生誕と生殺に福音を

第壱話
「全てが集う場所へ―――」

◆――――ある二人の会話



「ねえ、酷いと思わない? ただ自分の存在を・・・自分だけの意味を形にしようとしただけなのにね」
「酷い? 判らないわ」
「そうだね。僕ももうよく判らないや」
「何がしたいの?」
「願いを叶えたい・・・かな?」
「願い?」
「そう。無限に広がる選択肢を与えられ、強大な力を持ちながらたった一つだけの望みしか願わなかった可哀想なあの子達の願い。叶えてあげてもいいと思うんだ」
「世界が終わるわ」
「可能性の一つで最終的にはね。そうならないかもしれないけど・・・・・・一度通ったし。だから全部が揃うまで集める。どうかな?」
「問題ないわ」
「・・・ありがとう」
「大変よ?」
「問題ないよ、それに僕は酷いんだ。希望を目の前にチラつかせて僕自身がやりたい事をやるだけなんだから」
「人は何かを失わずに生きてはいけない」
「そして何かを願わなければ生きてはいけない」
「寂しさが心も体も埋めていく」
「願いは希望になり絶望は意思となっていく」
「私達は何?」









人の敵・・・。どんな選択をしてもそれだけは間違いないと思う」



◆――――海



照りつける太陽は道路を焦がし、水を蒸発させて湿気を増やす。
徴かなセミの鳴き声と鳥の羽ばたきとある放送を除けば沈黙のみがそこには満ちていた。
ひび割れた道路。
晴れの日は暑さしかない昼。
狂った生態系。
海面の上昇。
波が干からびた木に打ち寄せ、水面下のビルを映し出す。
15年前から変わる事のない現実がそこにあった。

≪本日12時30分、東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかに指定のシェルターへ非難してください。繰り返しお伝えいたします。本日12時30分、東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかに指定のシェルターへ・・・・・・≫

ある過去を境に異常が普通になったそんな中、それでもおかしなモノが二種類存在した。
うち捨てられた海の中のビルを住処とする魚達はそれを見る。
一つは海の中を泳いで進む崩れたビルよりも大きい人の姿に似た異形。
平和の象徴と名高い白い鳥はその上に止まりながら見る。
一つは海に向かって砲門を構えた数十、数百の戦車。
その異常なモノ達は緩やかな静寂を持っていた。
だがそれは嵐の前の静けさに過ぎず、海を泳ぐ異形がある地点まで近づいた時にそれは終わりを告げる。
それは現場指揮官の一人の声。
それは海面に立ち上がる緑色の両手両足を携えた胸部に顔のようなものを付けた異形が立ち上がる音。
それは極限まで高まった緊張が切れる時。
それは戦いの狼煙。
「一斉掃射ぁ!!」
そして静寂は爆音へと姿を変えた。
戦車大隊による数百発の砲撃が始まる・・・。



◆――――二週間前、松代



まだ日も浅い早朝、薄暗いぼんやりとした闇の中に声がする。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
トッ、トッ、トッ、トッ。

規則正しい呼吸音。
それに合わせる様に地面を踏みしめ、ジョギングの音を作りながら少年は一人走っていた。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
トッ、トッ、トッ、トッ。

