第弐拾壱話
「人の形が消える時」

◆―――人類補完委員会、特別召集会議



『かの使徒をいつまでのさばらせておくのかね』

『さよう、我らゼーレのシナリオとは大きく違った出来事だよ』

『この修正、容易ではないぞ』

『碇ゲンドウ、あの男にネルフを与えたのがそもそもの間違いではないのかね?』

幾つものモノリスが矢継ぎ早にここに居ないゲンドウを責めたてる。

会議というよりも愚痴の言い合いに近いその中で、モノリスのナンバー01・キールローレンツが初めて口を開く。

『だがあの男でなければ全ての計画の遂行は出来なかった。碇、何を考えている・・・だが、事体は使徒だけの問題には収まらん』

『左様。零号機の修復、初号機中波、弐号機と参号機の大破。セントラルドグマの露呈。被害は甚大だよ』

『我々がどの程度の時と金を失ったか、見当もつかん』

『これも碇の首に鈴をつけておかないからだ』

『鈴はついている。ただ鳴らなかっただけだ』

不満の捌け口がゲンドウから自分たちのスパイ・加地に向けられる。

ようやくキールは周りを沈めるように会議の結果として指示を作り出す。

『鳴らない鈴に意味はない。今度は鈴に動いてもらおう』



◆―――ジオフロント、スイカ畑、加地リョウジの場合



加地はジオフロントの天井付近を修理する作業を見ながら、スイカに水をやっていた。

ジオフロントには施設以外に広大な森が存在して、その場所は今回の様に使徒がジオフロントに侵入でもしない限りは誰も触れないし来ない一画だった

その場所に勝手に畑を作り出してスイカを作っていた。

「やれやれ、ゼーレもまた無理難題を押し付けてくれるね」

好き好んで森に監視や盗聴器を仕掛ける物好きはいないので、愚痴が独り言になっても誰かに聞かれることは無い。

ゼーレから加地に与えられた新しい指令、それを要約すると『とっとと使徒を倒すよう碇ゲンドウを誘導して、その様子を随時報告しろ』である。

ゼーレとネルフと内務省にそれぞれ送っている報告にはこれまでの事実と自分の憶測と手に入れた真実を織り交ぜて報告しているので、その点については問題は無い。

だがネルフの内情を詳しく知らないゼーレはあの使徒・シンジを倒せるものだと思っている。

一度でもその力を見ればそれが無理難題であることが判る、だが上位組織にそんな事が言えるわけが無いので『倒せない』だけは否定して来たつけがここになって現れる。

「ま、俺に出来る事は伝達だけだな」

シンジから渡された手紙は全て渡し終わったので、加地がネルフにいる理由は無い。

だがミサトへの執着と、ありもしない碇シンジに関わるデータを探って今だネルフを抜け出せないでいた。

じょうろの水が切れて、補充をしようとした加地は自分の携帯にかかってきた電話で足を止める。

「はい、もしもし」

『加地君?今時間ある?』

電話越しでも知った声、それはリツコの声だった。

「おや?りっちゃんからお誘いかい?時間はあるから今すぐにでも飛んで行けるよ」

『そう、じゃあちょっと幾つか質問に答えてくれる?わざわざ来なくてもいいわ』

こちらから出向く必要性が本当に無いのか、はっきりとした拒否でリツコは続ける。

『加地君は恋焦がれる相手が命の危険があったらどうする?』

「っていきなりなんだその質問?葛城に関係あるのか?」

『いいえ、今回ミサトは関係ないわ』

「・・・そうだな、自分に出来る範囲で助けに行く」

『それじゃ加地君の行動は世間一般の男性と共通すると考えていいのかしら』

「うーん、好きな相手だって実感してるならほぼ間違いないな。”守りたい”って思うのは男の義務だ、むしろ守る意志も見せないならその程度の思いって事さ」

『次の質問、その子が一人で寂びそうに立ってる、加地君は近くにいる。どうする?』

「おいおい、本当に葛城には関係なしか?何か妙に具体的だぞ」

