生誕と生殺に福音を

第弐話
「求める者たちの出撃」

◆――――ある二人の会話



「結界?」
「そう。正体は知られたくないんでしょ? あれならどんな計測器も存在の認識は出来てもそれ以上のことは出来ない」
「結界か・・・そう言えば――――が昔一度だけ使ったね」
「―――君もよ、二回目に」
「あ・・・」
「極限まで凝縮すればそれは強固な壁になって私達を守ってくれる」
「―――君の残した『球』の心の壁・・・」
「心の形、人の心が、自分自身の形を造り出している」
「ATフィールドも?」
「それは心の壁」
「人自身?」
「そう」






「それは私達自身であり、私達の心そのものなの」



◆――――ネルフ本部、第一発令所



モニター埋め尽くすのは破壊の光。
「やった!!!」
戦闘機は撤退、町に人がいないとは言え、人が住む場所を攻撃して立ち上がりながら歓喜の声を上げる上級将校。
そんな様子を見咎められなかったのは、誰もがモニターに写る光に目を奪われたからだった。
圧倒的とも言える人が人を滅ぼすために作り上げた光。
立ち上がった上級将校の横に座る、同じ階級の将校はゲンドウと冬月の方を見ながら淡々と言った。
「残念ながら君達の出番は無かったようだな」
≪衝撃波来ます≫
モニターは砂嵐で埋まり、発令所には安堵のため息が一斉に漏れた。



これまでは椅子から乗り出して怒鳴りながらの命令を下していた三人。
今はN2地雷の破壊に満足したのか結果も判っていないのに椅子にふんぞり返って偉そうにしていた。
「その後の目標は?」
≪電波障害のため確認できません≫
「あの爆発だ。ケリはついている」
すでに終わったものと決め付けている言葉を吐いているとモニターの砂嵐が広域地図へと変わる。
≪センサー回復します≫
それだけ見れば何事もないただの地図だが、突如としてある一点に巨大なエネルギー反応を示すグラフが盛り上がる。
≪爆心地にエネルギー反応!≫
「何だと!!!」
その位置がN2地雷を投下した場所だと知っているからこそ将校からは驚愕以外に声が出なかった。
オペレータは淡々と事実を告げ、事実はモニターへと映し出す。
≪映像回復します≫



そこには緑色の表皮が少しだけ焦げた使徒と全く変化が無い二つの球体が写っていた。



「「「おお・・・」」」
あまりにも効かな過ぎたその光景に誰もが唖然とする。
N2地雷は火力と言う点で核を除けばほぼ世界一の威力を誇る兵器。
一発きりとはいえ、それでも消滅どころか無力化にすら至っていない事実。
圧倒的な無力感をその場の人間に与えた。
「我々の切り札が・・・」
「なんて事だ・・・」
疲れとは別の諦めが上級将校達を椅子の背にもたれかけさせる。
怒声にも似た命令を出していた一人だけは怒りをあらわに机を叩くが、自分達が叶わない事実を認める言葉しか出てこなかった。
「化け物め!!」
机を叩いた余韻が空しく響いて消える。



◆――――ルノー車内、葛城ミサトの場合



碇シンジは終始無言だった。
ミサトの車、アルピーノ・ルノーA310がN2地雷でひっくり返ったのを戻す作業を手伝った時も。
ミサトが運転するためにあがったバッテリーの代用品として『窃盗』していた時も。
『lD持ってる?』と言われて持っていたリュックの中から取り出した時も。
IDのお返しに『これ呼んどいて』と特務機関ネルフの分厚い冊子を渡された時も。
ずっと無言だった。
「やーねー黙っちゃって、かわいい顔して意外と落ち着いてるのねー」
「・・・」
「もうすぐ頼んどいた直通のカートレインで地下に潜るわ」
「・・・」
「ジオフロントよジオフロント、国連直属の非公開組織ネルフ本部! 世界再建の要で人類の砦となる所なのよ?」
「・・・」
「嬉しくないの?」
「一、間に合わせに遅刻した。二、何の弁解も無い。三、人の物を盗んでおいて悪びれも無い人が隣にいる。四、聞いてないけどどうしてそこに連れて行かれるのか判んない。これで嬉しいって思えるほど。僕、子供じゃないですから」
「・・・」
ようやく碇シンジの無言は解消されたが、痛烈な仕返しに今度はミサトが黙る番だった。
理路整然としてぐうの音も出ないのだが、ミサトとしては年下の子供にやり込められたようでいい気分ではない。
ミサトは強引に気を取り直して誤魔化しながら努めて明るい口調で話す。
「そっかー拗ねてるんだ。ごめんごめん。男の子だもんねえ〜」
「葛城さんこそ年に割に子供っぽい人ですね」
だが碇シンジからは笑いかけるような口調ではなく視線すら合わせないで淡々と言葉が返ってきた。
結局二人はカートレインに乗り込んでジオフロントに入っても会話らしい会話はなく。ミサトは運転と沈黙を、碇シンジは受け取った冊子に集中して時間だけが過ぎ去って行った。
最悪の出会い。
それ以外に表現しようの無い二人だった。



