第八話
「史実をなぞる人々」

◆―――ネルフ本部、司令室



「また君に借りが出来たな」

司令室の電話を片手に持ちながらゲンドウの声がする。

『返すつもりもないんでしょ。彼らが情報公開法をタテに迫ってきた資料ですが、ダミーも混ぜてあしらっておきました。政府は裏で法的整備を進めてますが、近日中に頓挫の予定です。で、どうです?例の計画の方もこちらで手をうちましょうか?』

電話の相手はネルフのトップが相手にも関わらず敬意の欠片も見当たらず話す。

普段のゲンドウを知る人物が見たら、電話の相手の命を心配するが。何故かゲンドウは特に気にした様子も無く話を続ける。

「いや。君の資料を見る限り、問題はなかろう」

『では、シナリオ通りに』



◆―――第壱中学、2年A組



「ああ、愛しのミサトさ〜〜ん」

今日は第壱中学の二年は進路相談が予定されていた。

トウジは父親がやってくることに多少恐怖していたが、同じエヴァのパイロットである綾波の保護者代わりにミサトが来る事を嗅ぎ付けて恐怖は喜びへと変換された。

ちなみに正規に登録されているレイの保護者は赤木リツコである。

ミサトはトウジの目には『仕事のできる大人の女性』として写っている。

実情は『無能』『復讐者』『生活無能者』等の付属がつくのだがネルフでのミサト、それも一部分しか知らないトウジには判らない事ばかりだった。

「そんなに美人なの?そのミサトさんって?」

ケンスケにとってネルフの知人は自分の親とトウジにレイ位だ。

兵器に関する機密情報は熱心にかき集めるが、どんな人が勤務しているかまでは調べる気が無いのか知らない。

「美人、仕事が出来る、文句のつけようが無いで!」

もしトウジが冷静な目で第四使徒戦の時のミサトの命令を聞いていたら、もしトウジがコンフォート17のミサトの部屋に訪れる機会があったら少しは変わったかもしれない。

しかしトウジはネルフでのミサトを説明する、勤務時間がずれているので彼はミサトの遅刻癖を知らない、無知とは幸せなものである。

「ふ〜ん、まあ待ってれば来るでしょ」



キキーーー!!!



