第拾七話
「差し伸べた手と彼女の思い」

◆―――ネルフ本部、ハーモニクス検査



「B型ハーモニクステスト問題なし」

《進路調整数値を全てクリア》

トウジとレイのシンクロ率がアスカに迫っていた。

結果はそう取れるが、経緯は重要な問題だった。

トウジとレイのシンクロ率が格段に向上したのではなく、アスカのシンクロ率が日を追うごとにじわりじわりと落ちていっているのだ。

使えなかったサードチルドレンにシンクロ率が減っていくセカンドチルドレン。

ファースト。フォース共々シンクロ率は上昇の傾向にあるが、それも微々たる物で大幅な戦力増強には至らない。

ダミーシステムは戦闘記録とリツコの苦労により命令通りの動きを見せるようになったが、まだチルドレンの様に自由自在とまでは行かない。

開発と改修に携わる人間が技術部のトップと他数名である事実も向上を遅らせていた。

『こんな時に使徒が来たらどうしよう』

これまで何度か敗退に近い位置に行ってしまったネルフ、そこで働く人間の心情は限りなく重い。



◆―――コンフォート17、ミサト家



快晴の中の朝食風景。

これで向かい合う二人の間に明るい会話でもあれば良いと思えるのだが、アスカとミサトは終始無言だったので重い空気しかそこには無かった。

今日の朝食は近くのコンビニで買い漁った惣菜と別のコンビニからの弁当。

添加物盛り合わせの食卓だが、文句を言う人間はこの場にいなかった。

ペンペンはその横で、冷や汗を垂らしながら自分のご飯・焼き魚を齧っていた。



プルルルルル



静かな食卓に電話の音はよく響く。

すぐさま留守電に切り替わり、重い空気に寒い空気を加える声が留守番電話に登録された。

『・・・・よお、葛城。酒の美味い店見つけたんだ。今晩どう?じゃ』

「・・・・・・」

「・・・・・・」

ミサトは何とか引きつった笑顔をアスカに向けることに成功するが、反対にアスカはその電話に何の反応も示さなかった。

だが手に持つプラスチック容器がアスカの力でヒビが入る。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

結局アスカが登校するために部屋を出て行くまで二人は無言だった。



◆―――第壱中学、昼休み



第壱中学の屋上に男女数人のグループがあった。

アスカは不機嫌で黙り込んでいた。

トウジは昼飯に集中していた。

レイは何も言わずそこにいた。

その少し離れた位置。

ケンスケはカメラの整備をしながら光景を見守っていた。

ヒカリはトウジを見て目を逸らし、アスカを心配そうに見ていた。

だが、何か話すでもなく一人一人が好き勝手に何かをやっている。だから会話が無い。

ケンスケとヒカリは何が起こるか不安に思いつつ、耳をチルドレン三人に傾けていた。

「・・・・・・」

「・・・今度は杏ジャムパンに挑戦やな」

「・・・・・・」

空気が重い。

三人ともそれなりにお互いを知っているだけに、重さが苦痛だった。

トウジの独り言は何の効果も表さない。

「・・・・・・加地さんからお土産」

ようやく話し出したアスカは、ポケットからトウジとレイ宛の手紙を取り出す。

もう片方の手にはアスカ宛の手紙があった。

「土産?くいもんやないんか?」

「そう・・・・・・」

ある意味予想通りの二人の回答、アスカは何とかその後に言葉を繋げる。

「姓名占いだって、アタシもまだ中身は見てないわ」

「せやったら今ここで一斉に開けてみる、っちゅうのはどうや?」

重い空気を解消する為か、単なる偶然かトウジがアスカの言葉に食いついてくる。

「アタシは構わないわ、どうせ占いだし。ファースト、アンタはどう?」

「いいわ」

「どんな事が書いてあるんやろ?」

そして三人はそれぞれ自分の名前が書かれた手紙を開封した。

それが『加地からのお土産』だと信じて。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

皆、無言だった。

ケンスケとヒカリは三人が紙を見た瞬間動きを止めたことしか見えないので、何が書いてあったまでは判らない。

「・・・まあ、所詮占いよね」

「・・・せやな。占いや占い」

「・・・・・・これは占い?」

誰も他の人の紙に何が書いてあったのか追求はしなかった。

自分宛てに書かれた”それ”がまるで楔の様に自らの心を縛り付ける。

また三人が黙り込む空間が再構築された。

使徒襲来を告げる連絡が入ったのはそのすぐ後のことだった。



◆―――惣流・アスカ・ラングレーの場合



保安部員の運転する自動車、地上に射出予定のエヴァ配置ポイントに連れて行かれる中、アスカはポケットの中にある『加地からのお土産である姓名占い』のことを考えていた。

それをアスカ以外の誰かが見ても特に何も思わないだろう。

