咲いたような笑顔になるナツミ。 シンジはナツミの頭に包帯の上から触れる。 一瞬ビクッと身をすくめた。

「少し我慢してね」

「うん、がまんする」

 シンジはそのまま次々に大きな怪我をした部分に触れていく。 最後に両手両足それぞれに数秒ずつ触れた後、手を離した

「もういいよ。明日になったらきっといい事が起こっているよ」

「…明日?」

「そう、明日」

「私はこれをあげるわ」

 レイは持っている紙袋をナツミに差し出した。ナツミは受け取って中を覗き込んでいる。

「開けてもいいの?」

「どうぞ」

 さっそく紙袋のテープを外して中から毛に包まれたものを取り出す。 それは頭の大きいデフォルメされたウサギのぬいぐるみだった。 正面から取り出したためシンジにはちょうど"後ろの顔"が見えている。

「ウサギさんだ、可愛い♪」

「ちょ、綾波? このぬいぐるみは…」

「可愛いから買ってみたの。どうかしら」

 微笑みながら言うレイにシンジは後ろの顔を見ながら悩んでしまった。 シンジから見えるウサギの顔は酷く不機嫌で無愛想な顔…というかやくざのような顔なのである。 そのとき、ナツミはぬいぐるみの背中を見るために持ち替えた。 シンジは表の顔の愛くるしい瞳と対面する。当然反対側のナツミは後ろの顔と対面することになった。

「あ…」

「あはは、後ろにも顔がついてるんだ〜。コッチも可愛い〜」

「気に入ってもらえて何よりだわ」

 ナツミとレイは妙に盛り上がっていたが、シンジにはその感性が理解できなかった。

 話し込んでいると部屋の入り口がノックされる。 シンジたちが振り向くと、さっき受付をしていた看護士がそこに立っていた。

「ごめんなさい。今日の面会時間終わりになりました」

「もうそんな時間?」

「来るのが遅かったからね。それに結構話していたし」

「また今度会いに来てあげてください」

「お姉ちゃんもお兄ちゃんもまた来てね」

「えぇ、またね」

「それじゃあまた来るよ」

 手を振って二人は病室から出てそのまま病院を後にした。 外からナツミの病室を振り返っても当然のごとく誰も居なかった。

「元気でよかったわね」

 隣を歩くレイが何気ない口調で話しかけてくる。

「そうだね。今日ちょっと細工をしてきたから回復も早くなると思うしきっと大丈夫だよ」

「確かに細工ね。でも傍から見てると女の子の身体を撫で回してる変態のようだったわ」

「へ、変態?」

「碇君が変態じゃないのは知っているから大丈夫よ」

「いや、解るけど…。でもなぁ、ナツミちゃんにもそう思われたとしたらちょっと深刻に悩むかも」

 そういって考え込むように口元に手を添えるシンジ。 それを見てレイはちょっと失敗したかなと思ってしまう。

「綾波…」

「何、碇君」

「今日の晩御飯どうしようか」

 変態に見えたことで悩んでいると思っていたレイは少し驚いた顔をした。

「悩んでいたんじゃなかったのね」

「いや、悩んでるけど」

「晩御飯の事じゃないわ…。思い過ごしならべつにいいのだけど」

「それで、何か食べたいものある?」

 シンジの問いは完全に不意打ちとなったため今度はレイが悩む羽目になる。 実は二人は現在一つ屋根の下に住んでいる。 何が如何してそうなったのかというと、シンジがリツコに直訴して説得したからである。 退院祝いで手料理を振舞おうとしたところ生活環境が悪すぎるので一緒に暮らしたい。 という内容だ。実際には確信犯だが、それは成功した。 リツコもそのことを知らなかったようで愕然としたまま許可をくれた。 驚いている間に畳み掛けたとも言うが、それは別の話である。

