生誕と生殺に福音を

第四話
「戦いの終焉は幕間の始まり」

◆――――ある二人の会話



「今回のことは非人道的?」
「正しいと思うけどね」
「何故?」
「だって第三新東京市は『使徒迎撃専用要塞都市』なんだから、その名に恥じない功績だよ」
「そうね」
「でもどっちつかずなのはよくないと思うな」
「勧善懲悪はなく、運も不運も死の前には等しく同じよ」
「ま、そうだけど」
「守るなら守る、見捨てるなら見捨てる。どうするかの方向性を決めておく。そういう事なのね」
「うーん、まあそういう事」
「無理よ」
「何で?」
「だって判ろうとしないもの」
「まあ、どっちであれ今回は運がよかったけどね」






「人は自分の事でしか悲しむことはできない。誰かが死んで悲しいのなら、それはその人を見て落ち込んでる自分に悲しんでるのよ。人は悲しみという人が一人である証を持って生きているの」



◆―――――ネルフ本部、第一発令所



人の形をした異形同士の戦闘。
それは殴りあう戦い。
それは掴みあう戦い。
それは潰しあう戦い。
それは殺しあう戦い。
制御不能に陥ったことよりも、始めてみるそれに人々の目は奪われた。
殴り合って、爆音が鳴り響き、ネルフが揺れ、モニターには白い閃光が映し出される。
その道中、人は何も出来ずただ見守る事しかできない。
白い閃光が紅い閃光へと姿を変え、搾り出すようなミサトの『・・・エヴァは?』と呟いた言葉で人はようやくその責務を思い出す。
そこにいた誰もが、本人さえ気付かなかったが。その言葉はミサトの優先する本心を如実に表していた。
映像としてモニターに映し出された民間人を心配するミサト。
エヴァを使って使徒を倒そうとするミサト。
どちらを優先するか、本音が見え隠れした場面でもあった。
「爆心地にエネルギー反応あり、初号機健在です」
いち早く報告を上げたマコトだった。
まるでそれを待ちわびたかのように炎に包まれる第三新東京市の中を悠々と歩く人影がモニターに映し出される。
傷だらけでも、爆発の中心にいても、顔を貫かれてなおそれはドスンドスンと音を立てて歩いている。
使徒が上陸したときのように何者も寄せ付けず初号機はゆっくりと歩いていた。
「回路接続、システム回復グラフ正常位置」
「パイロット生存確認。目標の消滅確認」
マコトに続いてシゲルとマヤも次々に報告を上げる。
それは戦いの終わりを告げるのに十分すぎる成果でも合った。
だが肝心な事が一つ残っていたので、いまだエヴァの雄姿にうっすらと笑みを浮かべながら『あれが・・・エヴァ』と咳くミサトに代わり、リツコが命令を代弁する。
「民間人は?」
「戦闘の衝撃で山間部の一部に墜落した模様、以後の消息は不明です」
「パイロット保護を最優先に機体回収班急いで。それと保安部に墜落地点の捜索をお願い」
「ですが・・・あの高さから落下したのでは」
「急がせてね!!」
「は、はい」
シゲルは考えられる可能性の高い未来をリツコに提言しようとしたが、その前に遮られる事になる。
リツコとて民間人が持ち運ばれていた推定20m以上の高さから落ちて、むしろ放り出されて無傷だとは思っていない。
使徒の爆発の衝撃も重なって死んでしまった可能性が異常に高いがそれでもやれる事はやっておかねばならないのだ。
「シンジ君は?」
隣でようやく自らの責務を思い出したかのようにマコトに話し出すミサトの声を聞きながらリツコは思った。
(何故使徒は民間人を連れ出したのかしら?)
「パイロットのアドレナリン数値正常に戻っています」
疑問はマコトの報告とそれを聞くミサトに流されるようにして後回しにされた。



◆――――初号機、エントリープラグ内



訳が判らない。
理性よりもむしろ感情に押されるまま、碇シンジが戦いながら思ったことはその一点だった。
痛い。
面白い。
熱い
暖かい。
どっかいけ。
あまりにも短い時間に色々なことが起こりすぎて、何か深く考えて行動したとは思えない。
それは衝動と呼んだほうがしっくりくる行動理念。
『がむしゃら』あるいは『無我夢中』と言う言葉が似合う戦いぶりを発揮して、気が付けば全てが終わっていた。
何か暖かさの中に浸っているときに熱いモノが全身を覆った。
感情が真っ白になって何とか自分が今どんな状態か知ろうとすると、上方に跳ね上げられた使徒の爆発の衝撃乗り越えて安全地帯と思えるところまで歩いているエヴァを自覚する。

(何これ?)