だが十数年生きて、ある経験をしたからこそアスカはそれを占いと一笑する事が出来なかった。

それは希望。

それはアスカが望んでいた事。

だがそれは”占い”を自分の都合のいいように解釈した結果に過ぎない。

彼女は、母は自分の目の前で死んだ、それは自分自身が確かめた紛れも無い事実。

だからこの占いを信じる訳には行かなかった。信じる、それは今までの自分を否定することに繋がるから。

信じたいけど信じたくない、ジレンマだけがアスカの中にある。



手紙の内容:『死は価値を無意味に変える、死はあなたを哀しめる。されど彼女はあなたを守り続ける、それはまだ死にあらず』



◆―――鈴原トウジの場合



右側にアスカ、左側にレイ。

狭い車内で両手に花と言える状況だが、これからエヴァに乗って使徒と戦う事を考えると浮ついた気分になれない。

同じエヴァのパイロットでありながら、それを超える操縦技術を持つアスカ。

同じエヴァのパイロットでありながら、誰も傷つける事の出来なかった使徒を退けたレイ。

自分は何の為にエヴァに乗るのか?近頃その根底が揺らぎそうになる。

そんな時に”占い”がトウジの元に訪れた。

加地と言う人物と面識はあまり無いが、良い印象も悪い印象もほとんど持っていない。『よく判ってない』のだ。

そんな男から渡された姓名占い。

トウジにとってそれは助言にも宣告にも等しい言葉だった。

占いなど自分の都合の良い部分だけ信じれば良い、だからトウジは手紙を握りつぶした。

言葉の中に秘められた、トウジが失ったと思い込んでいるものを取り戻すチャンスも一緒に握りつぶした。

深く考えない、それがトウジと言う人間の美徳でもあり愚かさでもあった。



手紙の内容:『あなたは道を見失う、あなたは殻に閉じこもる、そしてあなたは逃げ出すだろう。しかしあなたは逃げられない、彼女があなたを守りつづける限り』



◆―――綾波レイの場合



レイは表情を変えない。

自分の中にどんな思いがあり、自分がどんな事を考え、何を望んだとしても表情は変えない。

何故か?そう教えられたから、それが正しいから。

今までのレイは自ら考える事を放棄していた。

だがある者とある人をきっかけにそれは少しずつ変わっていた。

第零使徒

碇シンジ

少しずつ自分の中に”綾波レイ”が息づいていく。

命令され、動きつづける人形が自分の意志を持ち始めていく。

姓名占いの内容はまるで、その後押しをしてくれるようだった。

だが心のどこかで誰かが歯止めをかける。

自分以外の誰かが自分に語りかける。

「お前は人形ではないかもしれない、だが人間でも在りえない」

自分と似た形をした”人間”、だが自分は人間ではない。

その通りだ、自分は人間ではない。

じゃあ何?

明確な答えはまだ出せなかった。



手紙の内容:『人は何?あなたは何?生き物は何?答えは常に自分だけの思い、正しさは自らの心の中にあり』



◆―――ネルフ本部、発令所



モニターにビルの上を浮遊する巨大なゼブラ模様の球体があった。

《西区の住民避難、あと5分はかかります》

《目標は微速前進中。毎時2.5キロ》

「どうなってるの?!富士の電波観測所は!?」

第三新東京市の上にいつの間にか浮かんでいた第12使徒、レリエルを見ながらミサトは周りに当り散らす。

「探知していません。直上にいきなり現れました」

何とか原因を突き止めたいとは思うが、オペレータのシゲルとしてはそれ以上言い様が無かった。

正しく第三新東京市に突然出てきたのだから。

「パターンオレンジ。ATフィールド反応なし」

マコトはその後に続けて状況を読み上げる。

パターンオレンジ、まだ『未確認移動物体』とセンサーは告げていた。

「どういう事?」

「MAGIは判断を保留しています」

MAGIからの結果を待っていたマヤはすかさず報告をあげる。

「こんな時に碇司令はいないのよね・・・」

作戦部長として更に上に頼る姿勢はどうかと思うが、ミサトは現状での最高責任者不在に頭を抱える。

実質第10使徒の時と同様に、ミサト自身が作戦最高責任者となるからだ。

少し混乱気味の発令所のモニターには、ただ浮かびながら進みつづけるレリエルの姿を写していた。



◆―――第三新東京市、市街



相手はおそらく使徒、だが攻撃方法が判っていないので情報収集が主旨となる。

作戦部長の出した結論は、ダミーシステムを除いたエヴァ三機による牽制だった。

ビルを影にしながらレリエルから一定距離を取って零号機、弐号機、参号機が配置されていた。

ダミーシステムの初号機はいつでも発進出来る状態で待機。

《みんな、聞こえる?目標のデータは送ったとおり、今はそれだけしかわからないわ。目標に接近して反応をうかがい、可能であれば市街地上空外へ誘導を行う。先行する一機を残りが援護。よろしい?》