◆――――ネルフ本部、第一発令所



白と黒の球体はそれぞれ使徒の肩の上に戻り、使徒は肩の横部分にある吸気口にも似た部分を動かして焦げた部分を修復していた。
事細かな音声が届けば、それは気泡が肉の下から生まれて弾け新しいモノを再生する音として聞こえるだろう。
だが人間に例えるなら軽度の火傷程度の負傷しか見られず、町一つを犠牲にした結果としてはあまりにも少ない結果。
足と腕の部分の焼け焦げた茶色い箇所が元の濃い緑色に戻る姿をモニター越しに見ながら、ゲンドウと冬月は感想を言い合った。
「予想通り自己修復中か」
「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」
人が死んでいないとは言え、町が焦土と化した爆心地の中央に立つ使徒。
攻撃命令が出ていないのか周りを数台のVTOL機が飛びかって様子を伺うだけに留まっているが、不意に最も接近していたVTOL機の方向に使徒の顔が動く。

次の瞬間、使徒の目が光りモニターが砂嵐に包まれた。

「ほお、大した物だ。機能増幅まで可能なのか」
「おまけに知恵もついたようだ、再度進行は時間の問題だ」
純粋な興味と事実だけを言葉にする二人。
この時二人は攻撃されたVTOL機の底部に備え付けられたカメラごと機体は外装が決られたが、飛行不能になって緊急着陸しただけで人が死んでいないと言う事実を知らない。



今回の作戦の最後の切り札N2地雷が目標を殲滅するに至らなかった事実。
戦略自衛隊からネルフへの指揮権譲渡を余儀なくされ、ネルフ本部第一発令所内で現場に指示を出していた上級将校に届けられることになる。
その命令が電話越しの口頭で伝えられ、幾ばくか疲れた表情で受話器を置くとゲンドウに向き合った将校の一人が静かに言った。
「今から本作戦の指揮権は君に移った。お手並みを見せてもらおう」
「了解です」
まるでそれが当たり前のように敬意も疑念も緊張すらなく淡々と言ってのけるゲンドウ。
その言い方が癪に障ったのか、自分達の不甲斐なさを嘆いてか。そのまま発令所から出て行く事はせずに別の将校が尋ねる。
「碇君、われわれの所有兵器では目標に対し有効な手段がないことは認めよう。だが君なら勝てるのかね?」
「その為のネルフです」
「・・・期待してるよ」
微かな嫌悪を混ぜたその言葉を最後に上級将校達は席を離れ、第一発令所内にはネルフの人員だけが多数残った。

≪目標は未だ変化無し≫
≪現在、迎撃システム稼働率7.5%≫

機械的に告げられる状況に冬月は視線を消えていった上級将校からゲンドウに向ける。
「国連軍もお手上げか。どうするつもりだ?」
「初号機を起動させる」
「初号磯をか? パイロットがいないぞ」
「問題ない。もう一人の予備が届く」
事情を知る者にはとんでもない言い草。
事情を知らない者には何のことか判らない会話。
だが『予備』と言う言葉には侮蔑に似た何かが込められている事は知らずとも理解する事が出来た。



◆――――ケイジ



彼女は時間を厳守する。
彼女は規則を厳守する。
彼女は法を厳守する。
だがそんな理性とは裏腹に彼女は罪を犯す。
『ロジックじゃないのよ』それが彼女の少ない口癖。
彼女:赤木リツコは時間通りに来ない親友兼同僚を思っていた。
可故そうなったのか理由に見当は付く。
だてに10年近く長い付き合いをしている訳ではない。
薄く輝く真紅の液休から出てきて近くに備え付けてあるタオルに手を伸ばし、染めてある金髪に付いた液体を拭いながら呆れをため息と共に吐き出してリツコは言った。
「呆れた・・・また迷ったのね」



◆――――ネルフ本部内、エレベータ



『おっかしいなあ・・・確かこの道のはずよねえ』

『ここって風が強いからスカート履き辛いのよねえ』

『しっかしリツコはどこ行っちゃったのかしら? ごめんね、まだ慣れてなく』

カートレインから徒歩に切り替えて、ある目的地を目指して進むミサトと碇シンジ。
道中愚痴にも似た会話をしようとミサトは色々と言ってみるが、碇シンジは冊子に目を落としたまま歩くだけで返答は全く無い。
ミサトとしてはこれからの為には碇シンジとそれなりに友好を暖めておきたいのだが、出会いの悪さがいまだに尾を引いて友好どころではないのが現状。
原因の一つに三回ほど同じ道を通って迷ったこともあったが、ミサトの脳裏から既にそのことは消えていた。
良くも悪くも前向きなのが葛城ミサトという存在を示している。
そして二人はエレベータに乗る。


