第参話
「親友の欠片」

◆―――第三新東京市、市街



対峙する二人の巨人。

綾波レイが操るエヴァンゲリオン初号機と第三使徒サキエル。

立ち並ぶ第三新東京市のビルがまるでブロック壁に見え、遠近感がおかしくなりそうな光景だった。

戦争というには世界中のどの場所よりも非現実的な光景。一対一の闘いが始まろうとしていた。

『レイ、いいわね?』

「はい」

スピーカーから響くミサトの声に反射するように、即座に簡潔な返事が返ってくる。

『最終安全装置解除、エヴァンゲリオン初号機リフトオフ!!』

射出口固定台に繋がれていた最後の装置が外れ、遂にエヴァンゲリオンは地面に放たれた。

レイが行っていたエヴァでの戦闘プログラムを誰よりも熟知しているリツコは、ミサトを遮るようにレイに命令を出す。

『レイ、今は歩くことを最優先に』

「了解」

そう言うとレイは頭の中に歩くイメージを作り出す。

包帯の巻いていない健康な足。

左足を前に一歩踏み出す。

反対に右腕が前に出る。

するとレイのイメージそのままに、初号機は左足を前に出して連動するように右手が少し前に出る。

『『『おお・・・』』』

発令所のモニターには始めて動く初号機の勇姿が映し出され。

全ての人間が感嘆とも喜びとも取れる言葉を吐く。

『歩いた!』

その喜びは技術部のトップでエヴァンゲリオン計画の担当者でもあるリツコも同様だった。

続いて右足を出すイメージ・・・。

左手を前に右手を前に。

だがレイのイメージが上手くいかない、一歩踏み出した時にエントリープラグ内に起こった僅かな振動で左腕の痛みを思い出して集中が切れた為だ。

そのせいで『前に出る』というイメージだけが鮮明に残ってしまい、腕と足がそれに追いつかず初号機は前方にただ倒れる。

「あ・・・」

既にその巨体は地面に迫っている、どうする事も出来ずレイはただ間の抜けた声を出すしか出来なかった。

そして巨体が地面に横たわる。

「!!」

その衝撃は全身の痛みに伝染してレイは身を硬くする。

全身のあちこちに痛みが走る、目が開けられない、耐えられるけど痛みはなくならない。

『レイ、早く起き上がって!レイ!!』

スピーカーから発令所にいるミサトの声が届くが、痛みでそれ所ではない。

何とか痛みが鎮まり視線を上げると、そこにはすぐ傍まで接近した使徒がいた。

使徒は目の前に横たわる巨体の顔面を左側の三本しかない指で掴み、頭上に持ち上げる。

レイは何とか振り払うか足で攻撃しようとイメージするが、痛みでイメージが固まらず初号機は何の動作も起こさない。

辛うじて震えが起きる程度だ。

そんな初号機の行動など知った事ではない使徒は、空いた右腕で初号機の腹を殴りつける。

「ぐっ!」

レイの腹部に強烈な衝撃が走る。

エントリープラグ内で前かがみになり、痛みのある腹部に両手を当てる。

『レイ、落ち着いて!殴られたのは貴女じゃないのよ!!』

ミサトの声がするが、痛みは決してなくならず。先ほどまでの鎮まりそうになった痛みもまた復活する。

発令所ではエヴァの防御システムとして組み込まれている筈のATフィールドの発生を確かめていたが。

フィールドは無展開のまま沈黙を保っている。

具合を確かめるように初号機の腹を殴った右腕の指を開閉する使徒。

殴った手をダラリと下げて変わりに左腕に持った初号機を上に持ち直す。

三本の指の中央から国連軍のVTOL機を打ち落とした光の槍が発射される。

『レイ!避けて!!』

ミサトが作戦とは呼べないお粗末な願いを口にするが。

歩く事すらあやふやな現在の初号機にそんな事が出来るはずも無く、掴まれた初号機の頭部に攻撃が始まる。



ドガンッ!

「ぐっ!」

ドガンッ!

「うぐっ!」

ドガンッ!