『本当の本当に関係ないわ、ミサトも後始末に追われて私の電話を盗聴するほど暇じゃないでしょうし』

「そうか・・・。まあ今言った場合、俺なら慰めるな」

『何て?』

「それは秘密、俺の武器だから」

『・・・・・・これもやっぱり男性としての共通意見?』

「そうだ、話し掛けられないならそれは躊躇してるか弱気のどちらかだ」

『人生経験からの結論かしらね・・・それじゃ最後の質問、加地君が犠牲になるかその子が犠牲になるか?そんな状況ならどうする?』

「それは、忠告かい?それとも質問?」

『両方ね。火遊び・・・まだ終えてないんでしょ?で答えは?』

「俺なら第三の選択”どっちも助かる道”を探す、探して探してそれでも見付からないなら犠牲になる」

『・・・・・・そう、色々ありがとうね参考になったわ』

「何に使うか知らないけど葛城には言わないでくれよ、俺のこだわりだからな」

『安心して、そういうものじゃないから、それじゃ』

「それじゃあ」

携帯の電話を切った加地はリツコの意図が掴めないでいた。

(何でりっちゃんあんな事聞いたんだ?)

その疑問は、エヴァ修復作業が終わり四体のエヴァが揃った時に知ることとなる。



◆―――病院、鈴原トウジの場合



目を開けると白い病院の天井がトウジの目に入ってきた。

何となく横を見ると、そこにはヒカリの姿があった。

「あれ・・・なんや・・・委員長やんか」

検査入院だけで自分は一日入院しただけの筈、それなのに何故ヒカリの姿がそこにあるのかトウジは不思議だった。

「鈴原、大丈夫・・・?」

「ああ・・・生きとるみたいやな」

「ネルフの人が鈴原が倒れたって聞いて・・・それで・・・」

言葉が少なくなり声のトーンが落ちていく。

トウジはそんなヒカリの様子を見て、(委員長は大変やな)等と見当はずれな事を考えていた。

「すまんかったな、弁当食えへんで」

「いいのよそんなこと。でもゴメンね、ここでお弁当食べさせちゃいけないんだって」

ヒカリの言葉が終わると、トウジも同じように黙ってしまったので静寂が病室の中を支配した。

ヒカリは気まずい思いをしていたが、トウジは第14使徒戦を思い返していた。

「委員長?」

「何?」

「・・・・・・いや、何でもない」

「・・・そう」

この時トウジは一つの決意を胸に出して、もう一眠りしたらネルフの訓練施設へ行こうと決めた。

自分は負けたくない、横にいる少女を守りたい、その為には力が足りない。

だから訓練する。

それがトウジの出した結論だった。



◆―――コンフォート17、ミサト家



「あいつら二人が無事だってのは判ったわよ!!ミサトもいちいちそんな事で私に電話しないでよ、もう!!!」

アスカは自分の部屋の壁に持っていた携帯電話をたたきつけた。

衝撃に鈍い音を立てて壁の一部が凹むが、携帯電話は何事も無く床に落ちる。

そして、アスカはクッションに顔を埋めた。

「なにも・・・なにも出来なかったなんて・・・敵に助けられたなんて・・・悔しい・・・!!」

この時アスカは今まで誤魔化していた現実、”使徒に負けた”を思い知らせれた事で自分の心に起きた変化に気付かなかった。

それが判るのは弐号機の修理が完了する二十数日後の事である。



◆―――ネルフ本部、司令公務室



「以上が技術部の提唱する”第零使徒殲滅計画”の全容です」

リツコはゲンドウと冬月に手渡した紙面と、自分の持っている紙を見比べながらそう言いきった。

誰もが半ば諦めていた第零使徒の殲滅。

だが前回までの戦いでデータを集め終えたリツコはある方法をゲンドウ達に提示した。

作戦部のミサトに話す前に最高司令官の許可を取って周りを黙らせる。リツコとしても親友の手前こんな事はしたくなかったが、作戦内容を知ればミサトが止める可能性があったので苦肉の策だった。

