第拾九話
「血で染まる白亜の巨人」

◆―――太平洋、高度8000m



数ヶ月前とほぼ同じ航路を飛ぶ巨大な全翼機。

だが数ヶ月前と違うのは吊り下げられたエヴァのカラーリングだった。

エヴァ四号機の姿形は参号機と殆ど同じだが、唯一色だけが正反対だった。

漆黒の参号機と正反対の真っ白な四号機。

「エクタ64より、ネオパン400。前方航路上に積乱雲を確認」

「ネオパン400、確認。積乱雲の気圧状態は問題なし。航路変更せず、到着時間を尊守せよ」

「エクタ64、了解」

雲と色が同化して見えなくなりながら、全翼機は巨大な積乱雲に突入していった。

突入後、積乱雲から抜けるまでの間にどこか不自然な雷光が疾った。



◆―――コンフォート17、ミサト家



ミサトは目を覚まして部屋の中を一通り見回る。

だが同居人の姿は無く、ペンペンも寝床の冷蔵庫で寝ているのか姿が見えない。

「あの子・・・徹底してあたしと顔を合わせないつもりね」

何となくその理由は判っていた。

加地経由でミサトもアスカの事を知ったことだが、アスカがフィフスチルドレンが誰か知ってしまったのだ。

アスカはエヴァのパイロットである事に誇りを持っている、だからこそ一般人がエヴァのパイロットに選出される事が許せないのだ。

トウジも最初は素人だったが、訓練とそれなりの実績はアスカも認めていたのか近頃は揶揄する言葉は減った。

だがここに来ての補充パイロット、しかも素人。

アスカにしてみれば、自分たちの力不足を言われているに等しい。

「困ったわね・・・松代への出張で四日ほど留守にするから加地に面倒頼もうと思ってたのに・・・」

それがアスカにとって苦痛でしかないと判っていながら、保護者としてミサトはそれ以上出来る事がない自分を呪った。

アスカが誰一人、居住以外に大人を頼らずに生活している事を知らない見せ掛けだけの保護者は。子供は大人の庇護の下で生活する事が正しいと信じていた。



◆―――第壱中学、2年A組



『相田ケンスケ!相田ケンスケ!新しいエヴァパイロット相田ケンスケをよろしくお願いします!!』

黒板にはでかでかと『新パイロット!相田ケンスケ』と書かれていた。

トウジは教壇に立ってマイク片手に喋るケンスケを見ながら、どこか達観した顔でそれを見ていた。

(選挙運動みたいや・・・)

(そんな、嬉しいもんやろか?)

トウジの脳裏には昨日の放課後、ケンスケからエヴァパイロットである事を告げられたときの事を思い返していた。





「エヴァのパイロット・・・ケンスケが?ホンマか?」

「そうなんだよ!今日の昼飯の時にさ、赤木さんだっけ?とにかくネルフのお偉いさんが校長室にいてそこでスカウトされたんだよ!!ああ、憧れのエヴァ・・・後継機の分パワーアップしてるんだろうな〜〜」

ケンスケは異常なまでに嬉しそうだった。

まるでエヴァという麻薬に支配された病人の様に、笑顔を崩さない。

トウジはケンスケの喜びに水を差すつもりは無いし、親友であるケンスケが望んでいるのならばそれを祝福してやるべきだと思っている。

だがケンスケは知らなくてトウジは知っていることがある。

それは『実戦』、エヴァでの戦いが命のやり取りだとトウジは知っていた。

「ケンスケ・・・どうしてもパイロットにならんとアカンのか?」

「?何言ってんだよトウジ、俺がエヴァに憧れてるの知ってるだろ?実は俺お前が羨ましかったんだぜ、『どうして俺じゃないんだ』ってね。でもこれでお前と同じ場所に立てる、それも嬉しいんだ」

