第弐拾弐話
「破られた約束が辿り着く場所」

◆―――第三新東京市、郊外



周りには田んぼと森と道路、人工物が異様に少ない所に一つだけポツンと存在する電話ボックス。

加地はその中で電話をかけていた。

『はい、ただいま留守にしております。発信音の後にメッセージをどうぞ』

受話器越しに聞こえるミサトの声の後、加地は幾つかの用件を留守番電話に入れて電話を切った。

その手にはネルフのカードが収まって、その赤さを見ながらふと呟いた。

「最後の仕事か・・・・まるで血の赤だな」



◆―――コンフォート17、アスカの部屋



最強の使徒、一発の弾丸で倒される。

それはネルフに驚愕と衝撃を流した。

数ヶ月前の使徒、襲来の日から幾度と無く現れた使徒、度重なる攻撃にも耐え抜いたその使徒は表向きエヴァによって殲滅された事になっている。

だが使徒殲滅の瞬間を見ていた人々は、例え戒厳令が叱れていたとしても忘れられない光景をその目で見ている。

『もしや使徒はエヴァ無しでも倒せるのでは?』

そんな淡い期待もあったが。第零使徒が他の使徒と比べ小型であった事、他の使徒も倒し方はATフィールドを中和しての物理兵器での殲滅である事など、自分たちを納得させる為の材料はあったので人々は沈黙を保った。