「推測の部分が多量にある、問題は無いのかね?」

「データがそれを証明しています、殲滅は充分に可能と思われます」

リツコにとって今話している冬月は物の数ではない、だがこの作戦にどうしても必要なものをゲンドウが止める可能性がある、それが気がかりだった。

「いかがでしょう司令?ネルフ全職員の士気にも関わりますので、殲滅の可能性があれば実行に移すべきです」

「・・・・・・・・・いいだろう、やってみたまえ」

珍しく幾らか逡巡していたが、ゲンドウははっきりと許可を出した。

「ありがとうございます、それでは準備がありますので失礼します」

リツコが退室した執務室にいた二人は、いつも通り冬月が口を開くまで無言だった。

「以外だな」

「老人達からも要請がきている、早急に手を打たなければならないのは確かだ」

「だが碇、お前がこの作戦を容認するとは俺は思わなかったぞ」

「駄目ならば三人目、問題は無い」

机の上の紙にはレイの写真があり、その下に『本作戦の危険度クラスS』と文字が書いてあった。

この日司令室で行われたやり取りは。三週間後に日の目を浴びる事となる。



◆―――第14使徒ゼリエル戦、25日後、ネルフ本部



エヴァの修復作業にジオフロントの改修作業が一段落してゲンドウ、冬月を除くネルフの主要メンバーがブリーフィングルームに集まった。

その中にはエヴァが無いからとりあえず施設内での訓練と学校生活を送っていたチルドレン三人の姿もある。

当然ながらチルドレンを抹消されたケンスケの姿は無い。

「何なのリツコ?いきなり呼び出して」

ミサトもリツコから緊急会議としか聞いてないので、何のための会議かは聞いていない。

ここしばらく家に戻らない日々と使徒戦での後始末に追われていたので少々不機嫌になっている。

「全員揃ってるわね、それじゃあ今回の”作戦”の説明をします」

「作戦?聞いてないわよ!?」

ミサトはリツコの突然の申し出に難色を示すが、リツコはとりあえず黙殺して話を進める。

「まず最初に言っておくけど、今作戦は碇司令に副指令も承認済みの正式な物です。拒否は認められません」

「ちょっとリツコ、そんな話聞いてないわ。作戦部への伝達ミスなの?」

「違うわミサト、命令はここで今から伝わるの」

有無を言わせぬ言葉で強引にミサトを納得させ、リツコは続けた。

「今回の作戦の目的は”第零使徒の殲滅”にあります。使用するエヴァは三機、ダミープラグは「ちょ、ちょっと待って」・・・何、ミサト?」

ネルフのトップが許可している作戦を伝える途中で遮るミサトの正気を疑いながら、それでも平静を保って聞く。

「あの使徒の殲滅?それが出来てないから今があるんでしょ?」

「せや赤城さん、ミサトさんの言うとおりや!!あん使徒は強い、で倒せへんかったやないですか」

「あいつを倒せる手があるの!?」

「先輩!どんな手何ですか?」

ミサトの言葉で今まで黙っていた面々も口を出してきた。

疑問に思うのは勝手だが、リツコは内心の怒りを隠そうともせずに声のトーンを極限まで下げて言った。

「だからそれを伝える為にこの場を作ったんじゃない・・・これ以上邪魔するなら出て行ってもらうわ」

「あ・・・その、ゴメン」

「すいません・・・」

周りが静まった事を見渡して、リツコは溜息をつきながらようやく先に進めると安堵した。

「もう一度言うわね、今回の作戦は”第零使徒の殲滅”を目的にします。使用するエヴァは三機、ダミープラグは使わないわ。トウジ君の参号機、アスカの弐号機、レイは零号機を使います」

反論が無い事をもう一度だけ確認して更に進める。

「これまで技術部が集めたデータから、第零使徒には人間で言う所の”心”の概念が存在すると考えられます。何故使徒同士で潰しあうのか?エヴァとの共同作戦とも思える行動を取るのは何故か?何故ネルフに攻め込まないのか?疑問は沢山残ってるけど、今は行動パターンから推測した使徒の行動原理はエヴァの・・・と言うより零号機か初号機に乗ったレイ、あなたを守る行為が見られるの」

「私の?」

黙ってリツコの説明を聞いていたレイは、自分の顔を指差しながら言う。

「そう、これまで誰も敗れなかった使徒のATフィールドをあなただけが破れたのもそれが原因でしょうね。弐号機、参号機に対しては兆候はあったけどレイが一番可能性が高いわ」

リツコとしてはもっと納得の行く説明『綾波レイがリリスの因子を持っているから』と言っても良かったのだが、極秘事項なので別の理由を用意した。

「予測の域を出ないけど。案外使徒はレイに恋焦がれているのかもしれない。・・・まあそれはとりあえず置いておいて、本作戦の役割を伝達します。アスカとトウジ君は作戦ポイントを中心に両端、それぞれ第三新東京市外れの山間部にて待機、レイには第零使徒を誘き出す囮として零号機で出撃、作戦ポイントはジオフロント直上。以上、何か質問は?」