安売りの鮒色のジャージに身を包んだ少年は、どちらかと言えば細身の部類に入る。
鍛えた結果なのか、発展途上なのか、服の上からは”細い”以上の印象を見つけ出すことは難しいが。その顔は真剣そのもの。
走りを楽しんでいるのではなく、鍛えるだけを意識して体を痛めつける行為。
それがどれだけ意味があるのか少年自身判っておらず、全てを忘れるようにただ走っていた。
「はあっ、はあ・・・」
少年は終着地点となる住む家に到着し、走る速度を緩めながら門扉の前で止まる。
その拍子に走る速度で拭い去られていた汗がどっと額から湧き出るが、慣れた様子で門扉に用意してあったタオルで拭う。
「ふう・・・」
一息つきながら少年はいつものようにポストに手を伸ばす。
早い時間ではあるがすでに新聞は投函されており、手の中に確かにある紙の感触を感じながらゆっくりと引き抜く。
読むのではなく存在を確かめるようにゆっくりと。
「ん?」
そこで少年は新聞とは別の手紙がポストに入っていることに気が付いた。
郵便ならこんなに早い時間に来る筈がない。多少不思議に思いながらそれでも少年は手紙を見る。
それは少年宛の宛先以外何も書いていない簡素な封筒だった。送り主の住所どころか差出人すらない。
違和感に続く違和感。
それでもまだ日常の範囲内だったので、少年は素手で封筒を開く。
ビリ、と荒く破かれたその中から出てくるのはカードと折りたたまれた紙に第三新東京までの切符の三種類。
手に持った厚さからそれほど多くは無いと少年も感じたが、予想外に少なかったので拍子抜けしながら紙を開く。
そして少年はその文字を見た。

『来い、ゲンドウ』

一瞬動きが止まる。
だが次の瞬間、少年の手は持っていた紙を握りつぶしていた。

クシャ

紙を握りつぶした少年の目がさっきまでの真剣なものから憎悪が込められたものに変化する。
小刻みに震えるその体は、朝方の寒さだけが原因ではないのが明白だった。
少年は無言のまま取り出した新聞をポストに戻し、握りつぶした紙と同封された全てをもって家に入っていく。
そのまま止まる事無く近くにあったペンと紙を取って憎しみを込めるように一言と自らの名前を書いた。
それが仕返しだと言わんばかりに・・・。

『やだ、シンジ』

その紙は数時間後、近くの郵便局から郵送され。
手紙に書かれていなかった差出人の住所の下へと届けられることとなる。



◆――――十日前、松代



少年:碇シンジの機嫌は悪いを通り越して最悪だった。
その原因を作り出した紙が目の前にあり、そこにはこう書かれている。
『命令だ』
今度は差出人の名前すらなく、第三者の視点から見れば誰が書いたものか判らない。
だが碇シンジにとって、判りすぎるほど判る内容だった。
四日しか経っていない手紙の内容は記憶に新しく、それと目の前の手紙を統合すればおのずと同じ差出人であると察しがつく。
それが自分の父親である碇ゲンドウという名前を持つ人物からの手紙であると。
「・・・・・・」
胃の奥がむかむかして、吐き気がこみ上げてくるような気がする。
視界がぐるぐる回って視点が定まらない。
それでも冷静だと考えるだけでその気持ちは消える。
ごちゃごちゃしてよく判らない感覚。

気持ち悪い・・・・・という事。

父親のことをほんの少しでも考えるだけでそう思ってしまう。
何故かは判らない。
でも思ってしまう。
それが碇シンジの機嫌を更に不愉快なものへと昇華させていた。
もう一つ同封されていた”手紙の中の手紙”が無ければ潰すだけではなく千切って捨てていたのは確実。
そう考えるとまた気持ち悪さが碇シンジを蝕む。

「・・・やだな」

何がかは明確に判っていない、強いて言えば全てが嫌。
沈み込みそうな思いを胸に抱えていたとしても、気持ち悪くても、冷静でも、手は動く。
何かを期待しながら、碇シンジはもう一つの手紙に手を伸ばす。
そこに希望があると、嫌な気持ちにならないと思い込みながら・・・。

手紙の内容を最大限の理性で理解するとそれは招待状の一種だった。
例え入っていたのが写真一枚だろうと。
例え写真に写っているのが女性とは言え見ず知らずの他人だとしても。
例えグラビアアイドルのように前屈みに胸を強調する薄手の格好をしていたとしても。
例えキスマークと『ここに注目』などと矢印が胸の谷間に向いていたとしても。
それでもマジックペンでの殴り書きにも見える待ち合わせ時間と場所と来る人物名と緊急連絡先が書かれていればそれは招待状と言えなくもない。
四日前に目に宿した憎悪とは別に呆れ返った感情が碇シンジの中を駆け巡る。
普通なら一蹴、礼儀正しいなら断りの手紙でも出すものだが。最後に添えられた一言が気になり碇シンジは承諾の返事を書いてしまった。
前に出した手紙より失礼が無いように書いたつもりだが、如何せん14歳と言う年齢では綺麗な書き方にはならない。
しかし、送られてきた無礼な手紙に対する返事としては十分すぎると思い。碇シンジはそのまま手紙を出すことにする。
送られて来た手紙の最後の一文に目を落としながら。


