第弐拾四話
「死の間際に望むもの」
◆―――ネルフ本部、シュミレーションプラグ
度重なるエヴァパイロットの無力化。
第15使徒襲来の翌日、早速渚カヲルのシンクロ適性検査が行われていた。
普段はミサトとリツコに任せてこの場にいない冬月だったが、委員会が直に送ってきたチルドレンに警戒して自らの目で見に来ていた。
実験の最高責任者とも言えるので指示も出せる。
「あと、0コンマ3下げてみろ」
「はい」
言われたとおりマヤはシュミレーションプラグの数値を下げる。
モニターにはそれぞれレイとカヲルのシンクロ率が表示されている。
「このデータに間違いはないな?」
「全ての計測システムは正常に動作しています。マギによるデータ誤差、認められません」
「よもや、コアの変換もなしに弐号機とシンクロするとはな。この少年が・・・」
戦力としてはこれ以上ない即戦力、コアの変換なしにシンクロする事で余計な時間を作らなくて済むが、これは異常とも言える。
「しかし、信じられません!いえ、システム上、ありえないです・・・」
チルドレンとエヴァの互換性は殆どコアに依存する。
アスカ専用として作られた筈の弐号機に対して何の下準備も無くいきなりシンクロする事実。
それは本来なら”あり得ない事象”だった。
「でも事実なのよ。事実をまず受け止めてから、原因を探ってみて」
マヤの呟きにミサトは釘を刺す。
暗に『怪しい』と言っていた。
◆―――ネルフ本部、エスカレーター出口
シンクロテストを終えたレイはジオフロントから地上に戻る為にエレベーターを昇っていた。
今まではこの場にレイ以外の二人がいたのだが、その二人は病室で現実から逃げている為いない。
一人の孤独感を感じていないと言えば嘘になるが、特に二人に向けて何か感情がある訳でもなかった。
結局いつも通りの無表情で出口に辿り着くと、そこに漆黒のプラグスーツから学生服に着替えたカヲルがいた。
「君がファーストチルドレン、綾波レイだね」
「あなたはシクスチルドレン、渚カヲル」
お互いがお互いの事を再確認する、カヲルは微笑んだままレイは無表情で向かい合った。
「君は、僕と同じだね」
「いいえ、同じじゃないわ」
アラエルから放たれたほんの少しの精神攻撃に反発する時にレイは”自分”を確立していた。
ターミナルドグマの自分のパーツ。
目の前の少年。
白い巨人。
”自分”と似た物は幾つもあるが”自分”は今ここにいる一つしかない。
それがハッキリしたので、堂々とその事が言えた。
「あなたと私はよく似ているかもしれないけど・・・。同じではないわ」
レイはそう言ってカヲルの横を通り抜け、ネルフを後にした。
◆―――ディラックの海
”碇シンジ”はいない、だが人の形をしていないあやふやな物がそこにあった。
幽霊の様にフワフワとしているかと思えば、貴金属の様に光り輝く、かと思えば正四面体の形を作る。
形を失った、人の形を失った”何か”。
自分が誰か判らない。
自分が何か判らない。
自分という形が判らない。
この世界に来る前、紅い海の中で似た体験をしていた事を思い出すがそれだけで終わる。
あの時と違う事『自分の形が思い出せない』。
誰かに殺された事は判った、だがそれは自ら判っていた事でもある。
自ら選んだとも言える死、自分という形を放棄する思考。
残されたあやふやで不確かな物が”碇シンジ”を保てない。
(・・・消えるのかな?)
(・・・死ぬのかな?)
