第拾壱話
「熱い世界の困惑と殺意と怨恨と願い」
◆―――ゼーレ、会合
01から02,03と続く数字が描かれたモノリスが立ち並ぶ闇の空間。
その中にゲンドウの姿は無く、それ以前に人の姿もないその部屋で人類補完委員会ではなくゼーレの会議が行われていた。
『あの力、我らの予想を越える』
『さよう死海文書の記述にかの使徒は存在しない』
『ましてやそれが人と似るとなれば面倒なことになる』
『来るべき第17使徒、人と同じ体は奴一人の物である筈』
『これまでは碇に任せていたが、早急に手を打たねば面倒なことになる』
『さよう、単独で使徒を押さえ込む力など合ってはならん事だよ』
『先の戦いでエヴァによる殲滅も可能と判った』
『潮時・・・と言うことですな』
意見を言っているのか別人の声で一人の考えを代弁しているのか不明だが、誰もその意見に異を唱える事は無かった。
一息ついたところで、人類補完委員会のキール・ローレンツと同じ声でモノリスの01が言う。
『ネルフが呼称するイレギュラーの”第零使徒”、奴を最重要殲滅対象する』
『『『『『全てはゼーレのシナリオのままに』』』』』
声が幾つも重なり全てのモノリスが消えて部屋には何も無くなった。
こうしてシンジはネルフだけではなく、その上位組織ゼーレからも殲滅の決定を成される事となった。
使徒としてのシンジを敵として見る者はどんどんと数を増やしていった。
◆―――第三新東京市、デパート
アスカは加持と共にそこに居た。アスカは加持の腕にべったりとひっついていて、アスカは楽しげに鼻歌を鳴らしながら加持の顔を見上げる。
「ラッキー!加持さんにショッピングつき合ってもらえるんなんて」
二人は09デパートに入っていって、アスカに引きずられて加持はある場所に到着する。
「な、なんだあ?ここ水着コーナーじゃないか」
ただの水着コーナーなら加持も驚きはしないが、この場所は女性客対象なのか男物が一つも無い。
周りを見てもカップルの姿はちらほら見かけるが、ほとんど女性客なので自分は浮いているのがよく判る。
そんな加持の葛藤など露知らず、カラフルな女性用水着の列の影から赤と白のストライプのセパレートの水着を持ったアスカが顔を出した。
「ねね、これなんかどう?」
「いやはや、中学生にはちと早すぎるんじゃないかな」
「加持さんおっくれてる、今時こんくらいあったり前よ!」
大人としての意見を述べる加持にアスカは”今時”を強調する。
気付いていないが、暗に『加地さんの流行知らず』と責めていた。
「ほお、そうなんだ」
「せっかくの修学旅行だもん。ぱ〜っと気分を解放しなきゃ」
言動だけ考えれば普段から解放してそうなアスカだが、気分の問題なのか楽しそうにしている。
屋上のカフェテラスに移動した二人はそれぞれ飲み物を注文していた。
荷物には先ほど選んだ水着がしっかりと購入されている。
「修学旅行、どこ?」
「お・き・な・わ!メニューにはね、スクーバダイビングもはいってんの」
セカンドインパクトで地軸が歪み、日本中どこでも一年中真夏の季節となったが。それでも観光地としての沖縄は今だ需要が高い。
「スクーバねぇ。そういやもう三年も潜ってないな」
「ねえ、加持さんは修学旅行どこ行ったの?」
「ああ、俺達、そんなの無かったんだ」
アスカが不思議そうに聞いた。
「どうして?」
「・・・・・・セカンドインパクトがあったからな」
少しその時のことを思い出したのか、加持は遠い目をする。
◆―――コンフォート17、ミサト家
「ええ〜!!修学旅行に行っちゃだめぇ!?」
ミサトのマンションにアスカの叫び声が響く。
部屋の掃除は『必要な時やればいい』で、必要最低限以外の生活空間は腐海と呼ぶに相応しく変貌を遂げて、引越し当日の一時間の苦労は二日で元の鞘へと帰った。
テーブルを叩いて身を乗り出すアスカに、ビール片手のミサトはあっさりと言う。
「そ」
「どうして!?」
「戦闘待機だもの」
「そんなの、聞いてないわよ!」
「今言ったわ」
「誰が決めたのよ!」
「作戦担当のあたしが決めたの」
アスカの怒りに対して真っ向から受け流すミサト。
「気持ちはわかるけど、こればっかりは仕方無いわ。あなた達チルドレンが修学旅行に行っている間に、使徒の攻撃があるかもしれないでしょ?」
事情は伝えられていないが、例外が二つほど存在する。だが普通の使徒は突然現れて確実に第三新東京市を目指すルートを進んできている。
例外の一つはシンジ、そして海上でアダムを襲ったガギエルである。
それが原因で第三新東京市からチルドレンは離れる事を許されない。
「いつもいつも、待機待機待機待機!いつ来るかわかんない敵を相手に守る事ばっかし!たまには敵の居場所を突き止めて、攻めに行ったらどうなの!?」
「それが出来ればやってるわよ」
ミサトにしてもアスカの意見には賛成である。
倒すべき”使徒”、見つけられるものなら即時殲滅。もし自分にエヴァに乗れるなら自分の手で葬り去りたいものだ。
「ま、アスカはこれをいい機会だと思わなきゃ。クラスのみんなが修学旅行に行ってる間、少しは勉強が出来るでしょ?あたしが知らないとでも思ってるの?」
そう言ってミサトは、アスカの成績データが入ったディスクを取り出した。
「見せなきゃばれないと思ったら大間違いよ。アスカが学校のテストで何点取ったかなんて情報ぐらい、筒抜けなんだから」
別にアスカは隠すつもりがあって言ってないのではなく、元々学業の成績など興味が無かったのだ。
現在の興味はもっぱらエヴァと使徒に偏っているし、ドイツで大学も出ているので基礎能力は同年代に比べて10年ほど先に進んでいる。
「ばっかみたい。学校の成績がなによ。旧態然とした減点式のテストなんてなんの興味も無いわ」
ドイツでの生活に慣れたアスカにとって、日本での成績に対する優劣のつけ方は嫌悪の対象でもあった。
それにアスカは頭が悪いのではなく、漢字が読めないため問題が理解できないのだけだ。ドイツ語で同じ問題がくれば満点は軽い。
「郷にいれば郷に従え。日本の学校にも、慣れてちょうだい」
「いい〜〜っだ!!」
思わず反論するが、結局修学旅行に行けないことに変わりは無く、怒りは今だ収まらなかった。
◆―――鈴原家
「そんな殺生な、おとんっ!修学旅行、青春のメモリー、一度しかない中学の夏やのに!!それなのにあんまりやっ!!」
同時刻、鈴原邸ではネルフ職員でもある父親から修学旅行にいけないことをトウジは聞かされていた。
アスカと同じように反論するが、ミサトと違い父親は拳骨の一撃で黙らせる。
ゴンッ!