「・・・せやけどやる事は戦争や、命の奪い合い、殺し合いなんや。わいはこれ以上人が死ぬんは見たくない」

トウジにとってはケンスケが戦いに巻き込まれるのは避けたい事だった。

ケンスケが親友だからこそ、そう思った。

強大な使徒がいる、戦力不足なのは最前線で戦っているパイロットが一番骨身に染みている。

だからこその戦力増強が必要なのは判るが、感情の部分が納得行かない。

トウジなりの配慮だったが、ケンスケは別の意味でトウジの言葉を受け取った。

「トウジは俺がエヴァに乗るとやられるって・・・そう思ってるのか?」

「ちゃう!わいはケンスケが心配なだけや!!戦うんはわし等だけで充分なんや」

「ほらやっぱりそう思ってるんじゃないか。自分は強い、俺は弱い、守ってやる、だからパイロットを降りろ、冗談じゃない!俺は誰が何と言おうとエヴァに乗る!!」

ケンスケの決意はあまりにも硬い。長い付き合いだからこそ、トウジにはそれが判ってしまう。

「トウジだって元々は素人じゃないか!!俺とどこが違うんだ?選ばれた子供?それなら俺だってそうさ!!五人目の適格者、俺はフィフスチルドレンだ!!」

「ケンスケ・・・・・・」

「今は無理かもしれないけど、俺はトウジに追いついてみせる、綾波にも惣流にも負けないエヴァのパイロットになってやる!!」

ケンスケは無知で子供だった。

エヴァという新しい玩具に周りが見えず、自分の欲望を最優先にしてトウジの心配を自分への羨望と錯覚して受け取る。

ケンスケがいつか封じ込めた思いはエヴァのパイロットという鍵で解き放たれてしまう。

そして最後の言葉をケンスケは言ってしまう。



「俺はお前にだけは負けない!!」



秘めた思いが憎悪になって言葉となる。

トウジは自分を睨みつけるケンスケに何も言えずにただ立ちすくんでいた。





ケンスケは嬉しそうに自分の変化をクラス内に語るが、既にチルドレンが三人いてクラスメイトの殆どは”チルドレンがいる現実”に慣れてしまった。

ある人は無視、ある人は聞いて受け入れ、ある人はどうでもいいと思っている。

既にエヴァそのものが日常の中に組み込まれてしまった結果だった。

『明日!私は松代にて起動実験を行います!!』

ケンスケの演説で思考の海から現実に戻ってきたトウジは、ある違和感を覚えていた。

ケンスケに四号機のパイロットになると告げられた、あの時から何かが狂ってしまった。

今まで見えなかったトウジとケンスケの間にあったあやふやな壁が、はっきりとした形になって二人を別けている。

『新しいエヴァパイロットの相田ケンスケをよろしくお願いします!!』

伸ばせば握れた手が壁に阻まれて、もう一生掴めないような危険な予感。

単なる想像だとトウジが自分を納得させていると、アスカが後のドアから入ってきた。

乱暴にドアを開けて轟音が一瞬ケンスケの演説を止める。

嬉しそうなケンスケと対称にクラスメイトの殆どはケンスケの演説を聞いていない。一人だけの熱気が見ていて痛々しいが当の本人はその事に気付いていない。

「お、惣流!これからは同じパイロットだな、よろしく頼むな!!」

アスカの機嫌の悪さが自分自身にあると判っていないケンスケは、自分の感情だけを相手にぶつける。

それは今のアスカにとっては逆鱗に触れる言葉だった。

自分の机に鞄を叩きつけたアスカは一瞬動きを止めて叫ぶ。

「あんたなんか、顔も見たくないわ!!!」

それだけ言ってアスカは荷物を置いたまま教室を後にした。

すぐ後に教師がきて授業が開始されてケンスケの演説は止めざろうえなかったが、アスカは戻ってこなかった。



◆―――松代、ネルフ第二実験場滑走路



「遅れること二時間、ようやくお出ましか」

腕を組みながらネルフの制服で仁王立ちに四号機を吊った全翼機を睨みつけるのはミサトだった。

その後ではノートパソコンで作業を行うリツコの姿があった。

「私をここまで待たせた男は初めてね」

「デートの時は待たずにさっさと帰ってたんでしょ?」

新しい戦力、エヴァ四号機。

五体目のエヴァが日本に降り立った。



◆―――第壱中学、昼休み



トウジは休み時間のたびに行われるケンスケの演説から逃げるように屋上に来ていた。

近頃昼休みになるとこの場所にいる。

「わい・・・何やってるんや?」

自分が何をしたいのか?ケンスケと話したいが何を話せば良いのか?今は距離を取るのが正しい気がする。