「はい」

真っ先に手を上げたのは、レイだった。他の全員はリツコの言った言葉を理解するのに出遅れていた。

「何?レイ」

「使徒が現れなかったら?」

「今回の作戦は表向き”エヴァを使用した避難訓練”として扱うから民間人への被害は問題なし。作戦時間は10時間を予定しているからそれで現れなければそのまま終わり」

「初号機を戦力外に置く根拠は?」

「これまでのデータから零号機のほうが囮として有用、さらにダミープラグは完全とは言えない。今回はパイロット各自の精度に成功の鍵があるといっても過言ではないわ」

「はい!!」

リツコの言葉が終わるのを見計らって手を上げたのはアスカだった。

「今度はアスカ?」

「作戦内容は判ったけどどうやって倒すのよ!それが出来ないから苦労してるんでしょ!!」

自分の力不足だけは認めたくないので、あえて責める口調で話すが。リツコはアスカの怒りなど無視して質問にだけ端的に答える。

「今回はレイにATフィールドを中和してもらい、ポジトロンスナイパーライフルでの長距離精密狙撃を実行してもらいます。アスカにトウジ君、二人にね」

「ちょっとリツコ!いくらなんでも危険すぎるわ!!レイを囮に?もし使徒が攻撃してきたら、零号機は・・・レイはどうするのよ」

「そうですよ先輩!危険すぎます!!」

「言ったでしょ、この作戦に拒否は認められないの。それとも作戦課は何か具体的な案があるの?マヤ、あなたも意見するなら代替案を出してからにしなさい」

「う・・・」

「それは・・・」

リツコの言葉に大人は黙ってしまう。

何か言おうとしたマコトとシゲルも何も言えずにただ後ろで立ちすくむのみ、リツコがこの場を支配していた。

「いいわね、レイ」

「判りました」

「トウジ君も、アスカもいいわね」

「倒せるんなら・・・了解です」

「判ったわよ・・・・・・何よ贔屓にしちゃってさ。使徒に好かれる?やっぱ機械人形みたいな奴は一味違うわね」

アスカは小声でこっそり言ったつもりだったのだが、レイにはしっかり聞こえていたのか飛鳥の前に歩いて真正面から視線を合わせる。

「な、何よ」

「私は人形じゃない」

リツコはそんなレイの行動を不思議に思っていたが、いきなりのやり取りで皆アスカとレイに注目しているのそれに気付くことは無い。

「うるさい!人に言われたまま動くくせに!あんた、碇指令が死ねと言ったら死ぬんでしょ!」

「・・・そうよ」

少し間があって、それがレイの迷いそのものなのだが言葉をそのまま受け取ったアスカには判らなかった。

平手打ちがレイの頬に当たる。

「やっぱり人形じゃない!あんた人形みたいでほんと昔っから大っキライなのよっ!!皆、皆だいっキライ!」

ブリーフィングルームからアスカが走り去るのを誰もが動けずに見つめていた。

「・・・作戦開始は明日の正午を予定してるわ、皆そのつもりで」

リツコの淡々とした口調だけがその中で響いていた。



◆―――同日、赤木博士執務室



レイはブリーフィングの後、リツコの部屋に来るように言われていた。

明日に備えて休息が必要だと断る理由は確かに存在したが、”命令”だと言われ従っている。

コーヒーの湯気が少し立ち上る以外は簡素な部屋で、必要最低限の物しか置いていないので生活感が少ない。

「来たわね、レイ」

「・・・・・・」

いつもと変わらない白衣で椅子に座ったまま、リツコは数枚の紙をレイに渡した。

「あなた専用の明日の作戦内容よ、よく目を通しておいてね」

そう言われ一枚一枚捲りながらレイは目を通してみると。主に使徒が現れてから、どう行動するかが記載されていた。

無言のままレイは紙を捲っていく。

「・・・・・・」

「既に準備は整ってるわ、その為の作戦地点ね」

最後の紙を捲って一番下にある文字を読んだ時、動きが止まる。

内容を知っているリツコは、何か言われる前に釘を刺しておいた。

「さっきも言ったけど、これは”命令”よレイ、拒否は許されないわ」

「・・・碇司令の命令ですか?」

レイは少し間を置いてそう言うと。リツコは目を少し開いて驚きの表情を作ったが、すぐに真面目な顔に戻り告げる。

「そうよ、司令もこの作戦は容認しているわ、ネルフ全体の総意と考えてもいいわね」

