生誕と生殺に福音を

第零話
「再び鳴り響く始まりの鐘」

◆――――■■■の場合



僕の世界は紅かった。



◆――――■■■の場合



その顔が恐ろしかった。
その仕草が恐ろしかった。
その言葉が恐ろしかった。
その目が、耳が、鼻が、口が、髪が。
視界を覆う夕暮れの紅さに浮かび上がった白い裸体が恐ろしかった。
叫ぶことしか出来なかった。
呻くことしか出来なかった。
泣くことしか出来なかった。
ただ目を瞑り、泣き叫んで、身を任せることしか出来なかった。
むしろそれ以外を考えなかった。
考えたくなかった。


そして”僕”は死んだ。



◆――――■■■の場合



僕は確かに”僕”だった。
でも僕は”僕”では無くなっていた。
僕の意識は”僕”から繋がって存在している。
でも僕はもう”僕”じゃない。
”僕”は指を牙に出来なかった。
”僕”は加粒子砲を撃てなかった。
”僕”は着ている服を変化させることは出来なかった。
”僕”はS2機関を作り出せなかった。
”僕”は失った形を一瞬で元通りにすることは出来なかった。
”僕”は空を飛べなかった。
”僕”は生身で強力なATフィールドを使えなかった。
”僕”はエヴァに乗れた。
僕は”僕”に出来ることが出来なくて、出来ないことが出来た。
もう”僕”はいない、でも僕はいる。



”僕”は死んで僕になった。



僕が”彼女”に生み出された新しいモノだと判ったのはその後だった。
証拠も確証もない。
誰も何も言わない。
だってここには僕しかいないから。
でも判る・・
”彼女”は”僕”の願いを叶えて、僕を作り出した。
怨まない。
憎まない。
怨まない。
怒らない。
どうしてこんなに冷めているのか不思議に思った。
でも哀しさが合った。
だから僕は”彼”の答えを知りたくなった。
”僕”を包み込む白い姿で消えた”彼”が望んだことを。
それは”彼女”から逃げる理由だったのかもしれない。


そして”彼”が望んだ答えは”僕”の希望であり、僕の絶望だった。


僕は泣いた。



◆――――■■■の場合



”彼女”に再構成された”僕”の移し身となった僕。
僕の中に残っていた”彼女”。
”彼”の一部を取り込んで”あれ”に近づいた僕。
”彼女”と”それ”と融合した彼女だった”彼女”。
どちらも元々在ったモノに比べると大きく変わってしまった過去とは違う今。


僕らは人の形をした人じゃないモノだから。
でも、あの時感じた哀しさはない。
だって彼女がいるのだから。
寂しさを忘れた訳じゃない。
悔しさを忘れた訳じゃない。
辛さを忘れた訳じゃない。
哀しさを忘れた訳じゃない。
痛みを忘れた訳じゃない。
苦しさを忘れた訳じゃない。
怖さを忘れた訳じゃない。
ただ、嬉しかった。


だって僕は彼女が好きなんだから。


誰かのように他人を通して思いはしない。
僕はただ今の彼女が好きだ。胸を張ってそう言える。



◆――――■■■の場合



恐ろしかった。
でも惹かれた。
怖かった。
でも会いたかった。
逃げたかった。
それでも。
あいたくて、
会いたくて、
逢いたくて、
遇いたくて、
アイタクテ。


壊れた。


何かしてほしい訳じゃない。
優しい言葉をかけてもらいたい訳じゃない。
心も体も一つにしたかった訳じゃない。
ただ会いたかった。
もう壊れていたから、その先は考えなかった。
それは”彼”の答えを知りたがった僕が隠したもう一つの真実。



◆――――■■■の場合



そして会えた。
世界が紅に染まろうとも、それが僕の仕業だとしても。
今の僕は彼女さえいればそれでいい。
片方の目が瞑れた惹かれかけた少女を見てもきっと心は痛まない。
腹部から血を流した家族ごっこの偽善者を見てもきっとなんとも思わない。
喰われるかつての父を見てもきっと動揺は欠片もない。
紅い世界に変わっていく命を見てもきっと何も感じない。
あまり考えたくないけど、握り潰した”彼”を見ても、斬り殺した”彼”を見てもきっと動じない。


紅い世界を見たときに”僕”はもう壊れていたのかもしれない。
いや、壊れていた。
それでも構わない。
僕の世界は彼女から始まり終わっているから。
あるのは彼女だけ。