頭蓋骨が陥没するかと思われる強烈な一撃はトウジを床に沈めた。
「人類の為や、旅行の一つや二つ我慢せんか!!」
言ってる事は正しく思えるのだが、失神しているトウジは聞ける場合ではなかった。
◆―――第壱中学、修学旅行当日
「アスカ、おみやげ買ってくるからね!」
「トウジ、残念だったな」
つい先日、教室内でチルドレンが修学旅行に行けないことを話した記憶が甦る。
委員長のヒカリはアスカと馬が合ったのか、親友といってもいいほど仲良くなったので自然と話の輪に入っていた。
「わいがチルドレンや無かったら『お前らの分まで、楽しんできたるわ。なはははは!』ちゅうて惣流と綾波に一泡吹かせられたんやろな・・・」
第壱中学二年生を乗せた飛行機が飛び立つのを見ながらトウジは思わず呟く。
◆―――ネルフ本部、発令所
《浅間山の観測データは、可及的速やかに、バルタザールからメルキオールへ、提訴して下さい》
発令所にアナウンスが流れた。待機状態の為、発令所は比較的穏やかな雰囲気に包まれている。
使徒が来なければ結構ネルフも暇である。
マヤは目をうるませながら、恋愛小説を読んで。マコトは含み笑いしながら漫画を読みふけっており、シゲルはギターを弾くまねをしながら鼻歌を歌っていた。
そんな穏やかな空気の中でも仕事のある人はあるもので、ミサトとリツコは書類整理に追われながら話す。
「修学旅行?こんなご時世にのんきなものね」
「こんなご時世だからこそ、遊べる時に遊びたいのよあの子達」
◆―――ネルフ地下施設、共同プール
修学旅行に行けなかった、憂さを晴らす為。アスカは”チルドレンの交流”と言う理由を付けてトウジとレイをプールに誘った。
訓練も無い、断る理由も無いレイは問題なし。トウジも新しく購入した水着を使うチャンスと下心満載で嬉々としてついて来た。
「うお〜〜更衣室には隙間は王道!それやのに何でどこにもないんや!」
とっとと白のワンピースの水着に着替えて一人泳いでいるレイを横目に、トウジは女子更衣室内を覗こうと躍起になっていた。
アスカの性格は悪いがスタイルは同年代に比べ超一流。
水泳の授業で女体に神秘(主にレイ)についてケンスケと熱く語り合っていた青少年トウジは、信念の赴くまま行動に走っていた。
レイの水着姿は授業で何度か凝視しているので目を瞑れば脳内麻薬がその時の映像をほぼ100%再現させるので今は放っておく。
だが学校の更衣室ならいざ知らず、ネルフ本部の壁に穴がある筈も無く、トウジは壁の向こうの天国に妄想を働かせる事しか出来なかった。
「・・・何やってんのよジャージ」
「決まっとる!今こそ人類の進化の見届けるっちゅう崇高な使命を果たす時なんや!」
いきなり入ってきた会話相手に熱弁を奮うトウジ、今だ壁にある筈も無い穴を探してそれが誰だか気付いていない。
「ふ〜〜ん、それで覗きをね・・・」
声に怒りが充電されていくが、トウジはそれ所ではない。
「覗きやない!これは男、いや漢として生まれたからには一度は通らんとアカン道や!!」
ようやく会話をしている事に気付いたトウジは後を振り返る。
するとそこには加持に見せびらかせていた赤と白のストライプのセパレートの水着を来たアスカが般若の顔で立っていた。
「そ・・・そそそ、惣流!」
「どうして・・・こう馬鹿でスケベなのかしらねアンタは・・・」
トウジがこの時正確に覚えている言葉はそれが最後だった。
ベショッ!
ドガッ!
ボガッ!
バッシャ〜〜ン!!
下腹部に強烈な衝撃。人類の半分、男性にしか判らない痛みに悶絶しながらアッパーと左踵落としのコンビネーションが頭に決まってプールに突き落とされる。
辛うじて仰向けに浮かぶ事に成功して、『人間の体が浮くように出来て良かったと思ったんわこれが初めてや・・・』と薄れ行く意識の中考えていた。
失神する寸前に遠くで「バックロールエントリー!」と言うアスカの声を聴いたような気がしたが定かではない。
◆―――浅間山、火口
「これではよくわからんな」
「しかし、浅間山地震研究所の報告通り、この影は気になります。」
「もちろん無視は出来ん」
冬月は浅間山地震研究所から送られてきた『正体不明の物体』のデータを見ながらシゲルと話していた。
解像度は決して低くないのだが、何しろドロドロの溶岩の中で撮影した映像である。”何か巨大な物体があります”位しか判らない。
「マヤ、マギの判断は?」
「フィフィティ・フィフィティです」
リツコがマヤに尋ねると、手に持っている紙面に目を落として答える。
「現地へは?」
「既に、葛城一尉が到着しています」
冬月の問いにシゲルがそう答えた。
ミサトは火口内の観測機・耐熱バチスカーフから送られてくる映像を静かに見つめていた。
その横で観測機のデータを見ながら浅間山の地震観測所員がたまりかねたように言う。
「もう限界です!」
ミサトは観測所員を横目で少し見ただけで言う。
「いえ、後500お願いします」
観測所員は怒りで殴りかかりそうになる思いを自制しているが、その隣ではサポートとしてミサトについて来たマコトはその勇姿に少しだけ見惚れた。
マグマ内をバチスカーフは更に沈降していく。モニタ室に警告音が鳴り、アナウンスが響く。
ピー!