食事もとらずに呆けていると、屋上に上がってくる人影を見た。

「鈴原・・・いる?」

「ん?委員長やないか、どないしたんやこないな所で」

「あの・・・お弁当の材料余っちゃって・・・もし良かったら・・・」

途切れ途切れに話すヒカリの手には二つ弁当箱があった。

平常時ならそれなりに嬉しい事なのだろうが、考え事が多い+ヒカリから向けられる思いに全然気付いていないトウジはその弁当箱を言葉通りの意味と受け取った。

「あ〜〜残飯処理か、ほなら貰っとこ」

「う、うん。あんまり美味しくないかもしれないけど・・・」

大きい方の弁当箱を手渡すとほぼ同時に三人目の人影が屋上に上がってきた。

「ヒッカリッ!!おべんと食べ・・・・・・」

アスカは目の前の光景に一瞬絶句したものの、ヒカリの表情から何となくその場の空気を読む。

「はは〜〜ん、どうやらお邪魔みたいね〜〜」

「ちょ、アスカ。ちが・・・」

「邪魔者は退散するわ、後は若い者どうしでね〜〜」

「アスカ〜〜!!」

屋上から素早く逃げるアスカを追って、ヒカリも屋上からいなくなった。

いきなりの出来事について行けなかったトウジだけが取り残される。

「何やったんや?」

そしてトウジの手には弁当箱だけが残った。



◆―――第三新東京市、公園



既に日暮れの時間が迫っており、公園に座るアスカとヒカリの周りは夕暮れの光で赤く染まっていた。

二人はベンチに並んで腰を落とし、アスカから口を開いた。

「鈴原の事でしょ」

「えぇ!!わかるの?」

「そりゃあ、昼間にあれだけラブラブ空間作ってたら誰だって判るわよ。判ってないのは本人だけね」

「ら、ラブラブ・・・」

思ってもみなかったアスカの反撃にヒカリは次の句が出なかった。

アスカはヒカリが故意にエヴァの話題を避けている事には気付いていた。

その心遣いがありがたくもあり、友達として力になってあげたいとも思っている。

だがその前にアスカはどうしてもヒカリに問いただしたい事があった。

「ねえ、一つ聞いていい?」

「なに?」

「あの熱血馬鹿のどこがいいわけ?」

ヒカリは恥ずかしそうに頬を染めて、アスカから顔を背け、か細い声で答える。

「優しい、ところ・・・・・・」

ヒカリから見えない事をいいことに、アスカの顔が大げさにひきつった。

「うえ・・・・・・」

この日からアスカは何度かヒカリの家にお邪魔することになる。

それは友達同士での交友でもあり、ミサトの家に居たくないというアスカの心情そのものだった。



◆―――コンフォート17、ミサト家



「加持さんお風呂長いのよ」

かなりの下心とほんの微かな希望を持ってアスカはペンペンに話し掛けていた。

「これはチャンスなのよペンペン?若い男女が一つ屋根の下、間違いが起こっても不思議じゃないわ。その為には笑顔が必要・・・なんだけどね」

「クエェー」

自分の意志をペンペンに話していると、笑顔が引っ込み変わりに無表情な顔がアスカに張り付いた。

ヒカリの事は楽しいと思う、だがそれ以上にケンスケのことが頭をよぎる。特にこの家にいるときは・・・。

「あぁ〜、いい湯だったな・・・・・・?」

風呂上りに浴衣を着た加地はアスカとペンペンのいるリビングに姿を見せるが、アスカの苛着いた表情に困り顔になる。

「何だ、機嫌悪そうだな。葛城がいないといつもこうなのか?」

「違うわよ、あたしだって加持さんと夜を過ごすんですもの、にこにこ笑っていたいわよ。でも今日は駄目なの出来ないの!!」

ペンペンと向き合いながら自分の気持ちを整理してみてわかってしまった事実。

どんな楽しい事が合ったとしても今日はケンスケの事で苛立ちを抑えられそうに無かった。

「・・・・・・判った、もう寝よう。こういうときは早めに寝ちまうのが一番だ」

強引にアスカを就寝させると、加地はゴミが散乱する部屋の一つに引いた布団で寝てしまう。

この日。加地と一つ屋根の下にいながら何もできなかったアスカは、ドンドンと機嫌を悪くする。



◆―――松代、ネルフ第2実験場



地下仮設ケイジには白の四号機が立っていた、別の場所で準備されているエントリープラグには既にケンスケが搭乗している。

ミサトとリツコは地上施設の央統括指揮指揮車内から全体の作業と起動実験を行っていた。

今日合流したケンスケは嬉々としてエヴァパイロットとなった自分の有用性と意気込みを語り、他のチルドレン全員にもばらした事を告げた。

