第拾八話
「五人目の生贄」
◆―――第三新東京市、鈴原宅
チ〜〜ン
仏壇に備え付けられた二つの位牌の前でトウジは手を合わせた。
一つは母の、もう一つは妹の。
エヴァのパイロットになってからのトウジの慣習だった。
「おとんもおじいも元気や・・・わいもなんとかやっとる・・・」
当り障り無い言葉を選んでトウジは位牌に話し掛ける。
「せやけど・・・、わいはこの頃悩んどる。勝てへんっちゅうのがこないに辛いとは思わんかった」
合わせた手を解いて、トウジの独白は続く。
「ネルフのお偉いさんは誰も言わん、ワシ等も言えん。せやけど今使徒を倒しとるんわエヴァやない、使徒や・・・わいはナツミの仇を取りたい、これ以上人が死ぬんは見たくない。けどわいは役立たずや・・・」
トウジの目にはいつの間にかうっすらと涙が浮かぶ。
何も出来ない自分自身がこれほど悔しいと思ったことは初めてだった。
「おかん、ナツミ・・・わいはどうしたらええんや?」
トウジが思い悩んでいるその頃、北米大陸のネルフ第二支部が消滅した。
◆―――ネルフ本部、発令所
「とにかく、第一支部の状況は無事なんだなっ!?いいんだよっ!計測機器のデータ誤差は、MAGIに判断させるっ!」
警報音が鳴り響く発令所。
電話越しにマコトが怒鳴るが、それさえも霞むほど回りは更に五月蝿い。
誰もが状況把握のためにどこかに電話をかけ、人の話し声が途切れる事は無かった。
シゲルはこれまで採取したデータを元に司令公務室の冬月と連絡を取っていた。
『消滅?・・・・・・確かに、第二支部が消滅したんだなっ?』
「はい、全て確認しました。消滅です」
◆―――作戦部、ブリーフィングルーム
「まいったわね・・・・・・」
ミサトは呟きながら床の巨大ディスプレイを見る。
そこには第二支部が”あった所”の映像が映し出されていた。
クレーターだけそこにあって、それ以外は何一つ無い。動く物などありはしなかった。
「上の管理部や調査部は大騒ぎで、総務部はパニクってましたよ」
「で、原因は?」
マコトの言葉を聞き流してミサトはリツコに聞く。
「今だ判らず。手がかりはこの静止衛星からの映像だけで、後は何も残ってないのよ」
リツコは横目でマヤに合図を送ると、すぐさま映像が巻き戻されてアメリカ、ネバタ洲のネルフ第2支部の建物が復活する。
それと同時に画面右下にカウントダウン表示が表れ、マヤの言葉と時同じくして数が減っていく。
「Tマイナス、8、7、6、5、4、3、2、1、コンタクト」
表示された建物を中心に一瞬、光が円形に広がる。
一秒遅れて爆音と衝撃波がそれに続いて辺りを円状に破壊し、数秒後には画面全体が赤く染まって映像は途切れた。
『VANISHED NERV−02』
ネルフ第2支部完全消滅。
「ひどいわね」
復活したクレーターの映像を見ながら思わずミサトは言う。
「半径89km以内の関連施設は、全て消滅しました」
「数千の人間を道連れにね」
それに引き換えマヤとリツコは対岸の出来事なのか、淡々としている。
実感が無いのか、事実を事実として受け入れているのか判断が難しい。
「タイムスケジュールから推測して、ドイツで修復した、S2機関の起動実験中の事故と思われます」
「予想される原因は、材質の強度不足から設計初期段階のミスまで、32768通りです」
「でも、爆発ではなく、消滅なんでしょ?つまり、消えたと」
オペレータの報告と疑問が入り混じる会話に答えたのはリツコだった。
原因は判らなくても結果は判る。
「多分、ディラックの海に飲み込まれたんでしょうね。先の弐号機みたく」
「じゃあ、せっかく直したS2機関も?」
「ぱあよ。夢は潰えたわね」
ミサトの残念そうな言葉に対してもやはりリツコは淡々としていた。
「よくわからない物を無理して使うからよ」
ミサトの言う事は充分すぎるほどリツコは判っていた。
だからこそこの時ある事を考えざろうえなかった。
(それはエヴァも同じだわ)
自分たちは”よく判らない物”を使うことで生き延びているのだから。
◆―――ネルフ本部、エスカレータ
下層へと通じるエスカレータには、現在ミサトとリツコの二人がいた。
ミサトがあの場では聞けなかった事をリツコに問いただす為だ。
「四号機・・・先の事故の被害に合わなかったって本当?」