『来ればきっと強くなれるわよん』


正常な神経で見ればそれはふざけている様にしか見えない言葉。
明らかに差出人と受取人の年齢の差を意識した差別的な書き方。
だが今の彼にとって、それは魔法の言葉に等しい。
二通目の手紙を受け取った十日後に碇シンジの姿は待ち合わせ場所に合った。



◆――――現在、ネルフ本部、第一発令所



ネルフ本部施設、対使徒迎撃要塞都市:第三新東京市の真下・・に作られた人類最後の砦。
中央作戦司令室の第一発令所ではオペレータが押し寄せる情報を処理していた。
≪正体不明の移動物体は以前本所に対し進行中≫
≪目標を映像で確認。主モニターにまわします≫
言葉通り、最も大きく中央に設置された巨大モニターに即座に映像が映し出される。
そこには海面から立ち上がった異形と、それに砲弾の嵐を打ち続ける国連軍の姿が映し出されていた。
空気が紅い色を持ったようにも見える爆発。
異形に着弾すると同時に空しく出来上がる噴煙。
異形が進むその方向に隙間なく設置された戦車隊の集中砲火が敵を滅ぼそうとする。
人と人が殺しあう戦争ではなく、まるで災害を物理的に押しつぶそうとする兵器と言う力の奔流。
その圧倒的な力に脅えあるいは慌てることが正常の反応の様に思えるが、発令所のほぼ中央に立つ男:ネルフ副指令の冬月コウゾウとその隣に王座の如く座るネルフ総司令の碇ゲンドウは気にした様子もなく、まるで世間話をするように軽々しく言った。
「15年ぶりだね」
「ああ、間違いない」
そこで一区切り付いて、ゲンドウはモニターに写った異形を色レンズのサングラス越しに見ながら言った。
「使徒だ」



◆――――波打ち際



使徒と呼ばれた異形の動きは大きさに見合った鈍重なものだった。
一歩踏み出すのに数秒を必要として、動く動作にも人間なら一瞬で済む事に数十倍の時間を要した。
だが踏み出す大きさは人間の一歩に比べて時間との反比例か、とてつもなくでかい。
一歩でゆうに十数メートル。
戦車隊が隙間なく撃ち続ける砲撃を全く気にせず、高みから見下ろしながら使徒は一歩一歩戦車隊に近づいていった。

ドドドドドドドド

その間もずっと砲撃は続き、音に紛れて現場指揮官の声は常に新しい命令を下している。
数十、数百、数千の破壊の証。
町一つどころか都市一つ壊滅できるほどの紅い光は休む事無くたった一人の使徒に放たれ続けたが、怯む所か傷つく様子もなく使徒は歩き続ける。

ズン!
一歩。

ズン!
一歩。

海面から全身が現れる。

ズン!
一歩。

ズン!
一歩。

横倒しになったビルを踏みながら歩く。

ズン!
一歩。

ズン!
一歩。

じわじわと戦車隊の包囲網に近づいていく。

止まる事無く撃たれる砲撃。
そして使徒のサイズで一番近い戦車まで後20歩と言う位置でそれは起こった。
目標が視認出来ていたのは遠距離だからこその僥倖。
使徒に着弾し膨れ上がった爆発の光。
包囲網の一番端から放たれた砲弾は使徒を大きく外れ味方の戦車・・・・・を貫く。
「あ」
悲鳴を上げるまもなく、最初の犠牲者は味方の砲弾・・・・・によって出来上がった。

ドオン!!