むしろあれだけの兵力で最強の使徒を殲滅する事の出来る作戦内容を立てた赤木リツコに尊敬の目は集まった。

14歳の少女を矢面に立たせると言う人道的に問題のある作戦だったのは確かだが、結果が全てを黙らせた。

これで終われば、ネルフとしても問題が無かったのだが。中には納得の行かない人物もいる。

惣流・アスカ・ラングレー。

使徒が倒されたと言うのに彼女の中には怒りしか渦巻いていなかった。

自分一人で倒した使徒はパレットライフルで殲滅した第9使徒マトリエルのみ。

それ以外の全てに第零使徒が絡んでいたので、彼女自身の手で滅ぼしたいと常に願っていたにも関わらず殲滅されてしまった。

「アタシは・・・特別な人間じゃないの?」

起動指数ギリギリのシンクロ率を支える、最後の拠り所が折れる瞬間は近かった。

「教えてよママ・・・加地さん」



◆―――ネルフ本部、葛城作戦部長室



「拉致された?副指令が?」

ミサトの机の前に黒服にサングラスをかけた諜報部員が二人立っていた。

「今より2時間前です、西の第八区間を最後に消息をたっています」

「うちの所内じゃない、あなたたち諜報部はなにやってたの?」

ミサトは不始末の原因を怒りと共に叩きつけるが、全く取り合わずに平淡に返してくる。

「身内に内報及び先導したものがいます。その人物に裏をかかれました」

「諜報二課を煙にまけるやつ?まさか・・・!?」

「加時リョウジ。この事件の首謀者だと目される人物です」

「・・・・・・」

単独での限界はあるが、ネルフの中でも諜報活動という観点で言えば加地以上の技を持ったものはいない。

それをミサトが一番知っているからこそ、容易に想像することが出来た。そして諜報部がミサトの所に来る理由も。

「・・・で、私のところに来たわけね」

「ご理解が早く助かります」

そう言うとミサトは抵抗の意思無しを見せる為に、内ポケットからセキュリティーカードと拳銃を取り出し机の上に置く。

”元”恋人、共犯者として疑うには十分すぎる理由である。

「御協力感謝します、・・・・お連れしろ」



◆―――人類補完委員会



冬月はパイプ椅子の後ろ側に両手を拘束され、動くこともままならない状態でモノリスに囲まれていた。

光源は自分の足元とモノリスに描かれたナンバーのみ。

冬月自身何度か見ている光景でこの組織の強引さは知っていたが。捕まった状態では多少不機嫌にもなる

「久しぶりですねキール議長。まったく手荒な歓迎ですな」

『非礼をわびる必要はない。君とゆっくり話すためには当然の処置だ』

目の前のNo01のモノリスからキール・ローレンツの声がする。

「相変わらずですね。私の都合はおかまいなしですか」

皮肉を混ぜた返答を返すと、周りのモノリスから次々に声があがる。

『議題としている問題が急務なのでね。やむなくの処置だ』

『報告と現実に差異がある』

『碇の行動は我らの信用から逸脱している』

『解ってくれたまえ』

『御協力を願いますよ。冬月先生』

懐かしいその呼び名で冬月は昔の自分を思い出した。

「冬月先生・・・か」







あの女性と会ったのは16年前の1999年。私はまだ研究室にいて『冬月先生』と呼ばれていた。

専攻は生物工学だったらしいが詳しくは知らなかった、と言うより知れなかった。

彼女の着眼点は多岐に渡り。機械学、人物学、必要であれば数学、物理学何でも吸収できる頭脳を持っていた。

知性的でありながら自分が回りにどう思われているのか気にした様子は無かった。

影で天才と呼ばれているにも関わらず、そんな事などどうでもいい・・・と。



「これ、読ませてもらったよ。2、3疑問が残るが刺激のあるレポートだね」

「ありがとうございます」



今だからこそ判る。

私は一目見たときからどこか惹かれていたのだろう。

碇ユイ。

セカンド・インパクト、あの地獄よりも忘れられないその名前。



「碇・・・ユイ君だったね」

「はい」

「この先どうするつもりかね?就職か?それともここの研究室に入るつもりかね?」

「まだそこまで考えていません。それに第3の選択肢もあるんじゃありません?」

「??」

「家庭に入ろうかとも思っているんです。いい人がいればの話ですけど」







突然警察から事務局にかかってきた電話。あれがあの男との最初の出会いを促した。

もしあの時私が身元引受人として警察に行かなければ何かが変わっていただろうか?

いや、何も変わりはしなかっただろう。



「ある人物からあなたの噂を聞きましてね。一度、お会いしたかったんですよ」

「・・・酔ってケンカとは意外と安っぽい男だな」



六文儀ゲンドウ。

彼の名も一生、私が忘れる事の出来ない名前となった。

それは彼の第一印象が"イヤな男"である事と、季節が日本最後の秋だったから事も関係しているのかもしれない。







私は生物界で人間ほど不思議なものは無いと考える。

碇ユイ、そして六文儀ゲンドウが並んで歩く光景。それは私の想像を越える現実でありながら紛れも無い事実だった。



「本当かね?」

「はい。六分儀さんとお付き合いさせていただいています」



彼を紹介したのがユイ君自身であることも驚いた。

例えその後に『六文儀ゲンドウは碇ユイの才能とそのバックボーンの組織を目的に近づいた』と言う噂を知っていながら、野心を秘めた目をした”イヤな男”の事を嬉しそうに話すユイ君、確かにその時私は嫉妬を感じていた。