無言のままエレベータが動く音だけが狭い空間に響き渡る。
カチン
カチン
カチン
階層を告げる電光式ではない表示が数値を変動させていく音も同じように響く。
何の変哲もないエレベータ、だがその中の空気は非常に重苦しいものだった。
碇シンジはそう思ってないかもしれないが、先ほどから息苦しさを感じるミサトにとってはとにかく重い。

(なーんで、こんな事になっちゃったのかしら)

事前の調査で碇シンジがこれから向かう先に待ち構えている、究極の汎用人型決戦兵器のパイロットの適性がある事が認められ。その重要度から考えて、そこいらにいる下っ端ではなく作戦立案の責任者が直接出向くと言う異例の出来事になった。
調査の中で碇シンジがどのような環境でどのような境遇でどのような生活をしてきたのかもかなり深く調査されており、碇シンジが貪欲に渇望するモノもすでに判っている。



暴力、権力、破壊力.
ある経験により碇シンジは狂おしいまでに『力』を望むようになり、その望みはある意味で叶おうとしている。
ネルフと言う組織の中で対人戦闘に関してはほぼトップにいるミサトとしては『戦闘力』の一旦でも見せ付けるか、あるいは子供にはない大人の『包容力』または緊急時の『判断力』を見せて『葛城ミサトは力を持っている』と認めさせる筈だった。
だが結果は現状の通りそんなものは欠片もありはしないで完全に真逆の印象を受け止められている。
色々な原因があってこうなってしまった。
しかし昔を振り返っても過去が変わるわけでもなく、ミサトは気を取り直して最悪な第一印象を取り払おうと碇シンジに話しかけようとする。
しかし丁度エレベータが止まり話す機会は失われ、人が一人入ってきてしまう。
「あらっリツコ・・・」
金髪の髪に黒い眉、ミスマッチな眉毛を眉間に寄せて『私は不機嫌です』という顔をしながら青い水着の上に白衣を着たリツコはエレベータに一歩で乗り込んだ。
リツコの堂々とした態度と、ミサト自身の後ろめたさがミサトを一歩下がらせる。
「何やってたの葛城一尉、今は人手も無ければ時間も無いのよ?」
「へへっ、ゴメン!」
親友ゆえの甘さか。時間に遅れたと言う事実をその一言で済ませる事がリツコには容易に想像できてしまう。
片目を瞑って片手を顔の前に持っているその仕草は30代前の女性がやっても似合わないと突っ込もうとしたが、ミサトの後ろで黙ったままリツコのことを眺めている少年が視界に入ってきたのでそれ以上の追求は行わなかった。
「ふぅ・・・。例の男の子ね」
「そう。マルドゥックの報告書によるサードチルドレン」
「よろしくね」
遅れたとは言え予定通りの出会い。
心象は別にしてリツコは淡々と挨拶する。
「あ、はい」
いきなりの事、『マルドゥック』『サードチルドレン』聞き慣れない言葉、様々な疑惑があって冊子を胸の前に開いて持ったまま挨拶すると言う奇妙なことになってしまったが、それでも碇シンジは『唐突に初めて会った大人』にしっかりとした挨拶を返す。
ミサトとしてはこれは面白くない状況だった。
ミサトとリツコは親友同士。だが片や普通の挨拶で片や会った途端の毒舌。
子供じみた嫉妬心から、碇シンジの心象を更に悪くする一言を彼女は言ってしまう。
行動が会話が仕草が言葉が、じわりじわりと碇シンジの中の葛城ミサトは株を下げていく。
「これまた父親そっくりなのよ、可愛げの無い所とかねえ」



◆――――ネルフ本部、第一発令所



「では後を頼む」
ゲンドウはそう言い残してさっさと発令所から出て行ってしまった。
現場指揮官の最高責任者が副責任者への現場責任の権利の譲渡をその一言で済ませてしまっていいものかと任された冬月は考えた
が、そういう男なのは重々承知して今更変わる訳でもないと思い直す。
その代わりに遠い過去に対面したある女性の息子を思い、ぼんやりと懐かしい目をしながら咳いた。
「十年ぶりの対面、か」
「副指令、目標が再び移動を始めました」
瞬時に昔を懐かしむ顔から現場責任者の顔に切り替えると、モニターに写る巨人を視界に納めながら命令を下した。
「よし。総員第一種戦闘配置」