レイは交互にやってくる頭部を叩かれる痛みと、全身の傷の痛みに必死に耐えていた。

だがそれ以上のことは出来ず、初号機はただ蹂躙される。

《頭蓋装甲に亀裂発生》

初号機の顔にあたる部分にひびが入る。

『装甲がもう、もたない!』

リツコは絶望を言葉にする。

そして今まさに初号機頭部の装甲が使徒の放つ光の槍:パイルによって打ち砕かれ様としたその瞬間だった。

ボトッ



初号機を掴んでいたサキエルの手が落ちた。





腕の部分がサキエルから切り離され初号機と共に地面へ落下、前倒しに倒れる。

何が起こったのか?

発令所の誰もその答えを知らず、最前線のレイにも判らず。

腕を切り落とされたサキエル自身も何が起こっているのか理解できていなかった。

無くなった腕を断面と落ちた腕を見比べるような素振りを見せる。

人の困惑など無視して発令所の計器はある事実をオペレータに告げた。

オペレータの一人青葉シゲルは、その事に気が付いて声を張り上げる。



『初号機後方よりパターン青、およびATフィールド発生!』



◆―――ネルフ本部、発令所



全身を覆うマントにも似た全身を隠す漆黒の布。

頭部だけ布に覆われていないが、顔には目以外の部分全てを隠す白い仮面。

そして腰まで伸びた白い髪の隙間、背中から生える12枚のオレンジ色の羽。

白、黒、オレンジの三色だけで表現できる『人に見える何か』が初号機の後ろのビルの上にいた。

人ではない、赤木リツコは誰よりも早く科学者としてその結論に至った。

使徒、そしてエヴァだけが発現できるATフィールド、おそらく羽に見える部分に展開されているのがそれ。

そしてあの人影の存在はあの場所においてあまりにも異質だった。

正常であるならあの場所にそもそも人がいる筈が無い。

リツコは未知の恐怖を打ち消すように少しだけ呟いた。

「・・・あれも使徒?」

自分一人の耳だけに届いたと思っていたが、その声は隣にいたミサトにも聞こえていた。

「リツコ!!あれも使徒なの!?」

「え、ええ。使徒はATフィールドを持っている筈だから」

怒鳴ってくるミサトにリツコは科学者としてはあるまじき”推測”を返した。

あくまで予想の範疇を越えていないが、ミサトはそれを決定事項として認識する。

「レイ!後ろにも敵!!その場所は危険だから横に避けて!!」

『・・・う・・・』

スピーカーに向かって怒鳴りつけるが、レイからの返事は激痛での呻き声だけだった。

「聞こえないのレイ!?回避よ!!」

再度命令を伝えるが、初号機は動かない。

ミサトの声は発令所に響いたので、誰もが初号機でこれ以上戦闘が行えないことを実感する。

作戦部長としてミサトは作戦中止を皆に伝えようとするが、それよりも早くモニターに写る映像に変化が表れた。



◆―――第三新東京市、碇シンジの場合



(ATフィールドは心の壁・・・)

(僕の正体が判らないように僕が意識してるから?)

(まるで悪役の親玉だね、黒尽くめなんて)

(多分・・・知られたくないんだ)

(僕はもう人間じゃない・・・)

(力を持つ”使徒”なんだから)





ビルの屋上から飛翔して初号機とサキエルの間に浮かぶ”碇シンジ”。

傍目から見ると初号機を無視してサキエルに向かっている様にも見えるが、シンジは無視してるのではなく無意識にレイを守っていた。

空中に浮かぶ羽を生やした人影、使徒の名そのままに天使にも見えるその光景だったが。サキエルが残ったもう片方の腕からパイルを出現させて攻撃してきた事で均衡は崩れた。





(やっぱりアダムかリリスじゃないと駄目か)

(確かに”還るべき場所”はアダムだからね)

(僕は色々融合しちゃった紛い物だ)

(偽者に起こっても無理ないよね)

(だから強引に行く)

(君の魂は”還る”その時まで僕の中で眠れ!!)





超近距離から向かってくるパイルを上に飛んで避けるシンジ。

飛びながら12枚の羽の内、2枚を布の下から出した黒い衣服に包まれた両手に掴んで構える。

両手に剣を持った姿勢になりながら、シンジは右腕の剣を振り下ろすがサキエルの目の前に突如出現したオレンジ色の八角形の壁に遮られて動きを止める。





(ATフィールドを切り崩すのはATフィールドだけ)

(物理法則でそれを成すと膨大なエネルギーがいる)

(心の壁は同じ心で打ち破る事が出来る)

(さようならサキエル、今度会える日があればいいね)

(さあ、魂の回収だ)

(カヲル君の欠片の回収だ!!)