《深度1200。耐圧隔壁に亀裂発生》
「葛城さん!」
「壊れたらウチで弁償します。後200」
観測所員にしてみればミサトとマコトは、自分たちの観測所にネルフの特務権限を強引に振りかざす乱入者なのだ。
権力の力は強く、逆らったら職を失うどころか命の危険すらある。
だが、それで人が納得するならば諍いなどこの世界には起きはしない。
弁償は事後承諾、例え新品同様のに観測機が返ってきたとしてもそれまでここは閉鎖されるだろう。
『人類の為』と宣言するネルフが嫌われる原因の一つでもある強引さがここにあった。
「モニターに反応!」
観測所員ではなくマコトがミサトに報告する。
「解析開始!」
「はい」
グシャ!
マコトが観測スイッチを押して数秒後、鈍い音を立てて観測機はマグマの重さに負けて破壊される。
《観測機、圧壊。爆発しました》
冷酷な現実を告げるアナウンスが響く、所員が横から怒りの目で睨んでいるのに気付いていながら無視してミサトはマコトに問う。
「解析は?」
「ぎりぎりで間に合いましたね。パターン青です」
「間違いない。使徒だわ」
モニタには楕円の物体の中に身を縮める胎児の姿に似た影が映し出されていた。
第八使徒・サンダルフォンである。
「これより当研究所は完全閉鎖。ネルフの管轄下となります。一切の入室を禁じた上、過去六時間以内の事象は、全て部外秘とします」
ミサトは言い放った。
これにより所員の怒りは更に増幅され、日本中を停電させた作戦の時から更に輪をかけて嫌われることになる。
ミサトはネルフ本部へ直接電話をかけると、シゲルが出て応対する。
「碇指令宛に、A−17を要請して。大至急」
「気をつけて下さい。これは、通常回線です」
「わかっているわ。さっさと守秘回線に切り替えて」
ミサトは使徒発見の事実に少し興奮して怒鳴るように言ってしまう。
使徒への復讐と言う自らの私怨の為、気持ちが昂ぶっているのが自分でも判っているが、抑える事が出来ないのもまた自分で判っていた。
ちなみにA−17とは使徒の生きたまま捕獲する作戦のコードであると同時に、現有資産の凍結、特務権限による強制運用権の発効も重なって経済的な戒厳令に近い物である。
長期に渡れば確実に経済を破綻させる事の出来る。
◆―――緊急人類補完委員会
「A−17・・・こちらから討って出るのか?」
六つのホログラフィによる人類補完委員会。
その中の一つが驚きの声を上げる。
「そうです」
ゲンドウは事務的な口調で返す。
今回は報告と許可も兼ねているので、副指令冬月も同席している
「駄目だ、危険すぎる。15年前を忘れたとは言わせんぞ!」
今までの使徒は全て殲滅対象としてきたが、唯一の例外は『接触』を目的とした15年前での南極で発見された第一使徒アダムだけである。
その結果がセカンドインパクトであり、人類全体のうち20億が死んだ。
「これはチャンスなのです。これまで防戦一方だった我々が、初めて攻勢に出るための」
「リスクが大きすぎるな」
「しかし・・・・・・生きた使徒のサンプル。その重要性は既に承知のことでしょう?」
例え時代が変わっても情報は常に強力かつ重要で、それは使徒に対しても言える事だった。
「失敗は、許さん」
議長でもあるキールは高圧的に言い放ちそのまま消える。
「失敗か・・・・・・その時は人類そのものが消えてしまうよ」
冬月は最悪の事態を想定しつつも、消えた五人と隣のゲンドウが自分より地位の高い位置にいるので止める事は出来なかった。
◆―――ネルフ本部、ケイジ
「これが、使徒でっか!?」
チルドレンを集めての作戦会議で足元に映し出された映像を見てトウジが言った。
今までの使徒は人型、魚型、多角形、シンジのような人間形態など多種多様にわたっていたが。卵の中の胎児と言うのは始めて見るタイプだった。
「そうよ。まだ完成体になっていない蛹のようなものよ。今回の作戦は、使徒の捕獲を最優先とします。出来うる限り原型を留め、生きたまま回収すること」
「出来なかった時は?」
アスカが尋ねた。
「即時殲滅。いいわね」
「「「はい」」」
「作戦担当者は・・・・・・」
「はい、は〜い。私が潜る」
「わしや!リツコはん!わしにやらせて下さい!」
同じ敵に対する意識で通じる部分はあるが、根っこの部分には競争意識のある二人。
レイはその様子を静かに傍観していた。
「アスカ、弐号機で担当して。参号機はバックアップを担当」
「は〜い。こんなの楽勝じゃん」
「惣流!ワイがやらんかて失敗するんやないぞ!」
「五月蝿いわねジャージ、自分が選ばれなかったからって僻むんじゃないわよ」
「うう・・・。そ、そんな事無いわい!」
いつものお決まり口喧嘩に発展しそうな所を、レイの静かな声が止めた。
「私は?」
「プロトタイプの零号機とテストタイプの初号機には、特殊装備は規格外なのよ」
レイの質問にリツコの隣に控えるマヤが答え、リツコが後を続けた。
「レイは初号機で本部の待機を命じます」
「はい」
マヤの説明でも正しいのだが、現在零号機は起動はしても戦闘を行う事は出来ない。
第七使徒戦での攻撃による表装部の融解の修理に装甲の上乗せと外部色の変更も重なって現在改造中。
今までオレンジ色だった色をレイの髪の色より更に深い”蒼”に変更したため時間がかかっているのだ。