考える事は出来るが自分が考えられない。
きっかけが無ければ永遠にこのままか消滅するのだと思考は理解している。
それでも碇シンジは”碇シンジ”を思い出せない。
そこには”何か”がいた。
◆―――コンフォート17、ミサト家
『葛城、俺だ。多分この話を聞いている頃には、君に多大な迷惑を掛けた後だと思う・・・済まない。りっちゃんにも済まないと謝っておいてくれ。葛城、真実は君と共にある、迷わず進んでくれ。もし、もう一度会えることがあったら・・・八年前に言えなかった言葉を言うよ・・・じゃ』
何回再生したか判らない加地の最後を告げる留守番電話。
机の上には電話と飲み終わって空になったビールの缶が幾つも転がっていた。
頭と腕を机に乗せてぼんやりと留守番電話の点灯ランプを眺めながらミサトはポケットに手を突っ込んだ。
そこには加地から託されたROMカセットが二枚入っていたが、これまで見る気も起こらず放置してそのままだった。
「鳴らない電話・・・か」
昔を振り返っても事体は何も変わらない。
いなくなった加地。
突然現れたシクスチルドレン。
次々と無力になるパイロット。
ミサトはエヴァや使徒、果てはネルフに人類補完委員会に動きがあること感じていた。
(あなたの心・・・無駄にしちゃ悪いわよね)
受け取ってから二週間、ようやく加地の掴んだ真実にミサトは目を通す決心をした。
◆―――人類補完委員会、特別審議会
『ロンギヌスの槍、回収は我らの手では不可能だよ』
『何故使用した?』
『エヴァシリーズ、まだ予定には揃っていないのだぞ』
口を開けばゲンドウへの叱責だけ。
この場しか知らない人間が見たら、この会合が世界の大半を支配している人物達の集まりとは到底思えない醜い争いの場だった。
襲いくる責任追及に対して、ゲンドウはいつも通りの平静を保って淡々と答える。
「使徒殲滅を優先させました。やむを得ない事象です」
『やむを得ないか?言い訳にはもっと説得力を持たせたまえ』
『最近の君の行動には、目に余るものがあるな』
このまま放置しておけば永遠に続きそうなやり取りを止めたのはゲンドウが座っている机の中からの電話の音だった。
この場所にかけてくる人間は限られているので、すぐさまゲンドウは受話器を取る。
「冬月、審議中だぞ・・・判った」
ごく短いやり取りのち、ゲンドウは電話を切って自分が言うべき事だけ言う。
「使徒が現在接近中です。続きはまた後程」
『その時、君の席が残っていたらな』
揶揄するような委員の言葉を受けながら、ゲンドウは暗闇に消えた。
『碇、ゼーレを裏切る気か?』
モノリスのナンバー01からキールが声して、数秒後。他のモノリスから声があがる。
『そもそも君がもっと真面目にやっていればこんな事にはならなかったはずだよ』
『次からは事前に知らせて欲しいものだな』
『タブリス』
『聞こえているのか?』
「聞こえてるよ」
暗闇の中にモノリスを通したくぐもった声ではないさっきまでいたゲンドウが話すような生身の肉声。
その声はキールのモノリスの後ろから聞こえてきた。
パイプ椅子に腰掛けて目を瞑りながら話すのは、間違いなくシクスチルドレン:渚カヲルだった。
「仕方ないだろ?あの時は槍を使うのがあまりにも突然すぎたし、あそこで僕が止めるのも変だ。それよりも僕がここに来るのは、まずいんじゃないのかなぁ、正式にネルフの一員になったんだよ?さっきからチルドレンの召集で呼び出されてるし」
『わかっている』
『しかし連絡は怠るな、碇がまた不穏な動きを少しでも見せたらすぐに知らせるのだ』
「判ってるよ」
そしてその場からカヲルも姿を消して、後にはナンバーが刻印された物言わぬモノリスだけが残された。
◆―――第三新東京市、山間部
ミサトは不機嫌だった。
ようやく気持ちも一区切りついて、加地が残したデータを見ようとした。
自分専用のパソコンの電源を入れてさあ見よう・・・とした所での使徒襲来。
故人の遺物を優先させて自分の職務を放棄するわけにも行かず、ミサトは愛車のアルピーノ・ルノーA310を走らせながら車内電話でネルフ本部を連絡をとっていた。
「後15分でそっちに着くわ。零号機を32番、初号機を17番から地上に射出。渚君は弐号機に乗せてバックアップに回して。よろしく、じゃ」
運転をしながら視線を斜め上に向けると、そこには”円”が在った。
空中に浮かんでいる物体、遺伝子配列を思わせる二重螺旋構造の第16使徒アルミサエル。
非日常で巨大な生き物には見慣れてるとは言え、ミサトもモニター越しではない生身の使徒を見るのはこれが初めてだった。
「使徒を肉眼で確認・・・か」
加地の残したデータに関わった時からミサトの中からアスカは消えていた。
完全無欠で保護者失格である。
◆―――ネルフ本部、発令所
「目標は大涌谷上空にて滞空。定点回転を続けています」