「二日前別区画に移送されて、事故を免れたそうよ」
「事故直前にエヴァだけが避難・・・出来すぎてるわね、で残った四号機はどうするの?」
「ここで引き取る事になったわ。米国政府も、第一支部までは失いたくないみたい」
戦力が増強できる事はいい事だが、ミサトとしては納得行かない部分があるので思わず反論する。
「四号機は、あっちが建造権を主張して強引に造っていたんじゃない。参号機をうちが取った仕返し?今更危ない所だけ押し付けるなんて、虫のいい話ね」
「あの惨劇の後じゃ、誰だって弱気になるわよ」
確かに納得できる理由ではある、だがミサトとしては第12使徒の事件から胸の奥に取れないしこりが出来た気分になっていた。
自分の知らないところで想像以上の力が働いているような違和感。
「で、起動試験はどうすんの?ダミープラグを使うのかしら?」
「これから決めるわ」
◆―――セントラルドグマ、ダミープラグ研究棟
ゲンドウとリツコの前にはLCLで満たされた円筒形の水槽の中に浸るレイがいる。
天井の中央に設置された人間の脳を模して作られた機械はいつも通り動きつづけ、この空間の時間だけが止まっている錯覚を覚える。
「機体の運搬はUNに一任してある。週末には届くだろう。後は君の方でやってくれ」
「はい。調整並びに、起動試験は松代で行います」
いつもの様にレイの方を見ながら横に立つリツコと視線を合わさずにゲンドウが話す。
「テストパイロットは?」
「ダミープラグはまだ未完成です。現候補者の中から」
「五人目を選ぶか」
「はい。一人、速やかにコアの準備が可能な子供がいます」
「まかせる」
「はい」
会話は聞こえている筈だが、レイはこの二人の会話に表情を変えず瞳を閉じたままそこにいた。
◆―――ネルフ本部、赤木博士執務室
ミサトをわざわざ呼び出したリツコは本題を切り出す前に自前のコーヒーをご馳走した。
それを一口だけ飲んでミサトはリツコの言葉を待つ。
意を決したのか、少ししてリツコが話し出す。
「松代での四号機の起動実験、テストパイロットは五人目を使うわよ」
「五人目?フィフスチルドレンが見つかったの?」
「昨日ね」
ミサトは突然のリツコの言葉に慌てるが、リツコは淡々として何でもないように答える。
「マルドゥック機関からの報告は受けてないわよ」
「正式な書類は明日届くわ」
机の上にあるノードパソコンを操作をしながらミサトの追及を避けるリツコは、お目当ての情報に行き当たる。
あとはボタン一つ押せば正面の壁に埋め込まれた大型モニターがデータを表示する。
「で、その選ばれた子って誰?」
「この子よ」
リツコがEnterキーを押すと、モニタにある人物のデータが表示される。
それはミサトも少し知る人物だった。
「えっ?よりにもよって、この子なの?」
「仕方無いわよ。候補者を集めて保護してあるんだから」
「話しづらいわね、この事・・・」
「大丈夫、ミサトがそんな心配する必要ないわ」
「どういう事?」
今ひとつリツコが何を言いたいのか判らないミサトは思わず返してしまう。
「この子が自分で言いに行くわ」
◆―――第壱中学、2年A組、放課後
一日の授業が終わり、帰り支度をしていたトウジのところに、ヒカリがやって来た。
「鈴原、今日から週番なんだから、ちゃんとやりなさいよ」
「なんのことや?」
トウジはヒカリが何を言いたいのか判らないでいると、ヒカリはプリントの束を机の上に出した。
「プリント!届けてくれって、先生が言ったでしょ」
「わいが?休んどる綾波に?そらしゃーないなぁ。でも、女の家に一人じゃいけへんしな〜ケンスケはおらんし〜」
それを狙っていたヒカリはトウジの独り言にすかさず割り込む。
「それなら私が一緒に行こうか!?」
「ん?せやな、帰り頼むわ」
「う、うん」
ヒカリはトウジが自分の考え通りの回答を返してくれたので思わずどもってしまった。
だが経緯がどうあれ、口実は出来た。
その時間を大切にしようと、ヒカリは教室を出て行くトウジの後ろに着いて行った。
必死に隠そうとしているが、満面の笑みそのままに。
◆―――マンション
トウジとヒカリは連れ立ってレイのマンションを訪れていた。
一度来た事があるトウジは。呼び鈴が壊れている事も、ポストにプリントを入れても確実に見ないであろう推測もあった。
ドンドンドン!