ミサトの愛車、修理したルピーノ・ルノーA310が猛スピードで校内に突入、急ブレーキの音を立てながら白線が引かれた来客専用の駐車スペースに車を止める。

「おお〜〜〜っいらっしゃったで!」

トウジは急いで窓に駆けよる、ケンスケもトウジがそれほど言うならとビデオカメラを構えて後ろから撮影する。

他のクラスでも突然の急ブレーキ音に驚いて何人かが窓から車を見下ろす。

ドアが開いて車内より女性の生足がスラリと伸び、見ていた男子生徒達の目が好奇心から困惑へ変わる。

続いて、黄色のツーピースに青のタイトミニと言う服装を決め、サングラスをかけていても解る美女が車内より現れ、歓声がますます大きくなる。

「うお〜〜〜」

「かっこいい誰あれ?」

「誰だ、あんな美人に保護されてる幸せ者は?」

「俺もあんな美人に面談してもらいて〜〜」

好き勝手に男子生徒限定の歓声が校舎から聞こえる。

「こ、これは予想以上だ」

ケンスケは歓声こそ上げなかったものの、ビデオカメラはしっかりと一部始終を撮影していた。

「はーーーやっぱミサトさんってええわあ」

トウジもネルフで見る姿とはまた違う私服姿に感激してか、手を組んで祈るようなポーズをとっている。

「あーーーあういう人が彼女やったらなあ」

「馬鹿みたい」

希望を口にして、後でそれを聞いていたヒカリは思わず呟くが、幸いにしてそれを聞いている人物はいなかった。



「トウジおるか!」



その時教室のドアが開き、ヤクザにも間違われそうな強面の男性が入ってきた。

スーツを着こなしているつもりらしいが、その下に見え隠れする筋肉の方が目立ちはっきり言って似合ってない。

「あ、おとん。なんや、なんでおとんがこないなとこに?」

「あほぅ、進路相談やないか。まさか忘れた訳やないやろな!」

ようやくトウジは今日の予定を思い出す。

彼の頭の中では『進路相談』は『ミサトさんが来る』に変換され、今の今まですっかり忘れていたのだ。

「かんにんやおとん、ほなら行こうか」

トウジは先導して教師の待つ教室へと移動した。

他の男子は強面のトウジの父乱入に一時沈静化を見せたが、またミサト熱が復帰して全員窓から外を見ている。

そんな保護者代わりに来たミサトの人気にもレイは何も思わず空を見上げていた。



◆―――ネルフ本部、エスカレーター



「コード601、コア以外は原形を留めた折角のサンプルなのに判らない事だらけ・・・それで初号機の、左腕部生体部品はどお?」

「融解で大破ですからね。新作しますが追加予算の枠ぎりぎりですよ」

リツコとマヤは、エレベータを降りながら話していた。

周りにはオペレータ三人組の残り二人にミサト、トウジといるのだが。ネルフの金勘定の話なのでトウジは会話に参入する事が出来ない。

今の所、彼に出来るのはエヴァ限定なのだ。

「これでドイツから弐号機が届けば、少しは楽になるのかしら」

「逆かもしれませんよぉ。地上でやってる使徒の処理も、タダじゃないんでしょ?」

マコトが茶化すように会話に混じる。

ラミエルの巨体は第三新東京市に置いてあるので、ネルフ管轄として処理しなければならない問題だったが死骸が自爆されるよりは数倍マシなので嬉しさもある。

壊された家屋やビルは別として後処理限定で言うならば金銭は少し余裕がある。

「ホ〜ント、お金に関してはセコイ所ねぇ。人類の命運を賭けてるんでしょここ?」

「仕方ないわよ。人はエヴァのみで生きるにあらず、生き残った人たちが生きていくには、お金がかかるのよ」

ミサトのぼやきにリツコは律儀に答える。

「予算ねっ。じゃあ司令はまた会議なの?」

「ええ。今は機上の人よ」

「司令が留守だと、ここも静かでいいですね」

聞かれてない事をいい事に結構辛辣なマヤだった。

トウジはそれを聞きながら『金の問題はどこでもあるんやな』と変に感心していた。



◆―――成層圏、SSTO



雲もない空の上、そこを一機の旅客機・SSTOが飛行していた。

中は空席が目立ち、ゲンドウ一人が窓際の席に座っている以外は人の影が見当たらない。

すると後から中国人のような顔立ちの男が近寄ってきた。

「失礼。便乗ついでにココ、よろしいですか?」

男はゲンドウが答えるよりも早く隣の席に座る。

元々話す用事だったのか、特に気にしないのかゲンドウは何も言わず表情も変えない。

「サンプル回収の補正予算、あっさり通りましたね」

「委員会も自分が生き残る事を最優先に考えている。そのための金は惜しむまい・・・」

「使徒はもう現れないというのが彼らの論拠でしたからね。ああ、もうひとつ朗報です。米国を除く全ての理事国がEVA六号機の予算を承認しました。まぁ米国も時間の問題でしょう」

そこまで言い切って男は座席の前にあったペットボトルの口をあけて、中のお茶を一口飲む。

「失業者アレルギーですしね、あの国・・・・・・」

「君の国は?」

「八号機から建造に参加します、第二次整備計画はまだ生きてますから、ただパイロットが見つかっていないという問題がありますが・・・」

「使徒は再び現れた、我々の道は彼らを倒すしかあるまい」

「私もセカンドインパクトの二の舞はごめんですからね」

多少フランクな口調に変化しながらも、内容の重さに声の音質が下がる。



◆―――ネルフ本部、廊下



ハーモニクステストが終わったトウジはリツコ、ミサトと共に廊下を歩いていた。

そこでトウジは今まであまり考えなかった”使徒”の事を思い出して話している。

「リツコはん、使徒とネルフは何で戦っとるんでっしゃろ?」

トウジの脳裏には少年の姿をした使徒、碇シンジの姿が浮かんでいる。

あの時は『使徒=敵』と言う公式が瞬時に頭を駆け巡り冷静な判断が出来なかったが、よく考えてみるとシンジが何もしていない事に思い当たる。むしろこちらを助けてくれた。

例えそれが妹の仇だとしても、そもそもの理由が判らないトウジは一番頭のよさそうな赤木博士に聞いてみることにしたのだ。

「トウジ君、学校の授業でセカンドインパクトについて勉強した?」

「巨大な隕石が南極に墜落したっちゅう話やったような・・・」

勉強はほとんどしていないが、一般常識としてその程度はトウジも知っていた。

「そう。歴史の教科書では、大質量隕石の落下による大惨事となっているけど、事実は往々にして隠蔽されるものなのよ。15年前、人類は、最初の使徒と呼称する人型の物体を南極で発見したの。でもその調査中に、原因不明の大爆発を起こしたのよ。それがセカンドインパクトの正体」