「目標のATフィールドは依然健在」
シゲルとマコトは報告をゲンドウに伝えるが、特に指示は無かった。
ミサトが現在発令所に向かっている事は知っているが、まだ来ない現状での指示系統最高責任者は総司令のゲンドウになる筈。
だが命令が無い。
既にエヴァ三機の射出も完了している現状で、どうするのか不安に思っているとようやくミサトが発令所に到着した。
「遅くなったわ!」
「何やってたの?」
「言い訳はしないわ、状況は!?」
リツコの恫喝を一言で済ませ、ミサトは沈黙から解放されたシゲルとマコトに聞く。
「膠着状態が続いています」
「目標はパターン青からオレンジへ、周期的に変化しています!」
「どういうこと?」
「MAGIは回答不能を提示しています」
マヤも加わって現状を説明するが、円形の使徒について判っている事が皆無である事が判っただけだった。
「あの形が固定形態でないことは確かだわ、気をつけて葛城三佐」
「先に手は出せない・・・か」
ミサトの呟きは、ここにいる誰もの心情を代弁していた。
◆―――第三新東京市、大涌谷
《レイ、渚君、しばらく様子を見るわよ》
ミサトは現状維持を零号機と弐号機に飛ばすが、レイからの返答は予想を越えるものだった。
「いえ・・・来るわ」
発令所のその言葉が届くとほぼ同時刻、アルミサエルは突然回転を止め二重螺旋構造から線に変形した。
円が切れて一本の紐か蛇の様に動き回ると、解けた紐の先端がエヴァの移動速度以上の速さで零号機に向かって突き進む。
《レイ!応戦して!!》
《駄目です!間に合いません!!》
ミサトとマコトの叫びを聞きながら、レイは一直線に突き進んでくる紐の使徒に対しての行動を全て防御に回した。
回避する間もない超高速移動。それ以外出来ないと言えばそれまでだが、零号機はATフィールドでただ防御した。
だがアルミサエルはその防御をいとも容易く貫いて、零号機の腹部に自らを突き刺す。
「うっ!」
フィードバックで腹に激痛が走るが、レイは何とか耐えながらライフルを持っていないほうの右手で紐になった使徒を掴んで動きを拘束。零距離からライフルを連射する。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
だが乾いた音を立てるだけで弾丸は全て弾かれる。
◆―――ネルフ本部、発令所
「目標!零号機と物理的接触!」
これまでに無かった使徒の攻撃方法。
自らとエヴァを融合させるその攻撃にシゲルは驚きつつ何とか報告する。
「零号機のATフィールドは!?」
「展開中! しかし、使徒に浸食されています!!」
「初号機は近接戦闘、渚君にはATフィールド最大で目標後部に援護射撃を!!」
マヤの報告を聞いてすぐさまミサトは新しい指示を出す。
だが弐号機が持っているパレットライフルは、零号機のパレットガンと弾丸が同型なので効力があるか甚だ怪しくはある。
◆―――第三新東京市、大涌谷
効かない武器ほ放り捨てて、零号機は両手でアルミサエルを掴んで体から引き抜こうとする。
だが引き抜く力より、使徒の押し込む力のほうが強く徐々に使徒に浸食されていく。
身体を走る血管の様に体組織のすぐ下にアルミサエルが蠢き、フィードバックでエントリープラグ内のレイのプラグスーツにも同様の現象が起き始めた。
レイは自分の体に侵入してくる異物が巻き起こす苦痛に懸命に耐えていた。
初号機がプラグナイフを構えて飛び掛り斬りつけようとするが、アルミサエルは零号機に差し込んだ体の正反対の位置:後部を器用に動かして初号機を薙ぎ払う。
上段に構えたプログナイフの下、胸部装甲に凹みを作りながら空を舞う初号機。
攻撃を加えたことで一瞬動きが止まり、隙を突いて弐号機のパレットライフルが一斉射撃を加えるが先の零号機同様に乾いた音を立てるだけで効果は無い。
「ライフルは効かない、他になんか無いの?」
《ディアルソーを出すわ、Cの883に走って近接戦闘》
「ラジャー!!」
カヲルは効かない武器をすぐに捨てて一足飛びで目標地点まで到達する。
その動きは洗練されて、これがエヴァ初搭乗とはとても思えないほど機敏だった。
「悪いけど僕が勝たせてもらうよ、消えるのはそっちだとシナリオにはそう描かれているんだ」
カヲルは射出された回転ノコのディアルソーを両手で構えながらそんな事を呟いた。
◆―――ネルフ本部、発令所
「危険です!零号機の生体部品が犯されていきます!!」
マヤは現状をどうにかしてほしい祈りにも近い声で報告するが、言うだけでは何も変わらない。
モニターに移る零号機は時が経てば経つほど浸食されていく。
「弐号機にはレイの救出と援護をさせて!!初号機は?」
「感情素子の78.2%が不鮮明。再起動効率、マイナス0コンマ6」
「戦線復帰まで43秒」