「綾波〜〜〜おらんのか〜〜?返事せえ〜〜」
トウジがドアを叩くが前回の様に人の動く気配はしない、どうやら部屋の中には誰もいないようだ。
「すまんな、委員長。中入ってプリント置いてきてくれんか?」
「あ、あたし?」
「女の部屋に黙って入るんは、ようないと思う。せやけどポストは・・・」
そう言うトウジの視線の先には前より酷いポストがあった。
下の方にはトウジが一度見たことのあるチラシもあった、確実に数ヶ月前から全く触っていない。
「そうね・・・それじゃあ、綾波さん入るわよ・・・?」
誰も聞いてないが、性格から断ってから部屋に入るヒカリ。
トウジはドアの外で待っていたが、ドアが閉まってから少しすると階段から人の気配がした。
コンクリートに響かない足音で上がってきたのはレイだった、どうも入れ違いになったらしい。
「お邪魔しとるで」
「なに?」
「溜まってたプリントや、中に委員長が置いとる筈や」
「そう」
簡潔で素っ気無い対応、これがレイとの会話である事を知っているトウジとしては楽でよかった。
ドアの前から退いて道を空けると、ちょうどドアが開いて中からヒカリが出てきた。
「あ・・・綾波さん、その・・・プリント置いてきたから」
「そう」
ヒカリが動かないので、レイは横を通り抜けて部屋の中に入っていった。
そのままドアが閉まろうとした時、ヒカリがそれを止める。
「あの、綾波さん」
「??」
「その・・・もうちょっと女の子らしい内装とか・・・住む場所とか・・・変えた方がいいと思うんだけど・・・」
ヒカリの中では、レイの部屋が思い返されていた。
くすんだ色のカーテン。
コンクリート剥き出しの壁。
電気がつきそうにない天井の蛍光灯。
1ドア冷蔵庫の上に置かれた錠剤とビーカー。
あまりの殺風景さに委員長として女の子として是非とも助言したかった。
だがレイから返ってきたのは、友好が全く無いのではと疑いたくなる短い言葉。
「必要ないわ、それじゃ」
レイがドアが閉めてトウジとヒカリは呆然とその場に立ち尽くし、しばらくしてからその場を後にした。
冷徹とも言える、そんな三人のやり取りをシンジは隣の部屋で聞いていた。
手を伸ばせば届く距離に自分が元いた場所に近いものがある。
だがそれは見せ掛けだけの偶像、自分は碇シンジであると同時にこの世界の異端者なのだ。
誰にも聞こえないようにシンジは一人呟いた。
「・・・・・・・・・皆、元気そうだね」
あの場所に行ってしまうと、在りし日の自分を思い出してしまう。
もう無いあの時間、ければ似た今現在。決して取り戻せない時間。
縋りつきたくなる気持ちを抑えながらシンジはディラックの海に逃げ込んだ。
室内から人の気配が消える。
◆―――第三新東京市、リニアトレイン、夕暮れ
「街。人の造り出したパラダイスだな」
冬月はリニアトレインの窓から夕方の太陽を眺めていた。
「かつて楽園を追い出され、死と隣り合わせの地上へと逃げるしかなかった人類。その最も弱い生物が、弱さ故手入れた知恵で造り出した、自分達の楽園だよ」
向かいの席に座って冬月の独り言に答えるのはゲンドウだった。
さすがにリニアトレインの中ではいつもの手を顔の前で組むポーズがとれないので、手は横に置いている。
「自分を死の恐怖から守る為、自分の快楽を満足させる為に、自分達で造ったパラダイスか。この街がまさにそうだな。自分達を守る武装された街だ」
「敵だらけの外界から逃げ込んでる臆病者の街さ」