「A−17が発令された以上、すぐにでるわよ。支度して」
「「はい」」
リツコの指示の元、すぐさま作戦準備がすすめられる。
アスカはプラグスーツの左手首のスイッチを押すと、空気が抜ける軽い音と共にプラグスーツが体にフィットする。いつもとほとんど同じである。
右手首にあるボタンを除いて・・・。
「ん・・・耐熱仕様のプラグスーツといっても、いつもと変わらないじゃない」
「右のスイッチを押してみて」
リツコの言葉通りに、今度は右手首のボタンを押す。
ブクブクブク
「いやあああ〜!なによこれぇ〜!?」
内部に搭載された冷却液が空気と混ざってプラグスーツと人体の間に気泡を作る、簡単に言うとプラグスーツ型の風船である。
殆ど普段使うプラグスーツと変わらない画期的な発明ではあるが。膨らむ部分が四肢を除いた胴体部分だけなので、弐号機のプラグスーツの赤色も手伝ってダルマに手が生えたようにしか見えない。
更衣室のロッカーに挟まって滑稽さは更に増していた。
「弐号機の支度も出来てるわ」
耐熱仕様のプラグスーツが巻き起こす結果を知っていたリツコは冷静に告げる。
「いやあああ〜!!なによ〜〜これぇ〜!?」
本日二度目の悲鳴。
そのアスカの視線の先にあるのは、普段のスリムな真紅の弐号機ではなく。その上から宇宙服や潜水服にも似た、一言で表すなら『丸く白い』弐号機だった。
ヘルメットの部分のガラス窓を通して見える顔で辛うじて弐号機だと判別できる。
普段のエヴァの様に立たせたり固定する場所がないので、壁に背を預けて足を前に投げ出した格好で座り込んでいた。
「耐熱耐圧対核防護服。局地戦用のD型装備よ」
リツコの説明を聞かなくても、防御の点で言えば見た目で普段より優れている事が判る。
「これがあたしの・・・弐号機?」
だがアスカにしてみれば、エヴァの見た目の美しさが完全に消えてしまうので。呆然とするのも無理はない。
「・・・ぷ・・・ぷぷぷ」
チルドレン全員がプラグスーツに着替えている中、アスカのダルマ姿と弐号機の変貌振りにトウジは俯きながら必死になって笑いを堪えていた。
『戦いは常に無駄なく”美しく”』をモットーにするアスカの姿は、普段を知ってるが故に面白いものではある。
「嫌だ!あたし降りる!こんなので人前に出たくないわ!こういうのは笑い担当でジャージの方がお似合いよ!」
「何言うとんね・・・ぷぷぷぷぷ」
いつも通り反論しようとアスカの方を見るトウジ、途端に堪えていた笑いがこみ上げてまた我慢する。
「そいつは残念だな。アスカの勇姿が見れると思ってたんだけどな」
加持はいつの間にかキャットウォークの上に姿を現していて、そこから声をかけた。
「いやあ〜!」
アスカは慌てて通路に逃げ込み、完全に加持から姿を隠してから首だけ出して話す。
「でもこんなダサイの着て、加持さんの前に出る勇気なんてないわ」
「困りましたね」
「そうね」
リツコとマヤとしては、志願と言わなくても立候補してきたアスカの醜態に頭を抱えるしかなかった。
「せやったらわいが・・・」
トウジの言葉を遮るようにレイが片手を上げる。
「私が弐号機で出るわ」
近頃レイは思案する時間が増えていた。
外面に全く変化が無いので周りからはいつも通りと思われているが、最近ではシンジの事を考えていた。
イスラフェルとの戦闘においてレイの零号機はシンジの一部を”壊した”。
当の本人は無くなった自分の形をATフィールドを操作してとっとと直していたが、レイが攻撃して壊したという事実は変わらない。
だがそれでもシンジは敵と思われているレイ達、ネルフのエヴァンゲリオンの使徒殲滅を手伝った。
『何故?』
その答えを知る為にはシンジに会って話すしかない。
何故か報告してないので意志の疎通を知るのはレイのみだった。
レイもまさか隣の部屋にいるとは知らないので、会う可能性は『エヴァと使徒が出現する場所』に現れる時を狙うしかない。
だが命令とは言え殺そうとした相手と会って話がしたいとはかなり虫のいい話だが、その事についてはレイはあまり深く考えなかった。
レイ自身も気付かない『欲求』、他の二人がシンジに向ける意識とは違った物をレイは持っていた。
アスカにしてみれば、そんなレイの思いを知ることは出来ない。
プライドの殆どがエヴァに偏っている為、真実にたどり着くための会話をする事も無く誤った認識に行き着いて、レイが『エヴァのパイロットである自分の場所を奪う人』に見えてしまう。
そう思ったアスカの行動は、レイのあがった手を払う事だった。
「あなたには私の弐号機に触ってほしくないの。悪いけど」
加持の前で引込み思案だった今までのアスカから一転、ひどく冷たい表情になって叫ぶ。
「ファーストが出るくらいなら、私がいくわ」
何とか自分を奮い立たせる事に成功するが、改めて弐号機を見上げるとそこには”丸い”弐号機の姿。
「格好悪いけど、我慢してね」
◆―――浅間山、マグマダイバー
エヴァを抱えこんだ二機の巨大STOL機が飛ぶ。両機は浅間山上空に差し掛かっていた。
参号機はJA停止作戦の時の様に、肩のロックボルトと接合されていたが。弐号機はD型装備のまま吊られて運ばれている。
大鷲が獲物を足で捕まえた姿にも似ているが、相変らず弐号機は”丸い”のでどこか緊張感に欠ける光景だった。
《D装備のエヴァ弐号機及び参号機、到着しました》