それなのに・・・。
それなのに・・・。
それなのに・・・。
彼女と会えて舞い上がっていたのかもしれない。
思い上がったのかもしれない。
だから、僕は間違えた。
間違えちゃいけないことを間違えた。

「綾波」

それが”彼女”と彼女の名前。
ずっと一緒だと誓った人の名前。
僕はもう、間違えない。
何を引き換えにしても間違えたくない。



◆――――■■■■■■■



二色だけの空間がそこにあった。
ある一色と紅の球体が二つ。
そこにあるのはそれだけだった。


ある一色が黒なのか白なのか青なのか黄色なのか緑なのか。
そんな事はこの場所においてどうでもいい問題だった。
なぜならそこにはそれを認識する”何か”がいなかった。いるのは一色と紅の球体が二つのみ。
仮にその一色に”白”を付けたとしても、紅の球体は何も変わらない。
それが何なのか、ここがどこなのか、どこが上で、どこが下で、どこが右で、どこが左で、どこが前で、どこが後ろか。
そもそもここに時間と言う概念が存在するのか。
そこはただそこで在って、それ以上でも以下でもなくそこはただそこでしかなかった。
あるのはただ一色の”白”と紅の二つの球体。



二つの球体は動きを見せていた。
と言うより動いているように見えるだけで実際は動いていないのかもしれない。
比較するのが一色の”白”と紅の二つの球体だけなのでよく判らない。
球体が動いているのかもしれない・・・・・・・・・
球体の片方が動いているのかもしれない・・・・・・・・・
二つの球体が離れているのかもしれない・・・・・・・・・
二つの球体が近づいているのかもしれない・・・・・・・・・
一色の”白”が動いているのかもしれない・・・・・・・・・
だがそれを判断する材料はあまりにも少なく、錯覚する材料があまりにも多く、そして判断するモノそれ自体がそこにはいなかった。
在るのはただ一つ、変化・・それだけだった。



一秒かもしれない。
一分かもしれない。
一時間かもしれない。
一日かもしれない。
一年かもしれない。
千年かもしれない。
そこで経った時間がどれほどのものか誰にも判らない。
判ろうとするモノがそこにいないから。
だがそこに一色の”白”と紅の二つの球体が出現してからある程度の時間が経過すると動き以外に変化が現れた。



――――――――!



それは声と言うよりも音に近い響きだった。
唐突に生まれたそれが何なのか。
疑問が発生するよりも早く次の声がそこに生まれる。


―――――!


前に生まれた声に比べるとか細く、今にも消えそうだったがそれは確かに声だった。
反響することの無い空間にただ声が生まれる。



――――――!
――――――――――――――――――――!
―――――――――――!


”白”と紅だけしかない空間に声が生まれ響いていく。
じわじわと大きさと多さを増して、放っておけば永遠に増加するようにも聞こえる声。

―――――――!
―――――――!
―――――――!
―――――――!
―――――――!
―――――――!
―――――――!
―――――――!

聞き取りづらいそれは、ある時から同じ一言を何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し叫んでいた。
そして膨れ上がり続ける声が飽和を迎えると、声は”声”に変わり空間を汚す。




―――「呼んでる」
――――――!




紅の二つの球体のうち片方。
大きさも色も全く同じのそれの片方から”声”が現れる。
”声”を出さないもう片方が声を出して動き回っていても、感情があるのかわからない”声”が再度同じ言葉を空間に作り出す。




―――「呼んでる」
―――――――!



たった一言。
だが”声”には先ほどまで無かった感情の揺らぎのようなものが含まれ始めていた。
悲哀に似た、歓喜に似た、絶叫に似た”声”。
様々な感情を込めた魂の叫びにも似たそれは止まることなく紡がれる。



―「彼が呼んでる」
――――――!



”声”は止まらない。
そして声も止まらない。
紅の球体から現れる”声”と声。



「―――を呼んでる」
!!!!!