吹き飛ばされた衝撃でダミーシステムに不具合が生じたのか、マコトとシゲルの報告をミサトは歯がゆく聞いていた。
パイロット不足ではあるが、現状ではこれ以上は望めない。
「ちっ!こんな時に!」
ミサトは舌打ちするが、そんな時間の間にも零号機の浸食は進む。
「目標、さらに浸食!!」
「危険ね。すでに5%以上が融合しているわ」
リツコの声でモニターを見るが、有効な手段が浮かばない。
(第零使徒殲滅作戦、こんな事なら延期を申し立てておくべきだったわ)
(もう少し利用してから殺した方が良かった)
ネルフの戦力となるであろう使徒を自ら倒しておきながら、ミサトは傲慢にもそんな事を考えていた。
◆―――第三新東京市、大涌谷、綾波レイの場合
「誰?」
レイは自分が見ている光景が先ほどと変わっている事に気がついた。
目に見えるのはエントリープラグからの風景ではなく、LCLの紅い海の上に立つ自分だと頭のどこかで判っていた。
赤く紅く、ただそれだけの世界。
「私?」
そして目の前にはプラグスーツを着た自分と同じ姿をした、LCLの海に浸かるもう一人の誰かがいた。
「あなた誰?」
レイにはそれが直感なのか、確信なのか判らなかったが。何となく目の前の自分の姿をした誰かの正体に気付いた。
「使徒?私たちが使徒と読んでいるヒト」
『私と一つにならない?』
正体が知れた事で、ようやく目の前の使徒はレイに向かって話し掛けてきた
「いいえ、私は私、あなたじゃないわ」
『そう・・・でも駄目。もう遅いわ』
使徒がそう言うと、レイのプラグスーツは現実と同じように使徒がエヴァを這った後が浮かび出る。
『私の心をあなたにもわけてあげる。この気持ち、あなたにもわけてあげる』
それはプラグスーツだけに収まらず、レイの頬にも血管の様に浮き出た。
ほんの少し痛みを感じて、レイは表情を歪める。
『痛いでしょ?ほら、心が痛いでしょ?』
「痛い?いえ違うわ・・・・・・。さびしい、そう寂しいのね」
『さびしい?わからないわ』
「一人が嫌なんでしょ?」
いつの間にか話し掛ける側と掛けられる側が交代して、レイが使徒に話し掛けていた。
「私たちはたくさんいるのに、一人でいるのが嫌なんでしょ?それを”寂しい”と言うの」
『それはあなたの心よ』
「え・・・」
レイは一瞬、使徒が何を言っているか判らなかった。
だが口元をゆがませる使徒が話す次の言葉で全てを理解した。
『悲しみに満ち満ちているあなた自身の心よ』
寂しいのはレイ自身だと言うことを。
視界がエントリープラグの中の自分に戻ってくる、が視界がぼやけてハッキリとしない。
何故を考えていると、自分の膝に落ちる水滴を感じた。
「これが、涙?泣いているのは、わたし?」
初めて流す涙は不快ではあったが、それよりも驚きが勝っていた。
”人でない自分”が人の様に涙を流せることが信じられなかった。
何かが変わった、そう感じると腹と背中に今まで以上に強烈な痛みが伝わった。
零号機の背中の拘束具が弾け、異様な形の肉が盛り上がる。
腹に突き刺さっていた使徒が枝分かれしていって、腹部を中心にどんどん増えていく。
背中から突き出た肉が変形して、第3番目から第15番目の使徒の形に酷似して物に変わる。
アルミサエルは12枚に枝分かれして、シンジが生やしていた羽の様に広がっていく。
全ての使徒を零号機に押し込めたような姿。だがそれと引き換えに零号機の装甲は少しずつ崩れていく。
《レイ!!》
スピーカーを通して発令所のミサトの声を聴きながらカヲルは少し不機嫌な顔になっていた。
(人の悲しさ・・・か)
(それが原因で戦いの負けたら何も残らないよ)
人間らしくはあるが、今叫んでも何も変わらない。
カヲルの弐号機はデュアルソーを12本に分かれたアルミサエルの内、一本に少し怒りを込めて斬りつけた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
切り裂くのと同時にレイの絶叫が辺りに響き渡った。
「生体融合か・・・厄介だね」
零号機と融合したアルミサエル。痛覚まで融合している事を悟ったカヲルは一旦引くが、12本のアルミサエルは一斉にその後を追う。
「うわっ!」
迫り来る触手にデュアルソーを振り回して全て応戦するが、その間にもレイの悲鳴が断続的に聞こえてくる。
あれだけ融合されては零号機ごと破壊するしかない、カヲルは冷静にその結論に辿り着いた。
零号機の腹部から伸びるアルミサエルを見つめながらレイは自分だけの心を感じていた。
「これはわたしの心?」
12本のアルミサエルが弐号機を破壊しようとしている。
憎しみ。
怨み。
やり切れない思い。
「許せない、会いたい思い・・・でも駄目!」
周りに当り散らす事は簡単だった。
特に今は使徒がレイの心を反芻して動いている感触があるので、レイが望めば零号機と使徒はエヴァどころかジオフロントまで破壊するだろう。