その後、唐突に立ち止まった初号機の中で碇シンジは考える。

(暖かくない)

戦闘の高揚があった。
痛みも熱さも辛さもあった。
だけど初めて乗った筈のエントリープラグの中、正確には初号機が起動してからずっと感じていた暖かさが消えている。
それが何なのか碇シンジは判らない。
ただ何かが消えてしまったのは判った。
よく判らないまま、それを探すように虚ろな目で碇シンジは横を見る。
そこには爆風の衝撃で窓ガラスが全部割れたビルが映し出される。
仕方なく逆を見ると、そっちは窓ガラスが割れていないで鏡の役割を果たしていた。
映るのは両目を貫かれた初号機の顔・・・・・・・・・・・・

「!!」

こんな状態になっているとは思っていなかったシンジは一歩身を引くが、そこは狭いエントリープラグ内なので下がる事はできない。
結局身じろぎを少しだけして、碇シンジは窓に映る初号機を見てしまう。
経験則とは呼べないほど短いものだが、碇シンジはエヴァの感覚がそのまま自分に伝わるものだと何となく判っていた。
手を傷つけられれば手が痛み。
足を傷つけられれば足が痛む。
それこそが搭乗者の意思を不純物無しでエヴァに伝える画期的なシステムである事を碇シンジは知らない。
だが今は眼窩が凹んで、見るだけで痛くなりそうな初号機の姿がある。

(違うの?)

戦闘の時とは違う、幾らか落ち着いた思考で碇シンジは自分が感じていた感覚の差異を探す。
だが明確な経緯も原因も答えも知らないので考えただけでわかる筈もない。
何故痛まないのかが判らない。
結局碇シンジには見ることしか出来ない。
そうしていると、不意に初号機の頭部装甲が貫かれた目のヒビでずれ。ギギギギギときしんだ音を立てながら崩れていく。
剥がれ落ちる紫色のモノ。
そして碇シンジはその下にある茶色いモノを見てしまう。
茶色いのに妙に生々しいそれは人に例えれば皮を一枚剥いだ赤茶色の肉にも見える。
唐突な事態に呆けていると、窓に映る部分に変化が起きた。
小刻みに振動を繰り返して凹んだ眼嵩が『内側』から這い出す。

ギョロリ

人間の血に似た液体が垂れる。
人間の肉に似た皮が揺れる。
そして人間の目をそのまま巨大化させたようなどこまでも丸い目がそこに現れる。
それは反射した窓ガラスの向こう側から碇シンジを見つめていた・・・・・・・・・・・

「う・・・」

唐突な復元。
唐突な視線。
消えてしまった暖かいモノ。
変わりのそこにある自分を見る目。

恐怖

突然の事態に碇シンジは絶叫することしか出来なかった。
「うわあああああああああああああ」



◆――――第三新東京市、機体回収班の場合



エヴァをある場所に移動する場合、最適な方法はエヴァ自身が動く事だと推測が立てられている。
動かないエヴァを輸送する方法は、陸路と空路の二種類があり。射出口とほぼ同じサイズを横にしてタイヤをつけた四車線を丸々使用する超大型のトラックに空輸用の巨大ウイングキャリアーと方法は幾つかある。
だがそれらには大型クレーンを数十台使用してようやく設置する手間があった。
数十台の息を合わせた運搬と、それらをクレーンを設置する手間とトラックとウイングキャリアーに設置する手間。
実際にやってみると数時間かかってしまう。
エヴァが一歩歩くたびに都市の一部を賄うほどの凄まじい電力を喰らうエヴァは金食い虫である。
だがそれでも所詮『電気があれば動く』のに代わりはない。
動かすのに数時間近くかかる手間と金銭で何とか解決できる問題で数分。
時と場合のよるがエヴァ自ら移動してもらったほうがお得である。
推測がそこに集約されたのも無理からぬ事だった。


