第伍話
「変わってしまった出会い方」
◆―――ネルフ本部、司令室
「これはまずい状況ではないか?」
「ああ、初号機が暴走するためにはある一定の攻撃が加わる事が必須条件だが。あの使徒がその前に攻撃を止めさせてしまっている」
「細工した映像と、あの使徒の映像記録を揉み消しているから何とかなっているが、ネルフが使徒と共闘されていると思われでもしたら、予算縮小もありえるぞ」
「その点に関しては問題ない、その為の情報操作と特務権限だ」
「・・・だと良いがな」
ゲンドウと冬月は自分たち以外誰もいないの司令室で自分たちだけの会議を開いていた。
たまにリツコがここに加わるが、今回は生憎と来ていない。
「初号機と参号機の修復作業は既に終わったそうだな?」
「ああ、予備として零号機の再起動実験も取り付けた。それと老人達からダミープラグの催促が来た」
「ダミーの?」
「初号機と零号機は現在レイにしか動かせん、シンジが死ななければまだ先の話だったろうがな」
(碇・・・レイに拘りすぎだな、お前の息子だったのだろう?)
冬月は碇の子供の対する情の薄さとレイの拘り様にそんな事を思ったが、口に出す事は無かった。
「人の形をした使徒、何故エヴァを守るのか、どこから現れるのか・・・・・・わからない事だらけだな」
「ダミープラグ開発の前倒し、使徒の殲滅、我々には時間が無いのだ」
ネルフにおいて彼らとリツコにのみ判る会話。
だがもう一人、全てを知る人物がいた。
そして、その一人は今ある場所にいた。
◆―――第壱中学、屋上
対第四使徒戦後。ケンスケは保安部員と諜報部員と父親からこっぴどく叱られ、『私は絶対情報を洩らしません』と言う内容の誓約書を100枚近く書かされ、更に罰として学生らしく勉学での宿題が出された。
だがケンスケは全く懲りておらず、カメラに収まった映像はLCLによって復旧不能となっていたが、自分でみたエントリープラグ内の映像やエヴァ・使徒の形などをパソコンに打ち込んでいた。
さすがにそれをネット上に公開するとネルフから保安部員が来て連行され、最悪死に繋がるので自分一人の秘密として抱え込んだ。
英雄願望はあっても命は惜しい、それがケンスケだった。
トウジは第四使徒と戦った後、一日だけ休んで学校へ来ていた。
トウジ本人の訓練もあるのだが。現在のシンクロ率では本人が強くなるより、エヴァに慣れた方がいいと言う技術部の判断で普通を継続するために学校生活に戻っていたのだ。
だがトウジは勉強も委員長の叱責の言葉も耳に入らず、ただ襲いくる恐怖を思い出していた。
目の前に立ちふさがる巨体、”斬られた”を感じる前に安々と無くなった指。
妹の死を怒りに変えて戦ったが、真っ向から叩きのめされた。
同じクラス内に座るレイにできる事が自分にも容易く出来たと言う事が、ただの自分勝手な錯覚だと知った。
『戦争』、攻撃されて始めて命のやり取りをしている事に気付いた。
誰も命のやり取りに関する対処法など知りはしない、自分の恐怖も自分の命も自分で答えを出さなくてはならない。
思い悩んでまた寝る、悪夢にうなされて起きる、そしてまた悩んで寝る。
元々トウジの授業態度は寝るかボーッとしてるのどちらかだったので、クラスメイトは誰一人としてトウジが悩んでいるなど思わなかった。
例外として恋する乙女委員長のヒカリは「鈴原・・・大丈夫?」と声をかけたが。
「大丈夫や、心配せんでもええ」と返した為、それっきりとなった。
ケンスケは嬉々としてパソコンにデータを打ち込み、トウジは悩む。
そんな一日のある授業時間だった。
トウジにしては珍しく、授業時間中に屋上にいた。
彼は不良でもないので授業が嫌で屋上にタバコを吸いに来たのではない。
むしろただの勉強嫌いなので、出席率に関してだけ言えばトウジは優等生だった。
成績がそれに追いついていないので無理だが。