第五使徒戦で使用した移動指揮車内にアナウンスが届く。
外では既に仮設基地が設置され、使徒捕獲の準備が進められていた。
「両機はその場にて待機。データの打ち込みと、クレーンの準備を急いで」
「了解」
キーボードにデータを打ち込みながらマコトが答えた。
アスカの役目は準備が全て整ってから、だが待機命令が出ているのでエントリープラグから出る事も出来ずにぼんやりと周りで行われている準備を眺めていた。
そこでアスカはある人物の姿が無い事に気がつく。
「あれ、加持さんは?」
独り言のつもりだったが、移動指揮車にも聞こえていたのかミサトが通話ウィンドウを出してくる。
『あの馬鹿はこないわよ。仕事無いもの』
「ちぇ、せっかく加持さんにもいいとこ見せようと思ったのに」
格好悪いが、エヴァの勇姿を見せられないのが残念だった。
その頃”あの馬鹿”、もとい加持は浅間山にかかるロープウェイの中にいた。
同乗者に40代ほどの女性がいるが、二人とも逆方向の景色を眺めている。
「A−17の発令ね。それには現資産の凍結も含まれているわ」
「お困りの方も、さぞ多いでしょうな」
とても会話をする雰囲気では無いが、室内の二人はそんな事は気にせず。背中を向けたまま話す。
「何故止めなかったの?」
「理由がありませんよ。発令は正式なものです」
「でもネルフの失敗は、世界の破滅を意味するのよ」
「彼らはそんなに傲慢ではありませんよ」
女性は責めるような口調だったが、加持はいつもの軽口で返す。
アスカが暇なら、自動的に同じ待機任務が出ているトウジも暇だった。
考え事をするのは気が乗らず、身体を動かそうにもエントリープラグ内では動きは限定される。
仕方なくシートに背中を預けながらぼんやりする事しか出来ないトウジだったが、ふと見上げると上空で旋回する航空機の姿を捕えた。
「リツコはん・・・何や上の方で飛行機が飛んどりますけど、何ですあれ?」
『UNの空軍が空中待機してるのよ』
通話ウィンドウを出さずに音声だけの会話でリツコが答え、マヤがそれに続ける。
『この作戦が終わるまでね』
「手伝ってくれるの?」
時同じくして、暇だったのかアスカが割り込んできた。
『いえ。後始末よ』
『私たちが失敗した時のね』
「どういう事でっか?」
『使徒をN2爆雷で熱処理するのよ。私たちごとね』
言ってる事は非道だが、リツコは冷静に事実だけを述べる。
「ひっどい!」
「そないな命令、誰が出すんです!?」
アスカの憤慨にトウジの怒り、だがリツコはたった一言だけで全てを切り捨てる。
『碇指令よ』
誰も何も言えなくなった。
仮設基地の設置作業もエヴァ降下用のクレーンも冷却システムも全てが揃った。
エヴァの降下進路の情報を得る為クレーンのレールを辿りレーザー発射装置が先端に向かう。
停止してほんの数秒後、火口に打たれたレーザーは弐号機の進路に異常が無い事を報告する。
《レーザー、作業終了》
《進路確保》
レーザー発射装置が戻り、入れ替わりにつり下げられたD型装備の弐号機が溶岩の真上に来る。
手には使徒捕獲用の電磁キャッチャー、足には『強引に付けました』と言わんばかりの鞘に入ったプログナイフが巻きつけられていた。
《D型装備異常無し》
《弐号機発進位置》
「了解」
オペレータの報告に移動指揮車の中でミサトが答えた。
「アスカ、準備はどう?」
『いつでもどうぞ』
いつもの強気な調子が、使徒捕獲と言う始めての試みの緊張を緩和する。
少し息を吐き出して間を置いてミサトは命令を下した。
「発進!」
使徒捕獲用の電磁檻を持った弐号機が、火口内へと降ろされていく。
「うっわ〜!あっつそ〜」
眼下のマグマを見て、アスカは思わずつぶやいていた。
『弐号機、溶岩内に入ります』
マヤの報告通りゆっくりと弐号機はマグマへと沈んでいった。
「現在、深度170。沈降速度20。各部問題無し。視界は0。何もわかんないわ。CTモニタに切り替えます」
アスカの操作で今まで真っ黒だったエントリープラグからの光景が入れ替わり、視界にぼやけた岩壁が映る。
それでも視力0.1で前を見ているような、全体がぼやけた印象を受ける。
「これでも透明度120か・・・・・・」
「深度、400」
「450」
「500」
「550」
「600」
「650」
マヤが報告を続ける。
弐号機が深く潜り、指揮車内のミサト、火口付近に立つ参号機はただそれを見守る事しか出来なかった。
しかも入ってくる情報はあくまで”弐号機から”の物に限定されので、皆緊張している。
だからこそ弐号機が感知していない物は誰一人気付く事は出来なかった。
いつもの白い長髪と白い仮面に漆黒の衣装のシンジが弐号機の頭の上に立っていたとしても、弐号機からは見えないので知ることは出来ない。
いつの間にか現れた碇シンジを頭上に乗せたまま、弐号機は更に潜っていく。
「900」
「950」
「1000」
「1020」
「安全深度オーバー」
ピーーー
溶岩内の圧力は水に比べてさらに重い。
深度1000、通常の人間がそんな所に居たら一秒と経たずに潰れて死ぬ。
しかし弐号機の装甲は全く変化が無いのに加え、今回の作戦は『使徒捕獲』にある。
例え安全深度を超えたとしても、止める命令が出なければオペレータは弐号機を更に降ろすしかやれる事は無い。
「沈降深度1300。目標予測地点です」