守秘義務はどこに行ったのかと追求したくなるが、本来ならミサトが告げなくてはならない事だったので少し注意しただけで終わってしまう。

エヴァに乗る事を一番積極的になっているのは間違いなくケンスケである。だが一番エヴァのパイロットを知らないものまたケンスケだった。

何事も無く進んでいく実験準備と四号機の様子を指揮車内のモニターで見ながらミサトはこれからの事を、新しいパイロットのケンスケのことを考えていた。

「エヴァンゲリオン四号機、初搭載の汎用コアとのシンクロも問題なし。これだと即、実戦も可能だわ」

「そう。良かったわね」

考え事の為か、リツコの言葉にミサトは素っ気無い返事で返す。

「気のない返事ね。この機体も納品されれば、あなたの直轄部隊に配属されるのよ」

それが気の無い理由なのだが、ミサトあえて自分の感情を無視して話を進める。

「エヴァを五機も独占・・・その気になれば世界征服も可能かな?」

「人には勝てても使徒に勝てるか、まだ判らないわ」

ミサトの軽口に対してリツコは厳しい現実を突きつける。

エヴァ四体が稼動している今でも、ネルフは人類最後にして最強の兵器を保持している事に変わりは無い。

だがそれでも勝てない、解析すればするほどその現実に突き当たる。

エヴァ五体になっても使徒に対して完全に勝利できるという確証は無い、戦えば戦うほど底が見えなくなるのが第零使徒・シンジだからだ。

「希望的観測は人が生きていくための必需品よ」

「希望の前に目の前の現実よ、とりあえず準備は問題ないわ」

強引にリツコが話を打ち切ったので二人の会話はそこで終わった。

ミサトこれ以上話していると憂鬱になりそうだったので、それが良かったのだと思っていた。





《エントリープラグ固定完了》

《第一次接続開始》

《パルス送信》

《グラフ正常位置》

《リスト1350までクリア》

《初期コンタクト問題なし》

四号機にエントリープラグが挿入され、眼に光が点る。

ミサトとリツコはネルフ本部で散々見てきた起動シークエンスだが、松代の作業員は見るのが初めてなので知っていても緊張がそこいら中に蔓延している。

責任者としてリツコは緊張を取り除く為、淡々と命令を下す。

「了解。作業をフェイズ2へ移行」

《オールナーブリンク問題なし》

《リスト2550までクリア》

《ハーモニクス全て正常位置》

《絶対境界線突破します》

オペレータの声と同時に神経接続率がボーダーラインを突破する。

それとほぼ同時に、四号機の目の光が紅に変化する。

すぐさま警報が鳴り響き、異常を指揮車に告げる。

指揮車のモニターのシンクログラフが急激にずれを増す。

「実験中止!回路切断!」

すぐさま四号機のアンビリカルケーブルが排除されるが、止まる気配は全く無い。

それどころか顎部装甲を開き禍々しく咆哮を上げ、プラグ挿入口のカバーが粘着質の糸を引いて盛り上がる。

「まさかっ!使徒!?」

リツコの叫び声をかき消す断続的な二度目の咆哮が上がると同時にネルフ第2実験場は地下を中心に大爆発が巻き起こした。

爆発の中心部は仮設ケイジ、そしてエヴァ四号機だった。



◆―――ネルフ本部、発令所



「松代にて、爆発事故発生。被害不明」

「救助及び第三部隊を、直ちに派遣。戦自が介入する前に、全て処理しろ」

「了解」

オペレータのシゲルの声に冬月は即座に命令を下す。

いつもの位置に最高責任者としてゲンドウがいるのだが、今の所命令を下す素振りは無い。

「事故現場に、未確認移動物体を発見」

「パターンオレンジ。使徒とは確認出来ません」

入ってくるデータを読み上げるシゲルとマコトの声でようやく自分の責務を思い出したのか、ゲンドウが立ち上がり命令を下す。

具体的ではないが、この場ではそれ以上の命令を出す事は無かった。



「第一種、戦闘配置」



「了解!総員、第一種戦闘配置!」

「エヴァ全機発進。迎撃地点へ、緊急配置」

発令所では慌しいやり取りが繰り広げられる中、エヴァ四機は迎撃地点へと空輸されて行った。



◆―――エヴァ迎撃地点、野辺山



夕暮れの野辺山で三人はエヴァ三体に乗り込んでひたすら待っていた。

初号機もダミープラグで既に起動済みだが。細かい命令プログラムを出す技術部責任者が不在、オペレータのマヤも出来なくは無いがリツコに比べると見劣りする部分があるので後方待機となっている。