そんなトウジが何故授業時間中に屋上にいるかというと、悩み悩んだ末『よっしゃ!静かな所で考えよ』と全然解決になっていない方法論を確立したのだ。
結局エヴァや使徒、ネルフに対する悩みはまだ解消されていない。
「・・・・・・・・・どないしよ」
「何を悩んでいるの?」
「!!」
トウジが驚いて後ろを振り向くとそこには少年が一人立っていた。
着ている服が中学指定の制服、背格好も自分と同じぐらいなのでおそらく生徒の一人だろうとトウジは決める。
「あ、脅かしちゃったみたいだね。僕はシンジ、碇シンジって言うんだ」
「お、おお。わしは鈴原トウジや」
「サボり?駄目だよ授業はちゃんと出なきゃ」
「おお、そうや・・・・・・ってお前もここにおるっちゅうことはサボりやないか!」
「お前じゃないよ、シンジって呼んでね」
「お・・・おう、判ったわいシンジ」
「ありがと、トウジ」
トウジは自分の毒気が抜かれているような気分だった。
シンジと名乗った目の前の少年はよく言えば人懐っこく、悪く言えば気安い。
だが温和にも思えるその微笑は見るものを和ませ、敵対心がまるで湧かないのだ。
この時トウジが少し注意深かったら、彼の苗字がネルフのトップと同じであると気付いたかもしれない。
だがトウジが気付く前にシンジは会話を再開した。
「それで、最初に話を戻すんだけど。何か悩んでるんじゃない?」
「何で判るんや?」
「こんな時間に屋上で一人でいたらそう思うよ、特に何かしてるって訳でもないみたいだし」
「・・・・・・せやな」
トウジは自分が屋上のフェンスに手を預けながらしばらく空を眺めていた事を思い出す。
確かに悩んでいたが、外側から見たらそれは”何もしていない”になるのだろう。
「初対面だけど聞くぐらいは出来るよ?」
「・・・せやな、聞いてもらったら考えも改まるかもしれんしな」
トウジは初対面とは思えない目の前の少年に事の次第を打ち明けた。
自分がエヴァのパイロットである事。
初めて乗ったエヴァがあっさりと起動した事。
同じクラスにもう一人いるパイロットが起動に何度も失敗している事。
自分が特別であると言う錯覚、うぬぼれていたと言う傲慢。
この前の騒ぎで自分が相手との命のやり取りをしている事に気付いた事。
まるで役に立たず、逃げようとして結局気絶してしまった事。
起きた時には全てが終わっていた。
「わしは・・・どうすればえんやろ・・・」
トウジの口から弱音が出る。
「トウジは何の為にエヴァに乗るの?」
「・・・・・・前の前での戦闘で妹が死んでもうてな、そないな事をした使徒、敵が許せへんからや」
(そうか・・・この世界ではナツミちゃんは・・・)
(コアに入れられた、僕の世界ではもう少し後のことだったのに)
(復讐・・・か、まるで葛城さんみたいだね)
(それをやったのが使徒じゃなくてネルフだって知ってる・・・訳ないか)
「そう・・・妹さんが、トウジは優しいね自分以外の為に何かが出来るなんて」
シンジは微笑みながらすんなりとトウジに向かって言い放つ。
だがトウジとしては同年代の同姓から真っ直ぐに向けられる言葉に照れてしまう。
「そ、そんな事無いわい!」
「トウジは怖いんだよ。自分の命がかかっていると判ったら逃げちゃうほどに・・・」
「・・・・・・そうや、わいは怖い!」
トウジは今までほとんど見せなかった”怖さに対する肯定”を見せた。
親にもクラスメイトにも親友にもネルフの誰にも見せなかった本音、だが目の前のシンジと名乗る少年には何故か言えた。
「怖さから逃げるのは簡単だよ、何もしなければいい。でも逃げる事で何かを失ってしまうんだ、大切な何かをね」
トウジは空を見ながら話すシンジの横顔を見た、同年代とは思えないその真摯な瞳。
自分とはまるで違った経験を歩んできたのだと思い、言葉の重さが身に染みた。