「じゃあ、わいらのやってることは・・・」

「予想されうるサードインパクトを未然に防ぐ。そのための“ネルフ”と“エヴァンゲリオン”なのよ」

トウジが生まれたのはセカンドインパクトの後である。

だからこそトウジにとってはセカンドインパクト後の世界が普通の日常で受け入れてきたものだが、その大惨事の結果どうなったかはある程度知っていた。

誰しもが口をそろえて言う『あんな事は二度とごめんだ』。

トウジはリツコの話術と”原因不明”と言う言葉に納得してしまい、『使徒=大惨事を引き起こす原因』と受け入れた。嘘は言っていないがリツコの言葉そのものが”往々にして隠蔽されるもの”だと思わぬまま。

こうしてトウジの疑問は、再び使徒と言う生き物に対する怒りを再燃させる結果に終わる。

「ところであれ、予定通り明日やるそうよ」

トウジが悩んでいると、後ろにいたミサトにリツコが話し掛けた。

「わかったわ」

トウジは何の事か判らなかったが、二人にだけ通じる話なので自分は知らなくてもいいものだと思い口を挟まなかった。



◆―――ネルフ本部、セントラルドグマ



巨大なクレーンによって天井から吊るされる細長い円筒状の赤い物体。

見た目はエントリープラグに似ているが、エントリープラグのような純白ではなく真紅なので全く別物に見える。

そしてそれを見上げるゲンドウとリツコ。

真紅のエントリープラグの曲面に合わせるようにはめ込まれた四角いプレートに刻印されている文字。



DUMMY PLUG EVANGELION <2015> REI-00



彼らはそれが何なのか知っていた。

「試作されたダミープラグです。レイのパーソナルが移植されています。ただ、人の心、魂のデジタル化はできません。あくまでフェイク、擬似的なものにすぎません。パイロットの思考の真似をする、ただの機械です」

「信号パターンをエヴァに送り込む。エヴァがそこにパイロットがいると思い込み、シンクロさえすればいい。初号機と参号機にはデータを入れておけ」

リツコの声に無感動な声でゲンドウは返す。

「まだ、問題が残っています」

「今は構わん、エヴァが動けばいい。問題は順次消去していけ」

「はい」

その会話を最後にゲンドウは別の場所へと歩き出した。付き従うようにリツコもそれに続く。



少し離れた位置であり、微かな光しかないその場所。

天井の中央には人間の脳を模して作られた機械があり、そこから脊髄の様に伸びたLCLに満たされた円筒形の水槽がある。

綾波レイは全裸でそこにいた。

「レイ、上がっていいぞ」

「はい・・・」

ゲンドウもレイも微かだがネルフでは決して見せない笑みを浮かべていた。

そんな二人の会話を、リツコはゲンドウの後で少し顔を歪ませながら見ていた。

「それから、レイ・・・」

この後、ある事がレイに告げられた。



◆―――第三新東京市、開発区



ダミープラグの開発の為、残業後のサラリーマンの如く帰宅時間が著しく遅れたレイ。

しかしその事を不満に思ったことも、改善しようと思ったことは無かった。彼女にとってそれが”普通”である。

今までと変わらず、遅い時間に帰る開発区の寂れた自分の部屋。

歩く道では何も考えないが、一旦部屋に入ると何故か落ち着く不思議な場所。

インターフォンは壊れ、鍵はあってもかけた事は稀、ギシギシと音を立てながらドア開いて中に入る。

「・・・・・・・・・」

誰もいない閉鎖空間。

普段から無口だったが、部屋に戻ると考える余裕が生まれて、レイは近頃ある事を繰り返し考えていた。

それはヤシマ作戦の前後で現れた碇シンジと自分の行動についてだった。



(命令・・・それは守るもの)

(使徒殲滅・・・それはネルフの義務)

(使徒・・・倒すべき敵)

(でも・・・あの使徒は・・・あの”人”は)

(人、人間・・・それは霊長目ヒト科の哺乳類)

(人・・・それは私以外の人間)

(じゃあ、あの使徒は?)

(何故、エヴァを守るの?)

(何故、私と話したの?)

(何故、私の事を”人形”と?)

(あの時は、ただ抗うことしか考えなかった)

(あなたは何を知っているの?)



いくら考えても答えは出ない。

レイが知る”碇シンジ”は『自分の事を人形だと言いながらエヴァを守る使徒』だった。

だがそれはシンジの行動だけを見たレイとネルフの考えで、誰一人シンジの思っていることを知らないから導き出す結論だった。

『知りたい』

少しずつレイに心が宿っていく。





その頃レイに強く思われているとは知りもしない碇シンジはレイのすぐ傍にいた。

マンションでのレイの住まいは402号室、その隣にある無人の部屋403号室に学生服姿のシンジはいた。

白髪の長髪は黒い短髪に戻っていて、漆黒の布と身に着けていた仮面も無い。

”力”さえ使わなければセンサーに感知されないし、レイの近くはゲンドウの指示で監視が緩いので好都合だった。

(何で僕ここにいるんだろ?)