だが初めての初号機の戦い後、パイロットは気絶。急いでエントリープラグから救出されて病院に搬送されたためエヴァを動かす方法は無い。
結果、第三新東京市に佇む初号機の周りには数十台のクレーンが立ち、月の光が照らす夜の帳の中で初号機を大型トラックに寝かす作業が行なわれていた。
「命令出す方は気楽でいいよな、これって一歩間違えれば大変な事になるのによ。どれだけ繊細な仕事か判ってねえんだよな」
「愚痴るなよ、おかげで俺達は仕事があるんだ」
「でも、最高機密だからって初っ端に俺達に仕事が来るんだぜ? 出撃して終わる度にこんな事が続くなら心労か過労で倒れるぞ俺達」
作業員は話しながら、何とか作業を進めていく。
その数時間後、太陽光が第三新東京市を照らす前に大型トラックに寝かせた初号機はジオフロントに戻っていった。



◆――――第三新東京市、保安部の調査



保安とは安全を保つ事である。
だからこそ彼らは基本的に受身だが、有事の際には出向く事もある。
どちらかと言うと荒っぽい事が専門で何かを探す或いは探る場合は保安部の仕事ではなく諜報部の仕事。大まかにこれらをまとめて『保安諜報部』と表現する場合もある。
だが、『民間人の保護』が保安部に命令としてやってきた。
その背景に『保護』ではなく『連行』あるいは『確保』がほのめかされているのは聞くまでも無い。
初めての使徒戦、通称第一次直上会戦。
本来ならば民間人など完全に排除した後に戦略自衛隊とネルフが行なう作戦だった。
だが異物は現れてしまった。
『力付くの連行』の後に何が待ち受けているか。
第三新東京市という町全体が戦場になるので、完全に人のロを止める事はできない。
噂は噂を呼び、人類最後の切り札も敵もその存在はいつか広く世界に知られる事になる。
だからこそ薬物投与による口封じなど論外、だが何かしらの制裁は必要。



民間人こと、クマのぬいぐるみを抱き締めていた少女にとって幸福だったのはただそこにいたのではなく使徒と接触した事だった。



少女がもしその場に居合わせただけの被害者だったなら、ある少年の知る史実そのままに未来は完全に閉ざされていた。
だが使徒と最初に接触した人間。
例え気絶していたとは言えむやみやたらに殺すにはあまりにも惜しいサンプルだった。



保安部は墜落地点と思われる場所に赴き、そこで薄い赤色の水溜りの上で呼吸をする・・・・・・・・・・・・・・・・少女を発見する。
外傷なし、しかし大事をとってその少女は病院に搬送された。
同日、白い球体の行方を別命令として受け取っていた諜報部員は、着弾地点と思われる道路に出来た薄い赤色の水溜りを発見。



◆――――ネルフ本部、赤木リツコ私室



第三新東京市の現場での指揮は技術課よりも作戦課の方が迅速に行なえるので、現在人頭指揮を行なっているのミサト。
そしてリツコは今後の対使徒戦を円滑に優位に『絶対』敗退しないように出来るだけ集めたデータで使えそうなものを抽出していた。
実際に現場に行くのはもっと後のこと。

まず思った以上の高シンクロ率。
これによりエヴァ初号機事態の起動は問題なく行なう事が判明し、よっぽどの事が無ければ戦力として数える事ができた。
サードチルドレンである碇シンジがこれ以降も乗ってくれると言う前提が付いてまわるが、攻撃の痛みがあるまでは少なくとも『好意的』に初号機を操縦していた様子からその点は大丈夫だろうと言う当てがある。
現在、碇シンジは病院で眠りについているが覚醒後言質をとる算段をしていた。

次に意識的に張ったATフィールド。
これは『よく判ってないモノ』であるATフィールドの解析に役立つと同時に戦力増強を意味する。
対使徒戦において絶対必要なもの。
ネルフドイツ支部でのみ確認されているものなのでデータと言う観点から見ても重要度は高い。

そしてこれが一番重要とも言えるが、使徒の両肩の上に現れた白と黒の球体の存在。
使徒については観測したデータ以上に判る事はない、結局『そういう生き物』だと納得してから調べる事になる。
だが白と黒の球体についてはモニターが全て不明を提示した。
光波、電磁波、粒子、赤外線、ありとあらゆる計測機器が見通せない存在。
正体不明、それどころか生命体なのかすら判らない現状では完全に未知の領域である。
データを取り込んだスーパーコンピューターMAGIが提示する物も憶測や可能性の域を出ず、核心に至るものはない。
何よりリツコを困惑させたのは、二つの球体が消えた地点で二つの水溜りが計測されたと言う事実だった。
調べたところ、その液体はエントリープラグ内でも使われるLCLだと判った。

(じゃあ、あの球体はLCLの塊?)