「あら、冬月先生、あの人はとても可愛い人なんですよ。みんな知らないだけです」



ゼーレ。

その組織の名前が私の中で意味を持ち始めるのはまだ先の話だった。







2000年。

20世紀最後の年にあの悲劇は起こった。

セカンド・インパクト。

そして21世紀最初の年は地獄しかなかった。

ほかに語るものを持たない年だ







人は生きる為に色々な物を捨てる決断に迫られる。

私は生きる為に教授と言う職を捨てた。

未練がないといえば嘘になるが、あの地獄を生き延びる為には必要であると考えていた。

だがあの二つの名前を忘れた事は無かった。



「今ごろ南極行きかね」

「国連理事会の正式な事件調査です。暫定的な組織ですが、ここでモグリの医者をやっているよりは、世の中のお役に立てると考えますが」



まさかその名前の片方をセカンド・インパクトから二年経った、事件調査チームの推薦人として聞くとは夢にも思わなかった。

私は周りに名前を使われるのが宿命らしい。







紅い海。

塩の柱。

生物の存在も、ここが地球である事も忘れそうになる地獄。

変わり果てた南極に驚いたが。

それよりも彼が出した一枚の葉書の方が私の心をかき乱した。

それが羨望なのか嫉妬なのか憤怒なのか今だ判らない。

ただ驚いただけだったかもしれない。



「碇・・・碇ゲンドウ!」

「妻が冬月教授にと煩いので・・・貴方のファンだそうです」

「それは光栄だな。ユイ君はどうしてる?このツアーには参加しないのかね?」

「ユイも来たがっていましたが、・・・今は子供が居るのでね」



現実を否定したがっていたのかもしれない。

二年という時間は彼ら二人の人生を色々な意味で大きく変貌させた。

私にとっても。

碇ユイを碇ゲンドウを忘れ去る為、自分の思いを打ち消す為の必死の調査は謎ばかりを残した。

完璧にエリアを特定した大気成分の変化。

微生物に至るまで、全生命の徹底した消滅。

爆心地・地下の巨大な空洞跡。

光の巨人。

その謎が謎でなくなるのは少し先の話だった。







2003年

国連がセカンド・インパクトを『大質量隕石の落下』と正式に発表してから数ヶ月。

あからさまに情報操作されたその裏に暗躍するゼーレ、そしてキールと言う人物が見え隠れしていた。

あの事件の闇の真相に迫れば迫るほど、ある人物の名が浮かんでくる。

国連直轄人工進化研究所

そこで私は彼女と再会した。

碇ユイ。

三年を経てもなお彼女の美しさは色あせる事は無かった。

一児の母とは信じられない、信じたくなかった。

私は現実を否定しながらユイ君の横を通り過ぎ、あの男が待つ所長室のドアを叩いたあの時を今でも忘れる事が出来ない。



「なぜ巨人の存在を隠す?」

「・・・」

「セカンド・インパクト。知っていたんじゃないのかね?君らは。その日、あれが起こることを。・・・君は運良く事件の前日に引き揚げたと言っていたな?」

「・・・」

「全ての資料を一緒に引き揚げたのも幸運かっ?」



そして公表されれば身の破滅を意味する2000年当時の資料を見ながら、不適に笑うあの男、碇ゲンドウの事を・・・。



「こんなものが処分されずに残っていたとは、意外です」

「セカンド・インパクトの裏に潜む、君達ゼーレと死海文書を公表させて貰う。あれを起こした人間達を許すつもりは無いっ」

「お好きに。・・・ただ、その前にお目にかけたい物があります」







何を見た時から私は後戻りの出来ない線路に乗ってしまったのか。

資料で見た南極の地下空洞と同じ球状の地底空間を見た時だろうか?

その施設内で生体コンピュータの基礎理論を作り上げていく赤木ナオコ博士を見た時だろうか?

ゼーレの下部組織、ゲヒルンの名を聞いた時だろうか?

それともセカンド・インパクトの時にいた正体不明の巨人アダムのコピー”エヴァ”を見た時だろうか?

あの男の悪魔の囁きに耳を貸してしまった時だろうか?



「冬月。・・・俺と一緒に、人類の新たな歴史を創らないか?」







日本から秋が消え。

地球上から20億の人間の命が消えても私はまだ生きていた。

ゼーレが持つ、裏死海文書。サード・インパクトを起こす可能性。

セカンド・インパクトから始まった全てを知る位置にいながら、私は何もしなかった。

ゼーレとは違う彼女の考えに賛同した時から、もう戻れない道を歩き始めた。

私はそう考える。



「人が神に似せてエヴァを造る。これが真の目的かね?」

「はい。人はこの星でしか生きられません。でも、エヴァは無限に生きられます。その中に宿る人の心と共に・・・。たとえ、50億年たって、この地球も、月も、太陽さえなくしても残りますわ。たった一人でも生きていけたら・・・とても寂しいけど、生きていけるなら・・・」