(何でカヲル君の魂の欠片を自分で回収しなかったんだろ?)

(寂しいなんて判ってたのに)

(誰も僕を知らないなんて判ってたのに)

(僕は何か求めてるの?)

(使徒になりながらそれでも、まだ手に入れたいの?)

(寂しい・・・)

(でも、誰も僕をいらないんだ)

(だって僕は使徒なんだから・・・)

(あの時の彼の思いが正しかったのか知りたいだけの何だから)

(それだけの筈・・・)

シンジは考える以外の事は、何もしないでそこに在った。



◆―――第28放置区域(旧東京都心)



「ここがかつて花の都と呼ばれていた大都会とはね」

ヘリで飛びながら眼下に写る光景を見てミサトは思わずぼやいた。

海、それは当たり前なのだがそのすぐ下に町が見える。

セカンドインパクトの影響で海水は町に侵入、東京と呼ばれた都市は一夜にして海に沈んだ。

高層ビルや比較的階層が高かった建物は海から突き出るように建っているが。大半は海の質量に破壊され、何とか建っている建物もそこにあるだけで電力や交通手段は無いに等しい。

「着いたわよ」

同乗者でもあるリツコがミサトに声をかけると、細長い建物がヘリから見える光景に加わった。

その傍にはドーム上の建物と自分たちが乗っているようなヘリが何十台と着陸していた。

「何もこんな所でやらなくても良いのに」

それを見ながらミサトはこんな所まで来た事を後悔していた。

「で、その計画、戦自はからんでるの?」

ミサトがリツコに尋ねる『その計画』とは日本重化学工業共同体が開発した、対使徒戦用ロボットのお披露目を兼ねたパーティの事である。

ネルフのような組織や自衛隊のような軍部でもなく企業が独自に開発したロボットで、エヴァンゲリオンの様に人型の陸戦兵器だと言われている。

「戦略自衛隊?いいえ介入は認められずよ」

「どおりで好きにやってるわけね」

呆れを言葉に含めながらミサトは言う。



◆―――ネルフ本部、司令室、鈴原トウジの場合



日本重化学工業共同体が開発した、対使徒戦用ロボットJAの実演会で時田とリツコが討論している頃。

ビール数本しかないテーブルでミサトがストローを咥えていた頃。

トウジはネルフの司令室にいた。

「・・・あの、どういう用件でっしゃろ?わい・・・何かしましたか?」

いきなりの出頭命令で、トウジは何故自分がここに呼ばれるのか理解できなかった。

目の前にはいつもの格好で椅子に座るゲンドウとその横に立つ冬月。

「鈴原トウジ君」

「は、はい!!」

学校の授業の老教師を思わせる朗々とした声を出したのは冬月だった。

一瞬学校で授業を受けている錯覚を覚えながら、トウジは慌てて返事をする。

「今日君を呼んだのは別に責める為ではないから楽にしてくれ」

冬月は緊張でがちがちになっているトウジを思って言葉を選んだが、司令室のかもし出す圧迫感とゲンドウの威圧感を直に受けているトウジの緊張を取るには言葉だけでは不足していた。

仕方なく冬月は話を進める。

「トウジ君、きみは第五使徒でライフルを発射する直前に人影を見たかね?」

「人影・・・・・・、ああ!あのちっこい使徒でっか?」

「そう”使徒”だ。君は知らないかもしれないが、あの使徒は第一次直上会戦、つまり第三使徒戦の時から何度も姿を見せているんだよ」

冬月は報告で『フォースチルドレン、情報の閲覧せず』を知っていた。

大学での教授時代にも出来の悪い生徒がいたので、知っている筈の情報を繰り返す事は慣れた作業だった。

「君も知ってのとおりネルフは使徒殲滅がその役目だ、それに例外は無い」

「はあ・・・・・・」

始めて見た筈だった人影・シンジが第四使徒戦で自分が気絶している間に現れた事を知った時には驚いたが、トウジは今だに自分が司令室に呼ばれた用件が判らなかった。

「そこで君に新しい命令が追加される」

「命令・・・ですか?」

直属上司からではなく、その更に上からの命令。

これが本題だと思ってトウジは気を引き締める。

「鈴原トウジ君。あの使徒のこれまで出現パターンは『エヴァと使徒が同時に現れた時』となっている、よって次の使徒が現れた場合あの”第零使徒”も殲滅対象として動いてくれ」