だが会いたい人と会えなくした原因を作ったのは間違いなく自分自身なのだ。
命令を拒否する事が出来た。
あの時零号機から降りない事も出来た。
銃を取り出して構えない事も出来た。
どうなるか教える事も出来た。
だが他人に言われるまま死を導いたのは自分。
一番許せないのは自分自身だった。
レイは零号機を縮こまらせ、自分の心を自分の中に押し込んでいく。
◆―――ネルフ本部、発令所
「ATフィールド反転、一気に浸食されます!」
零号機のATフィールドは使徒の浸食速度を遅らせる以上の効果は無かったが、それでも時間は作れていた。
そのATフィールドを展開するどころか、逆に開放する零号機。当然浸食速度は一気に跳ね上がる。
「使徒を押さえ込むつもり!?」
リツコは客観的なレイの判断を口にするが、実際レイが押さえ込んでいるのは使徒ではなく自分自身の心だった
モニターに移る零号機は、背中から溢れた肉塊を戻し、腹部から伸びたアルミサエルを自分の中に引きずり込んでいった。
だがそれと引き換えに零号機は妊婦の様に腹部が膨れ上がり、装甲のあちこちがひび割れて苦しそうにもがいていた。
「フィールド限界、これ以上はコアが維持できません!!」
「レイ!機体をすてて、逃げて!」
《・・・・・・》
ミサトの必死の叫びにレイは答えない。
いぶかしんでいると、発令所の零号機からの自爆信号が受信された。
弐号機は突然消えたアルミサエルに警戒態勢を崩さず、初号機はまだ遠い彼方。
誰も零号機とレイを止める事が出来ない。
「死ぬ気・・・?」
使徒を吸収し、膨張した零号機の肉体が、みるみる元のサイズへ戻っていく。
だがそれは回復ではなく圧力を掛けただけで事体は更に悪化していく。
「コアがつぶれます!臨界点突破!」
◆―――第三新東京市、零号機
レイは涙を流しながら外の景色を眺めていた。
零号機が自爆直前に白い閃光に包まれていき、視界が白に染まる。
言うべき言葉は無くても、レイは最後にネルフ本部の廊下で会ったシンジの顔と仮面越しに見た使徒の顔を思い浮かべた。
二つが重なり一つになる。
ほんの少しの幸福感で身体を満たしながら、レイの視界は黒で被い尽くされた。
爆音と閃光が零号機を中心に辺りを包む。
◆―――ネルフ本部、発令所
「目標・・・・・・消失」
爆発した零号機を中心に出来上がったクレーター。
土にまみれて地面に横たわる初号機と弐号機。
モニターに移る光景に対してシゲルはそれしか言う事が出来なかった。
数秒後か数十秒後か、沈黙をミサトが破る。
「現時刻を持って作戦を終了します、第一種警戒態勢へ移行」
だがその声は今にも泣き出しそうに震えていた。
「了解、状況イエローへ速やかに移行」
マコトの淡々とした返答で少し平静を取り戻したミサトは、一番懸念した事実をマヤに尋ねる。
「零号機は?」
「エントリープラグの射出は確認されていません」
「生存者の救出、急いで」
「もしいたらの話ね・・・」
リツコは誰も口に出さなかった絶望的な現実を口にする。
ミサトはリツコを睨みつけるが、お互い目を合わせないようにすぐ逸らしてしまう。
◆―――ゼーレ、リモート会議
ゲンドウを前にした時とは打って変っての話し合い。
だがその場に人影は無く、全てナンバーが刻印されたモノリスが喋っていた。
『ついに第16の使徒までを倒した』
『これでゼーレの死海文書に記述されている使徒はあとひとつ』
『約束の時は近い。その道のりは長く、犠牲も大きかったが・・・』
『左様、ロンギヌスの槍に続き、エヴァ零号機の損失』
『碇の解任には十分過ぎる理由だな』
『冬月を無事に返した意味の、解らぬ男でもあるまい』
『新たな人柱が必要ですな。”碇”に対する』
『そして、事実を知る者が必要だ』
議長であるキールの声が響いてその空間はまた静寂と暗闇に包まれた。
◆―――ネルフ本部、ターミナルドグマ
レイの姿はセントラルドグマの奥深く、ダミープラグが吊るされていた薄暗い部屋にあった。
目の前には人間の脳を模して作られた機械がある、いつもレイが浸かっていた水槽だ。
「・・・私」
”二人目”のレイは零号機と第16使徒を道連れにして自爆したはずだったが、今もこうして自分は生きている。
「そう・・・生きているのね」
自分と言う身体、ダミープラグの素体でもある予備は”レイ”が死ぬとその魂を移し変えて新しい”レイ”へと生まれ変わらせる。
これがリリスの力なのか、知恵の実を食べた人の力なのか判らないが『そうなってしまう』のは知っていた。
少なくとも素体がある限りレイは死ぬ事は出来ない。
だがここでレイは何かおかしい事に気が付いた。
”一人目”が赤木ナオコに殺されて零号機のコアへ、”二人目”への移行は記憶があやふやなので覚えていないが、移行できるのはあくまで魂と呼べる概念だけで”一人目”あるいは”二人目”が持っていた記憶までは写されない筈だ。