一時シンジの剣はその動きを止めたが、左腕の剣が同じ軌道で同じ場所をその上から斬りつけると今まで硬直していた空間があっさりと通過する。

穴が空いたATフィールドに慌てたサキエルは顔から光線を発射するが、それよりも早くシンジは右腕の剣を放して三個目の羽を投擲。

サキエルのコアに深々と突き刺していた。

操り糸の無くなった人形の様に空を仰ぎ見て倒れるサキエル。

打ち出そうとした光線は空に向かって放たれ、何の被害も出さずに終わった。

沈んでゆくサキエル、そのまま地面に倒れると思ったら。寸前に体が膨れ上がって大爆発を起こす。



ドゴゴゴゴゴゴ!!



◆―――ネルフ本部、発令所



人の姿をした使徒・碇シンジも近くにいた初号機も巻き込んでの大爆発。

発令所では思っても見なかった戦闘に目を奪われ、誰もが絶句していた。

爆発が止んでモニターの映像が白一色から、町並みを写した所でミサトがようやく自分の仕事を思い出した。

「ひゅ、日向君!状況は!?」

「は、はい!パターン青、片方は消えましたがもう片方は以前健在です!!」

マコトの言葉通り、モニターには爆発の後に倒れたままの初号機と地面に立つ黒衣の人影・シンジがあった。

背中から新たに生え揃った12枚のオレンジ色の羽がそれを証明していた。

「レイ!応答して、レイ!!」

「初号機の状態は?」

スピーカーから話すミサトに計器で状態を知ろうとするリツコ。

だが返ってきた現実は最悪の事態だった。

「回路断線、モニターできません!!」

「く・・・パイロット保護を最優先に、プラグを強制射出して!!」

言葉には出さないが暗に作戦中止を命令するミサトだが、現実は何も変わってはいない。

「駄目です!完全に制御不能です!!」

モニターの映像ではシンジが反転して初号機に向き直っていた。

「レイ!!」

何も出来ない、初号機が使徒に蹂躙される現実が一歩ずつ近づいていた。

シンジは片手を初号機に向ける。

そして・・・。





「エントリープラグ・・・緊急排除!?!?」

「LCL、緊急排水されました!」

発令所から制御できなかった初号機、だが初号機からの情報がどんどんと入ってくる。

「何?何が起こっているの!?」

ミサトの疑問も至極まっとうだった。

シンジはただ手を前に向けているだけなのに。モニターでは初号機の背中からプラグが出て、LCLが排出されていた。

エントリープラグのハッチが開いて、重傷のレイの姿が映る。

シンジはそれに満足したのか、手を布の中に収める。

飛翔から浮遊へ、真っ直ぐに排出されたエントリープラグのレイに向かうシンジ。

「レイ!!危険よ逃げて!!」

ミサトはレイに向かって言うが、気絶しているのかレイは全く動かない。

シンジは動かないレイの横に降り立つと、白い仮面を上にずらす。

発令所でもその様子はモニターされていたが、白い長髪に隠された横からのアングルなのでシンジの顔は見えない。

そしてシンジは左手でレイの体を抱き上げると、そっと唇を重ね合わせる。

「なっ!」

「げっ!?」

「嘘!」

「・・・・・・」

いきなりのキスシーンに発令所のメンバーは大慌て、その中の筆頭は表情を崩さないでいたが内心混乱しまくっていた碇ゲンドウである。

十数秒ほどキスシーンが続いた後、シンジはレイから離れまた仮面を付ける。

離れると同時にレイの目がうっすらと開いてシンジの顔を見るが、確認したときは既に仮面をつけ終わった後だった。



◆―――初号機エントリープラグ、綾波レイの場合



(私・・・)

(使徒、どうなったの)

(ここはどこ?私はどうなったの)

(私はレイ、綾波レイ)

(誰かいる、あなた誰?)

(温かい・・・これは何?)