「予想される第六使徒以降、脅威となるのはむしろ第零使徒だ。優先順位はこちらが上と思え」

それまで黙っていたゲンドウは冬月の言葉に繋げて命令を下す。

彼の頭の中では第一次直上会戦の時に見せたシンジとレイのキスシーンが浮かんでいた。

決して表には出さないが、ゲンドウが感じていたのは『嫉妬』だった。

「既にファーストチルドレンにはその事を伝えてある。以上だ下がっていいぞ」

伝えるべきことは全て冬月に回し、退室命令だけ偉そうに言うゲンドウ。

「使徒は妹の仇です!命令やなくてもわいが倒します!!」

トウジはようやく重圧から解放される喜びと復活した怒りを捨て台詞にして急いで司令室を出て行った。



◆―――第28放置区域、JA(ジェットアローン)



「これよりJA起動テストを始めます。何ら危険は伴いません、絶対です。我が日本重化学工業共同体が保証しますのでそちらの窓から安心してご覧下さい」

時田は懇切丁寧に安全を主張する。

その言葉に満足したのが、元々聞いていなかったのか。別室に移った皆は一斉に双眼鏡を顔にあて、ドームの遠方にある直方体の建物に視線を向ける。

ちょうどそれを待っていたように、建物は左右に割れ中からエヴァと同じぐらいの身長の人型ロボットが姿を見せた。

首に当たる部分は無く、胴体と頭部が一緒になった体に手足を繋げ合わせた形のロボット。

エヴァの形状をスリムと表現するなら、少し太目にも見える。

巨大なロボットの出現に皆、口々に賛辞の言葉が上がる。

「テスト開始」

時田の声と同時に管制員二人がせわしくキーを叩き始めた。

「全動力開放」

「圧力、正常」

「冷却機の循環、異常なし」

「制御棒、全開へ」

JAの背中に当たる部分にある穴から黒い棒が出現する。

「動力、臨界点を突破」

「出力問題なし」

「歩行開始」

「歩行、前進微速。右脚前へ」

「了解。歩行、前進微速。右脚前へ」

次々と出される指示を復唱しながら管制員はキーボードを叩く。

第三使徒戦でレイが操縦したエヴァの様に、JAは右足を前に出して歩く。

「「おおぉ」」

ドーム内に少し感嘆の声があがり、皆双眼鏡をのぞいてJAを見ていた。

「バランス、正常」

「動力、循環、異常なし」

時田はJAが一歩ずつ歩く様子を見ながら、心の憶測にあった微かな不安を打ち消して次の命令を出す。

「了解。引き続き、左脚前へ。よ〜そろ」

JAはエヴァの様に二歩目で転ぶ事も無く、一歩ずつしっかりとした足取りで歩いた。

「へ〜、ちゃんと歩いてる。自慢するだけのことはあるようね」

ミサトは他の人と同じように双眼鏡でその様子を見ながら、感想を述べたが。近くにいたリツコは見もせず別の方向を向いていた。

JAただひたすらに真っ直ぐ、時田達のいるドームに向かって歩いていた。



ビーーー!!



突如管制員が操作するモニターから警告音が鳴る。

「どうした?」

時田は素早く異常事態を察知して管制員に聞く。

「変です・・・リアクターの内圧が上昇していきます!」

「一次冷却水の温度も上昇中!」

「バルブ解放!・・・減速剤を注入」

時田はJAの緊急マニュアル通りに対処を指示する。

「ダメです!ポンプの出力が上がりません!」

だが管制員からは無情とも言える報告が返ってきた。

モニターに写るJAはどんどん大きくなり、一歩ずつ近づいてくる。

「いかん!・・・動力閉鎖!緊急停止!」

時田は予想以上に緊迫した危険事態に全動力の停止を命じる。

「停止信号発信を確認・・・・・・受信されず!」

「無線回路も不通です!」

しかし先ほどと同じく、返ってきたの予想を越える報告だった。

「制御不能!!」

「・・・・そんな馬鹿な・・・・」



「「「「うわーーーーーー」」」」



JAが止まらないのを見て、前の方で見ていた客は双眼鏡を投げ捨てて左右に分かれ逃げ出す。

モニターに写るJAは目の前にドームがあるにも関わらず、命令通りに一歩一歩足を進め、遂にはドームの天井を踏み抜く。



ドガンッ!!

グシャ

ドガンッ!!

グシャ



一歩足を前に出せばドームが砕け、一歩地面に足を突けば数階に分かれた床が地面に押し付けられる。

ドームの中央にJAが踏み砕いた跡が出来るが、JAはそんな事無かったようにドームを通り抜けて歩きつづける。

「けほ・・・けほ・・・・・・造った人に似て礼儀知らずなロボットね!」

ミサトも何とかJAの歩行から逃げる事には成功したが、壊されたドームが巻き起こす煙に咽る。

周りに居る人も似たようなものだが、踏み潰されたり瓦礫に埋もれたりした人は一人もいないようだ。



ビーーー!