◆――――ネルフ本部、ケイジ直通エスカレータ



≪総員第一種戦闘配置。繰り返す、総員第一種戦闘配置。対地迎撃戦用意≫

「ですって」
「これは一大事ね」薄暗いエスカレータをミサトとリツコ、それに碇シンジの三人が上がっていた。
ミサトと碇シンジにリツコではなく、ミサトとリツコなのは会話をしようとしても返事が返ってこない相手より話の通じる親友の方がいいとミサトが話し相手を変えてしまったからだった。
女性陣二人が先導、碇シンジはその後を付いて行く図式が出来上がっている。
「で、初号機はどうなの?」
「B型装備のまま現在冷却中」
碇シンジが知らない事を知っている親友と話すミサト。
リツコの方も現在の危険度を考えると、作戦立案責任者としてのミサトと話したほうが良いと思いあえてシンジに何かを説明するようなことはしなかった。
碇シンジはそんな二人の後ろを黙って付いて行く。
「それ本当に動くの? まだ一度も動いた事無いんでしょ?」
「起動確率は0.000000001%。オーナインシステムとはよく言ったものだわ」
「それって動かないって事?」
「あら失礼ね。ゼロではなくってよ」
「数字の上ではね。まっ、どの道、動きませんでしたではもう済まされないわ」
会話が途切れると同時にエスカレータも終わり、前にあった『7』と刻印された鉄製の扉ををくぐると真紅の液体が満たされた奇妙な空間がそこにあった。
リツコは液体の上にぷかぷかと浮かぶモーターボートに近づくと対岸に見える紫色の太い線が中心に通った無骨な鉄製の壁を指差して言う。
「あそこに行くわ。碇シンジ君、乗って頂戴」
「あ、はい」
慣れた手つきで紐を引き。ぶるるるるん、と音を立てて三人を乗せたモータ-ボートは真紅の液体の上を滑る。
リツコはその先に何があるか知っている。
ミサトもその先に何があるか知っている。
ただ一人、碇シンジだけはそこに何が待ち受けているのか知らない。
だが彼は望むものの為にここまで来てしまった。
それが用意された未来だと知らずに。
「着いたわよ、シンジ君」
リツコから出てくる言葉は淡々としていた。



◆――――初号機、第七ケイジ



通ってきた扉が閉められると明かりは一つも無くなり、暗闇が当たりに浸透する。
「・・・」
ここに来た理由は判っていても何が待ち受けているか判らない碇シンジは、何が起こっても動けるように身構える。が、すぐさま明かりが灯り眼前に紫色の巨人の顔が姿を見せる。
「・・・顔?」
碇シンジは突如として現れたそれに対してこれ以上ない率直な感想を言う。
紫色の装甲に白く光る目、口に当たる部分は白い装甲盤で塞がれて耳は無い。額の部分から伸びた角が特徴とも言える人の形をしたモノ。
「人の作り出した究極の人型汎用決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン、その初号機。建造は極秘裏で行われた。我々人類の最後の切り札よ」
黙り込んだ碇シンジに向かい、リツコは説明を言葉にする。
ただしそれを聞いているのかどうかは別として碇シンジの目は紫色の巨人:初号機に向けられていた。
「・・・これが父の仕事ですか」
「そうだ」
独り言に割り込む形で誰かの声が木霊する。
その声から碇シンジは今立っている空間が思った以上に巨大なことと、声の主が遥か頭上に立っていることを知った。
碇シンジの父にしてネルフ総司令、碇ゲンドウはオレンジ色の色サングラスの向こうから碇シンジを眺め淡々と告げる。
「久しぶりだな」
「父さん・・・・・・」
予想はあっても突然として出会いが用意されているとかける言葉が一瞬消える。
それでも何とか持ち直した碇シンジは、ゲンドウを睨みつけて言った。
「父さん」
「何だ」
ゲンドウの物理的にも精神的にも上から高圧的に圧しかかるような重い声が返ってくる。
碇シンジはサングラスの向こうから見える目から視線をそらさずにただ一言言った。