「無くしたくないなら前に進むしかない。自分の生活を、大切な人を、何より自分自身を守る為に。失った物は返ってこない、だけど怖さは乗り越えられる物だから」
「乗り越えられる物・・・か」
シンジの言葉をトウジはすんなり受け入れる事が出来た。
一度認めてしまえば、トウジの切り替えは早かった。
「よっしゃ!この先もわしはエヴァで戦うで、使徒なんぞにわしの生活壊されてたまるかっちゅうんじゃ!!」
「・・・悩みが消えてみたいだね」
「シンジ!恩にきるで、話したらすっきりしたわ!」
「役に立ててよかったよ、良かったねトウジ」
「おう!」
そう言ってトウジは片手を差し出す、それに答えるようにシンジはその手を握りしっかりとした握手を交わす。
「頑張ってねトウジ」
「おう、シンジの平和もわしが守ったる!ああ、それと話したことは機密やっちゅう話や、黙っといてな」
「判ってるよ」
そしてトウジはシンジに手を振りながら屋上から教室へと戻った、時刻は昼が近いので悩みの解消と空腹がちょうと重なったのだろう。
そしてシンジは屋上に一人立つ。
「良かったのか悪かったのか・・・トウジのあの真っ直ぐな心は不快じゃない、でも僕が使徒だって知ったら君はどうするかな?きっと怒るね・・・」
空を見上げてシンジは思わず呟く。
あと十数分で昼休みを告げるチャイムが鳴り響くが、今この瞬間は静寂が辺りを支配する。
「命・・・心・・・ここは色々な物で満たされている」
うっとりとした表情で目をつぶるシンジ。
そんな空間に不粋な侵入者がやって来た。
数は10人以上、黒のスーツを着込んだネルフの保安部員だった。
そして最後に屋上に姿を現したのは、ネルフの作戦部長でもある葛城ミサトだった。
「碇シンジ君!私たちと一緒に来てもらうわ!!」
ミサトの声が屋上に響いた。
◆―――第三新東京市、少し前
チルドレンには基本的に監視と護衛がついている。
だがエヴァのパイロットであるチルドレンの存在は極秘事項でもある為、VIPの様に表立ってガードするわけにもいかない。
苦肉の策として、遠距離からの監視と何かが起こってからの対処として保安部員が近くにで待機している。
『保護』と言う大義名分とネルフの特務権限の元、法を幾つか無視した行いだった。
当然学校での授業も監視され、動向は全て見守られていた。
トウジが授業をサボって屋上に出ることもしっかりモニターされたが、監視していた諜報部員は『異常なし』と連絡を入れた。
学生が授業をサボるぐらいよくある事なのだ。
だがしばらくして状況は正反対の展開を見せた。
また一人屋上に人が来たと思ったらガード対象でもあるチルドレンと話し始めた。
それだけなら問題ない、学友とも会話までネルフがいちいち咎める事は無いからだ。
だがチルドレンと話している相手が問題だった。
諜報部員に閲覧できる情報レベルでも『チルドレン』の顔写真ぐらいなら知ることが出来る。
消息不明、生死不明、無い無い尽くしで死亡扱い。
だがその少年がいまレンズを通した向こうにいて、ガード対象と話している。
急いでネルフへの連絡と近くに控えている保安部員への連絡を行った。
「生死不明と思われたサードチルドレン発見!フォースチルドレンと接触しています」
「諜報部は何してたんだ、そんなに接近されるまで気付かなかったのか?」
「仕事してるのか?」
「今はそれよりもサードチルドレンの保護だ、処罰は後にしろ!!」
たまたま仕事も無くコンフォート17で惰眠を貪っていたミサトにもこの知らせは届いた。
そして学校の屋上に終結する保安部員と葛城ミサト。
保安部員が駆けつけるまで緊迫した空気が諜報部員に流れるが、見ている光景に驚愕した。
サードチルドレンはフォースチルドレンと和やかに談笑しているのだ、生憎と音声は届いていないので何を話しているかまでは判らない。
だがそこだけ見ると、学校の生徒同士が喋っているようにしか見えない。
(どういう事だ?)