リツコは一瞬だけそう考えたが、だとすると説明の付かない部分が大量に存在する。
何故浮いているのか。
何故動いているのか。
何故初号機の攻撃で無傷だったのか。
何故消えてしまったのか。
何故少女を乗せていたのか。
球休が液体になる瞬間を目撃していないので判らない事ばかりである。
そもそもN2地雷の直撃を耐え抜いた実績がある。
そこから更にリツコを驚愕させたのは、黒い球体の上に乗っていた民間人の少女がほぼ無傷であると言う病院の診断結果だった。
背中側に何かが押し付けられたような痕が合ったが、痣程度で筋肉にも骨にも異常は見られない。
現在碇シンジと同じ病院で検査を受けているが、それは疲労からくる昏睡状態を監視していると言う方が正しい。

『黒い球体が着地する寸前に空中で制動をかけ、少女を落とさずにいた』

使徒消滅と黒と白の球体に因果関係があり、使徒が消滅すると同時に球体も消滅し、背中の痣は急制動の跡でLCLになった元球体の上に少女が落ちた。と言う架空と想像と推論を織り交ぜた可能性を考慮するなら説明は付く。
だが所詮は結果しか残っていない未知の領域。
何もかもが『判っていない』。
リツコは誰にも聞かれない溜息を一つ吐いて、今出てきた有意義な情報のいくつかを纏めた。



「もしかして・・・外部補助脳か何かかしら? 使徒本体と思われるコアのバックアップとして外に出てるとか・・・」
この時のリツコはまだこの世界に暗躍する大きな流れと人類補完計画については知っていても、目の前の敵の事は何一つ知らなかった。



◆――――人類補完委員会



ミサトがエヴァ回収の人頭指揮を執っているころ。
リツコが部屋の中で今回集まったデータの区分け作業を行なっている頃。
碇シンジが病院で眠っている頃。
まだ太陽が昇っていない深夜と明け方の間の時間、ゲンドウは立体映像ごしに明かりがほとんど無い空間で五人の男と対峠していた。
上半身だけ映し出されたその場所は見ようによっては六角形のテーブルを置いて、各頂点に一人一人割り振られているようにも見える。

『人類補完委員会』

セカンド・インパクト後に設置された国連直属の機関。議長にドイツのキール=ローレンツを据えて、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、そして日本の代表で話し合う人類補完計画推進のための場。
ちなみに特務機関ネルフは、同委員会直属の組織として活動している。
その話し合いは行なわれていた。
「使徒再来か、あまりに唐突だな」
「15年前と同じだよ災いは何の前触れもなく訪れるものだ」
黙って事態を見守る議長のキールとゲンドウを除き、他の四人は矢継ぎ早に話し出す。
「幸いともいえる、我々の先行投資が無駄にならなかった点においてはね」
「そいつはまだ判らんよ、役に立たなければ無駄と同じだよ」
「さよう、今は周知の事実となってしまった使徒の処置。情報操作、ネルフの運用はすべて適切かつ迅速に処理してもわらんと困るよ」
まるで示し合わせたかのような話し方。
むしろ議題については判りすぎるほど判っているからこそ自然と責める口調になる。
何故なら、あくまでこの委員会は計画のための話し合いの場であると同時に『唯一使徒が侵攻する国』である日本の代表者を攻め立てる場でもあるのだから。
対岸の火事について真剣に取り組んでいるつもりでも所詮当事者ではないので、優先するのは今ではなく自分達が行ってきた過去に対する結果だった。
ゲンドウはそんな中傷にも似た責任の追求に顔色を全く代えずに静かに言う。
「その件につきましては既に対処済みですご安心を」
ゲンドウは委員会に出頭する前に想定内のシナリオ、掻い摘むと事実を知らない人に対するそれらしい理由の嘘八百を命令として出していた。
それは無用な情報の漏洩を防ぐと同時に余計な情報の拡散を防ぐという二点の意味合いがある。
だが『事実を知る者にとって都合よく操る』と言うのも情報操作の悪しき特徴だった。
性格と人間性を無視すると碇ゲンドウと言う男は仕事の出来る人間ではある。
委員会のほかのメンバーはとりあえず追従を鞘に納め、別の観点から叱責する。
「情報操作にも限界はある、我らの出資とて無限ではないのだよ碇君」
「その通りだな。もう少しネルフとエヴァ、うまく使えんのかね?」
「零号機に引き続きに君らが初陣で壊した初号機の修理代、詳細はまだ報告されていないがこれは国がひとつ確実に傾くよ?」
「聞けばあのおもちゃは君の息子に与えたそうではないか」
「人、時間そして金、親子そろっていくら使ったら気が済むのかね」
現場と指示系統が離れているとそれぞれに発生する苦労の摩擦が出るのは致し方ないことだった。
ある意味予想された委員会のやり取りに、ゲンドウは表情を崩さずに黙って聞く。
「それに君の仕事はこれだけではあるまい。 『人類補完計画』これこそが君の急務だ」
「さよう、その計画こそがこの絶望的に置ける唯一の希望なのだよ我々のね」
そこまで好き勝手に話していた四人を遮る形で、議長のキールがはじめて口を開く。
「いずれにせよ使徒再来における計画スケジュールの遅延は認められん、予算についてはこちらで一考しよう」
命題の結論を出す事で事実上の話し合い打ち切りをキールは言い放つ。
映し出され立体映像の中でただ一人両耳から目を覆うバイザーの向こう側には誰にも目を見ることは出来なかった。
「後は委員会の仕事だ」
「碇君ご苦労だったな」
キールに賛同する形で、キール、ゲンドウを除く四人の姿が自分達の国から映し出していた立体映像を切って、その場から消える。
残されたキールと向かい合うゲンドウ。
十秒ほど会話の無い間が開いて、キールが言葉を口にした。
「碇、後戻りはできんぞ」
そしてキールの姿も消え、ゲンドウただ一人が残された。