その”声”を合図に空間の中に音が生まれた。



◆――――■■■の場合



ぐちゃり


”声”を出していた方の紅の球体からその音は出た。


ぬちゃ


聴けば不愉快になる肉が裂ける・・・・・ような音。
球体の一点からそれは音を立てながら膨らんでいく。


ぶちゃ


針の一点、小さな穴からそれは膨らんでいく。
だがそれが途中から膨らんでいるのではなく漏れ出しているのだと気付く。
紅の球体と同じ紅の液体。
それが内側から音を立てて現れる。


ぽとっ
「呼んでる」


”声”と音の不協和音。
生まれ、現われ、出し、それが作られていく。


ぬちゃり


紅の球体から尽きる事の無い液体が表れ広がっていく。
上も下も右も左も前も後ろも判らない、”白い”空間に”紅”が広がっていく。
それは球体と言う傷跡から出てきたどす黒い血が見えない床に広がっていくようだった。


べちゃ
「呼んでる」



◆――――■■■の場合



紅が”白”に広がっていく。
”声”が世界を満たしていく。
音が空間を汚していく。
止まることのない紅い水の流れ。
たった一点から漏れ出たそれはじわじわと世界を侵食していく。


「彼が」


紅の球体を中心に考えて、ゆうに数百倍。
広がり続けた紅い水は遠目から見ると一つの形を作っていた。
まるで見えない形に液体を流し込んでいるような違和感。
そこには”白”と紅以外に何も無い。
そして赤い水は一つの形を作っていく。



「呼んでる」



赤い水は紅の球体を覆いつくし、一つの形を作り出す。
四肢、胴、下腹部、首、頭。
爪、指、骨、皮、手、腕、筋肉、肩、胃、肺、腎臓、肝臓、脾臓、腸、心臓、性器、神経、動脈、静脈、体毛、眼球、舌、歯、耳、鼓膜、鼻、唇、眉毛、髪・・・。
それは紅い人の形をしていた。



「――を」



液体がまるで生き物の様に動き、紅い口が動いて”声”は声へと帰化する。
そしてそれは声を出しながら起き上がった。



「呼んでるんだ」



体の両側に在った腕が動き、両手が背中の下にある”白”に触れる。
筋肉と血管を紅から変化した日焼けの無い肌が覆い、紅の人の形が人間の形へと変化していく。
腕の力が上半身を起こし、頭部がそれを追って持ち上がる。
紅の眼球は白と黒に変わり、真紅の髪が漆黒へと変貌し、肌に生気が宿っていく。
腕と連動して腿が動き、後ろに引いた足の裏が手の横の”白”を踏みつける。
しゃがみ込んだ格好の足から紅の色は既に無く、見えない大地を踏みしめる両手両足の二十本の指の先に爪が形作る。
むくりとそれは立ち上がると、頭の先から首、胸、腕、腹、腰、足と順番に服が現れる。
立った時には紅の球体は既に無く、紅い形と同じ形でも前の趣は影も形も無い。
そこには人間・・が立っていた。



立ったまま眠っているようにも見える人間、喋っていた目をゆっくりと開く。
周りの異常さも、たった一人で立っていることにもまったく気にした様子も無く、慌てずに、騒がずに人間はただそこに在った。
黒い髪と黒い目は場所がここではなければほっそりとした体つきも手伝って、アジア系の少年の顔だった。
だが顔は開いた目以外は無表情を作り出し、ぼんやりと”白”を眺める。
異質の中にある異質。
虚ろな目を横に向け、もう一つの紅の球体を見下ろした時に初めてその顔に表情が作られる。
それは歓喜だけを凝縮したただの人間には作り出すことの出来ない歪な笑み。
歪み、
曲がり、
砕け、
壊れ、
それでもなお笑う顔。
常軌を逸した黒く淀んだ笑みを作りながら。紅の球体を見下ろしながら人間は――――、学生服を着た少年・・・・・・・・は言う。
「彼が僕らを呼んでるよ・・・・・・綾波」


その言葉を合図に、残った紅い球体からも赤い水が溢れ出してきた。


◆――――■■の場合


呼ばれた。
そう感じたのは何故か判らない。
下腹部に嫌悪感と徴かな興奮を覚えながらもその思いが合った。
呼ばれた。
そう考えた時に”私”はもう答えを出していた。
他の誰でもない、彼のために動こうと。
そう思ったらあまり感じていなかった恐怖は無くなった。
言い続けられていた使命は消えた。
目の前に彼がいないことが苦しかった。
だから”私”は彼に会うために戻っていった。
”私”を生み、全ての生命の母でもあった”彼女”の元へ。