待つ間、トウジは通信ウィンドウを開いてレイ達と話していた。

「松代で事故!?せやったらミサトさんに赤木さん、・・・ケンスケはどないなったんや!?」

《まだ、連絡取れない》

《何ぐじぐじ言ってんのよ、今あたしらが心配したって何にもならないでしょ!》

トウジとしてはすぐにでも無事を確認したいのだが、今は待機命令が出ているため動く事は出来ない。

レイとアスカの言葉でようやく自分自身のやるべき事を思い出して、トウジは参号機のエントリープラグの中で手を力強く握り締めた。

「せやな・・・わしはワシに出来ることをせなアカン」

《そう言えば、ミサトがいないなら誰が指揮取ってるの?》

《今は碇指令が、直接指揮を取ってるわ》

松代から迎撃地点にどんどん近付いていた物体、接触は時間の問題だった。



◆―――ネルフ本部、発令所



「野辺山で、映像を捉えました。主モニタに回します」

シゲルはコンソールを操作してメインモニターに山間の道路の映像を流す。

山の向こうに大きく曲がっている国道沿いに、人型の物体が山陰から徐々に姿を現してきた。

赤い空を突き進むそれは間違いなくエヴァ四号機だった。

「「「おおおお・・・」」」

発令所の誰もがその姿に圧倒される。

しかしゲンドウは表情を崩さずにすぐに指示を出す。

「活動停止信号を発信。エントリープラグを強制射出」

すぐに活動停止信号が実行されるが、四号機のプラグ挿入口が吹き飛ぶだけでエントリープラグは射出されない。

粘膜状に見える使徒、バルディエルが邪魔をしていた。

「駄目です!停止信号及び、プラグ排出コード、認識しません」

少し落ち込んだ口調でマヤが報告するが、ゲンドウは表情を変えずにマコトに別の問題を追及する。

「パイロットは?」

「呼吸、心拍の反応はありますが、恐らく・・・・・・」

マコトの報告は生きているがそれ以上どうしようもないと言外に言っていた。

その報告を聞いて初めて”嬉しそうな”表情をしたゲンドウは、立ち上がって別の指示を出す。

「エヴァンゲリオン四号機は現時刻を以て破棄。目標を、第十三使徒と識別する」

「しかし!」

マコトの反論を完璧に無視して、ゲンドウは最終通告を発令所のメンバー含めパイロットに告げる。

「予定通り野辺山で戦線を展開。初号機を最後尾に配置。目標を撃破しろ」



◆―――エヴァ迎撃地点、野辺山



《目標接近。全機、地上戦用意!》

まだ躊躇するマコトの変わりにシゲルの声がスピーカーを通してエントリープラグの中に響く。

チルドレンの三人はそれぞれ別方向からそれを見ていた。

自分達が乗るエヴァと同じ姿。

「これが・・・使徒?」

《そんな、使徒に乗っ取られるなんて・・・》

トウジの呟きに、ソリッドシューターを担いだ弐号機の中のアスカが補足を加える。

目の前の四号機がいる事実、それはトウジにある事を思い出させた。

「せやったら、あん中には・・・ケンスケがおる筈」

《あの眼鏡が?だったら・・・・・・・・・》

アスカとの通信が突然途切れウィンドウがノイズで埋まる。

「惣流?」

トウジはいぶかしんで再度通信を試みるが、聞こえてくるのはノイズの向こうのアスカの悲鳴と破壊音だけだった。

そしてウィンドウが消える。

「惣流!おい、どないしたんや!!」

トウジの言葉に答える者はいなかった。



◆―――ネルフ本部、発令所



「エヴァ弐号機完全に沈黙!」

マコトの言葉どおり、メインモニターには四号機に組み伏せられた弐号機の姿があった。

エントリープラグ射出口は空になっており、アスカは既に戦線から離脱しているので。弐号機は戦力として役に立たなくなった。

「パイロットは脱出。回収班向かいます」

「目標、移動。零号機へ」

動かなくなった弐号機を見下ろして、もはやその場所に興味がなくなったのか四号機は別方向に歩き出した。

ゲンドウはすぐさま零号機に通信を送る。

「レイ。近接戦闘は避け、目標を足止めしろ。今初号機と参号機を回す」

《了解》

アスカがやられた事を知っていても、レイの応対は表向き冷静なものだった。



◆―――野辺山



零号機は山を影にしてパレットライフルをいつでも撃てる体勢で四号機を待ち構えていた。

徐々に重い足音が近付いて、零号機と山を挟んで正反対の位置を進んだ。

顎部装甲を砕いて口を半開きにし、前傾姿勢で歩くその姿はどこか野生の獣を思わせる。

レイは零号機に気付いていないと思われる四号機に狙いを定め、パレットライフルの照準を合わせる。

モニターに映る四号機の背中に挿入口だけが破壊された為、露出するエントリープラグとそれを覆う第13使徒バルディエルの姿があった。

トウジの予想をレイはその目で見ながらふと思った。

(乗っているわ、彼)