「・・・・・・判りました」

そしてレイは紙を持ったまま部屋から退室した。

すぐ後のリツコは別の場所に電話で連絡を取る。

「・・・・・・あ、加持君?ちょっと悪いんだけど今から来てもらえない?」

電話を切ったリツコはレイがいなくなった部屋で、先ほど渡した紙の元のファイルをパソコンから立ち上げる。

そして視線をレイがみて動きを止めた位置に持っていった。

「そうよレイ・・・あなたが。あなたが使徒を殺すのよ」



◆―――ネルフ本部、発令所



零号機は市街地で立ったまま、弐号機と三号機は10秒後にはポジトロンスナイパーライフルにエネルギーをフル充電できる状況。

その状態になってからかれこれ2時間が経過した。

晴天の眩しさもエントリープラグの中の快適さを損なう事は無いが、パイロット達は次第に何も起こらない現状に苛立ちを感じていた。

発令所でも、『このまま何も起こらないのでは?』と怪しむ空気が流れ始めていた。

「リツコ、この作戦無理があったんじゃない?全然変化ないじゃない」

「その場合は異常が無いって事でしょ、良い傾向じゃない」

ミサトのぼやきに軽口で返すが、この時のリツコは二つの事を秘匿していた。

一つはレイにだけ与えたゲンドウ、冬月、リツコのみが知る本当の指令。

そしてもう一つはアスカのシンクロ率だった。

マヤには口止めしてあるので周りには伝わっていないが、現在のアスカのシンクロ率はレイとトウジのかなり下、起動指数ギリギリの位置にいた。

それを告げた途端に弐号機が起動しなくなる可能性も考慮に入れると伝えることは出来なかった。

(弐号機のコア、変更もやむなしかしらね)

(今は少しでも戦力が欲しい時期なのに・・・)

リツコは内心の葛藤を表に出さず、モニターに映る零号機を見つめていた。



作戦開始から4時間後。辺りが少しずつ夕暮れの時間に近付いていた頃、リツコが新しい命令を出した。

「レイ、ちょっとATフィールドを展開して。微弱でいいわ」

《了解》

リツコの命令通り零号機の前方の八角形のATフィールドが展開される。

ただ展開しただけなので、何も起こらないと思っていた発令所の面々は突然鳴り響いた警報に驚いた。



ALERT!!

ALERT!!

ALERT!!



「パターン青、使徒発生!!零号機の目の前です!!」

それは待ち望んだ第零使徒、黒と白の色彩を身に纏ったシンジだった。

「作戦、開始!!」

ミサトでは無く、今作戦責任者のリツコが命令を下した



◆―――第三新東京市、碇シンジの場合



シンジはこの頃ディラックの海の中にいる時間が増えていた。

この世界にやって来てから満たされたと思っていたが、必死に押さえ込んでいた感情”寂しさ”が溢れ出そうになる。

声に出せば泣き声になりそうで、目を開ければ涙が溢れそうになる。

レイの隣室でそんな事をする訳にもいかないので、シンジは一人ディラックの海にただ”在った”。

何もしないでただそこにいるだけの存在。

紅い世界のLCLの海に似た感覚に身を預けながら、シンジはATフィールドを感知した。

使徒戦でもなく、ネルフ本部内での実験でもない別の場所からの波動。

慌ててディラックの海から出てみると、そこは第三新東京市で、目の前に零号機がいてATフィールドを張っていた。

使徒との戦いでもなく、エヴァが一機だけただ立っている事実。

(何やってるの?綾波?)

まず感じたのは困惑だった。

とりあえず観察しようとしたシンジの両脇からエネルギーが迫ってきたのはちょうどその時だった。



◆―――第三新東京市、山間部



「ジャージ、現れたわよ。砲撃準備!」

《判っとる、あん使徒こんなに待たせよって!!》

第零使徒発生と同時に、すぐさま超加速器で陽電子を可能な限り加速されポジトロンスナイパーライフルにエネルギーが充電される。

零号機とシンジの距離は100mほど離れている、今の状態なら両側からの精密狙撃で零号機を被害にあわせないで殲滅する事が出来る。

(アタシは負けない・・・)

(負けられない!!)

(誰にも、どんな奴にも!!)

(世界一でなければ駄目なの!!)