ミサトは現状での最良をパイロットに告げる。確かに今はこれ以上の事は出来ない。

「アタシが先行するわ、いいわね」

スマッシュトマホークを構えた弐号機から、アスカが他の二機に通信を送る。

《いや、ここはわいが先行で行ったる。惣流はバックアップに回るんや》

「アタシよりシンクロ率低いアンタが行ったらやられるのが落ちよ、あたしに任せなさい」

《なんやて!?何も出来へんで終わるのはこりごりや、わいにやらしてもらうで》

「アタシよ」

《わいや》

「アタシよ!!!」

《わいや、わいがやる!!》

《止めなさい二人とも!!》

いつもより険悪な口喧嘩に発展しそうなアスカとトウジを止めたのはミサトの通信だった。

《弐号機が先行して、残りがバックアップ。これは命令よ》

「弐号機了解」

《参号機・・・了解》

不承不承トウジは命令を受け入れる、だが納得していない為声は苦いものが混じる。

《零号機、バックアップに回ります》



◆―――ネルフ本部、発令所



「いいの?ミサト?」

「今のトウジ君、自分が役に立ってないって思ってるのよ。こんな状態じゃ前線は無理よ」

「それだけ?」

少し意地悪い口調でリツコはミサトを追求する。

「・・・アスカがちょっとでも自信を持てたら・・・ね」

アスカが使徒以外で不愉快である原因の一つを作っているミサトとしては、アスカにこの使徒に勝って調子を戻してほしいと思っていた。

保護者としてはそれは正しいのかもしれない、だがここは戦場で生死がかかっている。

現実から逃避するようにリツコはそんなミサトに一言だけ言った。

「あなたいい保母さんになれるわよ」



◆―――第三新東京市、市街



慎重にレリエルの周りを移動する三機のエヴァ。

レリエルの進むスピードは人が歩く速度より遅いので、エヴァの移動速度に比べると異常に遅い。

そして三機は取り囲むように三ヶ所に布陣する。

レリエルの進行方向より若干斜めの位置にスマッシュトマホークを構えた弐号機。

ちょうどレリエル、零号機、参号機で正三角形を描く位置で兵装用ポジトロンライフルを持った零号機とパレットライフルを構える参号機。

《配置準備完了》

《いつでもええで》

エントリープラグのスピーカーからそれぞれ通信が入る。

「こうげ・・・」

先行しようとするアスカの言葉が途中で途切れ一瞬意識が現実を受け入れなくなる。何事も無く進んでいたレリエルが突然消えたことにより。



◆―――ネルフ本部、発令所



PATTERN BLUE!!



発令所に警告音が鳴る。

「パターン青、使徒発見、弐号機の直下です!!!」

マコトは慌てながらも何とか現状を報告する。



◆―――第三新東京市、市街



「影っ!?」

アスカは慌てて視線を弐号機の足元にやると、そこには黒い染みがあった。

すでに弐号機の踝の部分がその染みに吸い込まれていた。

「ちっ!」

持っていたスマッシュトマホークを振り上げて染みを切り裂こうとするが、スマッシュトマホークはエヴァと同じように吸い込まれるだけだった。

「何・・・これ?」

自分がじわじわと吸い込まれていく感触がエヴァを通して伝わってくる。

底なし沼か泥土に飲み込まれる嫌な感触、アスカは咄嗟にスマッシュトマホークを影から持ち上げて近くのビルに突き刺す。

アスカの心が予想外の攻撃方法に戸惑いながらも、鍛えられた体は自らを守る為動く。

スマッシュトマホークから伝わる手ごたえを確かめる間もなく、弐号機を強引に影から引き上げる。

そのままスマッシュトマホークを足場にしてアスカはビルの上に上がっていく。

「・・・」

ホッと一息つきたいところだが、登る時に上に見えるレリエルがそれを許さない。

アスカは肩のウェポンラックからプログナイフを出してビルにしがみ付きながら球体に向かって投擲する。

先ほどと同じようにレリエルが消えたのはナイフが当たる直前だった。

「また消えた!?」

《皆、影に気をつけて!!》

リツコの叫びに近い命令がスピーカーから届く。





足元に広がる影、それを感じた瞬間零号機はビルの上に跳躍していた。

弐号機を飲み込んだ時と同じように黒い染み:レリエルの影は零号機が立っていた位置にある全てを飲み込んでいく。

自動車も、街頭も、零号機が接続していたアンビリカルケーブルも、地面と繋がっている筈のビルでさえ。

素早く兵装用ポジトロンライフルを真上に向かって撃つが、レリエルはまた消えて当たる気配が全く無い。

今までビル郡を飲み込んでいた影はその場所から姿を消すが、影がなくなって上半分だけ切り離されたビルが残った。

地上と上半分のビル以外は全てどこかに行ってしまった。

抉れた辺りを見回しながらレイはレリエルの位置を探す。

遥か遠くに浮かぶレリエルの球体をレイが見つけたのは、参号機の直下に使徒発現の言葉を聞くのとほぼ同時だった。





一瞬動きが止まる。

自分の立つ位置に影が差し、太陽光が遮られたと思った瞬間参号機は地面に吸い込まれていた。

「使徒!!」

吸い込まれる自分、それ自体が恐怖の象徴である影そのものに怯える自分を打ち消すようにトウジは参号機を操ってパレットライフルを上に向ける。

《トウジ君、駄目!!》

ミサトの通信が入るが時既に遅し、トリガーを引かれたパレットライフルから秒速2000mで弾丸がはじき出される。

そして先の零号機の時と同じように頭上の球体が消え、影も一緒になって消える。

飲まれた参号機の足と一緒に。



ブチンッ!