「僕は父さんが嫌いだ」



言いたかった一言。
告げたかった一言。
子供を捨てた親に言いたかった一言。
だが碇シンジの必死の言葉に対して、ゲンドウは冷たくただ返す。

「そうか」

まるでそんな事はどうでも良いと言わんばかりに。
そして自分の子供の言葉を無かったことにしてゲンドウは次の言葉を予定通りにロにする。
「出撃」
「出撃? 零号機は凍結中でしょ? まさか初号機を使うつもりなの?」
「他に道は無いわ」
大人達は自分達の都合。
人類の危機は人の思いなどもみ消してすべてにおいて優先される。
自分達にとって優先度の高いことを優先させ、ミサトとリツコは碇シンジの訴えなどゲンドウと同じように無かったことにして自分達の話を進める。
「ちょっと、レイはまだ動かせないでしょ? パイロットがいないわよ」
「さっき届いたわ」
ミサトはリツコの言葉の意味を悟り、碇シンジの方を向く。
その言葉がどういう意味を持つか、どうしなければならないかを知っているからこそ見ることしか出来なかった。
「マジなの?」
しかしリツコはそんなミサトの言葉を黙殺してミサトと同じように碇シンジの方を向く。
ちょうどリツコとミサトに挟まれる形で碇シンジが立っている。
そこにリツコは声をかける。
「碇シンジ君」
「はい・・・」
声をかけられた反射で答えるような弱弱しい声、だがリツコはそれを追求することをせずにただ続ける。
高圧的な誰かと同じように。
「あなたが乗るのよ」



「そうですか」



「・・・・・・え!?」
「でも、綾波レイでさえエヴァにシンクロするのに七ヶ月もかかったんでしょ? 今来たばかりのこの子にはとても無理よ」
予想外の返答に驚愕を隠せないリツコとは対照的にミサトは自分の考えのみを告げる。
その声で何とか平静を取り戻したリツコだったが、まるで用意された返答・・・・・・・のように言い放つ碇シンジへの驚きはまだ残ったままだった。
リツコの意識は驚きを隠す為にミサトの方に向けられる。
「す、座っていればいいわ。それ以上は望みません」
「しかし」
「今は使徒殲滅が最優先事項です。そのためには誰であれエヴァとわずかでもシンクロ可能と思われる人間を乗せるしか方法は無いわ。分かっているはずよ? 葛城一尉」
「・・・そうね」
その場にいる殆どの人間には判る会話を二人はする。
だが碇シンジには何の事か判らない。
それでも碇シンジは無視された事実は判る。
だからその言葉を無視した二人を更に無視して言った。
「父さん・・・僕がこれに乗ってさっきのと戦うの?」
「そうだ」
僅かな逡巡すら見せない言葉がゲンドウから返される。
それが当たり前なのだとゲンドウは態度で示していた。
そして碇シンジは少し間をおいて、言葉を続ける。
それが最後で一種の望みだと心に思いながら。
「・・・・・・ねえ、父さん」
「何だ?」
「さっきそこにいる葛城って人が言ってた、僕は『サードチルドレン』なんだって」
「そうだ、お前は今エヴァに乗るためにここにいる」



「父さんは『サードチルドレン』が必要なの?」



碇シンジにとってそれは心の中に残った最後の希望だった。
子供心に聞きたいと思う心。
必要とされたいと願う心。
『碇シンジ』を必要としてほしいと憩う心。
どんな答えが欲しいか判っていながら言葉にする哀しさ。
だがゲンドウの返答は碇シンジの願いを粉々に打ち砕いた。



「そうだ」



「・・・そう」
この時、表向き碇シンジは顔をほんの少しだけ僻かせただけだった。
涙を流すわけでもなく、肩を落とすわけでもなく、ただ視線をゲンドウから外して下に向け。誰にも聞かれない言葉を碇シンジはポツリと咳いた。
「僕は・・・碇シンジ・・・・は必要じゃないんだね」



◆――――第三新東京市



使徒はゆっくりとゆっくりと歩きながら聞いていた。
一体が焦土となったあの爆発から使徒を守り、共に歩いてくれている二つの球体の言葉に耳を傾ける。
『考えよう』
『考えて』
『求めるものは何?』
『行きたい場所は?』
『どこに?』
『あなたは何を求めるの?』
頭の中に響き渡る声の意味は判らないが、使徒にはとても暖かく感じられた。
焦土となった地帯を乗り越えてビルを横目に道路を一歩一歩進みながら求めるモノがある所に足を進める。
『目的の為に考えよう』
『やりたい事を考えて』
『最善を考えよう』
『最適を考えて』
『目的のための方法を』
『方法のための目的を』
『考えよう』
『考えて』
よく判らない。
でもどうすればいいか、何をすればいいかは体が知っていた。
思考する必要すらそこにはなく、目的のための方法は既に体の中に内包されている。
そして使徒は地面の下、少し離れた場所に強ぐ求めるモノを感じ取る。


『考える』


どうすればいいか?
それは体が知っている。
そして邪魔なものがそこにある。
だから使徒は迷わなかった。
『行こう。アダムの分身』
『進みましょう』
『果てしない自己進化を』
『そして還りましょう』