ATフィールドを中和する役目、ある意味最も重要な役をレイがやっていると言う認めたくない事実を頭から追い出してアスカはバイザーモニターに写る目標を睨みつけた。

《最終安全装置、解除。全て、発射位置!》

発令所から届く報告を聞き終わると同時にアスカとトウジはポジトロンスナイパーライフルを発射した。

それは寸分のずれも無くシンジの元へと導かれていく。



◆―――ネルフ本部、発令所



背中から羽が出ていないが浮いた状態でシンジが両腕を横に伸ばしてATフィールドを二枚展開。

ATフィールドを貫くエネルギー産出量、1億8000万キロワットには足りないとは言え。中和されたATフィールドなら充分すぎるエネルギーだった筈。

だがモニターに写るシンジは、ポジトロンスナイパーライフルから放たれたエネルギーをATフィールドで”受け止める”。

逸らすわけでも喰らうわけでもなくATフィールドでその場に止めた。

モニターの光景が現実なら、シンジは単体で日本中の電力を集めた電力より強力な力を使っていることになる。

何度目かの絶望感を味わう中、リツコがこの作戦の”本当の始まり”を命令する。

「アスカ、トウジ君砲撃中止、二射目はいいわ。レイ、作戦開始!」

《了解》

「リツコ、何の事言ってるの?」

リツコがレイに伝えた『本当の作戦内容』を知らないミサトは慌ててリツコに問い詰めるが、リツコは無言のままモニターを見ていた。

すると零号機は直立姿勢から地面に腰を下ろして道路に座った。

「レイ?何しているの?」

ミサトはマイクを通してエントリープラグに通信を送るが返答は無い。

返事の代りに、発令所には零号機からのプラグ排出信号が届いた。

エントリープラグが排出されLCLとレイが姿を現す。

「ちょっとリツコ、どういう事?作戦って何?また私に隠し事?」

リツコはミサトの方を向いて話し出した。

「あれだけの高出力、強力すぎるATフィールド、生物とは思えない再生能力。それら全てはコアによって補われているというのが最初の推測だった。でもいつか零号機はコアの大半を破壊したにも関わらず、あの使徒は次に現れた時には完全に再生していた」

モニターに目を戻すと、レイが道路に降りてった

「少し考えれば判る事だったわ。コアは動力炉に過ぎない、遺伝子系列が他の使徒と同様に人間に酷似しているなら人間の脳、司令塔となるもう一つのコアが存在する。そう考えてからデータを集めつづけた至った結論『人間の大脳皮質に当たる部分にもう一つのエネルギー反応有り』、胸部のコアに比べると予想以上に低いエネルギー算出量だったから発見に手間取ったの。最も・・・他の使徒みたいに動力のコアを破壊しても倒せない時点で異常性が際立つわね」

レイは一歩ずつ道路を歩きながら、空中に浮かぶシンジに近付いていく。

シンジはその様子を観察しながら、どうしようか迷っていた。

「司令塔のコア、その部分を壊せば人間で言う”脳死”になる。動力源の方もコアと言えどそれ単体ではただの塊よ。つまりあの使徒の脳を破壊すれば倒せるのよ。零号機の攻撃で物理兵器も有用なことが判ったから殲滅可能なのよ」

「それとレイの行動とどう関係があるのよ・・・あのままじゃレイが殺されるわ!!」

「大丈夫・・・それは無いわ」

どこか確信めいた口調でリツコが言う。



◆―――第三新東京市、綾波レイの場合



レイは昨日受け取った紙面に書いてあったことを思い出していた。

(作戦ポイントから5m前の位置)

(そこに、それがある)

(そこに立って待つ)

(使徒を・・・)