トリガに掛けた指が僅かに震え、照準をエントリープラグに当たらないように延髄から背中に下げた時、突然四号機の動きが止まる。

身を震わせながら上半身をかがめ、身じろぎする。

突然の行動にレイはパレットライフルを撃とうとしたが、それよりも早く四号機は重力を無視して予備動作もなしに跳びあがり、レイの視界から消える。

「!!」

突然の事態に照準を上に向けるが、その時四号機は既に零号機の真上にいた。

零号機に乗っかって重力を思い出したように自重で零号機を地に組み伏せる。

四号機は右腕で首を、左腕で肩を抑えながら左脇の部分から粘液を零号機の左腕に垂らす。

それは四号機を動かしているバルディエルの一部、零号機は左腕から浸食されてゆく。

「ーーー!!」

レイは自身の左腕を押さえ、声にならない悲鳴を上げた。



◆―――ネルフ本部、発令所



「零号機、左腕に使徒侵入!神経節が侵されていきます」

マヤは戦況の変化に驚きと怯えを織り交ぜながら何とか報告した。

感情が入りすぎた報告にもゲンドウは表情を変えず、無慈悲に宣告する。

「左腕部切断。急げ!」

「しかし、神経接続を解除しないと!!」

「切断だ」

「・・・・・・はい」

ゲンドウの威圧的な命令に、マヤは手元のコンソールを操作する。



◆―――野辺山



零号機の左腕が肩から爆砕ボルトで切断され、レイがまた悲鳴を上げる。

「アア!」

四号機は突然の爆発に零号機から離れる。

切断された左腕は近くの民家を押し潰すのを横目で見ながら、倒れたまま震え動かなくなった零号機を見ていた。

やがてこれ以上相手をする必要無しと判断したのか、背を向けて今度は参号機と初号機のいる方向に向かう。

《零号機中破。パイロットは負傷》

弐号機から始まり零号機の負傷、次々とエヴァがやられていく。





パレットライフルを構えて、沈む夕日の方角を見ながらトウジはゲンドウの命令を聞いていた。

《目標は接近中だ。後20で接触する。初号機と共に”フォース”、お前が倒せ》

「目標言うたかて・・・ケンスケが乗っとんのやろ?」

トウジの疑問にゲンドウは答えない、横に立つ初号機もダミープラグで動いているので応答はしない。

握る拳にいつも以上に力が入る。

「倒せる訳ないやないか・・・・・・せやったら助けたる、何としてでも助けたるでケンスケ!!」

トウジは倒すのではなく”無力化”する方向で、自分の攻撃方法を考えた。

今だエヴァとのシンクロは解けていない可能性がある、それでも四肢を砕くかあるいは行動できないぐらいに痛めつければどうにかなる。トウジはそう考えた。

”エントリープラグの周りにいる使徒を攻撃しない”攻撃方法を実行に移すため、トウジは夕日を背に歩いてくる四号機に向かってパレットライフルを発射した。

狙うは足と下腹部。

しかし着弾より早く零号機の時と同じように予備動作も無く四号機が空を跳ぶ。

「ちっ!!」