自分が何人目か、日常生活の知識、エヴァの事などネルフにとって必要な最低限以外はパソコンのデータの様にフォーマットされると聞かされた。
だが今のレイには記憶がある、だからこそ『道連れ自爆』の結果を判った上でここにいる。
「・・・・・・司令が嘘を教えたの?」
一番考えられるのはその可能性、だがレイの独り言を待っていたように光の届かない暗闇から声をかける人物がいた。
『僕が助けたから、綾波はまだ”二人目”だよ』
”二人目”その言葉を聞いた瞬間レイは理解した、身体の交換は行われていない、と。
すんなり受け入れてしまったその声、この場に自分以外がいるとしたらゲンドウか冬月かリツコだけだと思っていたがその声の主はどちらとも違った。
「・・・誰?」
光源はダミープラグ開発の為に使用していたLCLのプールだけ。
それなりに大きいこの部屋には暗闇が幾つも存在する。
カツッカツッカツッカツッ
レイの真後ろ、ダミープラグ生産プラントと逆の位置から足音が近寄ってきた。
「僕は確かに肉体と言う形を失った」
カツッ
「でも自分という形を思い出せれば」
カツッ
「僕は何度でも僕になれる」
カツッ
「あの暗闇の中で僕は聞いた」
カツッ
「僕と言う形を呼び戻す君の声を」
カツッ
足音が止まり、レイの目の前には一人の少年が立っていた。
あの日、あの時、液体になって”死”を迎え入れたはずの使徒。
「久しぶり、綾波」
これは夢?
これは現実?
これは夢想?
これは何?
二度と見ることが出来ないと思っていた会いたかった人。
自分がどれだけ想っていたか失って初めて知った人。
「碇・・・君?」
学生服姿で、ネルフの廊下で会った時と変わらずシンジがそこに立っていた。
現実の出来事に思考がついていかない。
ありえないと判っていた、だからこそ自分が死ぬ事に何の躊躇も無かった。
頭の片隅で否定しつつ理解していたはずだった『碇シンジはもう居ない』と。
じゃあ目の前に立っているのは?
次の瞬間、レイは現実を確かめるように立ち上がってシンジに抱きついていた。
「碇君・・・」
「・・・僕の形を思い出してくれてありがとう、綾波」
シンジは赤子をあやすように片方の手でレイを抱き締めてもう片方の手で頭を撫でる。
現実を、そして存在を確かめる為にレイは必死にシンジにしがみ付いた。
「碇君・・・」
「本当に、本当にありがとう。綾波」
シンジは手にかかるレイの髪の感触を感じながら複雑な心境だった。
自分がいた世界の”二人目”の綾波レイでもない。
自分がいた世界の”三人目”の綾波レイでもない。
この世界の死ぬ予定だった”二人目”の綾波レイ。
自分が碇シンジだと思い出してディラックの海から戻ってみれば目の前にレイがいて、すぐ傍にアルミサエルがいたので咄嗟に助けてしまったが。どうしても自分がいた世界の綾波レイを重ねて見てしまいお礼を言っても罪を感じてしまう。
それに何故自分は抱きつかれているのか?それが不思議でたまらない。
元いた世界の綾波を通して見る、その考えに怒りを覚える。
最初は命を助けてくれた事に対しての感謝の気持ちだと思ったが、むしろ必死さを感じる。
二度と離されない様にしがみ付いている印象さえある。
「あの・・・綾波?」
「・・・・・・」
とりあえず離れてもらおうと揺さぶってみるが応答が無い。
二、三度繰り返してみても結果が同じだったので、強引にレイの肩をつかんで顔を上げてみると、眼を閉じて眠っていた。
疲れ果てて気絶して、そのまま眠ったらしい。
「・・・・・・あらら」
シンジはその寝顔を見ていつの日から忘れてしまった、14歳の少年らしい笑顔を浮かべた。
作った笑いではない、心からの笑い。
微かな幸せを感じながら、ゆっくりとレイの手を解いて水槽に背を預けさせる。
史実通りなら近い内にゲンドウかリツコが来る、それが判っているからシンジはすぐにこの場から離れる必要があった。
シンジは背中を水槽に預けるレイの耳に口を寄せて一言だけ言ってその場から消えた。
「リリスの前で会おうよ、今度こそ幸せになってね綾波」
◆―――コンフォート17、ミサト家
加地の残したデータを見ようと奮起した思いは零号機の爆破で沈静化していた。
アスカ、トウジ、そしてレイ。
これほどまでにチルドレンに不幸が襲い掛かると、使徒の強さもあるが自分の指揮能力のせいだと自分で自分を責めてしまう。
むしろこれまでその事に思い当たらなかったミサトの方が異常とも言えるが、とにかくミサトはビールの空缶をぼんやり眺めながら机にうつ伏せになっていた。
使徒戦から夜が空けて、自分の事後処理は全て終わっていると言うのに気が引ける。
(レイが死んだから・・・かしら)
(それとも加地君?)