「わかっている、人間には時間がないのだ」



◆――――第三新東京市、使徒爆心地跡



クレーンに引き上げられる初号機の頭部装甲。
ひび割れたビルの窓ガラスを入れ替える為にガラスを大量に運ぶ作業車。
崩れ落ちたビル、ひび割れた道路、折れた外灯、復興作業に邪魔になるものを撤去していくトラック。
中から外に向かってエヴァの足跡が出来ている円形の中心を基点として、その周りでは第三新東京市の修復作業が行なわれていた。
ただし、使徒迎撃要塞都市なのでビルの修繕や民家の再建築ではなく対使徒用の銃弾やミサイル発射口の修繕の方が意味合いは強い。
サキエルに撃ち抜かれかけたエヴァ射出口の修理もそれに含まれる。
そんな中で夜通し人頭指揮を取っていたミサトは、すでに昼を越えた太陽の光を仮説テントの下で避けながらテレビを見ていた。
どのチャンネルでも今回の第三新東京市に起こった表向きの出来事を放映していた。
マイク片手に話すのは黒スーツに黒サングラスのネルフ保安部、視覚的に『発表以上の余計な事は聞かないで下さい』と無言の圧力をかけていた。
「発表はシナリオはB-22か、またも事実は闇の中ね」
何回かチャンネルを変えたが、結局映し出される映像に変化が無い事に辟易したミサトはテレビを切る。
人頭指揮の疲れと着込んだ防護スーツに太陽の暑さが加わって今は団扇片手に自分を扇いでいた。
「広報部は喜んでたわよ、やっと仕事ができたって」
そんなミサトのくつろぎに割り込んできたには現場をその目で見るために出払ってきたリツコである。
「うちもお気楽なもんねえ」
「どうかしら。本当はみんな怖いんじゃない?」
軽口でミサトは返すがリツコの倍返しに真面目な顔になる。
その脳裏には昨日の出来事がありありと浮かびあがる。
それは人が介入できるような戦いでは無い。
「あんなのを見たら・・・当たり前でしょう」
その言葉には紛れもなく恐怖が混じっていた。



◆――――同時刻、ネルフ系列病院



『403号室 碇シンジ』
集中治療室ではなく個室にいた碇シンジは頭と体の数箇所につけられた計測機器をプチプチと力づくで剥いでいく。
目を開けると同時に強烈な違和感が体中にはびこり、感じたのは『キモチワルイ』と言う事。
うっすらとあいた目がまだ膿胞としながらも体中から異物を取り払っていく。
「・・・」
心電図、脳波測定、それらを取り払ったため『ピー一一』と心音停止のときに鳴り響く不吉な音が病室に鳴り響く。
碇シンジはそれを見ながらため息を一つ付いた。
「・・・やだな」