「よく分からないわ」

「近所のスーパーで手に入る程度のもので頼むよ?」

「それじゃあ、パスタを食べてみたいわ」

「了解。付け合せとスープは?」

「シェフのお勧め…」

「何処でそんな言葉を…まぁお任せってことね」

 レイの答えにシンジはニヤリと含みのある笑みを浮かべる。

「それじゃあ。当面の分も含めてスーパーで買い物して帰ろう」

「そうね」

 スーパーに入ったシンジはすぐに野菜の中から選別を開始。 独自の基準を元に野菜を選んでかごに放り込んでいく。 その後肉と魚、各種調味料を始めとして何に使うのかパッと見で判らないものまで色々と買い込んでいった。 しかし、驚くべきはこのスーパーは何故こんなに品数が豊富なのだろうか…。

「このスーパーこんなに色々あったかな…」

 さすがのシンジも困惑を隠せない。 だが、頭はすぐにやってみたかったあれこれを頭に思い浮かべていた。 便利さの前には些細な疑問ということで妥協することにしたらしい。


 家に着いたシンジの両手にはがちゃがちゃと音を立てるガラス容器の調味料が入った袋。 レイにドアを開けてもらってやっと中に入ることが出来た。

「結構な量になったなぁ」

「たくさん買ったわね。でも一気に買わなくてもよかったんじゃないかしら?」

 荷物を置いたシンジはソファーに倒れこむように寝転んだ。 レイの視線の先はたくさんのビニール袋にはいった食材の数々があった。

「あぁ、重かった。これで調味料はしばらく困らないや」

「すごい量…。全部使い方が分かるの?」

「ん? もちろんだよ。もう6時か…今からだと7時過ぎるけど我慢してね」

「問題ないわ」

 シンジはエプロンをつけて台所へ向かった。まだほとんど何も入っていない冷蔵庫に買ってきたものを入れながら使う材料を並べていく。 出ている材料はパスタ、にんにく、オリーブオイル、鷹の爪、シメジ、調味料数種。 シンジはそれらを前に腕まくりすると調理の取り掛かった。しばらくすると台所から鼻歌が聞こえてきた。

 およそ1時間後、シンジの鼻歌が終わって部屋中にいい匂いが充満していた。

「お待たせ、座って待ってて」

「とても、いい匂いだわ」

 席についたレイの前に料理を置くシンジ、出てきたものを見たレイの顔が何かとても物悲しい顔になった。

「碇君…これは?」

「ご所望のパスタとキノコのスープ」

「具が…ないわ」

「それはアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノだよ。スープの具はシメジだけ」

「あ、でも美味しいわ」

「ありがと。具が少なさから絶望のパスタって言うんだよ」

「そう、スープはどんな味かしら」

 たちまち機嫌の直ったレイはスープを口に含んで咽た。 涙をためた目でシンジに異常を訴える。

「碇君、スープが酸っぱいわ」

「お酢でさっぱりと仕上げたキノコスープだよ」

 してやったりという顔で自分も食べながらシンジは解説を加える。

「なかなかよくできたかな。時間も少ないしすぐできるのを作ったから。 慣れると結構美味しいと思うよ」

「確かにそうだけど…。そうならそうと言って欲しかったわ」

 レイの文句を聞きながらもドッキリが成功してシンジは嬉しそうだった。

「言ったら面白くないしね」

「意地が悪いのね。碇君」

 拗ねたような口調でレイが呟くのを聞いてシンジは思わず苦笑してしまう。 そして、そういいつつも料理を食べる彼女を見ていた。

「世界中誰一人として美味い物に勝てる者なし…」

「…?」

「素直な感想だよ」

「確かに勝てないかもしれないわ…」

「自分が美味しいものを食べたいと思ったら自分で妥協しないで作ってみるのもいいと思うよ。 僕も少しなら教えてあげられるし」

「…それは魅力的」

 真剣な面持ちで悩み始めるレイ。シンジは食べ終わった食器を流しにさげて洗いはじめた。

「碇君が嫌じゃなければ習ってみたいわ」

 シンジは頷きながら了承の返事をした。レイもそれで満足したようだ。 内心シンジは料理だけじゃなくて後片付けにも興味を示して欲しいと思っていた。 あえてそれは口に出さずに、料理と一緒にしっかり教えるつもりだった。

「取って置きの練習メニューを用意しておくよ」

「お手柔らかに…」

 そして夜は更けていった。

続けば続く時