訳が判らなかった。
何故この場、この時間にフォースの前に現れるのか。
悩んでいると、話が終わったのかフォースは屋上から教室へと戻り。残ったサードの元に保安部員と葛城ミサトが到着する。
◆―――第壱中学、屋上
「碇シンジ君!私たちと一緒に来てもらうわ!!」
屋上のフェンスにもたれかかったシンジを取り囲む、保安部員とミサト。
地上まで距離十数メートル、使徒もいないこの位置なら前の様に死なす心配も無い。
ミサトにしてみればサードチルドレン発見は渡りに船だった。
その姿を見るだけで、忘れたはずの自分が犯した罪が湧き出てくる。
『見殺しにした』
『お前のせいだ!』
『原因が寝坊?』
『この役立たず!!』
自分の中の理性が自分を攻め立てる。
何故生きているか不思議に思ったが、ここに結果として生きている事実がある。
ネルフに連れて行けば自分の中で、それはチャラになる。ミサトはどこまでも都合のいいことを考える頭の持ち主だった。
「・・・誰ですか?」
ミサト達の方向に向き直ったシンジ、その目は探るようにこっちを見ていた。
「碇シンジ君ね」
「そうですよ?それであなた方は?」
「私はネルフ作戦課の葛城ミサトよ。連絡してから一ヶ月弱・・・こんなに長い間どこで何してたのかしら?」
世界でまだ四人しか確認されていないチルドレン、本来なら手厚く歓迎しなければならない相手にミサトは自分の失敗を誤魔化すように攻め立てる口調で話す。
「葛城・・・ああ、僕を迎えに来ないで逃げ出した人ですね」
その言葉で、保安部員に同様が走る。
(どういう事だ?)
(葛城一尉はサードを迎えに行った筈だぞ?)
(逃げる?何の事だ?)
さすがに声に出して割り込むほど素人意識は無かったのが黙っているが、明らかに不信の目をミサトに向けていた。
「な!それは、あんたが約束の場所にいなかったからでしょ!!」
「遅刻しておいてよく言う・・・。これまでですか?日々をぼんやり過ごしてました」
吐き捨てるように言った後、シンジは事実を伝える。
使徒となったシンジにとっては、睡眠も排泄も食事も呼吸すら不要の長物になったので、サキエルとシャムシェルの魂を取り戻した後ディラックの海の中で一人漂っていた。
だからこそ、シンジの言葉は事実だったのだが。ネルフとしてはそれは嘘にしか聞こえなかった。
「嘘つきなさい!第三新東京市にいたんなら、ネルフが見つける筈よ!!」
”どこで”が抜けた言葉から勝手に推測したミサトは反論するが、シンジは全く取り合わない。
「まあ、どうでもいい事じゃないですか。それで僕に何か御用ですか?」
いきなりの話題転換に、自分としても良かったと思ったミサトが用件を告げる。
「これからあなたはサードチルドレンとしてネルフに来てもらうわ、元々その予定だったんだから」
「お断りします」
ミサトの言葉が終わるのとほぼ同時にシンジは返した。
「トウジに聞きましたよ、エヴァ・・・でしたっけ?その兵器に僕を乗せるつもりなんでしょ?トウジがフォースで僕の事をサードって呼ぶって事は」
(もう僕はあんな物に乗りたくない)
(どんな記憶を手に入れたって)
(どんな力を手に入れたって)
(人の魂を乗せた木偶人形の事を忘れた日は無い!!)
(あれで僕が手に入れたのは”孤独”だけだ!!)