『409号室 ―――――』
クマのぬいぐるみを抱き締めていた少女は浅い眠りの中にいた。
検知された脳波から今の段階は昏睡状態ではなく浅い睡眠状態にあり、初めて見た使徒にショックを受けて疲れているものだと推測された。
少女は使徒を見た。
少女は何も知らずに眠る。
少女は使徒を触れた。
少女は夢を見る。
それは酷く不幸な事。
それは凄く幸せな事。
少女はまだ目覚めない。



◆――――第三新東京市、ジオフロント帰還道路



大型作業用トラック、初号機の頭部装甲を荷台に乗せたその中でミサトは冷房を満喫していた。
リツコはその隣で備え付けの車内電話で何かを話している。
「やっぱりクーラーは人類の至宝、まさに科学の勝利ね」
自己満足に浸っていると話が終わったのかリツコが受話器を置いた。
「シンジ君が気付いたそうよ」
リツコは事実を淡々と告げる。
だがそれを聞いてミサトは一瞬だけ嫌そうな顔をした。
「で、容態はどうなの?」
「外傷はなし、少し記憶に混乱が見られるらしいけど精神汚染の心配は無いそうよ」
「そう・・・いきなりだったのに図太いのね、あの子」
「それでも脳神経にかなりの負担がかかったみたいよ。精細な子じゃないかしら?」
「どうかしらね?」
その後しばらく談話を続けたリツコとミサトは弾薬を補充するビル郡を横に見た。
一発一発がミサトの腰ぐらいまであるので、まるで連射大砲の充填風景にも見える。
それを横目で見ながらミサトは不意に呟いた。
「エヴァとこの町が完全に稼動すればいけるかもしれないわ」
「使徒に勝つつもり? 相変わらず楽天的ね」
聞こえているとは思っていなかったミサトは隣のリツコからの反撃に少しだけ意外な表情をする。
が、それでも明るく出来るだけ朗らかに返す。
「あら、希望的観測は人が生きていくための必需品よ」
「そうね、あなたのそういうところ助かるわ・・・でも」
「でも?」
唐突に沈んだ表情をするリツコにミサトは外に向けていた目をリツコに向ける。
そこには真筆な表情をして碇シンジの容態を聞いていた受話器に目を向けるリツコの姿があった。
「エヴァを完全に稼動するために・・・レイはよくてもシンジ君はどうするの? 今回はたまたま何事も無く終わったけど、命の危険があるって幾らあの子でも判ったでしょ?」
「シンジ君・・・か、ちょーち生意気でいけ好かない餓鬼だけどきっと乗るわよ。色々な意味で乗り気だったからね、初号機に乗ってる時は」
「ミサト、その事で少し話があるの」
「何?」
その事が何を指しているのかいまいち判らなかったミサトは生返事を返す。
するとリツコは溜息を一つ吐いて、ミサトに向かって話しだした。
「病院の医師の診断結果とこれまでの調査と照らし合わせた私なりの所見なんだけどね。あの子エヴァに乗ると意識が向上すると言うか、ハイテンションになるのよ。それこそ人が変わったみたいに」
「まあそんな感じだったわね」
「二重人格なんて言わないけど、エヴァに乗っている時と乗っていない時では人が変わったと思っても良いわ。それでも碇司令に堂々と一言言える気概は大したものだと思うけど、どちらかと言うと内向的なのよ」
「あれで!?」
会った当初から罵言雑言と無視を積み重ねてきたミサトとしてはリツコの言葉はあまり信じられない。
何か反論しようとしたミサトだったが、その前にリツコが阻む。
「ある程度知った人間なら饒舌になる傾向もあるわ。その代わり初対面の人間には無口になる・・・担当医師によると体の状態を聞きだすのに30分も使ったって言ってるから」
「あの口数の多いシンジ君が・・・それじゃあエヴァに乗ってるときに笑ってたのは気分がハイになってたからだって言うの? お酒飲んだみたいに」
「そうよ」
「はあ・・・エヴァってそんな事もあるの」
「その点を踏まえて、ミサト。あなたに命令が来てるわ。碇司令じきじきのね」
「え?」
「シンジ君をエヴァのパイロット。サードチルドレンとしてこの先もネルフに所属してくれるように説得する事、そしてこの先の住居とか訓練時間とかの伝達事項を伝える事。責任重大ね」
「私が!?」
「ネルフの人間で碇司令を除いて一番シンジ君に接してるのはあなたでしょ? 適任だと思うわ」
「でも私シンジ君ってどうも苦手なのよね、馬が合わないって言うか」
リツコとは別の意味での溜息を吐きながら、ミサトはシートに背中を預けた。
これから起こるであろう仕事、でもやらなければいけない事に始まる前から疲れを感じていた。
「仕方ないわね、命令だもの」
「リツコ一一」
「でもミサト。さっきも言ったけどエヴァに乗っている時と乗っていない時のシンジ君は違う・・から。説得には気をつけてね」
「はあー」
これまでにない大きな溜息がミサトの口から漏れる。