レイはリツコの命令通りの位置を探す。

そこの道路には赤いテープが張られていたのですぐに判ったが、そこに立っただけでは何も始まらない。



レイの見た紙にはリツコの予想が立てたこれから使徒が起こす行動が書かれていた。

まさかとは思いつつも、レイはその場所に立ってひたすら予想を待つ。

そしてシンジはリツコの予想通りの行動をした。

浮遊行動を止めて地面に降り立ちながら、一歩ずつレイに近付いてきた。

10メートル、5メートル、3メートル、1メートル、レイが手を伸ばせば届く位置にシンジがいる。

これまで使徒と戦ってきたネルフ、その誰もがこの近距離で使徒と向き合えば恐怖を覚えるだろう。

だがレイはどこか懐かしい感覚を味わいながら、最後の命令を実行に移す。

腰を屈め、道路に張られた赤いテープに手をつくと、予め道路に埋め込んでおいた箱が開く。

その中からレイは”物”を取り出して、立ち上がりながらシンジに”それ”を向ける。

スミス&ウエッソン。米国製大口径リボルバー銃がシンジの仮面に押し付けられた。

数秒の間が合ったにも関わらず、銃口が押し付けられてもシンジは何の動きも見せなかった。



◆―――ネルフ本部、発令所



「何・・・あれ・・・」

ミサトは突然のレイの行動に目を丸くしていた。

プラグスーツで銃を構えるレイ、仮面に銃口を押し付けられたシンジ。

今になってあの使徒が人と同じ大きさだったとミサトは思い出した。

「ネルフ技術局第三課のお手製炸裂弾が装填されてるから、一発でヒグマでも破壊できる強力なものよ」

リツコはモニターを見ながら淡々と今起こっている現実を説明するが、ミサトはそれを理解するまでに少し時間を要した。

「そ、そんな事聞いてるんじゃ!!何で拳銃なの?レイには大きすぎる・・・ってそうじゃなくて。あの使徒にはATフィールドが!エヴァでも出せない強力なATフィールドがあるじゃない!それを出されたら・・・あんな近距離じゃ本当に殺されるわよ」

「ATフィールドなら出さないわ」

「どうしてそんな事が判るのよ!!」

今起こっている現実が全てリツコの差し金だと思い当たり、ミサトは激昂して胸倉を掴みあげる。

だがリツコは冷淡とも取れる態度で話を続ける。

「と言うより出せないのよ、銃口と使徒の間の零距離で展開できたとしても出せない理由があるの」

「・・・何なのよ、その理由って」

「殺す気があるならさっきの弐号機と参号機の砲撃で反撃している筈よ。でもあの使徒は攻撃しない、つまりこちらを傷つける意志が無いのよ。防御すれば発射されなかった銃弾で銃が暴発するか行き場を失った銃弾がレイを傷つける。傷つける意志が無いなら防御する訳には行かない、自分で銃弾を受けるしかない・・・」

「そんな・・・・・・全部予想じゃないの!!もし使徒が防御したら?本当は殺す意志があったら?レイが死ぬって事でしょ!?危険すぎるわ!!今すぐ止めさせなさい」

「戦いはいつだって賭けの連続よ、命の危険だっていつもある筈だわ」

「でも・・・」

「葛城三佐!!」

突然大声で自分の階級を呼ばれ、ミサトは掴んでいた手を離す。

白衣を直してリツコは告げた。

「これはレイも受諾済みの命令よ、碇指令も許可している。昨日言ったでしょ?」

「しかし・・・」

「今は使徒殲滅が最優先です。パイロットに命の危険がある事なんて、あなたが一番知っていなくちゃいけない筈でしょ・・・」

それだけ言ってミサトを黙らせたリツコは、自分の方を見ているオペレータ達を視線で黙らせるとモニターへ向く。

そこには銃口を向けたまま動かないレイとシンジの姿が映し出されていた。

(何してるのレイ、早く撃ちなさい!!)



◆―――第三新東京市、碇シンジの場合



シンジは何となく目の前の少女が何を考えているのか判った。

躊躇っているのだ。

レイが単独でこんな事をするとは思えない。だったら誰か、おそらくゲンドウ辺りが”命令”したのだと当たりをつける。

自分がもつ銃で殺す事に対する嫌悪感と、使徒を前にした恐怖で揺れ動いているのか?それとも命令と殺したくない意志がせめぎあっているのか?出来れば後者であってほしいと願いながらシンジは向けられた銃口から離れようとは思わなかった。

こんな状態だから気が付いたこと『僕は自分の生き死をどうでもいいと思っている』。

見たいと思っていることが見れればいいと願っていた、でもそれ以上に周りに対する嫌悪が勝っていた。

判ることがこんなに辛い事だと知った。

さみしがりやの自分がまだいる事を知った。

殺されようとしている自分がいる事を知った。

それでもまだ希望を持つ自分を知った。

まだ死にたくないと願いながら、レイの出す答えを知りたくなった。



「”綾波レイの心”の願い、そのままに」



いつかレイに聞かせた使徒の声ではなく碇シンジの声でそう言った。

”綾波レイ”の中に”綾波レイ”が巡る。

第一次直上会戦の後に病院で感じた『自分以外の自分が自分の中にいる感触』。

この時、レイの口から自然とその言葉が出た。



「・・・・・・碇、君?」



それがこの時のレイに判断できた自分自身の最後の言葉だった。

手から力が抜けて垂直に伸ばしていた腕がゆっくりと降りる。

仮面に唯一空いた目の隙間から、使徒の目を見る。



パンッ!