着弾の爆発とは別の爆発と噴煙が使徒の前方に出来上がる。
それでも使徒は止まらない。

一歩。
ズン!
歩く。

一歩。
ズン!
歩く。

使徒を中心とした戦車隊の砲撃は味方・・を次々に殺していった。
「止めっ!! 撃ち方止めえぇい!!」
慌てる現場指揮官の声が砲撃を一旦止めるが、時既に遅く。数台の戦車が壊れ、人員数十名が亡くなった。

ズン!

ズン!

ズン!

使徒は燃え上がる戦車の残骸には目もくれず、ほんの少しだけ歩幅を大きくして踏み越えて行く。

ズン!

ズン!

ズン!

沈黙の数十秒。
味方を殺した砲撃と同じ位の距離が戦車と使徒の間に出来上がると、180度砲身を転回させた戦車の中から再び現場指揮官の声が響き渡る。
「う、撃ち方開始ぃ!!」
再び巻き起こる赤い爆発と砲弾の爆撃。
巨大な使徒の背中に集中砲火が浴びせられる。



◆――――駅



視認するには遠い南の空の下で破壊の嵐が吹き荒れている頃、全く人気のない駅に一人の少年が姿を見せていた。
暑い夏に合った半袖のシャツに黒いズボン、手荷物がリュック一つなので学校から抜け出して家出していたと言われても納得できる姿。
細身のようにも見えるが、体の所々に小さな傷があり細さも筋肉で絞り込まれているのだと見て取れる。
だが如何せん童顔と低い身長が少年をひ弱に見せていた。
そんな少年は人がいない事を確認すると、近くの公衆電話まで足を伸ばす。
リュックから取り出した写真には電話番号といい年してグラビアアイドルのように前かがみに胸を強調する格好をした女性が写っていたが、少年は頬を赤らめることもなく受話器をとり電話番号だけを淡々と打った。

ツーツーツー
≪特別非常宣言発令のため現在全ての普通回線は不通となっております≫

繋がったと思えば、戻ってくるのは無機質な合成音。
少年は困った顔を一瞬だけすると、すぐさま不機嫌な顔を作って深々とため息を吐く。
「はああああ、やっぱり来るんじゃなかった」
見た目とは裏腹にそこだけ見ると疲れきった老人にも見える違和感。
左手につけた腕時計に日を落としながら、少年は辺りを見渡して誰もいないことを確認すると駅改札出口の階段に腰掛けた。
「待ち合わせまで後10分・・・それでも駄目ならシェルターに行こう」



◆――――ネルフ本部、第一発令所



映し出される映像の中で使徒はただひたすらに歩いていた。
むしろそれ以外の行動はとらず、ただある一点を目指して歩き続けていた。
≪目標は依然健在。現在も第三新東京都市に向かい進行中≫
使徒が海を越え戦車隊を乗り越えて市街地に突入したことにより、地上からの砲撃を行えば自然と町に被害を出すことになるので国連軍の主力は戦車隊から航空隊へと移行していた。
地上からの砲撃の後の空からの爆撃。
常識内の相手なら十分すぎるほどの火力なのだが、戦車隊が削ることすら出来なかった相手に同程度の火力では結果も同じになるのは自明の理。
爆撃を繰り返す航空隊だが使徒を傷つけることは出来ず、歩みを止めることなど出来る筈が無かった。
≪航空隊の戦力では足止めできません≫
オペレータの悲痛な叫びが発令所に響き渡る。
「絵力戦だ! 厚木と入間も全部上げろ!」
「出し惜しみは無しだ! なんとしても目標を漬せ!」
答えるようにゲンドウが座るその位置より一段高い場所から戦況を指揮しているのか怒鳴っているのか判断がつき辛い戦略自衛隊の三人の上級将校達のどなり声が轟いた。
呼応してモニターに写る攻撃を行う側のVTOL磯の数が増す。



◆――――駅



厚木と入間、二つの基地に増援の出撃命令が下された頃。
先ほどどこかに電話をかけて、そのまま駅に座り込んだ少年はまだ座っていた。
閑散とした風景に変わりはなく。何もないといったほうがしっくり来る人気のない空間で少年はただ座る。
「・・・」

トン、トン、トン。

足が暇をもてあましてリズムを取る。
その音がやけに大きく聞こえることを自覚していると、遠くから猛スピードで突撃して来る自動車が少年の目に入る。
安全運転、交通法規などと言った事故を起こさないための言葉と真逆にいる、まさしく『突撃』。
人一人どころか、数十人別ね飛ばしても止まりそうにない危険な走り。

キキキキキィィ!