◆――――ネルフ系列病院、碇シンジの場合



碇シンジは第三新東京市に来た時に着ていた学生服に着替えて病院から第三新東京市の風景をぼんやり眺めていた。
そこには初号機の中にいた時の笑い。狂喜とも呼べたその成りは見る影も無い。
中世的な顔立ちのどこにでもいそうな普通の男の子。
事実、エヴァのパイロットであると言う事を知らない看護婦、看護師、医師にとってそれは共通の見解だった。
何かをするのではなく、何かを見るのでもなく、ただぼんやりと外を眺める碇シンジ。

カラカラカラ

少し離れたエレベータからタイヤの付いた可動式のベッドの音が聞こえてきたのはそのすぐ後のこと。
反射的にその方向を見た碇シンジは、看護婦に押されて移動するストレッチャーとその上に横たわる人を見た。
どんどんと近づいてくるので、碇シンジが今いる場所の向こう側に用事があるのだと何となく当たりをつける。
そして碇シンジの横を通るその刹那、横たわり包帯で顔の半分を覆った人と目が合った。

「!!!」

その瞬間、碇シンジの脳裏にある場面が思い出され、目が驚愕で見開かれる。
信じられないものを見た驚き。
「・・・お姉ちゃん?」
咄嗟に自分でも意識していない声が出て廊下に響く。
だが横たわる人は、医療用の薄手の服を着た少女は目に入ったモノに視界を向けただけのようで何事も無く通り過ぎていった。
そして碇シンジは一人残される。





嘘だ。

嘘だ。

嘘だ。

嘘だ。

嘘だ。

そんな筈が無いと理性が訴えかける。
目の前の現実が全てだと感情が訴えかける。
目の前の光景が嘘だと誰かが言う。
会いたくなかったと感情が訴えかける。
会いたいと自分が言う。

思い出される過去の光景。

誰かの隣に立つ少女の姿。

綾波レイ・・・・が誰かの隣にいる。

それは仲睦まじく、二人で一つの形。

そうある事以外が全て間違いだと否定する形。

そしてその誰か碇シンジ・・・・

それは自分自身。

綾波レイと一緒にいる自分自身。

これは何?

これは嘘?

これは現実?

これは夢?

これは虚像?

これは事実?

これは過去?

これは未来?






だけど、自身のロからでた自分の言葉は事実。





「シンジ君、大丈夫?」
唐突に横からかけられたミサトの声で碇シンジは自分が突っ立ったまま目に映る全てを消して考え事をしていたのだと悟る。
見えているのに見えていない現実がその言葉で色彩を取り戻し。考えていた事柄が、よく判らないモノが解けていく。
きっちり三秒間をおいて、全然大丈夫じゃない顔で碇シンジは言った。
「葛城さん、何か用ですか?」
顔面蒼白とまでは行かなくても、青白い顔はまるで寝たきりの病人を思わせる。
だが出てくる言葉はしっかりとしているので明らかに無理をしながら話していた。
「ちょっと大丈夫? 顔色悪いわよ」
「平気です。それで何ですか?」
全然平気ではないのだが、話している内に顔に赤みが戻ってきたのでミサトは『本当に大丈夫だろう』と自分を納得させた。
そこに碇シンジとの不仲もあり『痛い目見ればいいのよ』と利己的な考えがあったのもまた事実。
「ちょっと話があるの、病院からは退院の許可は貰ってるから外で話しましょ」
「・・・判りました」
少し間を置いた返答だったが、断る理由がないと言う理由で碇シンジはミサトの言葉に柔諾する。
そして二人は歩き出す。
少し歩いたところにあるエレベータに乗り、外に行くつもりなのかミサトの足に迷いは無い。
付いていく形で後ろを歩く碇シンジ。
二人は立ち止まると特に会話もせずにエレベータの電光部分を見る。
現在位置は5階で、光は2、3、4と上がってくる。
ミサトの押した『▼』、下りを示すボタンが光を消すと同時に『5』の表示が付いてポーンとエレベータ到着の音が鳴った。
そして碇シンジはエレベータに乗るゲンドウと対面する事になる。
「い、碇司令!」
ミサトは予期せぬゲンドウ出現に直立体勢を取るが、彼の視線はミサトではなく碇シンジに向いていた。
まるでそれを睨み返すように碇シンジもゲンドウを見る。
エレベータの外と内でにらみ合う似ていない親子。
一秒。
二秒。
三秒。
先に動いたのは自動的に閉まろうとしたエレベータの扉の安全装置を手で押して再度開かせたゲンドウだった。
そして碇シンジの存在を無視して横を素通りすると、ゲンドウは『綾波レイの居る病室』の方向へと歩いていく。
「・・・」
「・・・」
残った碇シンジとミサトの間にほんの少しだけ無言の時が流れる。
碇シンジはゲンドウとの出会いを無視するようにエレベータの中に乗り込んでいった。
ミサトも慌ててそれに続き、エレベータの扉が閉まり下降して行く。