観測機・耐熱バチスカーフが使徒を発見した位置まで降下した弐号機。あくまで予測だが第8使徒はこの地点にいるものと考えられていた。
「アスカ、何か見える?」
『反応無し。いないわ』
しかし返ってきたのは予想を下回る現実だった。
溶岩とて流れているのだからむしろ可能性としては高い部類に入る。
「思ったより対流が速いようね」
「目標の移動速度に、誤差が生じています」
リツコは科学者としての立場からミサトに助言し、マコトはデータから得られる現実を報告する。
「再計算急いで。作戦続行、再度沈降よろしく」
「え?」
非人情的とも取れるミサトの命令に思わずマコトは口を開けたまま呟いてしまう。
「深度、1350」
「1400」
バキ
《第二循環パイプに亀裂発生》
指揮車内と同じ報告は弐号機の中のアスカにも届いている。
むしろ作戦を実行しているアスカだからこそ、送られてくる報告を身をもって体験していた。
火口付近では色々言っていた軽口も緊張の為か閉ざされていた。
亀裂で起こる振動が心身を強張らせる。
「深度、1480」
「限界深度、オーバー」
弐号機のD型装備の理論値での限界深度、それが深度1480だった。
「目標とまだ接触していないわ、続けてちょうだい」
言葉が少ないので人情とかけ離れた位置に自分が立っていると考え直すミサト。
慌ててパイロットを労うように通信を入れる。
「アスカ、どう?」
『まだ持ちそう。さっさと終わらせて、シャワー浴びたい』
「近くに良い温泉があるわ、終わったらいきましょ。もう少し頑張って」
弐号機はその後も止まることなくゆっくりと溶岩内を沈んでいく。
そして再び破裂音が響き、アスカは歯がみする。
「限界深度、プラス120」
弐号機の太股の留め具が壊れ、装備されていたプログレッシブナイフが落ちていった。
「あ!!」
《エヴァ弐号機、プログナイフ損失》
「限界深度、プラス200」
潜れば潜るほど状況は悪化していく。
使徒が羽化した時の為に用意した武器は既に無く、想定内の限界深度もかなり超えている。
「葛城さん!もうこれ以上は!!!今度は人が乗っているんですよ」
マコトは我慢し切れずミサトに嘆願するが、ミサトは冷徹とも取れる態度でモニターを見たまま返す。
「この作戦の責任者は私です・・・続けて下さい」
『ミサトの言う通りよ。大丈夫、まだいけるわ』
強がりとも取れるアスカの通信が指揮車内に入る。
仕方なくマコトは自分の仕事を再開した。
弐号機から送られてくるデータと時間だけが過ぎていく。
「深度、1780・・・・・・目標予測修正地点です」
マコトが急いで再計算を施した第8使徒がいる筈の場所。
もしこの場にいなかったら更に潜らなければならないが、それはほぼ100%弐号機そしてアスカの死を意味しているので指揮車内に緊張が走る。
その中でたった一言だけ、アスカから通信が入った。
『・・・・・・いた』
◆―――深度1780、サンダルフォン
弐号機の前方、溶岩内のドロドロとした赤茶色の中で異彩を放つ漆黒の細長い球体。
「目標を映像で確認」
『捕獲準備!』
ミサトは早速待ち望んだ指示を飛ばす。
弐号機の手に握られた電磁キャッチャーが横に伸びて、球体より少し大きめの位置で止まる。
『お互いに対流に流されているから、接触のチャンスは一度しか無いわよ』
スピーカーからはリツコの声。だがアスカの目はただ一つ、目の前の球体の中にいる使徒を見つめていた。
「判ってる、任せて」
《目標接触まで、後30》
「相対速度2.2。軸線に乗ったわ」
殆ど正面衝突に近い弐号機と使徒の卵。
流れるような動作で卵の上にずれた弐号機は電磁キャッチャーを操作して多角形の網を作り出す。
直方体の中に収まる使徒の卵。捕獲作戦は順調に成功した。
「電磁柵展開。問題無し・・・目標、捕獲しました!!」
『ナイス、アスカ!』
思わず指揮官としての立場を忘れて、ミサトはフランクに話してしまう。
アスカは予定通りに行った事で少し安心し、ため息ひとつ付いてから言った
「捕獲作業終了、これより浮上します」
◆―――浅間山、噴火口
「惣流〜大丈夫か〜?」
口出しできる雰囲気ではなかったので、通信できる状態だったが今まで話さなかったトウジが口を開く。
『ありがと。ま、案ずるより生むが易しってね。やっぱ楽勝じゃん?』
思ったより元気そうなので、沈黙が辛かったトウジとしてはあり難かった。
「惣流にしてはやりおるわ、ちっとやけど認めてやってもええで・・・」
誰にも聞こえないようにトウジは言う。
◆―――浅間山、移動指揮車
『でもこれじゃプラグスーツというよりサウナスーツよ。あぁ、早いとこ温泉に入りたい』
使徒の卵は今だキャッチャーの中で眠っている。
作戦は多少の不安と武器損失と言う汚点こそあったものの、成功と見たアスカは途端に饒舌になる。
「緊張が一辺に解けたみたいね」
思わず指揮車内からリツコが言う。
「ミサト、あなたも今日の作戦怖かったんでしょ?」
「まあね。下手に手を出せば、あれの二の舞ですものね」
使徒が”あれ”の原因だと思っているミサトはリツコの言葉に弱気な声で返事を返す。
彼女にしてみれば当事者でもあるので、怖さを感じるのもしょうがない事だった。
「そうね・・・・・・セカンドインパクト。二度とごめんだわ」
ビーーー!!!