焼けるゴムの匂いが漂ってきそうな急ブレーキを使い、不快な音と共に青いスポーツカー:アルピーノ・ルノーA310は少年の前に停車する。
狙い済ましたかのように――――事実狙って速度を調整した腕は見事と言えるが、少年の目にはそれを感嘆する感情は浮かんでいなかった。
「ごめん、お待たせ!」
運転席側の窓から少年が持っていた写真に写っていた女性が姿を見せる。
顔には自分自身の運転技術を誇る優越感と後ろめたさが同居していたが、向かえる少年の顔は不快感で満ち溢れていた。
「僕の気のせいかな、駅に迎えが20分前に来るって話だったような気がしたんだけど。それとも僕の勘違いかなあ?」
「う・・・」
いきなり皮肉で出迎えられて、女性は言葉に詰まる。
が、大人の女性を自任している彼女としては少年に会話の先制をとられる事をよしとしないので。強引に会話の方向を修正した。
「碇シンジ君ね?」
「ええ、僕が碇シンジです。遅刻してきた葛城さん」
「ミサト・ ・ ・でいいわよ、改めてよろしくね」
二度目となる強烈な非難を完壁に無視して、女性:葛城ミサトは少年:碇シンジと相対した。
「急がないとちょっち危険な事になるから乗って頂戴」
「・・・」
素直に大人の言うことを聞く子供か。
それとも非難に対する詫びの一つもない対応に対する呆れか。
碇シンジは無言のまま助手席へと乗り込んだ。



葛城ミサトが来たときと同じ位のスピードで使徒が歩いてきている方向から遠ざかっている頃。
使徒の近くには数十機にも及ぶ国連軍のVTOL機が集結していた。
戦車隊の数百発の砲撃以上の爆撃。
「目標に全段命中!!」
最も接近していたVTOL機に乗っていた乗組員は、意気揚々と戦果を報告するが、その声はすぐに苦悶の声に変わる。
目に映るのは傷一つない使徒。
そして三本しか指のない右手を持ち上げた次の瞬間、掌に当たる部分が白い光を放った。
「うわっ!」
撃たれる。と経験が告げていたので手が慌てて操縦桿を操って方向転換をするが、光はそれより早くVTOL機に迫る。
一秒が永遠のように感じられ、伸びてくる光を視界に捉えながら乗組員は死を覚悟した.


ズドン!


















「・・・・・・い、生きてる?」
まだ繋がったままのインカムに間抜けな通信を残す乗組員。
確実に迫っていた筈の死が訪れなかった違和感に戸惑いながらも彼は視線を前に向ける。
するとそこには使徒の右上腕部から伸びたパイルがVTOL機の真下を通過する現実があった。
「!!」
一瞬外してくれたのかとあり得ない希望を夢想するが、すぐさまそれが助けられたのだと思い知る。
だが助かってなお乗組員は混乱していた。
味方の機体の攻撃がずらした訳ではない。
方向転換が奇跡的に間に合って避けた訳でもない。
突然現れた漆黒と純白の球体が使徒の右腕に乗っかって攻撃が下にずれた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だけだ。
何が起こっているのか乗組員には理解が出来なかった。
そもそも攻撃目標からしてこれまでの常識と大きくかけ離れているのだ。
まるで夢を見ているような気持ちになりながら乗組員は突如現れたそれと使徒を眺めた。