第一種警戒態勢で自分達以外、無人となった筈の建物からレイが持つ拳銃と同列の弾丸が発射されシンジの耳から頭の中に侵入する。

風船が割れる音に似た破裂音と共にシンジの頭は肉と骨と血と脳漿に分解された。

飛び散る”碇シンジだった物”白い仮面が鮮血に染まり、白を赤に染め上げる。





「・・・・・・」

レイは何が起こったのかよく判らなかった。

視界の中にいた白が赤に変わったと思ったら、仮面が自分に当たった。

使徒の顔が合った位置にはもう何も無い。

現実を理解するより早く、目の前に変化が現れた。

”碇シンジだった物”を構成するために必要なものが全て失われ、形を保てなくなった物は紅い液体へと変わっていった。



パシャッ



赤が紅に。

レイの白いプラグスーツに紅の液体は異常な美しさを備えていた。

だがレイ自身は現実を理解していないで、ただ呆然とそこに立っているだけだった。

一秒か。

一分か。

一時間か。

どれだけその場所に立っていたか、レイ自身も判っていない。

だが判ったこともあった。



『碇シンジはもういない』



何時の間にか手から落とした拳銃にも気付かないで、レイは自分の中の現実にたどり着いた。



◆―――ネルフ本部、使徒殲滅後、ブリーフィングルーム



「で・・・結局どんな作戦だったのよ」

怒りを隠さずに、ミサトはリツコを睨み付けながらそう言った。

「本命は説明した通りレイによる射撃、でも結局使徒殲滅を行ったのはかけておいた保険のお陰ね」

「あの時の狙撃ね・・・あれはいったい誰?」

「近接戦闘ならあなたに任せる所だったんだけど・・・あなたもよく知る人に任せたわ」

「あたしが・・・・・・・・・まさか!?」

ミサトは自分より中距離射撃の上手い人物に心当たりがあった。むしろ知り過ぎている人物。

「まさか・・・そんな」

「誰か、なんてもういいでしょ。無事に使徒殲滅が出来たんだから、僥倖じゃない?」

「人の手で・・・ね」

「エヴァも人の力よ」

「未知のブラック・ボックスが多過ぎるけどね」

リツコとミサトは向かい合ってお互いを探る目になった。

互いが互いに隠し事をしているような雰囲気、少なくとも親友であったはずの8年前には決してしなかった目だった。

「最強と思われる使徒を、エヴァの力無しで殲滅。ネルフの株でも上げるつもりかしらね?」

「まだ使徒は来るわ、費用も時間も必要なのは判っているはずよ。葛城三佐」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

先に視線を逸らしたのはリツコだった。

彼女自身どこか後ろめたさがあったのか、そのまま何も言わずに部屋から出て行く。

親友の後姿を見ながらミサトはふとある事を思い出した。

「アスカ・・・・・・今、どんな顔してるのかしら?」

自称保護者はどこまで行っても無責任な顔しかしていなかった。



◆―――第三新東京市、高架下



飲んだ帰りでもないのに、ミサトと加持はそこにいた。

第三新東京市の全警備をネルフのMAGIが管理しているとは言え、死角はどこにでも存在する。

電車の音に紛れて話す、そこもそんな一つだった。

「あの狙撃・・・・・・加持君、あなたね」

「さて、何のことやら?」

いつもの飄々とした態度、普段のミサトならこれが地だと考えてそれ以上追求しなかったが。今回はいつもと違った。

狙撃したのが加持なら、加持が使徒を倒した事になるからだ。

「加地君、何故倒すことが出来たの?私が知らない何かを知ってるんでしょ?人類補完計画・・・。何処まで進んでいるの?」

「それが知りたくて。今、俺と会っているのか?」

「正直に言うとそうよ」

「ご婦人に利用されるのは光栄の至り、だがこんな所じゃ喋れないな」

そう言うと加地は話を誤魔化すようにミサトに抱きつく。

「ちょっと、ん・・・う・・・」

続けざま何か言おうとしたミサトに対して、加地は唇をふさぐことで先を言えなくする。

高架灯の明かりが一つに重なった二つの影を映し出してしばらくその場所の時を止めた。

見つめあいながら離れた二人、先に口を開いたのは加地だった。

「葛城・・・俺の気持ちは8年前からずっと変わってないよ、俺はずっと・・・君を・・・・・・」

加地はそこまで行って押し黙り、ミサトに背を向けてしまった。

何が言いたかったのかミサトにはなんとなく判った、だが体が硬直して動かない。

立ち去っていく加地を見つめながらミサトはしばらくその場で呆けていた。

自分のポケットにROMカセットが二枚何時の間にか入っていることに気が付いたのはそれから20分後のことだった。