「臆病者のほうが長生き出来る。それもよかろう」
リニアはちょうどトンネルに入って窓から差し込む光が消える。
室内灯の灯りが二人を照らし、音だけが大きく響く。
「第三新東京市。ネルフの偽装迎撃要塞都市。遅れに遅れていた、第七次建設も終わる。いよいよ、完成だな」
短いトンネルの為、すぐに景色は夕暮れの光を窓に復活させる。
立ち並ぶビルは太陽の光で影に覆われ、まるで墓標の様に立ち並んでいた。
「第二支部の事故、委員会にどう報告するつもりだ?」
「事実の通り、原因不明さ」
ゲンドウ、そしてゼーレにとっても今回の事故は想定外の事故だった。
だが”本当に偶然”四号機が事故現場から離れていたのは幸いだった。十数年前の様に起こることが判った上の対処ではないので幸運と言える。
ミサトはそれを怪しんでいたが、今回は紛れも無い偶然だった。
「S2機関、ここにきて大きな損失だな」
「第二支部は問題ない。S2機関も、サンプルは失っても、ドイツにデータが残っている。ここと初号機が残っていれば十分だ」
「しかし、委員会は血相を変えていたぞ」
「予定外の事故だからな」
「ゼーレも、慌てて行動表を修正しているだろう」
「既に死海文書にない事象は起こっている。戦場を知らない老人にはいい薬だ」
◆―――ネルフ本部、休憩室、自販機前
「せっかくここの迎撃システムが完成するのに、祝賀パーティの一つも予定されていないとは、ネルフってお堅い組織だねぇ」
「碇指令がああですもの」
自販機でコーヒーを買った加地はベンチに座るマヤと話していた。
マヤの手には折りたたまれたファイルが幾つもあり、どう見ても仕事の途中なのだが。それと対照的に加地の格好はシャツをはだけた格好なので仕事中には見えない。
「君はどうなんだ?」
その言葉と共に加地は無遠慮にマヤに近付きながら顔を近づけさせる。
マヤは逃げるように顔を背けるが、どこか遊んでいるように軽く言う。
「いいんですか、加持さん?葛城さんや赤木先輩に言っちゃいますよ」
「おっと、それは怖い・・・となればここは古風に手紙で攻めてみるとしよう」
そう言うと加地はポケットから一枚の手紙を出してマヤの持つファイルの隙間に入れる。松代でシンジから預かった物だった。
「何です?これ」
「仕事ばっかりのオペレータの君たち三人への贈り物さ、内容は真摯に受け止めてくれよ?」
「ラブレター・・・じゃないですよね、日向さん達の名前もあるし」
「おいおい、そういう冗談は俺の前で言わないでくれよ。もしもそれ以上言う様ならその前にその口を塞ぐ・・・・・・」
加地は更に顔をマヤに近づけて今にも口付けそうな距離に接近したが。
それをある人物に声が止めた。
「お仕事進んでる?」
責めたてる重々しい刺を含んだ口調。
ミサトの声は休憩室を超えて、廊下にまで届いた。
突然の声に加地はマヤが持っていたファイルを顔と顔の間に入れられて、それ以上の進行を阻まれた。
「いやぁ、ぼちぼちだな」
仁王立ちしているミサトに、白々しくそう言って加持はマヤから離れる。
「ではわたしは仕事がありますからこれで・・・・・・」
一方のマヤはそう言ってそそくさと立ち去っていった
この場にいると危険だと誰かが言っている。
「あなたのプライベートに口出す気無いけど、この非常時にうちの若い娘に手出さないでくれる?」
「君の管轄ではないだろう?葛城ならいいのかい?」
加地はマヤがいたベンチに座りコーヒーを飲みながら、腕組みをして背中を自販機に預けているミサトと軽い調子で話す。