「違いますか?葛城さん」
内心の叫びを抑えつつ、シンジは平坦に言ってのける。
ミサトはシンジのプロフィールにあらかた目を通していたが、それは『性格は内気で控えめ。人見知りが激しく非社交的』だった筈。
だが目の前の少年からは底の見えない思慮深さと大人と対等に接する度胸を感じた。
「あなた・・・本当に碇シンジ君?」
シンジの疑問に答えないで、ミサトは自分の疑問をぶつける。
「何を持って”本当”とするか僕には判りませんけど、僕は『碇シンジ』ですよ」
「・・・・・・保安部、彼を拘束!連行します!!」
会話を強引に打ち切ってミサトは周りにいた十数名に命令する。
目の前の少年が偽者でスパイである可能性は否定できない、そもそも彼は怪しすぎる。それがミサトの出した結論だった。
保安部員は一瞬躊躇したが、自分たちの職務を思い出してシンジに詰め寄っていく。
「僕を捕まえて父さんの元に連れて行く?御免だね!!」
そう言ってシンジは屋上から飛び降りた。
「なっ!」
「嘘っ!!」
後方で驚く声が聞こえるが、シンジは全く無視して自由落下に移行する。
体が屋上から地上へ、下にあった藪に突っ込むのとほぼ同時にディラックの海を1兆分の3秒だけ展開して自分に纏う。
傍目から見たら地面に着地すると同時に消えているように見える筈だ。
この短時間ならセンサーも解析するだけのデータは取得できず、シンジが使徒だと判断する事は出来ない。
後には屋上から下を見下ろす保安部員とミサト、その光景の一部始終を見ていながら何が起こったか理解していない遠距離の諜報部員だけだった。
使徒とは判断されないだろうが、怪しまれるには充分すぎる瞬間だった。
◆―――ディラックの海
シンジは黒い空間を漂いながらさっきのことを考えていた。
トウジに対しての笑顔。
ミサトに対しての怒り。
初めて会ったときに比べるとまるで別人のような応対だと考えながら、どこかそれに納得していた。
彼らがシンジを見る目。
見たことの無い自分見つめる、他人の目。
どんな経験をつんだ所で、ここが自分の知る世界ではないと思い知らされた。
笑顔の裏に悲しみを隠し、怒りの奥に喜びを隠す。
諦めろと自分の中で声がする。
お前はもう、人の輪に戻れないのだと誰かの声がする。
「・・・・・・・・・僕を誰も知らないんだ」
人がいるからこそ、紅い世界で感じていた寂しさを一層強くその身で感じ取っていた。
◆―――ネルフ本部、発令所
二週間ほど前と同じ光景が司令室で展開されていた。
ゲンドウ、冬月、リツコ、ミサト、合計四人の会議である。
「さて、定時報告以外の緊急会議。何か発展があったのかね?」
冬月は判っていながらそれを言う。
まずはリツコがいつもの白衣スタイルのまま一歩前に出て述べる。
「はい。まずは第零使徒についてですが、これまで入手したデータによりますと明らかに使徒に対して敵対関係にあると思われます。使徒を倒す為か、それともエヴァを守る為か、先の戦闘では初号機、あるいはレイを守っている様にも見えますが詳細は不明です」
「ふむ・・・・・・ではこちらに攻撃してくる可能性は低い、と見ていいのかな?」
「はい。その可能性は高いと思われます」
はっきりとした口調でリツコは言う。
”レイ”の名前が出たところで少しゲンドウが震えたような気もしたが、今は無視する。
「また体温や行動などを解析したところ、やはりあれは人ではないと判明しました」
「どういう事?リツコ」
後からミサトが口を挟む。
「センサーでは黒い布の下に人間と同じ形態をしている事が判りました・・・が、心臓に当たる部分、その場所に使徒のコアと思われる人間の臓器ではありえない球体が観測されました」
「その点においては他の使徒と同じ・・・と言うことか」
「はい。また羽に見える背中の物体はやはりATフィールドです。エヴァや他の使徒に無い攻守の使い分けと言う特質こそありますが、あれは使徒よりもむしろエヴァに近い存在です」