空中で回転しながら両足を参号機の顔面に向ける四号機を見ながら、素早くトウジは横に避ける。

距離を取った参号機の方を向く四号機は、後から初号機に攻撃される。

身をよじって初号機のプログナイフを肩で受けたが、それを見ていたトウジは驚いた。

もし四号機が避けなかったら、プログナイフは寸分違わぬ位置でエントリープラグを、その上の使徒を攻撃していた。

「司令のおっちゃん!初号機の攻撃を止めてえな、わい一人で充分や!!」

持ち直したパレットライフルで四号機の足を撃ちまくりながらトウジは発令所に通信を送る。

だが返ってきたのは冷徹な返事だった。

《そいつは使徒、我々の敵だ。攻撃を止める理由は無い》

「せやけどケンスケが乗っとんのや!ダミーなんとかに攻撃させたらケンスケ殺してまうわ!!」

《使徒殲滅がネルフの義務だ、お前もフォースチルドレンなら責務を果たせ!》

「何言う・・・」

ネルフのトップにいつもの調子で口喧嘩をふっかけそうになったトウジを止めたのは突然現れたATフィールドだった。

初号機と近接戦闘をしていた四号機に巻きついて空高く持ち上げられる。

「んなっ!?」

初号機ではない、参号機でもない、四号機・バルディエルでもないATフィールド。トウジはすぐにそれが何なのか判った。

ATフィールド発生位置と思われる方向に視線を向けると、そこには空中に浮かびながら12枚の羽のうち4枚で四号機を空に釣り上げるシンジの姿があった。





初号機はプログナイフを構えたまま跳躍して空に浮かばされた四号機へ、参号機はパレットライフルの銃口をシンジに向けて撃つ。

トウジは時にアスカを越える動きを見せる、シンジが現れた時それが顕著に出る。

プログナイフが四号機の腹部に・・・。

弾丸がシンジに・・・。

一瞬の攻防は両者ともシンジが作り出した八角形のATフィールドによって遮られた。

トウジとて何度もシンジと戦っているのでこうなる事は予想がついた、これまでこの攻撃方法でシンジに傷をつけることが出来たのはレイだけなのだから。

だがトウジはケンスケを助ける為に弾丸を撃ち、ATフィールドを中和しようとする。

それでもシンジのATフィールドは破れない。

「司令のおっちゃん!全然効いとらん!!」

《初号機の攻撃も効果ありません》

スピーカーから発令所のマヤの報告も聞こえてくる。

だがゲンドウは特に新しい命令を出さずに事態を静観している。

すると四号機は腕を強引に動かして巻きついていたATフィールドを力づくで押しのけていく。

エヴァのATフィールドの面構成と違い、今のシンジの羽のATフィールドはむしろ線に近いので単純に動かしているだけなのだが。段々とATフィールドと四号機の間に隙間が出来始める。

ATフィールドを壊すのではなく動かす。こんな単純な事実に思い当たらなかった発令所の面々が呆けて、四号機の拘束が解かれ様としたその時。残ったシンジの8枚のATフィールドが動いた。



ザシュッ!