(何かが私に近付く感じ)

(あなた誰?あなた誰?あなた誰?)

(い・・・り・・・んじ)

(断片的、判らない)

(これは何?私なのに私じゃない感じがする)



言葉にはしないが、レイの意識は朦朧としていたので正しい現実を把握できていなかった。

辛うじて誰かが居る事を認識できる程度、そして”自分以外の自分がいる感覚”だけだった。

もう少し時間が経てばレイは仮面をつけた黒い人が判っただろうが、シンジはレイの意識が正常になる前にその場から”消えた”。



◆―――ネルフ本部、発令所



《も、目標、消失しました》

「消えた?使徒が!?」



エントリープラグの映像は全て発令所に届いていた。

突然現れた人型の使徒。

どうやってか判らず初号機を操作して、エントリープラグを排出した使徒。

突如レイとキスシーンかました挙句にやり逃げの様に消えた。

発令所の誰もが呆気に取られた。

ミサトはようやく自分の職務を思い出してオペレータの一人、伊吹マヤに言う。

「パイロット保護を最優先に、エヴァを回収して」

「りょ・・・了解」

「総員、第一種警戒態勢のままエヴァの収容作業、急げ!!」

ミサトに呼応するようにゲンドウの指示が飛ぶ、先ほど見た光景を脳裏からどかすように怒りがこもった威圧的な口調だった。

まるで夢から覚めたように慌しく発令所の全職員が動き出す。

結果だけ見るなら使徒殲滅と言うネルフの役割は果した。

だがネルフの決戦兵器エヴァをもって使徒を倒したのではなく、使徒が使徒を倒すと言う予想外の事態。

ミサトの脳裏には15年前、セカンドインパクトの時に南極で見たオレンジ色の巨大な羽が浮かび上がっていた。

(・・・あれが使徒)

(12枚の羽、南極で見た・・・)

(・・・私たち人類の”敵”、そして父の仇)

その後エヴァは何事もなく回収され、数時間後の夜明け頃には第一種警戒態勢が解かれた。

それまで人の姿をした使徒が姿を現さなかったの為だ。



◆―――人類補完委員会、査問会



六つのホログラフィが浮かぶ。

眼鏡をかけた男、鷲鼻の男、目にバイザーを付けた男、そしてその中には碇ゲンドウの姿もあった。

独・英・米・仏・露の五ヶ国の委員に日本を加えた特務機関ネルフの上位組織でもある人類補完委員会である。

「使徒再来か、あまりに唐突だな」

「15年前と同じだよ災いは何の前触れもなく訪れるものだ」

「幸いともいえる、われわれの先行投資が無駄にならなかった点においてはな」

「そいつはまだわからんよ、役に立たなければ無駄と同じだよ」

「さよう、今は周知の事実となってしまった使徒の処置。情報操作、ネルフの運用はすべて適切かつ迅速に処理してもらわんと困るよ」

「突然現れ消えた死海文書に無い使徒の報告もある」

「どんなものであれイレギュラーな事態は起こりうるが、事が起こってからでは遅いのだよ碇くん?」

「この事態、どうするつもりだね?」

どの人物もたった一人、碇ゲンドウに向かって話す。

「その件につき弐号機の輸送の前倒しと参号機の本部移管をお願いしたい」

「現在ネルフにあるエヴァでは不服だと言うのかね?」

「予定していたパイロットの一人が死亡、残存兵力では不安が残ります」



その後幾つかの報告と伝達が行われた・・・。



「しかし碇君、ネルフとエヴァもう少しうまく使えんのかね?」

「零号機に引き続きに君らが初陣で使った初号機が壊した街の修理代、国がひとつ傾くよ?」

「聞けばあのおもちゃは今回ようやく起動に成功したそうではないか」

「人、時間そして金、君はいくら使ったら気が済むのかね?」

「それに君の仕事はこれだけではあるまい”人類保管計画”、これこそが君の急務だ」

「さよう、その計画こそがこの絶望的状況下に置ける唯一の希望なのだよ、我々のね」

そこでようやく今まで何も言わなかったバイザーの男、議長のキール・ローレンツが言葉を発する。

「いずれにせよ使徒再来における計画スケジュールの遅延は認められん、予算については一考しよう。弐号機輸送の前倒しは認められんが参号機の移管については手を打とう、早急にパイロットを選出したまえ」