◆――――ネルフ本部、第一発令所



怒鳴り散らすように相変わらず叫び続ける上級将校の一人。
机をコブシで殴りつけて当り散らしながら、それでも攻撃を命じ続けていた。
彼の目に使徒はあくまで殲滅対象としか映っていない。
例え二つの球体突如現れようとも。
使徒が困惑するようにその球体を見つめていたとしても。
双方とも彼にとっては倒すべぎ敵だった。
「予備弾幕も全て撃ちまくって目標を排除しろ!」
すぐ近くで、ネルフのトップ二人は突如現れた使徒の動きを阻むそれを見つめていた。
「・・・あれは何だ?」
声に初めて戸惑いの感情が浮かぶ。



◆――――使徒



”それ”に意識があるのか人には判らない。
”それ”に心があるのか人には判らない。
”それ”は機械的に自らの内側から湧き出る気持ちのままに動くだけだった。
そして”それ”は考える。
考えると言うことと気持ちを持つというそのものが”心”を持つ証だが、人が”それ”を理解することは出来ない。
何故なら”それ”は、使徒は人にとって敵だから。
結局殺す結果に行き着くのなら心の有無など問題ではないから。
だがそれでも使徒は誰にも判りあえない思考で考える。

『突然現れたこれ等は何だ?』

使徒は疑問を語る口を持たない。
疑問を形にする人の言葉を持たない。
自らの中でのみ考える。
『敵?』
使徒はいい加減、鬱陶しくなっていた。
傷一つつけられないくせに前に後ろに右に左にどこにでもいて攻撃してくるモノ。
ずっと無視してきたがついさっき我慢が臨界を越えた。
そこに現れたよく判らない別のモノ。
どうするか考えを再開しようとするが、何かに遮られる。
『遊ぼう』
『行くわ』
『呼んだ』
『楽しく』


『??』


自らの内側で使徒以外の意味すらなかった場所。
そこに染み込むように声が流れ込んでくる。
人の言葉に置き換えるなら『思念』に近い声。
使徒は突然の事体に混乱する。

『僕らを呼んだ』
『私達と似てる』
『君が生きたい場所へ』
『私達も』
『 『一緒に行こう』 』
『遊ぼう』
『遊ぼう』
『遊ぼう』

使徒は考える。
ただ考える。
元々考えることに不向きなのか。決断が早いのか。
素早く出した結論は酷く単純でわかりやすい物だった。


『受諾』


使徒は自分の上に乗る掌で包め込めそうな大きさの二つの球体に語りかける。
似ているからこそ判る意思の疎通。
何故出来るかが判らない違和感。
どこか敵ではないど自身が判っている不思議。
そして使徒はよく判っていないまま新たに行動を再開する。
使徒と呼ばれていたモノは――――自らの意味を行動と言う形にする。
『行こう、君の生まれた場所へ』
『蹴散らして進みましょう』
『守ってあげる』
『導いてあげる』
『だから進もう』
『決して立ち止まらないで』
『『行こう』』
そして一人と二つ・・・・・は歩みだした。



◆――――ネルフ本部、第一発令所



巨大モニターに写る目標に付属が付いた。
使徒が右上腕部から伸ばしたパイルを退かした時は何がなんだか判らなかった。
一瞬とは言えこれまで侵攻を阻むことすら出来なかった使徒の動きを止めた何か。

味方?

希望にも似た淡い期待が発令所にいる人の中に流れるが、使徒の両肩の纏わり付いたままの二つの球体と再度歩みを開始する使徒を見てすぐさま期待は裏切られる。
左肩の白い球体、右肩に黒い球体。
それらがいったい何なのか判らない。
判らないが目標がまだ健在なら排除しなくてはならない。
これはその為の人の力なのだから。



再び数十機の集中砲火が使徒を焼く。
絨毯爆撃が使徒の行く手を赤く染める。
爆音が、爆発が、爆煙が、敵を倒そうとする。
だが使徒はそれらを完全に無視して歩き続ける。
パイルを打ち込むどころか攻撃する気配も無い。
完全なる無視。それは人にとって屈辱以外の何者でもなかった。
「くそっ!」
上級将校の一人が机に当り散らすが何も変わらない。