人体を力ずくで引き千切ったような嫌な音。

参号機は両足を切断され地面に横たわる。

「うがあああああああ!!!」

激痛がトウジを襲う。





アスカとて馬鹿ではない、三回も同じ行動をしていればいい加減レリエルの攻撃方法も判ってくる。

どう移動しているかは判らない、だが敵の直上に移動して自らの影で相手をどこかに引きずり込む。

無い無い尽くしで判らない事だらけだが、攻撃パターンさえ判れば他はどうでもいい。ただ殺すだけだ。

まだ形を保っているビルの上に臨戦体勢で敵を待つ弐号機。

現れるその瞬間を狙っての攻撃、その一瞬を逃さない為にアスカは気を窺う。

弐号機、零号機、参号機。そしてまた自分に攻撃してくるだろう。

アスカの予想は間違いではなかったが、レリエルの攻撃方法はその予想を更に上回っていた。

弐号機の頭上にレリエルが現れる、待ち望んだその瞬間に持っていたプログナイフを投げようと腕を動かすがそれが急に”何か”によって遮られた。

「何?故障!?」

急いで視線を弐号機の右腕に動かすと、そこにはビルの脇から生えて来た細く黒い帯が何枚も弐号機に絡み付いて動きを止めていた。

影が形を変えて別の攻撃をしている。

アスカがそれに気がついたのは黒い帯が弐号機をビルの上から地上の影に飲み込もうと引き摺り、空中に投げ出された時だった。

《アスカ!!》

目の前に迫る地上の影、ミサトの通信が遠くに感じられた。



◆―――ネルフ本部、発令所



「ちょっとリツコ、何なのよあれは!!」

ミサトの差す”あれ”とは勿論使徒の影のことだ。

使徒と問われれば空中に浮かぶゼブラ模様の球体を誰もが指差すだろう。だがセンサーは足から着地した弐号機を飲み込んでいる影からパターン青を検出している。

「二体同時?またこの前みたいに分裂してるの?」

「いえ、違うわ!上にいる球体こそ影、使徒の本体は影そのものなのよきっと」

「影が?」

「そんな事よりミサト!今はそんな事話してる余裕は無いわ!!目標に対して明確な攻撃方法が無い以上撤退を推奨するわ!!」

「そうね・・・球体に攻撃してもすぐ逃げられるし。聞こえるレイ!?アンビリカルケーブルを引っ張ってアスカと弐号機を回収、一時撤退よ!!日向君、ギリギリのタイミングでエントリープラグの射出信号を!!」

「はい!!」

弐号機自身が何とか抜け出せれば文句は無い、だが今は回収できるかも怪しい事態。

既に腰まで影に飲み込まれた今となっては球体を攻撃して影を移動させる事は危険でしかない。

下手すれば弐号機の下半身が消えたフィードバックでアスカが死ぬ、加えて影が足を失った参号機の下に現れたら打つ手が無い。

唯一自由に動ける零号機での回収作業、それが今ネルフが出来る精一杯だった。

時間的には間に合わない可能性のほうが高いが、今はそれに賭けるしかない。マコトの報告が入ったのはちょうどその時だった。

「ぱ、パターン青発生!!弐号機直上です!!」



◆―――第三新東京市、市街



プログナイフを右手から左手に持ち替えて纏わりつく帯状の影に斬りつける。

効果なし、見た目どおり影なのかそれとも別の何なのかナイフはただすり抜ける。

下半身が飲み込まれて身動きが取れない、まだ使徒を自分の常識内で考えようとしていた自分を恥じた。

何か打開策は?

零号機が助けにきてくれるらしいけど、それは何か嫌だ。それに遠距離に配置されていたのでおそらく間に合わない。

(このアタシが使徒に負ける?)

(冗談じゃないわ!!)

しかし方法が思いつかない、ただ弐号機が飲み込まれていく。

(どうする?)

(どうする?)

(どうする?どうする?どうする?どうする?)

胸まで影に沈んだ、左腕も影の中、右腕は拘束されて動かせない。

絶体絶命の状況でもアスカはまだ諦めていなかった。

そんな時だった。

オレンジ色の帯が腕に絡み付いてきた黒い影を切り落とし、肩と腕に絡み付いて弐号機を引き上げたのは。

「何!?」

視線を上に向けるとゼブラ模様と自分の間に人影を発見した。

背中からATフィールドが伸びて弐号機と人影を影に飲み込もうとする影の帯を払いながら弐号機を掴んでいる。

半分は攻勢用、半分は弐号機を救い出すため。弐号機が手を伸ばせばそこにいた。

憎むべき、倒すべき敵、使徒。碇シンジが。

何も出来ない弐号機の中でアスカは自分を覆うATフィールドを感じていた。

間近で見ることは何度もあったが、触れるのはこれが初めて。

無機物とも違う温かい感触。

まるで”母に抱かれている様・・・”。それを考えた瞬間アスカは影から左腕を持ち上げてシンジに攻撃していた。

まだ下半身は影の中だが、攻撃するには支障は無い。

シンジは咄嗟に弐号機を掴んでいたATフィールド6枚の内、4枚を戻してプログナイフを遮る。

黒い帯を払いながら弐号機の攻撃を止めながら、弐号機を支えるシンジ。

アスカは考える、確かにこの力は単純に凄いと思う。

だがその考えそのものが、自分自身をアスカは許せなかった。

(凄い?ATフィールドならアタシにも使える!)

(助けられる?そんな事許せない)

(あの女に助けられるなんて、嫌!)

(でもあなただけは、絶対に死んでも嫌!!!)