「承知致しました」

「後は委員会の仕事だな」

「碇君ご苦労だったな」

言いたい事だけ言って六人のうち四人が姿を消す。

残されたのはキールと碇ゲンドウだけだった。キールは一言だけ言って他の四人と同じように姿を消す。

「碇、後戻りはできんぞ」

たった一人残ったゲンドウ、誰にも聞かれる事のない独り言を呟く。

「わかっている、人間には時間がないのだ」



◆―――第三新東京市、市街戦後



テレビに映る黒服眼鏡の男達は手に堂々と伝える言葉を書いた紙(別名カンペ)を持って話していた。

『昨日の特別非常事態宣言に関して、政府の発表が今朝、第二東きょ』

ピッと音がして、チャンネルが変わる。

『今回の事件は』

ミサトがTVチャンネルを、次々と変えるが、どのチャンネルも、先日の非常事態宣言の政府発表が、放送されている。

「発表は、シナリオB−22か・・・またも事実は闇の中ね」

ミサトがうちわで暑さを誤魔化しながらぶつくさ言う。

「広報部は、喜んでいたわよ、やっと仕事ができたって」

後ろで何か作業をしながら、リツコが答える。

「うちも、御気楽なものよねぇ〜」

「どうかしら、本当は、皆怖いんじゃないの?」

手を休めずに、リツコが言った。

「あたり前でしょ」

ミサトが、急に真面目な口調で呟いた。脳裏には昨日の使徒対エヴァの光景と人の姿をした使徒が浮かぶ。





圧倒的暴力を持つ使徒、なすすべも無く倒されたエヴァンゲリオン。

突然現れた人の形をした使徒。

使徒もエヴァも超える力で数瞬で全てを覆した”使徒”。

恐怖と謎が現れ、目に見える害意となって訪れている。

恐れない人間がいない訳が無いのだ。





サキエルが歩いて壊された道路の補修作業のチェックと、消えた場所の調査を終えた一行(ミサト、リツコ、マヤ)は車でジオフロントに戻ろうとしていた。

「やっぱりクーラーは人類の至宝、まさに科学の勝利ね」

その中で暑さを誤魔化しながらミサトはリツコに話し掛ける。

しかしリツコは車内電話でどこかと連絡していて応対する事は無かった。

「はい・・・はい、えっ!!!」

「どうしたのリツコ?」

珍しく驚愕の表情でいるリツコにミサトは疑問を覚え聞いて見る。

するとリツコは受話器を置いて信じられない事を口にした。

「・・・・・・レイの怪我が治ったそうよ」

「え?」

ミサトは一瞬親友が何を言っているのか判らなかった。

起動実験の失敗に、先の使徒戦での負傷。

エントリープラグ内に写された映像も考慮に入れると全快には早くても一ヶ月はかかると思っていたからだ。

それが昨日の今日で治った?

不思議に思うのもしょうがない。

「ちょっと冗談でしょそれ?」

「冗談じゃないわ・・・異常の無い全くの健康体だって・・・」

「・・・・・・嘘でしょ」

ミサトの驚きの言葉にもリツコはそれ以上否定を口にはしなかった。

ミサトはリツコがこういう場合決して冗談を言わない事を知っている、だからこそそれが事実なのだと知った。

「・・・・・・やっぱり、昨日の”あれ”のせい?」

ミサトの言う”あれ”とは12枚の羽を生やした使徒の事である。

「多分ね・・・でも原因と結果があっても、経緯が全くの謎とはね・・・」

謎だけがそこにあった。



◆―――第三新東京市、病室、綾波レイの場合



(温かい、あたたかい、アタタカイ)

(これは何?私?私の体?私の体の中にある物?)

(私なのに私と私に似た者と私以外を感じる)

(痛くない?これは夢?夢は現実の終わり)

(どこ?白い天井、病院)

(私はどうなったの?人のつくりし物エヴァ、負けたの私?)