「これからの返事しだいね。地下の使徒にマルドゥック機関の秘密、知ってるんでしょ?」
「はて」
「とぼけないで」
「他人に頼るとは君らしくないな」
「なりふりかまってらんないの。余裕無いのよ、今。都合良くフィフスチルドレンが見つかる、この裏は何?」
「俺の知る真実の中から一つ、今は一つだけ教えとくよ」
そう言うと加地はミサとの顔の横に手を付いて、ミサトに顔を近づけて声をひそめる。
「マルドゥック機関は存在しない。影で操っているのは、ネルフそのものさ」
「ネルフそのもの・・・・・・碇指令が?」
「コード707を調べてみるんだな」
「707・・・・・・あの子達の学校を?」
ミサトは驚いて更に問い詰めようとするが、加地はすぐさまその場を離れる。
今話していた時の真面目な表情から一転、いつもの笑みとも呆けているとも取れる表情に戻る。
「今はそれだけ。続きはまた今度だ」
「・・・・・・・・・」
結局それ以上聞くことは出来ず、ミサトは加地を残してその場から消えた。
◆―――ネルフ本部、シンクロテスト
『聞こえる? アスカ。シンクロ率、6も低下よ。いつも通り余計なことを考えずに』
「やってるわよ!!」
リツコの言葉に対してアスカは罵声で返した。
第12使徒レリエルのディラックの海に飲み込まれた時の体験をアスカは誰にも話してはいない。
夢のことを話せば第零使徒、シンジをどう思っているか言わなくてはならない。そしてそれは『勝てない自分』を思わせる弱気な発現になってしまうかもしれない。
その後に思い出してしまった記憶の事を話せば知られているとは言え、自分の記憶を掘り返さなくてはならない。
あの時は辛うじて少ししか出てこなかったから何とかなったが、もう一度掘り返されたら立ち直れないかもしれない。
何とか誤魔化してやってきたが、その結果はシンクロ率という形で現れていた。
それがますますアスカを不機嫌にさせる。
「最近のアスカのシンクロ率、下がる一方ですね」
「困ったわね。四号機の事もあって、余裕も時間も無い時・・・」
管制室ではモニターに映る三人のシンクロ率を見ながら、マヤとリツコが話していた。
公表されず、極秘とされてチルドレンにも伝達されていないが。現在シンクロ率のトップはレイである。
トウジとアスカはほぼ同じ数値を出しているが、この調子だとアスカがシンクロ率最下位まで落ちるのは時間の問題だった。
チルドレンを思ってか、細かい数値は伝えずにアスカ>レイ=トウジと言う公式の結果だけ伝える。
「やはり先の事件の時、何かがあったんでしょうね。精神的なものが」
「エヴァのACレコーダーが作動していませんでしたから、本人に聞くしかないんですよね」
「下手をすればシンクロ率低下に繋がる、だから聞けない。悪循環ね」
また数値の下がったアスカのシンクロ率を見ながらリツコは思わず溜息をつく。
◆―――第壱中学、昼休み
「起立!気を付け、礼!」
ヒカリの号令が四時間目の授業の終わりを告げる。
チルドレンの中では唯一登校しているのはトウジだけ。
レイが休むのはいつもの事だが、今回はアスカも教室内にいなかった。
「さ〜てメシやメシ。学校最大の楽しみやからなぁ」
トウジは買い漁った食料品を取り出そうとすると、そこの放送が入った。
《2年Aクラスの相田ケンスケ、相田ケンスケ、至急校長室まで》
「何やケンスケ?何かやったんか」
突然の呼び出しにトウジはケンスケに振り返って聞く。