使徒の目からレーザーが打ち出されて第三新東京市の道路に直撃した。



◆――――初号機、第七ケイジ、碇シンジの場合



音のない振動。
まるで地震のように突如として現れた揺れはケイジを揺らして小さな埃を空中に撒き散らす。
ただ地震が下からの揺れなら、訪れた振動は頭上からの揺れで地震ではなく『攻撃』。
「奴め、ここに気づいたか・・・」
ゲンドウは使徒がジオフロントに向かって攻撃しているのだと当たりをつけて、もう一度碇シンジに視線を向けた。
斜め上から見下ろす位置では視線を下げた碇シンジの様子は脅えているようにも見える。
結果ゲンドウは今まで以上に強い調子で言葉を吐く。
「乗るなら早くしろ。でなければ帰れ!!」
「シンジ君。乗りなさい」
無理をリツコの言葉で早急に撤回させたミサトもそれに続く。
上からの命令、横からの命令。
目の前の事なのにどこか遠くの出来事のように感じる光景。

「ふふ」

唐突に碇シンジの口から笑いがこみ上げてくる。
何もかもが可笑しい。

「はは、っははは」

味方なんて一人もいない。
『碇シンジ』を必要としてくれる人も一人もいない
「し、シンジ君?」
馴れ馴れしく横から話しかけてくる主義主張をころころ代える偽善者の声が鬱陶しい。


「あははははははははは!!」


主体性も自分の意見も”今”に比べたらすぐに引っ込めてしまうミサト。
(そうだ、僕は一人なんだ)
碇シンジの笑いは止まらない。
そして彼はその言葉をその場にいる誰にでも聞こえるように言った。


「乗るよ、乗ればいいんでしょ。判ったよ父さん!!」


”力”を渇望してここまで来た。
(なのに僕は何を期待していたの? 優しい言葉なんて、僕を捨てた父さんにそんなのある訳ないじやないか)
笑うしか出来ない。
悔しさで顔をうつむかせるよりも空しさで睨みつける。
碇シンジは初号磯の向こう側でこちらを見るゲンドウの目を見た。
「では赤木博士より説明を受けろ」
その声には怒り以外感じずに。



◆――――ネルフ第一発令所、冬月コウゾウの場合



≪冷却終了≫
≪右腕の再固定完了≫
≪ケイジ内全てドッキング位置≫
すぐ前に総司令のゲンドウが座るのを眺め、視界の下の方では冬月もよく知るエヴァンゲリオンの起動準備が進められていた。
エヴァンゲリオンの状態。
起動シークエンスの状況。
第三新東京市の映像。
前方には数々の映像が映し出される。
≪停止信号プラグ排出終了≫
≪了解。エントリープラグ挿入≫
第七ケイジの映像はエヴァ初号機の左後方からの映像を映し出して、人間なら脊髄に当たる部分に骨に似た白いエントリープラグが差し込まれていく。
発令所内に響き渡る起動シークエンスの声を聞きながら冬月の目は別のものを同時に見る。
一つはかつて思慕の情さえ抱いた教え子のような女性が残した子供の事。
そしてもうーつは敵である使徒の事。

(本当に良かったのか?)

こうなる事はかつて碇ゲンドウと言う男に賛同したときから決まっていた。
だがそれでもなお、この計画の正しさを冬月は考えてしまう。
≪プラグ固定終了。第一次接続開始≫
≪エントリープラグ注水≫
もう一つ開かれた画面には初号機の外からの映像とエントリープラグ内の映像が同時に映し出される。
そこには来た時の学生服にヘッドセットを付けただけの碇シンジが居る。

(碇・・・シンジか)

冬月はその名前を思いながら数年前の事を思う.
そこにいて、ただ事態を傍観していた自分と『もう一人の碇シンジ』を思って。

(似ている・・・いや、同じと言ってもいい)

『え? こ、これがさっき言ってたLCL?』
「そう。肺がその液体で満たされれば直接血液に酸素を取り込んでくれるわ」
初めてのエントリープラグ内で血液に似た液体が足元から盛り上がる恐怖。
必死になって宥めるリツコの姿。
水に浸かる条件反射の様に息を止めたが、すぐに限界が来てLCLを飲み込む碇シンジ。
有休に言ってしまえば当たり前の光景。
だが『もう一人の碇シンジ』を知っている各月には恐れさえ抱かせる光景だった。

(やはり彼は別人か・・・あの・・碇シンジではない)

『・・・血の味?』
「我慢なさい! 男の子でしょ!」
シンジとミサトの画面越しのやり取りを見ながら冬月は更に思考の海へと沈んでいった。
シンジの目がミサトを睨みつけたその瞬間を見逃して。