『何よこれぇ〜!!』
ミサトとリツコの会話は指揮車内に響いた警告音とアスカの叫び声によって遮られた。
弐号機から見えるアスカの映像には細長い球体だったはずの物がぐにょぐにょに膨らみ、所々が変化を遂げていた。
「まずいわ。孵化を始めたのよ。計算より速過ぎるわ」
指揮車内でも使徒の映像が来ているので変化が良く判る。黒い球体が生物の形へと変貌を遂げていた。
「キャッチャーは?」
「とても持ちません!」
マコトは使徒の成長速度からあと数秒でキャッチャーが破壊される事を悟って、言葉短くミサトに伝える。
「捕獲中止!キャッチャーを破棄!」
「はい」
マヤがボタンを押すと弐号機が持っていた部分キャッチャーの一部が切り離され、弐号機と使徒が分断される。
その後も使徒は急激に変態し、触手に似た腕らしきものを伸ばし始めて弐号機を掴もうとするが、切り離しが早かったので弐号機までは届かない。
「作戦変更。使徒殲滅を最優先。弐号機は撤収作業をしつつ、戦闘準備」
『待ってました!!』
アスカは緊張を戦闘への昂揚感へと変化させて意気揚揚と叫ぶ。
弐号機の下ではキャッチャーが破壊されて第8使徒サンダルフォンが溶岩内にその姿を晒していた。
◆―――浅間山、マグマ内
エイとイカとダンゴ虫を融合させて口を前に付けて巨大化させたらこんな格好になるだろうか?などと戦闘中に不謹慎な事を考えそうになったアスカは、下にいる筈の使徒を警戒した。
使徒が形状通りの攻撃をしてくると考えるのは危険だが、こちらからは近接戦闘しか出来ないのでプログナイフを装備・・・。
しようとした所でプログナイフが足から外れて溶岩の奥底深くに沈んだ事を思い出す。
「しまった!ナイフは落としちゃったんだわ・・・・・・正面!!」
さっきまで下にいた筈の使徒がもう前方に回りこんでいる、機動性能に驚かされるがこのまま何もしないでいると衝突するのでアスカは慌てて重りを切り離す。
「バラスト放出!」
腹部に巻きつけてあった重りの一部が爆発してするりと抜け落ちる。
急激に軽くなった弐号機はサンダルフォンの更に上に浮かび上がって突進を避けるが、通り抜けたときの異常な速さにアスカは度肝を抜かれた。
「は、速い!!」
弐号機の後方に抜けたサンダルフォンは特攻が避けられると思っていなかったのか、弐号機の周りを回り始めた。
弐号機のセンサーにはその様子は途中までしかモニターできず、相手が消えたように見えた。
「まずいわね、見失うなんて。おまけに視界は悪い、やたらと暑い、スーツがべったりしてて気持ち悪い!も〜最低ね」
敵を見失った不安を打ち消すように愚痴をこぼすが、圧倒的不利は変わっていないのが辛い。
そんなアスカの元にミサトから通信が入った。
『アスカ、今のうちに参号機のナイフを落とすわ。受け取って』
「了解!」
少しは戦況が有利に進むかもしれないと期待するが、弐号機の警告音にアスカは再度慌てふためくことになる。
使徒再び接近の音だった。
「やばっ!こらっジャージ早くしなさい!!」
『判っとるわぁぁぁぁぁ!!!』
トウジは叫びながら肩当に入っていたプログナイフを火口へ投げ入れる。
鞘に入れたナイフに強引にくくり付けた重し。
真っ直ぐに弐号機の元へと向かうが、捕獲した位置が火口から二キロ近く離れた場所。上昇しているとは言え火口までかなりの距離があるので、到達するまで時間がかかる。
《ナイフ到達まで、後40》
《使徒、急速接近中!》
「いやああ!来ないで〜!ああん、はやく来てー!!もう、おっそ〜い!!」
ナイフと使徒。判ってて聞いていればどうって事無いが、言ってる事が矛盾しているアスカだった。
サンダルフォンは特攻だけでは避けられると学んだのか、触手を伸ばして弐号機を掴もうとする。
それとほぼ同時に振り上げた弐号機の手(D型装備で指が二本しかない)に収まって鞘が自動的に抜ける。
切りかかる弐号機、だがそれよりも早く使徒の触手は弐号機へと絡みついて零距離攻防へと変化する。
「しまった!」
思った以上の高速移動。
弐号機を捕まえ終えたサンダルフォンはそのままイソギンチャクに似た口を開いて弐号機の頭を喰らいつこうとして。
止まった。
口を開けたまま弐号機の手前ぎりぎりで停止するサンダルフォン。
アスカは弐号機のモニター全てを見渡してその原因を知った。
弐号機の頭上から見覚えのあるATフィールドの羽12枚全てがサンダルフォンに絡み付いて動きを止めていた。
体と触手と口外、果ては口の中にATフィールドを突っ込んで拘束している。間違いなくシンジの仕業だった。
「嘘っ!いつの間に真上に!?」
アスカは驚愕しつつも、今は脅威と思えるサンダルフォンの口の中に光るコアに向かってナイフを突き入れてコアを抉る。
ギャアアアアア!!!
それが使徒の悲鳴なのか、それとも溶岩内に反響するただの音なのか。
確かめる術はそこに無く、糸の切れた人形の様に体組織を崩壊させながらゆっくりと火口に沈んでゆくサンダルフォン。
「次っ!」
サンダルフォンが沈むと同時に拘束していたATフィールドは放すのが遅れたのかそれに付いていっていた。
お陰で12枚のATフィールドの羽の持ち主、シンジが弐号機の目の前にいた。
そして防御手段となるATフィールドはまだサンダルフォンの屍骸に纏わりついているので倒すには絶好の機会だった。
「使徒に助けれるなんて恥なだけよ!アンタなんかいなくたって私一人で充分なのよ!!」
アスカは怒りと自分の本音を織り交ぜながらナイフを振り上げる。
「殺してやる!!」
人間が持つ他者に向けるどす黒い心がナイフという武器になって振り下ろされ、シンジに向かう。
アスカは自分の攻撃に絶対の自信を持っていたが、シンジはアスカの攻撃に対して反撃はせず、むしろ喜んで答えた。
(凄いよアスカ!)
(やっぱりアスカは僕を憎んでる)
(場所が変わり、時間が変わり、僕と話してもいないの)
(凄い!凄いよ、それでこそアスカだ!)
(僕を見るアスカだ!)
ナイフがシンジに当たる刹那、シンジは弐号機からほんの少し離れただけでそれを回避した。
ナイフの軌跡はシンジがいた場所を通り過ぎるがそれだけだった。
「ちっ!」
避けられたナイフを今度は下から切り上げるが、さっきと同じようにシンジには届かない。
「どうして?これも奴の力なの?」
アスカは戸惑うが、シンジは別に大した事はやっていない。
今の弐号機は地に立って使徒と戦っているわけではなくケーブルに巻き上げられて宙ぶらりんの状態。
その結果攻撃は腕が届く範囲に限定され、その範囲外にシンジは移動しただけ。
傍目から動物園で檻の中から出ようと手を伸ばす動物にも見える。
(ふふふふふ)
(あはははは)
(怒りで周りが見えないのアスカ?)
(そんな事じゃ使徒に勝てないよ?)
(エースパイロットなんでしょ?)
(シンクロ率ナンバーワンなんでしょ?)
(もっと足掻いて学んで強くなってよ!)
(僕を見て!殺してよ!!)