「ヒトの生きた証は、永遠に残る・・・か」



幼子の碇シンジ君をあやす彼女の姿は紛れも無い母の姿だった。

それでも美しい。

私はそう思った。







2004年。箱根・地下第2実験場。

それは忘れられない日だった。

E計画、被験者による初搭乗起動実験。

被験者:碇ユイ。

見学者として彼女の息子が私の視界の中にいた。



「ユイ君、今日は君の実験なんだぞ?」

『だからなんです。この子には明るい未来を見せておきたいんです』



スピーカー越しの彼女の最後の言葉。

目の前で母が消える体験は、息子である碇シンジの無邪気な笑顔を奪った。

度重なるサルベージ計画でも彼女は帰ってこなかった。

あの男もこの日を境に変貌を遂げる。

彼女が消えたことに対する悲しみと、あの男の変貌を愉快と感じる自分。そして自分の中の彼女が”永遠”になった事に嬉しささえを感じていた。

もう誰も彼女を汚す事は出来ない。







彼女の名前が出てくるたびに自分が欲深い人間だと思い知らされる。

二度と手の届かない場所に旅立ってしまった彼女にもう一度会いたいと思ってしまう。

だから私はあの男、碇ゲンドウの計画に乗った。

ゼーレの推奨する計画の副産物にして、私とあの男の願いそのもの。



「かつて誰もが無し得なかった神への道。人類補完計画だよ」



もう一度会えるなら。

私は悪魔にも死神にも自らを委ねるだろう。







2010年

あの男は赤木ナオコ君と男と女の関係らしいが、私には些細な問題だった。

むしろユイ君がそれを知った時に、どんな表情をするか楽しみでさえあった。

この年、私たちの計画の要である少女がゲヒルンに現れる。

綾波レイ。

彼女の分身とも呼べる、ゲヒルン最下層にいる巨人の申し子。

顔の造詣こそ似ているもの、彼女とは似て否になる少女。

”一人目”は赤木ナオコ博士の手により死亡、”二人目”に移行された少女を見て人の業の深さを私は考える。

そしてこの年、キール・ローレンツを議長とする人類補完委員会は、調査組織であるゲヒルンを即日解体。

全計画の遂行組織として、特務機関ネルフを結成。

私を含むゲヒルンの職員はそのまま籍をネルフへと移した。

ただ1人、”一人目”の綾波レイを殺してしまった自責の念にかられて自殺したMAGIシステムの開発の功績者。赤木博士を除いて・・・。



◆―――第三新東京市、牢獄



背を向けた方向から扉が開く音と差し込む光。

暗黒の中で昔を思い出していた冬月は閉じていた目を開けて後を振り返る。

「君か」

「ご無沙汰です。外の見張りにはしばらく眠ってもらいました」

そこには自分をこの場所に拉致してきた加地が立っていた。

椅子の後で拘束された、手錠を外すと。加地は冬月を伴って部屋を出て行く。

「この行動は君の命取りになるぞ?」

「真実に近づきたいだけなんです、僕の中のね」

周りを見れば、人の気配の無い廃棄されたビルの一つらしく。今まで日の光が差し込んでいなかったのが嘘の様に窓から第三新東京市の風景がそこにあった。

「もう少しで全て納得できるんですけど・・・まだ足りないみたいなんで」

周りを警戒しながらビルから出たところで、加地は冬月を置いて何処かに行った。

(やれやれ・・・老体には堪えるよ)

硬くなった体を動かしてほぐしながら、冬月は加地が消えた方向を見つめていた。



◆―――第三新東京市地下、ジオフロント天井部、エアーダクト



幽霊の様に見付からない答えを探していたアスカは、気分を落ち着かせる為に散歩に出ていた。

夕日の赤さで伸びる自分の影を見ながら、自分がたった一人だと思い知らされた。

「・・・ヒカリのとこにでも、行こうかな・・・」

深く考えて言った言葉ではないが、それは画期的なアイディアに思えた。

誰かの傍にいたい、そんな思いがアスカを支配して。足が自然と洞木家の方角へ向かう。

そんな時だった。地下シェルターの一つに入っていく人影を、アスカが目撃したのは。

「・・・加地さん?」

アスカは自然とその人影を追っていた。





送風装置のプロペラが緩やかに動きを止めずに動き続ける。

加地はそこから入る夕日に背を向けて自分が入ってきた入り口を眺めていた。

いかに自分が優れたスパイとはいえ、組織を誤魔化すにはやはり限度がある。

どうもネルフを脱出するタイミングを誤った為、冬月の拉致に救出劇などやる羽目になってしまった。

今回の事で、内務省はともかくネルフとゼーレから追っ手がかかる事は間違いない。

ドアの向こうから近付いてくる足音に耳を傾け、殺される自分を想像する。だが不思議と後悔は無い。

自分が知りたかった真実が知れたこと、その真実を最愛の人間に渡す事が出来た事。

理由は幾つか考えられるが、どこか自分自身で納得しているのだと思う。

(俺が生きてきたのは”そういう”世界だ)