ザシュッ!

ザシュッ!

ザシュッ!

ザシュッ!



両腕に腰に両肩に腹に両足に。

ATフィールドが刃となって突き刺さる。

一万二千枚の特殊装甲をあっさりと突き破りシンジは四号機を空に晒す。

一瞬動きが止まった四号機を拘束し直して、また八本の刃が四号機に突き刺さる。



ザシュッ!

ザシュッ!

ザシュッ!

ザシュッ!



腕が千切れ。

足が落ちて。

下腹部が壊れ。

肩が崩れ。

血の紅に似たLCLが辺りに降り注ぐ。

心臓部より上を残して四号機は手足と下半身を無くす。

動き様が無い四号機の拘束を解いて地面に叩きつけると。シンジは12枚の羽を背中に戻し、1枚を手で掴んだ。



目の前で繰り広げられる虐殺を間近で見て、ある理由により動けないトウジはシンジのやろうとしている事を察した。

今シンジのATフィールドは頭上に持ち上げられ振り下ろそうとしていた。

そしてその下には”エントリープラグの上で露出している使徒”。

あれが振り下ろされたらバルディエルは死ぬ、ケンスケ共々。

理解すると同時にトウジは四号機に向かって駆け出していた。

「やめっ!!」

手を伸ばせば四号機に触れられるほど近い、だが一瞬があまりにも長く感じる。

一歩踏み出す遅さを感じながら、トウジは目の前で振り下ろされるATフィールドを見てしまった。



首から残った左の肋骨の位置を真っ二つに切り裂くATフィールド。

バルディエルを、そしてケンスケの乗るエントリープラグが斬れるその瞬間。

手を伸ばしたそのままで何も出来なかった自分。

気がつけばトウジは絶叫していた。



「おんどれ!!何て事するんやああああああああ!!!」



◆―――第三新東京市、洞木家



ヒカリは平穏な夕暮れの中、自宅のキッチンで料理本を開いていた。

あれこれと明日のメニューに思い巡らせた。

今日はいなかったので渡せなかったが、また昨日の屋上の様に渡せればいいと思っていた。

「これにしようっと。コダマおねえちゃんとノゾミとわたし。四人分か」

父親の分を入れずに、トウジの分を考えた四人分。

用意された四つの弁当箱を見ながらヒカリは笑みを作る。

「明日は食べてくれるかな?」



◆―――野辺山、碇シンジの場合



シンジの視界の中には辺りに散らばった四号機の残骸と、自分を睨みつける参号機の姿があった。

ダミープラグの初号機がいちいち飛び掛ってくるのが鬱陶しいので、早急に退散する事にした。



(僕の時、トウジと違ってケンスケはどこも怪我してない)

(あるのは四号機とのシンクロで受けた心の傷だけ)

(あの時と違って完成度の高いダミープラグにやらせらた今度は足だけじゃ済まなかったかも・・・)

(傷つかない様、そういう風に壊したからね)

(さようなら、ケンスケ)



残弾を打ち尽くしてプラグナイフを構える参号機と、飛び掛ってくる初号機を無視してシンジはその場から消えた。



◆―――ディラックの海



(判った)

(何でこれまで使徒殲滅をエヴァ任せにしていたか)

(ネルフに手柄を譲った訳じゃない)

(僕は怖かったんだ)

(この手で使徒を倒す事が)

(ATフィールドで直接”殺す”ことが)

(体の形の延長線上で死んでいく使徒が)

(僕は・・・・・・殺したくなかったんだ)

(だから周りに任せてただけなんだ)

(最低だ)

(僕は最低だ)