だがさきほどの警告音よりも大きい音が壊れたドームに響く。

「加圧値に異常発生!」

「制御棒、作動しません!このままでは炉心融解の危険があります!」

「し、信じられん・・・・・・JAにはあらゆるミスを想定しすべてに対処すべくプログラムは組まれているのに、この様な事態はあり得ないはずだ」

時田は管制員からの信じられない報告を聞いて、ありえない現実を見る。

「だけど今、現に炉心融解の危機が迫っているのよ!」

煙から抜け出したミサトは時田と管制員のやり取りに口を挟む。

「こうなっては自然に停止するのを待つしか方法は・・・・・・」

時田は万が一の事態のマニュアルを口にするが、ミサトはそれを聞いて管制員に質問する。

「自動停止の確率は?」

「0.00002%・・・・・・まさに奇跡です・・・・・・」

初号機の稼動確率よりは高いが、あまりにも低い数値が返ってきた。

「奇跡を待つより捨て身の努力よ!停止手段を教えなさい」

ミサトは視線を時田に移し、この場での最高責任者から情報を聞きそうとするが。時田は言葉少なく言う。

「方法はすべて試した・・・・・・」

「いいえ、まだすべてを白紙に戻す最後の手段が残っているはずよ、そのパスワードを教えなさい!!」

JAはエヴァと違いプログラムによって動くロボットである。

言い方は悪いが、アクセルを踏むと自動車が動くように”決められた動き”しかできない。

それでも大型兵器に危険はつき物なので、前時代的なロボットアニメの様に自爆装置は付いていないが。変わりに動作を全て停止させる緊急プログラムが付加されていた。

動作プログラムの全消去、企業にとってそれは最重要機密であり最後の手段でもあった。

「全プログラムのデリートは最高機密・・・・・・私の管轄外だ。口外の権限はない」

「だったら命令を貰いなさい」

知っているにも関わらず話さない時田の優柔不断さにミサトの声が荒くなる

「今すぐ!!」





時田は最高機密を手に入れるべく、ある場所に電話を掛けた。

「あ、私だ。第二東京の満田さんを頼む。そう、内務省長官だ」



○第二東京

「ああ、その件は安来君に任せてある。彼に聞いてくれ」

執務室に響き渡る声、だが内容はたらい回しの第一歩だった。



○ゴルフ場

「そういう重要な決定事項は口頭ではねえ。正式に書簡で回してもらえる?」

企業と言うのは上に行けば行くほど自分の地位を固める性癖が浮かぶ。

自分に対する責任を他者になすり付ける、安全だと思って始めて行動に移る。

たらい回し第二歩目だった。





「では、吉沢さんの許可をとればよろしいんですね?ええ、ウィッツ氏の承諾は得ておりますから。ええ、はい、では」

時田はその後数箇所に電話をかけて、何とか最高機密の命令を取る事に成功する。

電話を置いてミサトに向き直りそれを告げる。

「今から命令書が届く。作業は正式なものだ」

「そんな、間に合わないわ!爆発してから何もかも遅いのよ!?」

だがミサトにしてみれば、それはあまりにも遅い処置であり。あまりにも杜撰なものとして映った。

《ジェット・アローンは厚木方面に向かい進行中》

JAが順調に歩を進めている事が放送として入る。

それはどんどん市街地へと接近して、災害を増やすに均しい宣告だった。

「時間が無いわ」

ミサトはある考えを思いつき時田を見て言う。

「これより先は、私の独断で行動します・・・・あしからず」





ネルフ御一行様控え室と書かれた部屋でミサトは電話を肩と耳で固定しながら着替えていた。

「あ、日向君?厚木にナシつけておいたから、トウジ君と参号機をF装備でこっちによこして。そう、緊急事態」

ロッカーから防護服を取り出して着込む。

「無駄よ、おやめなさい葛城一尉。第一どうやって止めるつもりなの?」

リツコはJAの動きが仕組まれた暴走であり、その後停止する事を知っていた。

人類補完計画により”エヴァ以外の対使徒戦力”を許さないため、企業側のミスとして今回の騒動を仕組んであるのだ。

プログラムの操作はネルフが誇るスーパーコンピュータMAGIによって行われたのは極秘事項である。

これにより企業や軍事が同じようにエヴァ以外のロボットを作ろうとはしなくなるだろう。

リツコとしては炉心融解も爆発も無い事だが、万が一もありえるので親友を止める。

「人間の手で直接」

そんなリツコの葛藤など知らずに、ミサトはお気楽に言ってのける。

”人間”ではなく”自分”を濁しながら。





防護服に着替えたミサトは時田に自分が乗り込んでJAを直接止める事を伝える。

「本気ですか?」

時田の信じられないと言う声

「ええ」

「しかし、内部はすでに汚染物質が充満している。危険すぎる!」

時田からしたら憎い組織の人間だが、人に死んで欲しくはないので引き留める。

「上手く行けばみんな助かります」

だがミサトは自分の決定を曲げる事はせず、二人は向かい合ったまま沈黙が続く。



ガシャン



そんな時、時田の部下の一人がコンソールを斧で破壊した

「ここの指揮信号が切れると、ハッチが手動で開きます」

「バックパックから内部に侵入できます」

「判ったわ、ありがとう」

ミサトは思った以上に協力的なその行動に感謝していると、時田が一言呟いた。

「キボウ」

ミサトは時田の方を向く

「プログラム消去の・・・パスワードだ」

まだ命令書は届いていない。これは時田の独断専行だが、企業の体面より人命を尊重していってくれた事だとミサトは悟り。

自然とある言葉が口から出た。

「ありがとう」



◆―――参号機



トウジは参号機のエントリープラグ内で気分を落ち着け集中していた。

これからの作戦でトウジは地面に落とされて、片手にミサトを持ちながらJAを捕まえて動きを止める。

その後ミサトが内部に侵入して動きを停止させると言うものだ。

不安の種は尽きない。

(ミサトさんが乗って止めるなんて無茶や!)

(ミサトさんはエヴァなら大丈夫言うた、せやけどミサトさんは危険や)

(でもミサトさんはやれる事はやるっちゅうた。せやったらわしも出来る事はせんとアカン)

(わしがミサトさんを守るんや!)