◆――――初号機エントリープラグ内、碇シンジの場合



≪主電源接続≫
≪全回路動力伝達≫
搭乗を承諾してから、まるで決められた動きをなぞるように動かされて碇シンジはこの場所にいた。
さっきから聞こえてくる声がエヴァンゲリオン起動シークエンスだと言う事を聞いた。
エヴァンゲリオンは人型汎用決戦兵器人造人間で、その動きには『シンクロ』と呼ばれる搭乗者の意識を機械に伝えて動かすのだと言う事も聞いた。
ヘッドセットはその補助機械で本来はプラグスーツと呼ばれる服を着て乗るのだが、今回は時間がないので短縮すると言う事も。
そして衝撃吸収剤と搭乗者のシンクロを円滑に行なうための液体であるLCLがエントリープラグ内を満たす事も聞いた。
≪了解≫
≪第2次コンタクトに入ります。 A10神経接続異常なし≫
≪思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス≫
≪初期コンタクト全て異常なし≫
何をするかも知った。
どうすればいいかも聞いた。
目の前で移り変わる映像が何なのかもわかった。

(戦う)

単純な目的。
そして碇シンジはその手段。
サードチルドレン。
耳に残ったゲンドウの言葉が頭を掻き生る。

(だれも僕を要らないんだ)

必要とされない事が哀しい。
でも泣くのはもっと悔しい。
だったら全部壊してやる。

(皆、死んじゃえ)

黒く淀んだ気持ちがドロドロと湧き上がる。
特に葛城ミサトに対してそれは強く思っていることを自覚する。
遅刻と言う責任に対しての軽さ。 『シンジ君。乗りなさい』そのくせ唐突な命令口調で自分の言いたい事だけを言う。
≪双方向回線開きます≫
絶望に身を焦がし、怒りに打ちひしがれ全てを焼き尽くしてもまだ止まらない憎悪を思った時。不意に何かが碇シンジの中に流れ込んでくる。

(!?)

意思とでも呼べばいいのかもしれないが、碇シンジはそれを言葉に出来なかった。
もやもやして。
ぐにゃぐにゃして。
重なるような。
違うような。
見えない何か・・・・・・
≪シンクロ率、57.4%≫
でも暖かい何か。
聞こえる声も移り変わるケイジと呼ばれた光景も自分が今いる場所も憎んだ感情さえ一瞬忘れた。

(何!?)

慌ててあたりを見渡すが目に映る光景は何も変わらない。
≪ハーモニクス、全て正常値≫
≪暴走ありません≫
相変わらず良く判らないけど起動シークエンスだと判る言葉も何も変わっていない。
だがエントリープラグ内でさっきまで受けていた圧迫感が消えていたのに碇シンジは気が付く。
変わりにあるのは初めての筈なのに穏やかとも思える奇妙な気持ち。

(・・・・・・落ち着く?)

これまで一度も見たことのない『エヴァンゲリオン』。
これまで一度もやったことのない『戦い』 。
希望が砕かれた父と新たに憤慨する大人。
緊張と憎しみと怒りがごちゃごちゃになっていた、さっきまでの自分が嘘のように思えてくる不思議。

(何これ?)

碇シンジには疑問しか浮かばなかった。



◆――――第三新東京市



使徒は捜し求めるモノの反応を伺いながら第三新東京市にレーザーを何発か打ち込んだ。
時には道路、時にはビル。
破壊の光が当たると同時にほんの少しだけ着弾箇所が抉れるが、被害はむしろ下よりも地表より上。レーザーの残滓が十字架のように上へ上へと立ち上って消える。
『惜しい』
『考えは悪くないわ』
『でも掘って進むにはこの場所は厚すぎる』
『知らないのね』
『でも知ればいい』
『教えてあげる』
『厚い所がだめなら薄いところから入ればいい』
『遠回り』
『直情型は嫌いじやないけどね』
両肩の上から語りかける時、使徒は攻撃をやめて意識をそこに集中させる。
それはよく判らない味方 、でも教えてくれる。
だから使徒はその声に耳を傾けた。
『この町は地上部分と地下部分の二つで構成されてる』
『あなたが攻撃したのはその境目』
『でも人の御手はその二つを繋ぐ道を作り出した』
『そこは他に比べて薄い』
『 『わかった?』 』



わかった



そして使徒の目は、片側二車線の比較的大きい道路が交差する十字路にある不自然な四角に向けられる。
そこは第三新東京市に幾つも設置されたエヴァ射出口。
次の瞬間、十字の光を残すレーザーの光が第三新東京市の空に輝いた。
『正解』
『一回で判るなんていい子だなあ』



◆――――ネルフ第一発令所



「初シンクロでこれほどの数値・・・すごい。行けるわよ、ミサト」
親友の言葉にミサトは笑みを抑えきれず、ほんの少しだけ口の端を持ち上げて笑った。
だがミサトの肩書きは『ネルフ作戦部長』であり、戦闘時は平静を保ち指示を出す現場最高責任者として無様な姿を晒す事などあってはならない。
すぐさま顔を引き締めて、号令を飛ばす。
「発進じ」

ドゴォン!!