(アスカ・・・)
考え出せばきりが無い、そもそも思い当たる節がありすぎる。
また落ち込みそうだったミサトを現実に引き止めたのは一本の電話だった。
反射的に受話器を取って電話に出る。
「はい・・・もしもし・・・・・・・・・なんですって!!」
ファーストチルドレン生存、その朗報はミサトの気分を一気に昂揚させた。
「よかった・・・」
ネルフからの伝達を聞き終え、受話器を置いたミサトは両の手で頬を叩く。
パチッ!
小気味にいい音がして気を持ち直したミサトは、自分の部屋に行って加地の残したデータを立ち上げた。
ミサトにとっての運命の日。
真実を知ったその日、ミサトは行動を開始する。だがそれは余りにも遅い対応だった。
◆―――ネルフ本部、総司令官執務室
ゲンドウはどこかに電話を掛けて話し込んでいた。
その口調には威圧がこもり押し付ける言葉が端々に織り込まれていた。
「そうだ、ファーストチルドレンは現状維持だ、新たな拘束の必要は無い。セカンド、フォース、シクス
についても同様だ。監視だけでいい」
伝えることだけ言って電話切ると、その様子を逐一横で見ていた冬月が口を開く。
「しかし、レイが生きていると解れば、キール議長らがうるさいぞ?」
「ゼーレの老人達には別の物を差し出してある。心配無い」
◆―――ゼーレ、査問会
円形を組んだ20枚はあるモノリス。
その中央で一糸まとわぬ姿のリツコが立たされていた。
レイの身代わりとして。
『我々も穏便に事は進めたい。君にこれ以上の陵辱、辛い思いはさせたくないのだ』
「私は何の屈辱も感じていませんが」
キールの言葉に対してリツコは毅然と答えるが、続けざまに周りから浴びせ掛けられた言葉で少し表情が歪む。
『気の強い女性だ。碇が側に置きたがるのも解る』
『だが、君を我々に差し出したのは他でもない、碇くんだよ』
『零号機パイロットの尋問を拒否。代理人として君をよこしたのだよ、赤木博士』
(私が・・・レイの代わり)
いつの間にかリツコの視線は、モノリスから自分の足元に移っていた。
『では詰問を始めよう』
◆―――ネルフ本部、赤木博士執務室
ゼーレの尋問から数時間後、リツコの姿は普段自分が座る机の前にあった。
灰皿にはタバコの吸い殻が山になっており。
机上のノート端末が映し出す高校生の頃のリツコと母親ナオコにゲンドウ。
何もかもゼーレに呼ばれる前のままだった。
少し不機嫌になってその映像を睨みつけていると突然電話が鳴り響く。
「はい、赤木です・・・・・・おばあちゃん・・・」
それは突然の電話だった。
ゲヒルンそしてネルフに入ってからも殆ど無かった親族からの電話。
だがその内容は笑って話せる内容ではなかった。
「そう・・・いなくなったの、あの子が・・・・・・ええ、多分ね。猫にだって寿命はあるわよ、もう泣かないで・・・・・・・・うん、時間ができたら一度帰るわ。母さんの墓前にももう三年も立ってないし・・・・・・今度、私から電話するから。・・・じゃ、切るわよ」
強引に話を打ち切ってリツコは受話器を置く。
これ以上話していたら怒りが爆発して祖母に当り散らしてしまうのが何となく判ったからだ。
「そう・・・あの子が死んだの・・・」
一言だけ言ってリツコは部屋を後にした。
◆―――ゼーレ、リモート会議
円形に組んだモノリスに変化は無いが、その中に人影は無かった。
完全にモノリスだけがその空間の中にあってそれ以外は何も無かった。
『良いのか?赤木博士の処置』
『冬月とは違う。彼女は返した方が得策だ』
『エヴァシリーズの功労者、今少し役に立ってもらうか』
『左様。我々人類の未来のために』
『エヴァンゲリオン、既に8体まで用意されつつある』
『残るはあと4体か』
この場所にいるモノリスを通して会話する者達と真実を掴んだ者だけが判る会話。
キールは厳かに最後の言葉でこの場を締め括った。
『第3新東京市の消滅は、計画を進める良き材料になる。完成を急がせろ。約束の時はその日となる』