あまりにも滑稽な姿に満足したシンジはまたいつも通りに消えた。
すぐ冷静になってケーブルを揺らして攻撃範囲を広げる事を思いついたが、その時既にシンジの姿は無かった。
シンジはむしろアスカの成長を望んでいる、だがアスカにしてみれば今回の事は手助けされた上にこっちの攻撃は完全に無視されたとしか受け取れなかった。
「あの・・・くそ野郎」
怨嗟が口調の変化をもたらし、学校でエヴァのパイロットとしてアイドル紛いの事をやっているアスカとは比べ様も無いほど怒りで顔が歪んでいた。
今にも爆発しそうな爆弾のような印象を受ける。
使徒殲滅は完了したが、直接指揮に関わっていた数人の心にしこりを残す結果となった。
『また手助けされた』
たとえエヴァ単独で戦って勝った可能性があったとしても、事実は変わらず。
チルドレンの殺意を膨れあげさせる結果となった。
◆―――浅間山旅館、鈴原トウジの場合
夕暮れに、蝉の声が響き渡る。
ネルフ一行は休養も兼ねて浅間山から近くにあった温泉付きの日本旅館に移動していた。
時期外れなのか人気が無いのか、宿の中にはネルフ以外の客は無い。
そんな静けさを打ち破る宅急便受け渡し人の声が旅館に響く。
「ごめんくださ〜い。ネルフの人、いますか〜?」
「何でっしゃろ?」
ちょうど近くを通りかかったトウジが応対に出た。
荷物には『葛城ミサト宛て』と書かれ内容は『生物』だった。
「では、ここにサインをお願いします」
「へいへい・・・と」
「・・・・・・はい。どうも、ありがとうございました」
流暢とは言えない少々汚い字だったので、配達人は少々顔を歪めたが。プロ根性で笑顔を作って退散する。
「加持?あのミサトさんに付き纏っとるいけすかん男やな」
トウジはネルフでのミサトを尊敬しているので、少々語気が荒くなる。
『ミサトさんに渡して部屋に乱入できる口実が出来たやないか』と喜んでいると、ダンボールが破れて中からペンギンが姿を表した。
クェェェェェェッ!!
「な、何や!!」
トウジは知らないが、ミサトの同居人温泉ペンギンのペンペンだった。
荷物の『生物』は『ナマモノ』ではなく『せいぶつ』と読むのが正しいらしい。
「ん?手紙・・・何々『葛城、温泉に行くんだってな。俺は仕事で行けないが変わりにペンペンを送る。俺だと思って可愛がってくれ
by加持リョウジ』・・・風呂はそこ行って左やで」
思ってもみなかった荷物だったが、辺りを見渡してお目当ての物を探すペンペンにトウジは冷静に対処した。
女湯に案内しなかったのは加持に対する対抗心だと自分に言い聞かせながら。
ペンペンは待望の温泉にはしゃぎまくっていた。
嬉しそうに身を震わせ露天風呂を満喫しつつ、小さい子供がやりそうな『大きなお風呂遊泳』を楽しんでいた。
「はぁ〜、極楽極楽や」
トウジは作戦でほとんど役立つ事が出来なかったが、あまり来る機会の無い温泉をペンペン同様満喫していた。
修学旅行に行けなかったのは残念だが、幾らか採算が取れたと思える。
「温泉は日本の誇る文化やな〜〜」
気が抜けたのか少々爺化しているトウジに女湯から声がかかった。
「トウジ君、聞こえる〜?」
「ミサトさん?聞こえまっせ〜〜」
温泉に浸かっているのは自分だけだと思っていたトウジ。
「ボディシャンプー投げてくれる?」
「持ってきたの無くなっちゃった」
ミサとの声に続いて作戦での怒りの沈静化したアスカの声もする、これがトウジの眠っていた漢の道を呼び覚ます事になった。
「了解です、いきまっせ〜〜〜〜うりゃ!」
円を描くようにトウジのボディシャンプーは女湯へと投下される。
投げ終わったトウジは素早く男湯と女湯を隔てる垣根へと詰め寄る。
女湯から『どこ投げてんのよジャージ!痛いじゃない!』と声がするがトウジの耳には入らない。
「もー、変なとこに当てないでよね」
「どれどれー?」
「あ・・・・・・あっ、あんっ!」
「あ〜っ、アスカの肌って、すっごくプクプクしてて面白いっ」
「や〜だっ、くすぐった〜いぃ」
(うおおおおお、何や!プクプク?どこやどこの事何や!!)
(変な所?も・・・もしや)
(生殺しや!!こら、見んと漢や無いで!!)
垣根に詰め寄って女湯の様子を窺っていたトウジ。
うら若き乙女(片方は微妙)の声で悶々と妄想だけがひた走り体温がどんどんと上昇していく。
「じゃあ、ここはー?」
「アハハっ!そんなとこ触らないでよっ」
「いいじゃない、減るもんじゃないしぃ」
(ぬおおおお!!!)
(こ、これは!!こんな所に隙間が!これは神が与えたわいに与えたご褒美や!!)
(よっしゃーー見たるで〜〜!!)
古いせいか数枚重ねてある垣根にはちょうど切れ目が入って女湯が覗ける隙間が出来ている。
もしかしたら以前この旅館に誰かが人為的に空けた穴かもしれない。
トウジは本能の赴くまま漢の道を行こうとするが、女湯に入っている女性二人はそれを許すほど甘い面子ではなかった。
「むうっ!むほっ!むうっ!むほっ!むうっ!むほっ!」
猿かゴリラを思わせる変な呼吸をしつつ、トウジは隙間に目を向けた。
するとそこには天国・・・ではなくさっき投げたボディーシャンプーの先があった。
「へっ?」
「死ね!この女の敵!!」
湯気の向こうからするバスタオルを巻いたアスカの声。
それを聞くと同時にトウジの目にはシャンプーが発射されていた。
「うぎょおおおおお!!痛い、痛い、痛いいいい!!」
湯船の中を暴れまわるトウジ。
ペンペンはそんな温泉攻防を冷めた目で見ながら、一匹静かに湯を堪能していた。
その後、目を洗浄したトウジは女湯から出てきた女性陣二人に更なる報復をされて休養どころではなくなった。