◆――――ネルフ本部



ミサトは不機嫌の絶頂にいた。
病院からでた後、即座に『サードチルドレンとしてこれからもエヴァに乗らない?』と言い出したところ、碇シンジはその言葉に驚きながらも、あっさりと『いいですよ』と言った。
ミサトにとってそれは一つのノルマを達成した事になるので、嬉しい限りなのだがその後から予定が狂った。
言った言葉は『じゃあこれから私がチルドレン直属の上司になって戦闘時の指示は私が出すからしっかり聞いてね』。
確執は多分にあってもこれまで順調に言ったので『ええ、判りました』と返ってくるのを期待した。
だが現実に碇シンジの口からは全く別の言葉が返ってきた。

絶対嫌です・・・・・

間を置く事も無く完全無欠の拒絶。
しかもその後に『別に葛城さんの能力を否定してる訳じゃないんです。ただ人間として信頼できないだけですから』とまで言い切られ不機嫌にならない訳がない。
思い返してみてもミサトが考えるミサト自身に大きな手落ちがあったことは無かった。
だからこそミサトは訳が判らずただ怒り、それを何とか押さえつけて今後の事を決めるために碇シンジをネルフまで連れて行くことに集中した。
そうでなければ感情のまま殴りそうだったから。
ここでミサトが気付かなかったのは『大きな手落ち』はしていなくても『小さい手落ち』は大量にしでかしている事実だった。
相手がミサトをよく知るリツコなら笑って済まされるかもしれないが、初対面の碇シンジには落ち度としか映らない。
加えて碇シンジは心の中で『サードチルドレンとして自分を見る父親』を激怒している。
そんな相手に禁句に等しいチルドレンと言う言葉を使っては有効な信頼関係がうまれる訳が無い。
塵も積もれば山となる。
やっぱり不仲な二人は結局ネルフに付くまで必要最低限以外の会話はしなかった。
そしてミサトはこの時『もう遅いのよ〜〜チルドレンになったらネルフの、上からの、この”私”の命令には従ってもらうからね。無駄無駄〜〜』と言おうと考えていた。





会議室としても使われるが、今は審問室の意味合いが強い空虚な部屋。
ガラス張りの床にはジオフロントを一望できるジオフロント人工天蓋部の一室。
ミサトと碇シンジは今後の事を伝えに来た保安部の一人とそこにいた。
今回伝達されたのは碇シンジのこれからの住居。
「一人ですか?」
「そうだ、彼の個室はこの先の第六ブロックになる、問題はなかろう」
「はい」
疑問のミサトに伝言以上のことは言わない気配の保安部員。そしてそれに賛同する碇シンジ。
驚いているのが自分一人だという事実が恥ずかしく、まだ何となく碇シンジの対応が気に食わなかったのでミサトは碇シンジに話しかける。
「それでいいの?」
「いいんです。一人の方が」
それを聞いてミサトは少し困ったような顔をする。
ちなみに第六ブロックとは1LDKの設備が整った居住区画の一室で、ジオフロントの景色が一望できる冷暖房完備の悪くは無い場所である。





住居に関して、実物を見てはいないが不満はなかった。
だが碇シンジは『葛城ミサト』に不満を抱いていた。
そして碇シンジの世界はジオフロントで新しく動き出す。