事実を知らないミサトがこの場にいるので、あくまで”近い”としかリツコはいえない。
エヴァと使徒が元を辿れば同じ物だと、後にいる親友が知ったときどんな行動に出るか予測がつかないことが不安だった。
「つまり、エヴァでATフィールドを武器として使用できると言う事かね?」
「はい、ですが、観測されたATフィールドの強度はエヴァ参号機を1とするなら零号機は0.9、第三・第四使徒は1.2、それに比べて第零使徒はその約五倍と言っても過言ではありません。強力なATフィールドだからこそ出来る芸当とも言えます、下手に攻撃にまわすと防御が疎かになる懸念も否定できません」
「実戦に回すには力不足という訳か・・・」
「はい。なお、第四使徒についてはサンプルを現在解析中。その他についてはまだ結果が出ておりません」
自分が伝えるべきことを伝え終わったので、リツコは一歩下がる。
「葛城一尉、君の方はどうなのかね?」
冬月の言葉に連れられるようにミサトモ一歩前に出る。
「はい、本日1130。フォースチルドレンに接触する人物を拘束、連行しようとしましたが、逃亡。まだ捕獲しておりません」
「それはまた物騒な話だな・・・誰なのかね、その人物と言うのは?」
冬月にしてみれば、肝心の人物像を知らないので当然の詰問だった。
ミサトとしては有耶無耶にしたい事実ではあったが、保安部員にも見られた以上隠しておくのは限界と考え先に報告する事にしたのだ。
「・・・・・・碇、シンジ君です」
「「「!!!」」」
その場にいる、ミサト以外の全員が驚愕した。
「ミサト!?シンジ君は残された遺留品から生存は絶望的だと三週間前に話したじゃない?それは嘘だったの?」
誰よりも早くリツコが起動してミサトに詰め寄る。
「あの時言った事は本当よリツコ、N2爆雷の跡を調べて作った調査結果に嘘は無い。でも彼の姿をした少年に私は会ったわ」
「詳しく説明したまえ、葛城一尉」
今まで黙っていたゲンドウが威圧的な言葉でミサトを責める。
「はい、本日1120。フォースに張り付いていた諜報部から『サードと思しき少年発見』と報告が入りましたので保安部員数名と共に直接迎えに行きました」
ミサとの内心としては迎えと言うより捕縛が正確だが、ここは出迎えたと印象付ける為言葉を変える。
「フォースよりエヴァの事を幾つか聞き出したらしく、サードチルドレンになる事を拒否。屋上から逃亡してそのまま消えました、一部始終を見ていた諜報部も『消えた』と表現しています」
「・・・見失うではなく、消えるかね?」
「はい。彼が今までどこで何をしていたかは不明ですが、事前調査での性格に著しい違いがありましたのでスパイの可能性も捨て切れません。ネルフの目を掻い潜れるのも後ろに控える別組織がいるからではないでしょうか?」
さすがに『人型の使徒=碇シンジ』と結び付けるほど、ミサトの常識は桁外れではなかったので、とりあえずスパイだと疑っておく。
「ふむ・・・彼が生きているならばサードとしてエヴァに乗ってもらいたいのだが、場所の特定も出来んとはな」
冬月は新しく出てきた悩みに頭を抱えるが、ゲンドウはミサトの報告から即座に答えを出して命令を下した。
「赤木博士、引き続き第零使徒に関する調査および第四使徒とATフィールドの解析を続けろ、それとマギにサードチルドレンの消息をもう一度徹底的に洗わせろ」
「はい」
「葛城一尉、諜報部・保安部に『サードチルドレンを発見次第拘束、連行』の命令を追加する、後のことは君に一任する。フォースは情報漏洩の罪として二日ほど独房に入れておけ」
「はい」
「以上だ、二人とも下がれ」
「「はい」」
淀みなく言うゲンドウ、リツコとミサトは反論を許される間もなく司令室から退出した。
「・・・お前の息子、生きていて良かったじゃないか」
「チルドレンとして役に立たなければここにいる価値はない、だが全ては捕縛した後の話だ」