それはアスカが第零使徒を始めて一つの個体として見た瞬間でもあった。

だがアスカの意志は”拒絶”、ATフィールドはアスカの思いそのままに弐号機とシンジの間に壁を作る。

そしてシンジのATフィールドは弐号機から切り離された。

弐号機は影の中に吸い込まれ、姿形全てが消えた。



◆―――第三新東京市、市街、碇シンジの場合



まだ自分を飲み込もうとするレリエルの黒い帯を捌きながら、シンジは自分の真下にある影を眺めていた。

今、弐号機を吸い込んだ影。

だがシンジはそんな物より、弐号機が出したATフィールドに驚いていた。

(ATフィールドは心の壁・・・)

(自分自身の形・・・)

(それは生命の意志そのもの)

(あの時のアスカのATフィールド・・・)

(僕に助けられるのが嫌だった・・・のかな?)

(確かめてみるか・・・)

そしてシンジは12枚の羽のATフィールドを全て解除した。

レリエルの影はシンジを飲み込んで動きを止める。

弐号機救出のために走ってきた零号機を無視してそこにいた。

足首から下がなくなった参号機も無視してそこにいた。

まるで自分の敵はお前達では無い、と言わんばかりに。



◆―――第三新東京市、四時間後、移動指揮車



ネルフのメンバーは情報収集と事態に慌てながらも現状を何とか理解していた。

エヴァ弐号機行方不明、アンビリカルケーブルを引き上げた結果それが判った。しかしパイロットが生命維持モードに切り替えて耐え抜いたとしてもたったの16時間しかない。

エヴァの武器殆どが効果なし。唯一の例外はATフィールドだが、それを張る為のエヴァが不足している。

ダミープラグの初号機は弱く、参号機は中波で移動戦力としてはあてに出来ない。損傷無しの零号機だけではATフィールドは圧倒的に足りない。

そして第零使徒が生きていた事実。

それは使徒と言う人外の怪物を相手にしているネルフにとっても常識外の事だった。

何しろ前回の戦闘で腕も足も下腹部もコアと思われる場所も殆ど破壊して、首と肩位しか残さなかった筈なのに、今回の戦闘では完全に復帰して戻ってきた。

屍骸は発見できなかったが、あれだけ壊せば倒せたと思い込んでいたネルフとしては予想外の事態だった。

例え弐号機同様にレリエルの影に飲み込まれたとしても、倒したと言う確証はない。

戦力不足で八方塞・・・、それでもネルフは使徒を倒さなければならない。

「影は?」

「動いてません、直径600mを超えたところで停止したままです」

望遠鏡から見える町の中に出来た円形の影を見ながらミサトはマコトに聞くか考える事しか出来なかった。

数時間後にリツコが情報を解析した結果を持ってくるまで、ミサトは特にやる事が無かった。



◆―――ディラックの海



アスカはエヴァのエースパイロットである。

それを自負するだけの結果と行動を常に示さなければならない。

そんな固定観念に囚われたアスカは、この時の正しい行動を起こしていた。

生命維持モードでひたすら耐える。

レーダーやソナーを打っても全く返ってこない何も無い広すぎる空間。

エントリープラグの中でアスカはただじっと耐えていた。

「・・・・・・・・・・・・ママ」



◆―――第三新東京市、移動指揮車、横



指揮車の上から強いライトが光り、リツコが色々説明の為に書いたホワイトボードを照らす。

使徒の監視の為に数人以外、作戦に携わる主要メンバー全てがそろう中。リツコの説明が終わりまずミサトが口を出す。

「じゃあ、あの影の部分が使徒の本体なわけ?」

「そう。直径680メートル。厚さ3ナノメートルのね。その極薄の空間をATフィールドで形成。内部はディラックの海と呼ばれる虚数空間。多分、別の宇宙に繋がっているんじゃないかしら?」

専門知識を動員して説明したが、結局それが判るのは技術部のメンバーだけ。

要約してきた作戦部のトップを冷めた目で見ながらリツコは返す。

「あの球体は?」

「本体の虚数回路が閉じれば消えてしまう。上空の物体こそ影に過ぎないわ」

「弐号機を取りこんだ黒い影が目標か・・・」

思っても見なかった敵の正体にミサトはため息をつきながら頭の中で作戦を練っていた。

だが、こちらの戦力を考えるとあまり良いアイディアは出てこない。

弐号機が飲み込まれてから8時間。時間はただ流れ続ける。



◆―――ディラックの海



「・・・・・・・・・」

体育座りの姿勢で体を丸めながらアスカの目はLCLの変化を見ていた。

エヴァの生命維持モードと言えど、単体でエントリープラグ内全てのLCLを浄化するには無理が生じる。

血の匂い。

自分自身の新陳代謝がもたらす濁り。

一歩ずつ近づいてくる『死』。

それでもアスカの心は折れなかった。

心を支える柱の名前は『復讐心』。倒せないままで、負けたままで終わるなどアスカ自身が許せなかった。

プラグスーツの時計は止まることなく時の流れを刻みつづける中、アスカは耐えた。

座席の後のいつの間にか人影が現れたことに気付かないで。



◆―――第三新東京市、移動指揮車、横



「エヴァの強制サルベージ!?」

作戦立案すらままならないミサトの元にリツコが作戦を持ってきた。

「現在、可能と思われる唯一の方法よ」

指揮車からのライトの前で向かい合う、ミサトとリツコ。

目的は『使徒殲滅』にお互い向かい、二人は親友である筈だが。この場にそんな浮ついた空気は無かった。

まるで憎しみ合う敵同士の如く二人は視線を外さずに睨み合っている。

「992個。現存するすべてのN2爆雷を中心部に投下。タイミングを合わせて残存するエヴァ三体のATフィールドを使い使徒の虚数回路に1000分の1秒だけ干渉するわ。その瞬間に爆発エネルギーを集中させて、使徒を形成しているディラックの海を破壊する」