「ただいま」


だけど”私”は彼を壊してしまった。



◆――――■■の場合



心も体も一つに溶けた。
彼が自分と言う人の形を思い出すことで繋がった”私”は彼を創造出来た。
”私”の思いと”私”の力、あの男が残したモノを核にして”私”は彼を修復した。
創造、修復。
それはどちらも正しくてどちらも正しくない事実。
でも結果は変わらない。
牧は再びこの世界に戻ってきた。
”私”をその身の内側に宿し。


この紅い世界に。



◆――――■■の場合



”私”に気づかずに彼は旅立った。
でも”私”の一部が外に流れていく感じがする。
不思議な感じがする。



”私”はずっと彼を見ていた。
”私”はずっと彼を見続けていた。
”私”はずっと彼を見ることしか出来なかった。
諦める事をただ見ていた。
悲しむ事をただ見ていた。
心にも無い笑いを浮かべることをただ見ていた。
激情を抑えるのをただ見ていた。
哀しむ事をただ見ていた。
彼の核、あの男が残したモノが本来帰るべき場所。その心の持ち主を斬り殺すのをただ見ていた。
見ることが、見ていることだけがこれほど辛いと知らなかった。
そう思うと昔の”私”がどれだけ彼に対して残酷だったが思い知った。
声をかけてあげたい。
その体に触れたい。
泣き崩れる体を支えてあげたい。
”私”を見てほしい。
私と言う存在そのものを認めてほしい。
思考の海にあふれ出した欲求が彼の中の”私”を苦しめる。
初めての気持ち。
その苦しさが気づかない彼をまた苦しめる。
心も体も一つに重ねた結果がこの有様。
”私”は間違えた。
だって彼は一人なのだから。



◆――――■■の場合


”私”は私になりたかった。
”私”は私に戻りたかった。
彼と共にある私に返りたかった。
だから驚いた。
思いの程度こそ違っても、『私』は”私”と同じように彼を思っていた。
ただ驚いた。


運命なんてありはしない。
偶然も単なる言葉に過ぎない。
”私”は信じない”神”に感謝する。
だって『私』と”私”を私にしてくれる機会を与えてくれたのだから。


『私』も”私”も混ざり合うことに躊躇いは無かった。
『私』は彼の力になるため。
”私”は彼の傍にいるため。
そして”私達”は私になった。
もう彼と心と体も一つになっていない。
一つになったのは私。
私は彼ではない。
彼と共にある私なのだから。
「碇君・・・」

それが彼の名前。
ずっと一緒だと誓った人の名前。
私に笑顔を教えてくれた人。


でも・・・碇君は・・・。



◆――――■■の場合



紅い球体は私達の本体。
碇君はその中に紅い世界で皆が溶けた情報を入れた。
でも滅多な事じゃそれを出さない。
それは知識と経験と体験と情報の洪水。
表層情報を除く深部まで覗けばきっと碇君の心はまた壊れてしまう。
情報の多さは猛毒だから。


紅い球体は私達の本体。
私達が人の形を作るための核。
でも私達がいなかったら・・・誰かが私達を呼びかけてくれないと私達は自分の形を思い出せない。
自分で自分を思い出すために他人が必要、それが私達。
私を呼ぶ碇君の声がする。
だから私は私の形を思い出せる。
昔、『私』が碇君を呼んだように。



◆――――レイの場合



レイが閉じていた目を開くと真っ先に飛び込んできたのは自らの存在以上に大事な人の泣き顔だった。
「・・・なんで泣いてるの?」
寝そべっていた体を起こしながら”自分”の中にある記憶がそんな言葉をレイに選ばせる。
咄嗟に出た自身の言葉に困惑する。
だがそんなレイの戸惑いを無視して、泣き顔の持ち主:シンジは答えた。
「綾波が・・・綾波が生きてるのが嬉しいからだよ」
聞き違えようの無い愛しい人の声。
それまで眠っていた脳がそれを合図に揺さぶられ、急速に正気がレイに蘇る。
「碇・・・君?」
「うん僕だよ綾波」
さっきまで口元に浮かべていた黒く淀んだ笑みとは違う、やわらかいシンジの笑顔。
その声が、その仕草が、泣き笑いする顔が、そこにいると言うそれだけでレイは何も考えられなくなってしまう。
理性が吹き飛んで体がシンジを抱きしめて行く。
「碇君・・・碇君! 碇君! 碇君!!! 本当に碇君?」
「僕だよ綾波・・・」
強烈な抱擁に慌てることなく、引いた体で全身を受け止めたシンジはレイがそうであるように背中に手を回す。
お互いの存在を確かめ合うように強く、ただ強く二人は抱きしめ合う。
レイの目から流れる水滴に愛おしさを覚えながらシンジはすぐ近くにある耳に噴く。
「大丈夫だから、綾波。僕はここにいるから」
「碇君・・・私、私。碇君が・・・」
「綾波がこんなに慌てるって事は・・・やっぼり僕は殺された・・・・んだ」
レイはシンジのその言葉に何も言えずに領く事で肯定を示す。
考えたくない現実、起こってしまった過去は振り返っても変わりはしない。
だが今を確かめるには必要な作業だった。
「私も・・・きっとあの後殺された・・・・
レイの全身が一瞬だけ微かに揺れる。
シンジは”死”に対するレイの人間らしさ。恐怖を体が脅えさせる事にほんの少しではあるが喜びを覚えたが、それを上回る怒りが心を埋めた。