「いや・・・・・・まさか秘蔵の写真が見付かった、それとも動画を流したのがばれたか・・・」
どうも心当たりがあり過ぎる様子。
「・・・・・・まあ、逮捕だけはされんようにな」
トウジは一応労わりの言葉をかけておいた。
「相田ケンスケ、入ります!!」
直立姿勢にはっきりとした口調。遊びで鍛えた軍人”風”なケンスケは校長室に入っていく。
だが所詮付け焼刃なので、すぐに足を広げて手を後で組んだ”休め”の体勢になる。
てっきり自分の趣味の事で校長に呼び出されたと思っていたケンスケだったが、そこに待ち受けていたのは、髪を金髪に染めた妙齢の女性だった。
「相田、ケンスケ君ね?」
食べ終わったゴミを袋一杯にして、トウジは屋上で一人ぼんやりと空を見上げていた。
元々考えるのが合わないので、悩んでいてもぼんやりとする事しか出来なかった。
悩む事はたくさんある、だがどうすればいいか判らない。考えたくても考えられない。
そしてまたぼんやりとする。
満たされた空腹も手伝って睡魔も息を吹き返す。
眠くなってきたトウジを現実世界に引き戻したのは、屋上に上がってきたヒカリだった。
「鈴原」
「ん?なんや、委員長か」
自分の名前に反応して振り向いたが、それがよく知った人物だと判ってトウジはまた視線を上に向ける。
どうも今日は誰かと積極的に話す気になれない、そんな珍しい日だった。
「・・・・・・鈴原っていつも購買部のお弁当だね」
「作ってくれるやつもおらへんからな」
それを聞いてヒカリは少し黙ってしまう。
これまでのトウジの昼食は三日に一度くらいお弁当の日があった。
それは家事に不慣れな妹がたまに作る昼食、父・祖父・兄と家族全員に持たせる為に小学生がわざわざ作った愛情の証。
知っているからこそ、ヒカリはトウジの言葉の重さと自分の失言を悟った。
だが、立ち止まっていては先には進めない。ヒカリは意を決して次の言葉を話す。
「鈴原・・・・・・くん」
「ん?」
「あたし、姉妹が二人いてね、名前はコダマとノゾミ。いつもお弁当あたしが作ってるんだけど」
「そら難儀やなあ」
ある程度料理の大変さを知ってるから、トウジはただ単純にヒカリの凄さを賞賛した。
「だから、こう見えてもあたし、意外と料理上手かったりするんだ」
「へえ」
「だからあたし、いつもお弁当の材料・・・余っちゃうの」
「そら、もったいないなぁ」
「え?」
ヒカリは思わぬトウジの言葉に思わず疑問を投げかけてしまう。
昨日といい、今日といい。どうもヒカリが望むとおりにトウジが返答してくれる。そんな気がした。
”ヒカリの望む”トウジになっている、そんな錯覚さえ感じてしまう。
「残飯処理なら、いくらでも手伝うで」
「う、うん、手伝って!」
ヒカリ自身が望んだ結果に、思わず声が弾む。
ヒカリは嬉しそうに、トウジは呆けた表情のまま五時間目は始まった。
ケンスケは昼休み前に呼び出されてからまだ教室に戻っておらず、席は空のままだった。
授業時間が半分ほど過ぎたとき、後ろのドアが空いてケンスケが姿を現す。
「遅れてすいません!」
「話は聞いてる。席に着きなさい」
担任の老教師はケンスケに追求することなく、授業はそのまま再開された。
トウジは何となく後を振り返ってケンスケを覗き見ると、そこには”嬉しそうな”ケンスケがいた。
先日。新横須賀に趣味の写真を取りに行った結果を話す時も嬉しそうだったが、今はそれを越えて嬉しそうだった。
(何や?何かあったんか?)