実にリツコらしい”現実的”な作戦だった。

ミサトも作戦内容としては考えた案だったが、ある理由により除外していた。

そのある理由を武器にリツコに詰め寄る。

「でも、これではエヴァの機体が、アスカがどうなるか。救出作戦とは言えないわ」

「作戦は弐号機の機体回収を最優先とします。たとえボディが大破してもかまわないわ、それにもう片方の使徒も楽観視すれば倒せるかもしれない」

「ちょっと待って!」

「この際、パイロットの生死は問いません」

あまりの言い様にミサトが遂に切れた。



パアンッ!



「この状況はあなたのミスなのよ。それ、忘れないで」

叩かれた頬に手を当ててリツコが返す。

ミサトは人道的に考えるなら正しい、だがこれは人類対使徒の戦争。ネルフの存在意義としては何が何でも勝たなくてはならない。

時としてパイロットに『死んで来い』と言う命令を出さなくてはならないミサトはあまりにも甘すぎた。

自分の場所、自分の仕事、果たさなければならない任務を全て誤魔化してミサトはリツコの胸倉を掴んで話す。

「そこまで碇司令やあなたがエヴァにこだわる理由は何?」

リツコは初めて目を背けミサトから視線を外す。

「エヴァってなんなの?」

「あなたに渡した資料が、そのすべてよ」

「・・・嘘ね」

ミサトが渡された資料にはエヴァの基本スペックやパイロットのシンクロに付いて書かれていた。

だが『何と』シンクロするのか?どうやって作るのか?重要な部分は削除された。

ミサトに確証は無かったが長い付き合いでリツコが嘘をついていることを見破れた。

だがその部分を話す気はないのか、リツコは口を塞ぐ。

「この作戦についての一切の指揮は私が取ります」

ミサトの手を解いてリツコは指揮車から離れながら指示を飛ばす。

「関空(関係空港)にも便をまわすわ。航空管制と空自の戦略輸送団に連絡を」

ミサトはそんなリツコの指揮振りを横目で見ながら思い悩んでいた。

自分の知らない秘密、その全てをよりを戻した加地が知っているなど夢にも思わずに。



◆―――ディラックの海



アスカが目を開けるとそこは夕焼けの光が差し込む電車の中だった。

自分はさっきまでエントリープラグ内で身を縮めながら耐えていた筈。

(死んだ?)

そう思いもしたが、すぐに思い直す。

(きっと夢ね)

見たことも無いその光景を冷静に見ながらアスカは考えていた。

周りを見渡してみると景色が動いていない、電車内に乗客は自分一人、だが電車は音を立てながら動いて微かな振動も感じる。

(やっぱり夢ね、眠っちゃったんだアタシ)

夢から現実に戻る明確な方法など知りはしない、ただ待つことしか出来ないアスカとしては精神的なリフレッシュになると思ってこの状況を受け入れた。

一人である事を思い知らされるが、眠る事で生きる可能性が伸びるかもしれない。そんな淡い期待もあった。

『惣流・アスカ・ラングレー』

「!?」

突然響いたその言葉に視線を正面に向けると、そこにはいつの間にか人影があった。

夏服の学生服に短い黒髪、どこか儚いな印象を受けたが俯いているのか目は見えない。

二度しか見ていないが、アスカはしっかりと覚えていた”使えないサードチルドレン”である。

「誰?」

『碇シンジ』

「・・・・・・」

思ったとおりの回答に一瞬押し黙ってしまう、何故自分の夢なのにこいつが出てくるのか?出てくるなら加地さんが良かったなどと考える。

『僕は碇シンジ』

「・・・・・・・」

『選ばれていたチルドレン』

「・・・・・・・」

『でも僕はエヴァとシンクロ出来なかった』

「・・・・・・・」

『使えないチルドレン』

「・・・・・・・」

『シンクロしないチルドレン』

「・・・・・・・」

『僕は使えないチルドレン』

「・・・・・・・」

『でも碇シンジ』

「・・・・・・・」

『僕は僕自身、他の誰でもない』

「・・・・・・・」

『碇シンジ、碇シンジと言う存在』

「・・・・さ・・・」

『僕と言う形』

「・・・・・・・い」

『碇シンジと言う形』

「・・・・るさ・・・」

『それは”人”の形』

「・う・・・・い・・」

『それこそが”碇シンジ”』

「五月蝿い!!」

アスカの夢ならば何故こんなにも話し掛けられなければならないのか?