今だ最後の謎、碇シンジについては解明されていなかったが、仕方の無い事と自分を誤魔化す。

ドアが開いて、人影が姿を見せる。

「よお、遅かったじゃないか」

「な、何のこと?」

「・・・・・・え!?」

加地はその人影はてっきり自分を始末する為のネルフかゼーレの諜報部員だと思っていたが、よく知った顔だったので驚いた。

「・・・アスカ?」

「アタシ・・・その、加地さんがここに入るの見かけて、それで・・・その・・・」

慌てふためくアスカに、いつもの強気な態度は無い。

近頃会っていなかったが、自分の拠り所としていたプライドが今にも崩れそうな印象を受ける。

「尾けてきた・・・か」

「そ、そうじゃないけど・・・加地さんは何でこんな所にいるの?」

強引に話を逸らすアスカの応対をしながら、加地は自分がかなりの強さで現実を諦めている事を知った。

そうでなければ素人のアスカの尾行などいつもなら気がつかない訳が無い。

「ちょっとした野暮用さ」

「そ・・・そうなんだ」

そこまで言ってアスカは押し黙ってしまった。

尾けたきた恥かしさと、久しぶりに会った思い人に何を話せばいいか混乱して頭が正常に機能しない。

加地は下を向いてしまったアスカに助け舟を出そうとして、何を話せば良いか考える。

そこで唐突に今の自分の行動指針となった昔の事が思い出された。

もうすぐ自分は死ぬ、だったら誰にもした事の無いこの話をしても問題ないだろう。加地はそう考えた。

「アスカ・・・ちょっと話を聞いてみないか?」

「話?」

「そう、葛城にもした事のない。まだ誰にも話した事のない話だ」

その言葉はアスカに劇的な変化を見せた。

顔に少しだが強気な笑みが戻り、日本に来る前のアスカに少しだけ戻った感じがする。

「15年前、セカンド・インパクトが起きたのは知ってるな?」

「うん」

「あの年、俺はアスカと同じ14歳だった・・・逆算すると29か、俺も年取ったな」

「そんな事無いわよ、加地さんはまだまだ若いわ!」

乗り気のアスカ、時間が昔に戻った錯覚さえ覚えてしまう。

「ありがとうな。それで俺はアスカに言ってない事がある。本題は別だけどな」

「何?」

「俺はスパイだ」

あまりにもすんなり言われたその言葉。それを聞いたアスカは目を見開いて今の言葉を反芻していた。

「え・・・え!?」

「俺は日本内務省、ネルフ、そしてネルフの更に上の組織の三重スパイなんだ」







全てはセカンド・インパクトがきっかけだった、あれが起きた直後はひどい有様だった。

想像できるかアスカ?

都市は壊滅し、人は住む場所も無く、食料は不足し、数え切れないほどの人が死んだ。

俺の両親も死んだよ、俺と四つ下の弟だけが残された。

その頃はそうした親を亡くした子供がごろごろしてた

だがそんな子供達をほおってはおけんだろ?国はそうした子を手当たり次第に集めて養護施設へ放り込んだ





明晰なアスカなら判るだろ?

国中に何十万と言う孤児がいるんだ、小さい施設はすぐにパンク状態さ。食料も衣類も不足して寝る場所だって奪い合いだ、世話人の数も足りないから規律だけは異常に厳しくてな・・・。

我慢が出来なくなって、俺と弟と他に仲間を5人連れて俺達は脱走した。

その後はお決まりのコースさ、食うためには泥棒とか引ったくりとか・・・色んな犯罪に手を染めたよ。





だが世界中が飢えてるときにそうそう食い物が手に入る訳じゃない。

そんな時偶然見つけたのが・・・充分な食糧が備蓄された軍の食料倉庫だった。

今みたいに管理システムがしっかりしてた訳じゃないから忍び込むのは簡単だったからな、腹が減るたびに何度も足を運んだよ。

全員で動くと目立つから当番を決めてな。

そしてあの日は俺が当番だった・・・。







ライトの光が子供の頃の加地を照らす。

『誰だ!』

『誰かそこにいるのはわかってるんだ、おとなしくしろ!!出て来い!!』

逃げられないと悟った加地は、持っていた食料を手放して両手を上に上げる。

缶類、やビニール密閉の食料が音を立てて床に落ちる。

軍人は加地を一瞥した後、渾身の力を込めて腹部に蹴りを放つ。



ドガッ

バキ

ガスッ!