今回は使徒の様に戦う相手はいない、だが今までと違ってこれは明確な”人命救助”なのだ。

その最前線にいるという意識がトウジの心を湧き上がらせた。

偶然ではなく必然の中の災害だとは知らぬまま。

《目標を肉眼で確認》

エントリープラグ内に操縦席に座るマコトからの通信が届く。

《さ、行くわよトウジ君》

「任せて下さい、ミサトさん!!」

《ドッキングアウト!》

「了解!」

ミサトの号令の元トウジの乗る参号機は空中へと投げ出された。



ズザザザザザ



参号機は膝を曲げて着地時の衝撃を最小限に抑えるが、それでもウイングキャリアーの速度そのままに投下されたので止まるのに一苦労だった。

JAのかなり前方に投下した筈だが、追い抜かれて先を歩いていってしまっている。

「なんちゅう早歩きのロボットや!」

思わず愚痴がトウジの口から出るが、それでも足は動かしてひたすらJAに向かって走る。

左腕にミサトが乗っているので、右腕だけ振って走る参号機。

歩くJAと走るエヴァ。普通に考えたら簡単に追いつきそうな話だが、トウジの言葉通りJAは”早歩き”なのでエヴァの走る速度より少し遅い程度。

JAの背中にある取っ掛かりを掴むまでかなりの時間を要した。

足を止める参号機とJA、参号機は全身の力でJA止めるがJAはプログラムそのまま前に進もうと腕を前後に振る。

「このっ!潔く止まらんかい!!」

『かまわないわ!やって!』

ミサトはエヴァの止めようとする力とJAの進もうとする力が拮抗していると見て、トウジに指示を出す。

「判りやしたミサトさん!」

エヴァの左腕ごとミサトをJAバックパックのハッチに近づける。

ミサトは降りてすぐハッチに手をかけると聞いていた通り手動でも簡単に開いた。

『それじゃあトウジ君、行ってくるから後よろしく!』

いつもと変わらぬ口調、少し強めの言葉。

ミサトはトウジに見えるように親指を立ててJA内部へと侵入する。

そこは放射能汚染物質と高温、高圧の人の作り出した小さな地獄だった。





「止まらんかい、おんどりゃああぁ!!」

右腕でJAを引いて、前方に出る参号機。

相撲の取っ組み合いの様に全身を盾にしてJAを止める。

トウジが視線をJAの肩に移すと、そこには内部から漏れ出す蒸気が見えた。

「ぐぐ・・・ミサトさん・・・急いでください・・・」



◆―――JA



ミサトは階段を下りて非常用手動制御室の前に来ていた。

「・・・ここね」

聞いた話だと、この扉の向こうには制御盤一つとJAの背中から出る制御棒の内部ストッパーだけがあるらしい。

時間が無いのでミサトは意を決して扉を開く。





黒衣を身に纏った白い仮面と白い長髪の碇シンジがそこにいた





自分の目が信じられなくなる。

南極での光る羽、皮膚がただれて今にも死にそうだった父、失語症になりながら眺めた白い壁・窓・机。

現実感と遠くかけ離れた風景を見た。

ネルフに入る前は人を殺す事もしたし、人に殺されそうになった場合もあったし、人がすぐ近くで死ぬ事も見た。

だが今この場の光景はそんな物とは遠くかけ離れた位置にある”非現実”だった。

防護服のセンサーは温度を50度と示している、普通の人間なら動く事も喋る事も困難な環境だ。

それに加えて汚染物質の充満で防護服を脱いだ瞬間床に倒れて身動きが取れなくなるだろう。なにしろ酸素が無いのだから。

だが目の前に使徒がいる。

武装はろくに無い、そもそもここには誰もいないはずだったのだから必要ない。だが今はそれが必要だと思っていた。





一秒か十秒か一分か。

どれだけ長い時間目の前の現実を受け入れるために脳が休止していたかは判らない。

あるのは過ぎ去った時間と目の前に立つ漆黒と白亜が同居する使徒。