かつてICBMと呼ばれたそれより局地戦闘用に強化した巨大ミサイルと搭載した大型戦闘機がそこに合った。
戦闘機一機に対してそれ一つを搭載したら他の小型兵器しか詰め込めない巨大なミサイル。
ある意味で最終手段の一歩手前のそれが使徒目掛けて発射されるのを誰もが見守っていた。

(・・・どうなる)

倒すと言う現実はもはや存在しない。あるのは希望という願いだけ。
前左右からの三方同時攻撃。
当たりどころよっては半径数百メートルを一瞬で焦土に変えるモノが大型戦闘機三機から一発ずつ――――使徒に殺到する。

(・・・どうなる!?)

数秒後の着弾。
だがそこで上級将校達は予想外の――――ある意味で予想通りの光景を目の当たりにする事となる。



突如として左の肩から飛び出して下から左から来るミサイルにぶつかって上に方向転換させる白い球体。
同じように右の肩から飛び出して右から来るミサイルに真っ直ぐぶつかりながら一緒に地面に叩き落す黒い球体。
そして残った正面から来るミサイルに直撃する使徒。
三箇所で同時に巻き上がる爆発の余韻が晴れたとき、そこには肩に戻った二つの球体と傷一つ無い・・・・・使徒がいた。
「なぜだ? 直撃のはずだ!!!」
「戦車大隊は足止めにもならず・・・誘導兵器も砲爆撃もまるで効果無しか」
あまりにもありえない現実がそこにあった。
これまでどれ程弾薬を使い果たしたか判らない、それほどまでに撃ちまくったにも拘らず無傷。
悪夢としか言おうがなかった。
そんな慌てたり怒鳴ったり残念がる様子を、ゲンドウと各月の両名は冷めた目で見つめていた。
「やはりATフィールドか?」
「ああ。使徒に対し通常兵器では役に立たんよ」
聞こえないように咳くそれは、明らかにこうなると判った上での言葉だった。
ゲンドウの言葉が終わるのとほど同じ頃、突然電話が鳴り響く。


プルル、プルル


上級将校の一人がそれを取ると、受話器の向こうから聞こえてくる声に即座に返事を返す。
「わかりました。予定通り発動します」



◆――――町



碇シンジを迎えに行ったミサトの車は郊外の高間で一旦停車して使徒との戦況を眺めていた。
ミサトは持っていた双眼鏡で見ていたが、助手席に座る碇シンジはただ不機嫌だった。
「・・・」
そんな様子に気づかず。むしろ気づいた上で無視しながらミサトはただ見る。
その視界が捕らえたのは使徒から離れていく戦闘機の姿。
(・・・まさか)
最悪の事態でありながら、ミサトは予想される現実を瞬時に導き出す。
「N2地雷を使うわけ!?」
現存する兵器で最大級の火力を誇る物の名前を叫びながら、ミサトは助手席に座る碇シンジを見た。
そして碇シンジの上に自らを覆いかぶせる。
「伏せて!!!」



使徒は喜んでいた。
相変わらず鬱陶しい邪魔が入っているが、”味方”がいる事の嬉しさがそれに勝る。
何よりその味方は自分と似ている・・・・・・事に加えて、求めるものに似ている・・・・・・・・・・
違うと判っているが、同じであると錯覚できるそれでも嬉しい心。
そんな事を考えていると、両肩に乗っていた”味方”が突然離れて頭の上に浮き上がった。
下から使徒、白い球体、黒い球体の順で一直線に並んでみせる。
『??』
出会って間もない上に信じているだけで話すらほとんどしていないモノ。
さっき動いたように手伝ってくれるのかと思ったが、何をしているのか判らない。
『あ』
心の中で話しかけようとしたその時に使徒は気づいた。
球体の真上、使徒にとっても真上から近づく何かに。



ミサトが碇シンジをシートに押し倒した一秒後。
使徒が上空を見上げて接近する何かに気づいた二秒後。











世界から町が一つ消えた。