「んびいぃ」
これまでにない強烈な揺れに怒声にも似た声を上げようとしたミサトは足元を伝う振動に遮られて奇声をあげてしまう。
ついでに舌をかんで激痛が口の中を痛みが浸透する。
「ひ〜は〜」
「状況は!?」
口元を押さえるミサトとは対照にリツコはオペレータ先に座っている伊吹マヤに声をかける。
「第37番射出口に使徒の攻撃が直撃、特殊装甲が四層破られました!」
これまで単発的に広く浅く攻撃していた使徒が、エヴァ発進の為に使われる射出口への攻撃を行なった。
偶然にせよ必然にせよ、それはジオフロントへの近道を掘り進むのと同義でもある。
「まずいわね・・・起動シークエンス急がせて、安全装置は一斉解除して構わないわ。それと初号機の射出ロを37番からもっとも離れた位置に設定」
「はい!」

ドゴォン!!

再び鳴り響いた爆音にマヤの返事が飲み込まれ。
その隣にいた同じオペレータの日向マコトが報告を上げる。
「使徒、第37番射出ロの真上から攻撃! 続いて第5から第10までの特殊装甲融解!!」
「作業急いで!!」
リツコの悲痛な叫びの中、ミサトはまだ口を抑えて捻っていた。
「う〜う〜う〜」



◆――――初号機エントリープラグ内、碇シンジの場合



≪第一ロックボルト外せ!≫
≪解除確認。アンビリカルブリッジ移動開始≫
≪全部移動する前でもいい、第二ロックボルト外せ!!≫
≪第一拘束具除去! 第二拘束具も除去!!≫
絶え間なく聞こえてくる音声で碇シンジは何となく状況を把握する事ができていた。
それはさっきまで緊張で耳を素通りしていた言葉ではなく、奇妙な落ち着きが唐突に訪れたからかもしれない。
忙しい言葉とさっきから微弱に感じる揺れ。
LCLと言う液体の中でふわふわした感触を味わっても、判るものは判る。


(敵が近づいているんだ)


戦いが迫っているのに碇シンジはやはり落ち着いていた。
初めての経験、初めての場所、初めて感じる憎悪。
それなのに落ち着いている不思議。
≪全安全装置解除!≫
≪内部電源充電完了≫
≪内部電源用コンセント異常なし!!≫
周りが慌てふためくほど反対に落ち着いていくような感覚を味わっていると、これまで感じた事のない振動がエントリープラグ内に響く。
見てみると工ヴァの視点がどんどん下がっているので、動かされているのだと知る事ができた。
≪エヴァ初号機、射出口へ≫
聞こえてくる言葉もそれを証明し、これから戦場に向かうのだと碇シンジは知る。
がたんがたんと稼動する足元の感触に、パカンパカンと間抜けにも聞こえる頭上の音。
それを感覚として捉えた瞬間、碇シンジは『自分ではない誰かの足の感触』を認識する。
宙ぶらりんにエントリープラグ内に伸ばした足ではない、動きを知らせるもう一つの足の感覚。


(誰・・・・・・エヴァ!? これがシンクロ!?)


落ち着きの中に久しぶりに復活した驚き。
≪進路クリアー、オールグリーン。発進準備完了!!≫
変わらない忙しさよりも碇シンジはそっちの方が重要だった。
『碇指令、構いませんね?』
『もちろんだ。使徒を倒さぬ限り我々に未来は無い』
耳に届くミサトとゲンドウの声もどこか遠くの出来事のように思える.
碇シンジが渇望した”力” 。
だが感じるのさ穏やかさと暖かさ。
何もかもがよく判らない中でこっちの都合を全く考えないミサトの声が聞こえた。
気のせいか口の中を庇いながら話しているようで覇気が薄い。


『発進!!』


次の瞬間、急発進するジェットコースターに乗せられたような凄まじい速度でエヴァが持ち上げられる。
碇シンジは上昇する気持ち悪さがこみ上げてきそうになり、目の前にあるレバーを両手で掴んで必死で耐えた。

(こうなるんだったら先に言ってよ!!)

使徒が攻撃している射出口とは別の場所に設置された射出口が警告音と赤いランプが点灯しながら開いていく。
それ単体が生き物の口のように十字路の中心が割れて、道路は出口に変わり。
たった数秒で工ヴァ初号機はその射出口を通って第三新東京市へと姿を見せた。
エヴァンゲリオン初号機。
専属パイロット、サードチルドレン:碇シンジ。


自らの欲求のため、彼は使徒と同じ場所に立った。