内心の葛藤で夢から覚めようとするが、どうやっても覚めない。

それどころか動くのが視線だけで、体の各所や頭を横に振る事すらいつの間にか出来なくなっていた。

手で耳を塞ぐ事も、立ち上がって殴りかかる事も、言葉を叫ぶ事しか出来ない。

これこそが悪夢だ、何一つ自分の思い通りに行かない世界。

一瞬だけ目の前のシンジはアスカの罵声に言葉を止めたが、すぐに会話とも言えない語りを再開する。

聞き手に甘んじるのはアスカの流儀ではない。これが夢で話すことしか出来ないのならば、口で負かす。それがアスカだった。

『僕は何?』

「何言ってんの?シンクロすら出来ないサードチルドレンじゃない」

『そう、僕はエヴァとシンクロしない』

「はんっ!アンタなんか選ばれたチルドレンじゃないわ!碇司令の息子、アンタにあるのはそれだけよ」

『それは他者が決める、個人の定義の一つ』

「エヴァのパイロットにもなれない落ちこぼれ、やっぱりこのアタシこそが世界一なのよ」

『それは定義の一つ、周りから与えられた偽りの資格』

「・・・何を言ってるの?」

『僕はそんな物はいらない』

「エヴァのパイロットよ?人類最強の兵器!対使徒の汎用決戦兵器!選ばれた人間にしか操れない人類の至宝よ?」

『兵器は破壊の申し子、その力は人を傷つける』

「やっぱりアンタは腰抜けよ!アンタは逃げてアタシは戦う!使徒を倒す為に!!アタシ自身のために」

『だから助けてくれようとした使徒を拒絶した?』

「助ける?あっちが勝手にやってる事じゃない。それにアイツは使徒なんだから倒さなきゃいけないのよ」

『それは人類の為?』

「あんたバカぁ?わけわかんない連中が攻めてきてんのよ。降りかかる火の粉は払いのけるのがあったりまえじゃない」

『判ろうとしないのに?』

「判るわけないじゃん、だって使徒なんだから」

『通じ合おうとする相手に攻撃する事が?』

「通じ合う?その考えがありえないのよ!!使徒は敵、それ以上でも以下でもないわ!!」

『・・・負けるのが怖いから?』

「はっ?」

『通じ合えば、知ってしまえば理解してしまうから?』

「理解なんて出来るわけ無いでしょ!同じこと何度も言わせないでよ!!」

『認めることなんて出来ない、負けることなんて許されない』

「そうよ!アタシに負けは無い!それはこれまでもこれからも変わらないわ!」

『もし味方になれば自分達の力が及ばない事が判ってしまう』

「ありえないわ!!」

『敗北、敗退、エヴァが使徒に負ける』

「ありえない!!」

『勝てない』

「そんな事無い!!」

『知ることが怖い、自分の居場所が無くなることが怖い』

「嘘よ!」

『エヴァのパイロットの存在意義が消える』

「違う!」

『負けると本当は判っている』

「違う!」

『自分は使徒に勝てない、そしてその使徒を自分以外が退けた』

「違う!違う!違う!」

『使徒を倒す事で自分を安心させる、助けられるなど受け入れたくない』

「五月蝿い!!!」

アスカはこれが夢であると言う自分を忘れ叫んでいた。

だが耳を防げない、声を止める事が出来ない。

最後に一つだけ出た自分の本音、それは完全な”拒絶”だった。



◆―――第三新東京市、移動指揮車



「エントリープラグの予備電源、理論値ではそろそろ限界です」

「プラグスーツの生命維持システムも危険域に入ります」

マコトとマヤの報告を聞きながら、責任者となったリツコは考える。

自分が出来る精一杯、出来る事ならパイロットには死んでほしくないという願いも確かに存在する。

「12分予定を早めましょう、アスカが生きている可能性がまだあるうちに」



◆―――ディラックの海



今よりも幼いアスカの泣き声が聞こえる。

だがそれを聞いているアスカがいた。

じゃあ泣いているのは誰?自分は誰?

「幻聴まで聞こえてきた・・・」

エントリープラグの内壁を見つめながらアスカはそっと呟いた。

先ほどまで見ていた”夢”はもう周りには無い。

電車も風景も音もシンジも何も無い。夢から覚めた証拠である。

だが耳には幼かった頃の自分の泣き声が聞こえてくる。

『アスカちゃん?ママね今日はアスカちゃんの大好物を作ったのよ?・・・』

「!!」

どこからか声が聞こえてくる、それは自分の奥底深くに封印していた記憶。

決して掘り起こしてはならないと心に決めたアスカの否定したい過去。

慌てて目を見開いて辺りを見渡すがエントリープラグの風景は何一つ変わってはいない。

手を耳にやって音を消す。

だが声は消えずにアスカの中に入ってくる。

『毎日あの調子ですわ、人形を娘さんだと思って話しかけてます・・・』

『研究ばかりの毎日で娘をかまってやる余裕も・・・』

『人間と人形の差なんて紙一重なのかも・・・』

「嫌っ!」

記憶に残る”あの男”と女医の会話。

母を捨て、自分に見せ掛けだけの愛情を注いだ偽善者。

『アスカちゃん。いいのよ。我慢しなくても・・・』

「嫌っ!」

母の墓の前で話し掛けてくる祖母。

涙を流しながら、アスカの心配をする。

忘れようとしていたあの瞬間

『いっしょに死んでちょうだい・・・』

「嫌っ!」

あの部屋の少し前、天井からぶら下がる生きていた母の最後の姿。

自分の首に伸びてくる手。

全てが鮮明で、まるでその場にいる錯覚を覚える。

『アスカはまだ子供だからな・・・』

「嫌っ!私を見て!!」

日本に着く前にオーバー・ザ・レインボーの甲板で加地に迫った自分。

誰も”アスカ”を見ない。

忘れたい事実。

アスカはエントリープラグの中で悲鳴を上げた。

「ひとりは・・・一人はいやああああああああ!!!!」





黒い泥土の中をシンジはゆっくりと進んでいた。

星の無いディラックの海、これも宇宙の一つ在り方と考えながらレリエルのコアに近付いていた。

探すのは”還ろうとする意志”、自分の中のアダムがそれを遂に見つける。

(紅いコア・・・の筈)

(光が無いってことは見ることも出来ない)

(アスカの心も判ったし・・・)

(レリエルは僕が倒そうかな?)