トウジは疑問に思ったが、今は授業中なので本人に問いただす事は出来ない。
仕方なく前を向いてケンスケのことを思考の外に押しやる。
だが数時間後トウジの疑問は、ケンスケ自身によって解かれる事となる。
◆―――ネルフ本部、発令所
シゲル、マヤ、マコトのオペレータ三人が発令所に揃うのはあまり良い兆候ではない。
同じオペレータだが、三人揃うときはいつも使徒がやって来る時だからだ。
いつしか”自分達が揃うと使徒が来る”等と、あり得ない夢想を抱く時もあった。
今日はエヴァ四号機の為のMAGIシステムチェックとそれぞれの定例報告の為、たまたま三人が揃っただけの事だ。
最初の口を開いたのはマヤだった。
「そう言えば、加地さんが私たち三人宛てにお手紙くれたんだけど・・・」
「手紙?女性なら判るけど俺たち三人宛て?どんな内容なんだ?」
「まだ開封してないの・・・いいかな?」
「受け取ったんなら開けないと失礼だろ?」
シゲルとマコトは椅子から立ち上がってマヤの席に近付く。
マヤは机の中からペーパーナイフを取り出して、『伊吹マヤ・青葉シゲル・日向マコト』と書いてある手紙の封を切る。
「あの加地さんの手紙か・・・開けた途端爆発したりしないだろうな?」
横からマコトが茶々を入れるが、とりあえずマヤは無視して中から一枚の紙を取り出す。
そこにはこう書かれていた。
『願うは思い、自分の思い、されで現実はあなた達の思いを押し潰す。味方は自分達だけにあらず』
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・?何、これ?」
手紙と言うには抽象的で、助言の様その言葉に三人は頭を抱えて悩む。
「・・・皆で力を合わせろ、って事じゃないか?」
「現実に負けるな・・・とか」
「この”味方”って誰を指して言ってるのかな?」
三人とも少し考え込むが、自分の仕事がまだ残っているので後で加地本人に聞けばいいと考え、その手紙の事は忘れておいた。
マヤがこの時、加地が言っていた言葉を他の二人に伝えていれば未来は変わったかもしれなかった。
だが三人は三人ともこれを遠回しに『皆で協力して仕事しろ』と捉え、それ以上追求する事はしなかった。
真摯に受け取らず。その日から後、三人が加地の手紙を口にすることは無かった。
◆―――ネルフ本部、加地執務室
オペレータ三人が加地の手紙を見ているのと時同じくして、加地は部屋の中で端末に向かっていた。
その部屋の外ではアスカが大きく息を吸って拳を握りしめていた。
アスカは表情を笑顔に変えてノックをしないで部屋に入る。
「加持さんっ!」
「アスカか?すまない、今ちょっと忙しいんだ。後にしてくれ」
シンクロ率の低下、気が乗らない学校生活、癒しを求めて加地の部屋に来たが加地の態度は素っ気無い。
加地に聞こえないようにアスカはポツリと呟くが、現実を再認識させられただけで更に気分は落ち込んだ。
「ミサトには会ってるくせに」
それでもアスカは何とか拗ねた表情から笑顔に戻して、勢いよく加地の背中に飛びついた。
「わっ!!」
「こら!今はだめだ!」
加地はアスカを責めるが、アスカは気にしないで加地が触っていた端末を見る。
するとそこには自分の顔写真とパーセンテージの表示が表示されていた。
「これ、私達のシンクロデータね・・・・・・え、五人!?」
一度まばたきしてもう一度モニターを見るが、表示は何も変わらない。
左からレイ、アスカ、赤い×で表示されていないシンジ、トウジ、そしてもう一人。
予想だにしなかった新たなチルドレンの写真にアスカは激昂した。
「何これ・・・・・・どういうこと?フォースチルドレンが何でこいつなの!?いやっ、わかんないわ!!何なのこれ!?」
加地は自分の失態に思わず口を閉ざしてしまう。
だがこの時アスカはまだ幸せだった。
五人目に気を取られて、自分のシンクロ率と他の三人を比べなかったからだ。
いつの間にかシンクロ率を抜かれている、自分のシンクロ率が急激に落ちている事を彼女は知らずに済んだ。
◆―――第壱中学、通学路
落ちかけた夕日で辺りは真っ赤に染まっている中、トウジとケンスケは連れ立って歩く。
一緒に帰宅する事は何度もあったが、二人とも終始無言というのは珍しい。
しばらく歩いた後、突然前を歩くケンスケが立ち止まってトウジに向き直る。
「トウジ・・・」
「何や、ケンスケ?」
「俺・・・・・・、俺・・・・・・」
「??」
ケンスケは下を向いて顔が見えない状態で、体を小刻みに震わしていた。
何か病気かと疑いたくなる行動だが、口元の笑みと両手の握り拳がそれを否定する。
「俺・・・・・・」
「愛の告白やったら、お断りやで〜」
「違うって、俺・・・・・・」
顔を上げたケンスケはトウジと視線が合う。
「俺、エヴァンゲリオン四号機パイロットになったんだ!!」
「・・・・・・・・・え?」
トウジがケンスケの言葉を現実として受け入れるまでしばらく時間を使った。
ちょうどその頃、ヒカリは自宅の台所で料理にいそしんでいた。
上機嫌と見えて自然とハミングがこぼれ、テーブルの上にはトウジの為か大きな弁当箱が用意されていた。