殺される、そう思ったよ。

薄れ行く意識の中でその軍人は俺に問い掛けた。

『他の仲間はどうした?』とね。

もちろん仲間を売る事なんて俺には出来ない、だから言わなかった。

そしてまた蹴られ、殴られ、地面に倒れる。

どれ位時間が経ったか判らなかった、ふと気がつけば髪の毛を掴まれて眉間に銃口が押し付けられていたよ。

『いいか?オレたちはな勝手に軍の施設に入り込んだヤツを殺してもいいことになってんだよ』

『つまり今ここでオマエを殺しても構わないって事だ』

『仲間の居場所を教えたらオマエは助けてやる、だがそうでないなら・・・・・・今すぐこの引き金を引く』

恐ろしかった。

ただ単純に死ぬのが怖くなったんだ。

今まで生きて来てあれほど怖かったことは他に無かったよ

俺は生きたかった・・・。

だから・・・。





残った見張りに落ちてた缶を投げつけて何とか俺はその場所を逃げ出した。

必死に走って。俺が仲間のところに戻ったとき、ちょうど軍のトラックが逃げるように去っていくところだった。

弟と仲間の命を犠牲にして、俺は生き残った・・・。





もちろんその後は激しい後悔の嵐だったよ。

自ら死ぬことさえ考えた・・・がこうも思った。

セカンド・インパクトさえなければ、弟は死なずにすんだんじゃないかってね。

それからさ、俺がセカンド・インパクトの正体を追いかけ始めたのは。

政府の流した巨大隕石落下の情報は信憑性に欠けていたし、もし裏で糸を引いてる連中がいたとしたら許しておけない、もう二度と弟みたいな犠牲者を出しちゃいけない。

セカンド・インパクトの正体を突き止めるのが、弟に対する俺の償いだと思ったんだ。

幸い俺は遠い親戚に引き取られて大学にも行かせてもらい、色々と勉強もした。

スパイに必要な技術もね。

そんな時だったよ、葛城と出会ったのは。





俺たちはすぐに恋に落ちた、幸せだった。

が、幸せに溺れすぎてある日恐怖に襲われた。

俺は弟を殺したのに、自分だけがこんなに幸せでいいんだろうかってね。



◆―――第三新東京市地下、ジオフロント天井部、エアーダクト



「それ以上恋にのめり込めなくなった、だから別れた。でもアイツを好きでいる気持ちに嘘偽りは無い」

「・・・・・・・・・」

加地の突然の告白にアスカは身動きが出来ず聞き入っていた。

表面上の加地しかアスカの知らない加地の真実。

「苦労のかいあって、何とかセカンド・インパクトの正体を突き止める事は出来た。必要な情報は全て俺以上に上手く使ってくれる奴に渡してあるからもうあんな悲劇は起こらない。俺の人生目標は達成できたって訳だ」

長い長い独白を終えて、加地は今まで溜め込んでいた全てから解放されたように晴れやかだった。

だが加地と対照的にアスカは現実に脳がついて行けず、まだ混乱していた。

「思えばいつからか葛城の思い以外に俺は変わっていったのかもしれない。弟への贖罪を建前に”知る事”が楽しくなっちまったのかもな。昔の俺なら情報があれば自分の手でどうにかした・・・、だが今の俺は別の真実を探る事に躍起になっていた」

そんなアスカの様子を眺めながら、加地はプロペラの回転する音に紛れる足音を聞いた。

今度こそ、間違いない。自分を殺しにきた足音だと確信する。

黙り込む二人をよそに、ドアが開いてネルフの保安部員と同じ格好をした”誰か”が姿を見せる。

スーツに中から取り出した銃を構え、銃口を加地に向ける。

「アスカ・・・俺と葛城の二人は幸せになってはいけない運命なんだよ」

それが加地の最後の言葉だった。





バンッ!!