目の前に感じられるレリエルのコアを手探りで触りながらシンジは考えていた。

ディラックの海の中を調べる手段は今の人類には無い、あるとすれば使徒自身の生体機関だけ。

ここで自分が何をやっても外に気付かれる事は無い。

掌からコアを包み込むATフィールドを発生させてレリエルを回収しようとしたその時、シンジは背中の方角から突き進んでくる物体を感じた。

(弐号機!?)

ずっと一人で閉鎖空間にいたため。幻覚を、自分自身の過去を覗いてしまったのだろう。

アスカを守る為にこの空間を形作るコアを破壊しに来た、シンジはそう考えた。

(早い!!)

一秒と経たずにシンジに衝突するその巨大な塊に対して、シンジは12枚の羽全部を広げて迎えた。

衝突するシンジと弐号機。

シンジが自分自身を守る為の本気のATフィールドが展開されると、あっさりと空間が爆ぜた。

強大すぎる力、壊れていく空間を眺めながら改めてシンジは自分を考えた。



◆―――第三新東京市、市街



600mまで膨れ上がったディラックの海、その周りの三体にエヴァが配置されていた。

弐号機を飲み込んだ影から伸びてくる帯を警戒したが、全く動きが無いので配置はスムーズに行えた。

ダミープラグで動いている初号機に、両足を広げていつでも飛び上がれる体勢の零号機。

そして足首がなくなって修理も間に合わない為、膝で移動する無様にも見える参号機。

N2爆雷投下、60秒前。

作戦が始まろうとしたその時に”それ”は起こった。





全てを飲み込んでいた円形の影に亀裂が入り、紅い色が底から浮かび出る。

円は歪み、どんどん縮小して地面を揺らす。

影そのものが巨大な生物を思わせる動き、影の大きさが空中に浮かぶ球体とほぼ同じになるまでそれ続いた。

「状況は!?」

ミサトは咄嗟に近くにいるマコトに話し掛ける。

「判りません」

「全てのメーターは振り切られています」

マヤの言葉通りなら、それは”計測不能”を意味する。

エヴァのATフィールドですら計測するセンサーでも捕えきれない強大な”力”。



パン!



まるで風船が割れた音と共にレリエルの中からそれは姿を見せる。

オレンジ色に光り輝く巨大な12枚の羽。

黒衣の衣装と白い仮面に白い長髪は、球体の中にあった紅い液体で染まっていた。

そのすぐ下にいた弐号機は重力に引かれるまま自由落下を始める。

「アスカ!!」

元々弐号機のエネルギー残量は0に限りなく近い。

パイロットは失神しているのかエヴァ弐号機が動く気配は欠片も無い。

そして地面に叩きつけられる弐号機。

シンジはそれを見ながら羽の大きさを小さくしていつもの大きさに戻す。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

誰も声が出なかった。

初めて現れたときと同じように、恐怖が畏怖が存在そのものが人を縛り付ける。

紅く染まった白い髪に美しさを覚え、12枚の羽を持って浮かぶその姿に人は惹かれる。

そして人は唐突に理解する。

『勝てない』

シンジはそのままいつもと同じように姿を消す。

いつも通りに。



◆―――第三新東京市、病院



アスカの診断結果は異常なし。

病室で眠るアスカのベッドの横にある椅子に座るのはレイだった。

「・・・・・・・・・ここは?」

「病院、今日は寝ていて」

目を覚ましたアスカはレイの言葉と周りの景色から現実を取り戻す。

だが呆けたようなその表情がすぐに怒りに染まる。

「使徒は!あの丸っこいのと零使徒はどうなったの!?」

「第12使徒は殲滅、第零使徒は逃亡」

アスカの激情を受け流してレイは淡々と事実のみを告げる。

答えたのだから感謝すべきだが、アスカはそんなレイの様子に怒りを覚える。

「殲滅・・・誰が倒したの・・・」

それは出来れば知りたくない事だった、だがアスカは聞いてしまった。

「赤木博士によれば第12使徒はあなたが倒したそうよ」

「・・・・・・・・・出てって」

冷静に考えれば、理不尽な怒りだと判っている。

だが感情が納得は行かない、『自分が倒したのではなく使徒に助けられた』等と。

今までのあやふやな事象ではなく、はっきりと思い知らされるアスカだけが知るその事実はアスカの心を蝕んだ。

「そうするわ」

レイはアスカの怒気をまた受け流して病室を出る。

自動ドアが開くと壁に寄たれかかるトウジがいたが、レイはそれを一瞥しただけで何も言わず歩いて行ってしまった。

「皆、皆大っキライ!」

外でアスカの事を心配していたトウジはその言葉を聞いて病室に入れずその場を後にした。

この日を境にアスカに急激な変化が訪れる事となる。