残された冬月はゲンドウのあまりの言い様に少し顔を歪めるが、いつもの調子だと思い直す。
「シナリオにまだ修正は効く・・・か?」
「問題ない、全てはこれからだ」
◆―――北九州地方、市街
セカンドインパクトの被害から、多少持ち直した町並み。
同じ日本の地でありながら対使徒迎撃戦都市の第三新東京市とはまるで違う平和な空気が流れていた。
どこにでもありそうな公園、真昼の太陽が照りつける中に二人の男がいた。
片方は今の時間を考えると補導されそうな学生服姿の中学生、もう片方はスーツ姿のサラリーマンだった。
「サボりはよくないぞ、感心しないな。学生だったら勉強は本分だろ?」
「大丈夫です。心配してくれる人もいませんし、僕ちょっとだけ頭がいいですから」
親子ほどの差はないが、兄弟というには少し離れている微妙な差。
サラリーマンは昼休みにたまたま見かけた学生に少し注意をするだけのつもりだったが、思った以上に気に食わなそうな返答に少し顔を歪める。
「そんな事より、ちょっと聞きたい事があるんですけどいいですか?答えてくれたら言われた通り戻ります」
「聞きたい事?」
いきなりの返しに少々驚いたが、男は少年が戻るというのなら答えても良いと返す。
「それでは・・・・・・今やってる第三新東京市と人類の外敵”使徒”との戦いについてどう思いますか?」
「は?」
いきなりの質問に男は一瞬言葉に詰まる。
まるでアンケート調査を受けている違和感もあるし、少年が何故そんなことをいきなり聞くのか理由が判らなかった。
第三新東京市での未確認巨大物体と”どこかの組織の兵器”が戦っているのは有名であり知られていない事実だった。
誰でも知っているが、当事者たち以外には何をやっているのかよく判らない”戦争”。それが第三新東京市。
男は学生に”正しい道”を教える為にも、とりあえず違和感を打ち消して帰すことを優先させて返答する。
「正直、戦争って言われても実感無いんな。どっか遠くでやってるからってこっちの生活が変わる訳でもないし?むしろ兵装とかの製造費で税率が上がるらしいから怨んでるのかも」
中学生に愚痴をこぼすつもりは無いが、男の日々のうっぷんは少し解放されて更に続く。
「大体人類の危機ってどんな話なんだか!?そのくせ金は搾り取るくせに情報は極秘、新聞もメディアも知らん!の通り一辺倒。遠くの戦争より近くの生活、自分の事で手一杯だよ」
「・・・・・・」
「あ、悪い・・・ちょっと驚かしちゃって」
ようやく自分が日々のストレスを晴らす材料に返答を使ってしまったに気づいた男は素直に謝る。
別に少年が怯えた様子は無いが、先ほどまでの人を食ったような笑顔が消え真面目な表情をしている。
「その・・・答えどうもありがとうございました、それじゃあ僕は行きますね」
「・・・お、おう。気をつけてな」
男がそう言うと、少年は少し小走りで公園から姿を消した。
残った男は昼休みが終わろうとしている事に気がついて、慌ててその場所から歩いて姿を消す。
もうそこには誰の姿も無かった。
公園から少し離れた場所を歩きながら”碇シンジ”は先ほどの会話を反芻していた。
第三新東京市から自分は知っているけど向こうは知らない他人から離れることばかり考えていたら、見も知らぬ距離だけは離れたこんな場所にいた。
だがここはある意味で自分が知りたい事を知る為には好都合な場所でもあった。何しろこの場所では”碇シンジを知る者”がいない。
「やっぱり・・・この程度なんだ、ネルフがやってる事なんて。人類の為・・・か、馬鹿みたいだ」
紅い世界で”記憶”は得ても”気持ち”は得られなかった。
だからこそ当事者達とは違った気持ちを知りたいと思ったが、それがこの結果で二つの意味でシンジは落ち込んだ。
ネルフの閉塞さと訪れている危機に対する無知ゆえの愚かさ。
知っている者も知らない者も何も判っていない事が悲しかった。
シンジはぼんやりと空を見上げながら、黒い穴に戻っていく。