◆―――ネルフ本部、ターミナルドグマ、立ち入り禁止区域
リツコはドアロックを解除しようとスロットにカードを通す。
だがエラーが表示され扉は開かず、蛍光ランプは『CLOSE』の文字を表示している。
「ん?」
「無駄よ。私のパスが無いとね」
ミサトの声が後の方からすると同時に、後頭部に銃口が押し付けられる。
ミサトがこの場にいる事実、その原因を即座に理解してリツコはミサトと話す。
「そう、加持くんの仕業ね」
「ここの秘密。この目で見せてもらうわよ」
「・・・いいわ」
リツコは短く言うと、ミサトに銃を向けられたまま歩を進めた。
綾波レイの部屋、人工進化研究所−3号分室。
巨大な骨格が無残にも放置されたエヴァのゴミ捨て場。
ネルフ、と言うよりゲヒルンの残し物を通り抜けてミサトは自分が知った真実をこの目で確かめるために進んだ。
先ほどから二人は一言も喋らないでただ歩いている。
そしてようやくお目当ての場所、人間の脳を模して作られた機械があり、いつもレイが浸かっていた水槽がある。ダミープラグ精製プラントに到着した。
「真実を見せてあげるわ」
そう言うとリツコはポケットからリモコンを取り出してスイッチを押す。
カチ
警戒とも取れる音は壁と思っていた回り全てに灯りをともす。
LCLに浸かったヒト、その姿は綾波レイだった。
「まさか・・・エヴァのダミープラグは!」
「そう、ダミーシステムのコアとなる物、その生産工場よ」
「これが・・・」
今まで機械だと思っていたものが、実はクローン培養された”人”である事実。
予想はしていたが、想像を越える非人道的な光景にミサトは言葉を無くす。
「ここにあるのはダミー、そしてレイのためのただのパーツにすぎないわ。」
一言区切ってリツコは続ける。
それは独白であり懺悔であり、ミサトが聞いていることはあまり重要で内容に見える。
「魂がはいった入れ物はレイ、一人だけなの。あの子にしか魂は生まれなかったの。ガフの部屋はからっぽになっていたのよ。ここにならぶレイと同じものには魂がない。ただの入れ物なの」
「魂の・・・抜け殻」
「そう、だから壊すの。憎いから・・・」
最後の一言が言い終わると同時にリツコはリモコンの別のスイッチを押す。
それはLCL濃度の変更スイッチで、”綾波レイ”の入れ物を維持する為に必要な濃度の限界を遥かに超えた数値に変更した。
綾波レイの形をした物は水槽の中でLCLを血で染めながら次々と崩れ落ちて行く。
微かな笑い声と共に。
「ふふふふふふふ」
「あはははははは」
壊れて行きながら笑う人、異常な光景から目を逸らしてミサトはリツコに銃を向ける。
「あんた!!何やってのか判ってんの!?」
「ええ、判っているわ。破壊よ、人じゃないもの、人の形をした物なのよ」
今まで平静に答えていたリツコの声に初めて感情がこもる、それは怒りであり憎しみであり妬みだった。
「でも、そんな物にすら私は負けた!勝てなかったのよ!!!あの人のことを考えるだけで、どんな・・・どんな凌辱にだって耐えられたわ。私の身体なんで、どうでもいいのよ!!でも。あの人は・・・あの人は・・・判っていたのに」
拳を握り締め、リツコは自分を呪う言葉を紡ぐ。
「馬鹿なのよ、私は」
「母娘揃って大馬鹿者だわ!!!」
自分を呪い。
母を妬み。
男を追い求めた。
でもその先には何も得る物は無く、判った事は自分が勝てないと言うこと。
パーツを壊した事でレイがこれ以上再生できない事は喜ばしいが、それを上回る悲しみに襲われる。
リツコはミサトに背を向けたまま溢れ出る涙を止める事が出来なかった。
「私を殺したいならそうして。いえ、そうしてくれると嬉しい・・・」
それだけ言ってリツコは泣き崩れてしまった。
ミサトはそんなリツコの姿を見て銃を降ろし、親友を助けるには遅すぎたのだと悟る。
”もっと早ければ”
考えるのは後悔と目の前の現実ばかり。
ミサトはリツコを残してこの場を去ることしか出来なかった。