(僕らにあんな事をした奴ら・・・)

シンジが『殺された』、その後にレイも『殺された』。
現実に起こった過去に怒りを覚え、そんな事をした相手に怒りを覚え、させてしまった自分自身にシンジは怒りを覚えた。
抱きしめあう手に更に力を込め、シンジはレイを安心させる為に決意を言葉にする。
「ねえ綾波・・・」
「な、なに。碇君」
涙で一瞬どもった珍しいレイの肩に両手を置いて少しずつ離しながらシンジは言う。
「ごめん。僕が悪かったんだ。僕が綾波と僕を天秤にかけるなんてやっちやいけない事を、選ぶそれ自体が間違ってることをやっちゃったからこんな風になったんだ。悪いのは僕だ・・・だから綾波は僕を裁く権利がある」
「・・・」
「でも僕を嫌いにならないで。僕は綾波が好きで綾波とずっと一緒にいたい!! なじっても蔑んでも叱っても怒ってもどんなに苦しい事だってやってもいい、でも僕を一人にしないで」
コインの裏と表のように怒りと怯えが唐突に裏返る。
自分に対する怒りは周りへの怯え。
他人に対する怒りは自分への怯え。
揺れ動く感情が抑えきれず、一度離したレイの体をシンジはもう一度強く抱きしめる。



「お願いだよ、綾波・・・僕を、僕を一人にしないで・・・」



さっきまで浮かべていた涙とは全く別の涙がシンジの目から流れ落ちる。





レイはシンジの言葉を反芻していた。
(何?)
(何?)
(何?)
(どうしてそういう事言うの?)
急速に恐怖が冷めていく。
変わりにいつもの無表情の奥に隠れている理知的な思考がレイらしさを復活させる。
(どうして?)
だがその思考はすぐに答えが出てしまって終わりを告げる。
ある意味で変わらないシンジがシンジである思考の中心。

(碇君は・・・寂しいんだ)

自分がそうであるように、シンジも怖くそして恐ろしかった。
優しい言葉、柔らかい笑顔の奥にあるシンジらしさ。
いつか笑顔を教えてくれたお礼のようにレイは抱き締められたシンジに語りかける。

「碇君、約束したでしょ? 私はもう二度と碇君を離さない・・・って」

「綾波・・・」
泣いているような笑っているような寂しいようなシンジの声が返ってきて、二人はまた抱き合った。



◆――――シンジの場合



「僕はあの時、綾波に呼ばれて自分の形を思い出すことが出来たんだ。そして今は・・・」
「碇君が私を呼んでくれたのね」
「うん、そして僕を呼んでいたのは彼だ・・・」
”白”の空間に座り込む夏服の学生服姿のシンジとレイ。
黒い髪と黒い目、蒼い髪と赤い目。
その場所に似つかわしいのか似つかわしくないのか、ここがどこかも言う様子もなく二人はただ会話をした。
「もう、あの時なの?」
「きっとね・・・」
二人にだけ判る言葉。
二人だけの時間。
二人しかいない場所で二人だけの会話。
シンジは名残惜しそうな顔をしながらゆっくりと立ち上がる。
レイもそれに倣って立つとシンジはただ言った。

「さあ行こう綾波。三度繰り返される、僕たちの因縁の場所『第三新東京市』へ」
「ええ、問題ないわ」

そして”白”から二人の姿が消えた。