レイは無表情に病院の天井を見上げていた。

思考がパンクしそうに色々考えていても、表情は決して崩れない、それが今までの綾波レイという少女だった。

だがこの時のレイは少し今までと違っていた。

何かは判らないが、体の中を温かい何かが通り抜けとても満たされた感触がするのだ。

不快ではなく、むしろ幸福だった。

『自分が知らない筈の満たされた自分』がいる、現実には考えられない違和感。

ほんの少し、ほんの少しだけレイは微笑んだ。それが何によってもたらされた事か知らずに。

そんな時ドアが開いてゲンドウが見舞いにやって来た。

「大丈夫かレイ?」

「・・・はい」

「そうか」

お互い簡潔に済ませ、ゲンドウは足早に去っていく。

わざわざゲンドウが見に来てくれたという事実にレイは嬉しく思ったが、ゲンドウの目に宿る光にどこか今までと違う物を感じていた。



◆―――ネルフ本部、司令室



司令室にこの四人が集まるのは珍しい事である。

碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、赤木リツコ、葛城ミサト。

基本的にゲンドウと冬月は司令室か発令所にいるが、二人で行動する事が多い。

そして報告の際にリツコ、ミサトの両名は別々に報告に来る。

大体三人での話し合いが常であり、第一種警戒態勢の時に発令所に四人がいる事はあっても司令室に四人揃うのは稀な事態だった。

それもこれも全ての議題は”正体不明の使徒”に関する事だからである。

「まず赤来博士、”あれ”は何だ」

「計器およびMAGIは使徒と判断しています」

ゲンドウの言葉にリツコは即答する。

「だけどリツコ、あれは人の姿をしてたわよ?」

ミサトも話し合いに乗ってくる。

「ご存知の通り15年前南極で発見された第一使徒は光る巨人の形状をしていました」

セカンドインパクトの話が出て、腹部を抑えミサトは顔を少し歪める。

「そして今回の使徒も人によく似た形状をしておりましたので、使徒が人そのものの姿をかたどっていても不思議ではありません。むしろ擬態に近いものと推測されます」

「確かに”あれ”のやる事は人間では決してありえない事だ」

「だが碇、何故使徒同士での同士討ちを?」

ようやく冬月も話し合いに参加する。

「使徒の行動原理については謎の部分が多すぎる為に推測になりますが、使徒の同士討ちと言うよりもむしろエヴァあるいはレイを守ったと考えられます」

「エヴァを?」

使徒=人類の敵と考えているミサトとしては、リツコの言葉は受け入れがたいものだった。

「使徒は第一次直上会戦以降姿を見せていませんが、ファーストチルドレンとの接触により完全治癒を施しています。今回は明らかにレイ個人を救っています」

「使徒が・・・人の味方をするというのかね」

「はい、やはり推測になりますが人と同じ姿をしているのもその為かと・・・」

「ちょっと待ってよリツコ、冗談でしょ?」

「・・・あくまで推測なの、でも冗談じゃないわ」

「嘘でしょ・・・」

父の仇が人の味方?考えようによってはどうしようもない道化である。

ミサトにとって敵の敵が味方と言われているような物だ。

「だが使徒が人類にとって害悪である事に変わりは無い、赤城博士」

「はい」

しばらく三人のやり取りに耳を傾けていたゲンドウがここにきてようやく口を開く。

「マルドゥック機関よりフォースチルドレンの選抜、およびエヴァ参号機の準備を急がせろ」

「参号機?碇司令、凍結中の零号機のパイロットの選抜か新たな初号機パイロットの選抜のみで充分ではないですか?」

ミサトにとっては寝耳に水の話である。

ゲンドウはそんなミサトに威圧的に司令として話す。

「零号機の凍結解除までは時間がかかる、レイの初号機だけでは兵力として物足りず弐号機の輸送はいまだ認められず。判ったかね葛城一尉」

「はっ!」

「ではこれで会議は終了だ」

打ち切るようにゲンドウは言い放つ。

ミサトは何か言いたそうな顔をしていたが、司令直々にそう言われては下がるしかない。



◆―――ネルフ本部、廊下



司令室を出たミサトは前を行くリツコに先ほどからある疑問の答えを聞き出そうとしていた。

「ねえ、リツコ」

「何」