《ミサトさん!はようして下さい!!》

シンジの声と参号機のトウジの声がミサトを現実へ引き戻す。





その頃時田達がいるドーム内の管制室のモニタは、赤い警報表示で埋め尽くされていた。

「動力炉、臨界点まで後0.2!」

「制御棒、作動しません!」

ミサトがここを離れてからも、状況のモニターと停止信号を送りつづけていたが。返って来るのは無慈悲な現実だった。





「退きなさい!」

シンジを押しのけるようにしてミサトはカードリーダにIDカードを読みとらせると、コンソールの蓋が開けてキーボードを外に出す。





「臨界まで後、0.1!」

「駄目です!爆発します!」

ドームでは爆発の時刻が刻一刻と迫ることだけが判っていた。

絶望的な状況で時田は呻くように言う。

「駄目か・・・・・・・」





K・I・B・O・U

たった五文字、だがその言葉は最後の願いであり最後の言葉。

キーボードの『U』から指が離れるのを確認したミサトは思った『間に合った』と。



ピーーー



「エラー!?」

だが画面からは”ERROR”の文字が返ってきて、何も変化はしない。

時間が無くなっていくという点では更に悪い方向へと進んでいた。

ミサトはもう一度五文字のアルファベットを入力しようとした。

叩かれるキーボード、だが『O』の文字を入力した所で突然画面が変わり、後ろにあった制御棒の内部ストッパーが静かに壁に格納されていく。

「えっ!?」

次々と制御棒が沈み室内の明かりも室内の蛍光灯の様に淡い光へと変化していく。

外でJAの動きを止めていたトウジも、引っ込んでいく背中の制御棒と前進しなくなったJAでミサトが上手くやったと確信してJAから手を離す。





そして管制室のモニタに写る赤い警報表示が次々に緑に変わっていく。

「やった!」

「内圧ダウン!全て正常位置!」

「助かったあ!!」

管制室内に時田も含めた作業員全員の歓声が渦巻いた。

「あのバカ・・・・・・」

その中で一人だけリツコは小声で呟く。





「これは・・・あんたの仕業なの!?」

キーボードから視線を外しシンジが立っている筈の入り口に視線を変える。

だがさっきまでその場にいた筈のシンジは既に無く、初めからその場所に何も無かった風景があった。

《ミサトさん〜〜、大丈夫でっか?》

トウジの応答が防護服の中に入ってくる。

「ええ・・・・・・、もうサイッテ〜だけどね」

途中から自分の緊張を誤魔化すように明るく言う。

《でも、すごいですわミサトさんは!ホンマに奇跡を起こすなんて!!》

「ええ・・・・・・」

曖昧に返事をしつつ、ミサトは別のことを考えていた。

JAの中にいた使徒、突然止まったJA。あまりにも出来すぎている話。もしこの事故をあの使徒がやったとしたら、彼の手の上で踊っていたといっても過言ではない。

奇跡は自分以外の誰かの手で用意されていたのだと半ば確信して、何も出来なかったミサトは怒りをぶつけるように力任せに壁を叩く。



◆―――ネルフ本部、司令室



リツコは今回の事件の報告のためにここを訪れていた。

「参号機の回収は、無事終了しました。汚染の心配はありません、葛城一尉の行動以外は全てシナリオ通りです」

ゲンドウは口元を組んだ両手で隠すポーズのまま、言った。

「ご苦労」

だがリツコはミサトからJA内部にいた使徒の話を聞いていなかった。

もし聞いていたら何かが変わったかもしれない。

『不確定要素の”使徒”がいるにも関わらず、シナリオ通りに進みすぎている』と。

用意されたシナリオの更に上を行く流れに誰も気付かないまま時間は流れつづける。



◆―――ディラックの海



(史実通り・・・か)

(変わらないのかな?人って)