アスカはしばらくその場を動く事が出来なかった。

『これは何?』

『これは何?』

『これは何?』

自分の足元に広がる紅い染み。

目の前に立っていて、自分がスパイだと告げた加地から流れる紅い物。

「え・・・・・・・・・」

仰向きに倒れた加地の”額”から流れる紅い液体。

血液。

それが流れ出ている。

『誰から?』

加地から

『どこから?』

額から

『加地は?』

人は脳を打ち抜かれたら生きられない。

ようやく脳が現実に追いついていく。

そこに待ち受ける現実。

『加地が死んだ』



「いやあああああああ!!!!!!加地さん!!加地さん!!加地さぁぁん!!!!!」



この日、アスカは壊れた。



◆―――ネルフ本部、独房



部屋のドアが突然開いて、諜報部員がミサトのIDカードと拳銃を彼女に差し出す。

「ご協力、ありがとうございました」

「もういいの?」

「はい、問題は解決しました」

ミサトは拳銃を脇のホルスターに入れて、IDカードをポケットに入れる。

突然の開放に思考がまどろんでいたが、最も知りたかった事実を聞いてみる。

「・・・・・・彼は?」

「存じません」

ミサトの問いに男は無表情に応え、部屋を出て行く。

「・・・・・・そう」

誰も聞いていない部屋の中で、ミサトの声は思った以上に響いた。



◆―――コンフォート17、葛城家



「ただいま〜〜」

誰もいないマンションの一室にミサトの能天気とも取れる声が響く。

アスカの靴が無いのは近頃よくある事なので、ミサトはあまり深く考えないで足を進めた。

誰もいない食堂、その中で留守番電話の解除ボタンの光がやけに際立って見える。

恐る恐る。壊れ物を扱うような危なっかしい手つきで、ミサトはボタンを押した。



『葛城、俺だ。多分この話を聞いている頃には、君に多大な迷惑を掛けた後だと思う・・・済まない。りっちゃんにも済まないと謝っておいてくれ。葛城、真実は君と共にある、迷わず進んでくれ。もし、もう一度会えることがあったら・・・八年前に言えなかった言葉を言うよ・・・じゃ』

『午後0時2分です』



留守番電話の無機質な機械音声が最後を締め括る。

「馬鹿、あんた本当に馬鹿よ・・・」

ミサトの目から流れる涙が受話器を濡らし、手を電話の横に付く。

加地の身に何が起こったか判ってしまう自分。

ミサトは流れる涙を抑える事が出来ず、恥も外聞も無くただ泣いた。

「う・・・ううう・・・ううう、う」

アスカが壊れてしまった事実を知るのは、この数時間後のことである。



◆―――ディラックの海、碇シンジの場合



(やっぱりこうなったか・・・)

(所詮僕一人に出来る事なんてこの程度なんだね)

(手紙に託した僕の言葉は誰にも届かない)

(人は満たされると次の隙間を見つけてしまう)

(加地さんは約束を守ってくれなかった)

(これが”人間”なのかな・・・)

(カヲル君・・・)

(本当に人間には未来が必要だったの?)



◆―――ドイツ、某所



キール・ローレンツは三重スパイ消去の報告聞いて黙考していた。

予想以上に働いてくれたが、自分の身をわきまえない愚か者。それが加地に対する評価だった。

「潮時、だとしても。碇のことだ・・・それぐらい推察の範疇やもしれぬ」

報告ではそんな事は無いが、ネルフとゼーレの間に小さな溝がある。そんな気配をキールは感じていた。

「そろそろ、正鵠を射るわれわれの切り札に目覚めてもらうとしよう」

そう言うとキールの前に、ここではない場所の映像が映し出された。

そこはネルフの地下、セントラルドグマのダミープラグ研究棟に非常に似た構造をしていた。

天井の中央には人間の脳を模して作られた機械。

光源が以上に少ない闇ばかりの空間。

そこから脊髄の様に伸びたLCLに満たされた円筒形の水槽。

似ているが水槽の中身だけがセントラルドグマと異なっていた。

その中にいたのは綾波レイではなく、少年の姿があった。

「タブリス。我々のシナリオの要よ」

スピーカーを通して、キールはその水槽の中身”タブリス”に話し掛ける。

「どうだね・・・気分は?」

水槽の中の少年はキールの言葉に微笑をもって返した。