「あの使徒・・・人間なの?」

「・・・そんな訳無いでしょ」

間をおかずには言えなかったのは、ゲンドウ、冬月、リツコが知る死海文書の18番目の使徒を少し考えたからだ。

ネルフトップ3とゼーレの知る使徒のタイムスケジュール。

そこには『人は18番目の使徒』と書いてある。

だがそれを隣に歩く親友に言えるはずもなく、間は置いてしまったものの断言する。

「そうよね・・・そんな訳、無いわね」

多少疑ったものの、親友の言葉を信じてミサトは持ち直す。

「あの使徒が生きてるって判ってる以上、油断は出来ないわ!これからも頑張りましょ!」

「日向君に仕事押し付けてきたミサトに言われても説得力無いわよ」

「うぐっ・・・」

軽口で場を和ませるが、まだお互い悩みを抱えたままだった。





ミサトは隣を歩くリツコが何か隠していることは判っていた、ダテに十数年親友をやっている訳ではない。

だがリツコは話さない事を無理に聞こうとすると絶対喋ってくれない性格も持ち合わせていたので、無理に聞こうとは思わなかった。

それよりもミサトの心を占めていたのは喜びと怒りだった。

自分の命令によって倒せず、使徒同士での同士討ちに突然消えた使徒。

ミサトはレイにこそ命令処理能力不足だと勘違いしていたが。命令らしい命令も出さず、パイロットの状態も満足に把握していない作戦部長が無能なのだ。

ミサトはその事に気付いていない。

だが反対に嬉しい事もあった。

ファーストチルドレン:綾波レイは碇司令の傀儡といっても過言ではなく、ミサトの知るセカンドチルドレン:惣流・アスカ・ラングレーは自我が強く使徒を倒すために自分の命令より現場の判断を優先させるだろう。

自分が見殺しにしたサードチルドレンはデータそのものが抹消され、現在自分の手元にある駒が一つも無かったのだ。

そこに舞い降りたフォースチルドレンと新しいエヴァの登場予定。

まだ会ってもいないが、それこそがミサトの復讐を成し遂げてくれる駒だと夢想していた。

(次こそ・・・次こそ私の指揮で使徒を倒す。あの人の形をした使徒も私の手で・・・)

溶岩の様にどろどろとした怒りがミサトを支配する。



◆―――ネルフ本部、赤木博士私室



私室に戻ったリツコは、『第一次直上会戦映像』と書かれたファイルを開く。

するとそこには初号機から飛び出したエントリープラグの上から人影が消える瞬間を表示していた。

「・・・・・・相対距離から考えても、中学生ぐらい」

まだ細かいデータも揃ってなく、正体不明の上に予定外の使徒。

便宜上呼び名は必要だが、死海文書には載っていない使徒なので『第零使徒』と呼称していた。

国連から求められるネルフの存在意義は『現存する兵器の中で、唯一使徒を殲滅できる』だが。この人影、少女あるいは少年と思われる使徒に対しては科学者の目からは倒せる気がしなかった。

1ピコ秒。1兆分の1秒で分割した映像を解析してみると、人影の前に黒い穴のような物が現れ次の瞬間その穴が移動して人影を飲み込んでいた。

所要時間3ピコ秒。リツコの推測ではこれが人影の移動手段なのだろうが、これを止める手段が思いつかない。

初号機の後方に現れたのも、この力を使ったと推測される。

エヴァどころか、地球上どんな兵器や力を持ってしても止める事など出来ない速度で移動する使徒。

「どこにでも出れるなら・・・ジオフロントに出現する、きっと制限がある筈・・・」

それが想像の産物、頭の中の希望でしかない事は判っているが、言わずにはいられないリツコだった。

「今この瞬間に現れないのは何故?」

「12枚の羽・・・セカンドインパクトのアダムでさえ4枚・・・」

「攻守兼用のATフィールドを自身の後方に展開、ATフィールドが武器として使える証明だわ」

「地下のリリスではなく、初号機のレイに惹かれた?・・・・・・まさかね」

推測を織り交ぜながら考えを纏めていく自分の言っている事の中に真実が含まれている事をまだ彼女は知らない。



◆―――ネルフ本部、二日後



急ピッチで行われた初号機の頭部装甲の修理とフォースチルドレンの選抜。

明日にはエヴァ三号機もアメリカから届くと言う知らせ。ミサトは小躍りしそうに喜んだ。

丘から見下ろす第三新東京市を見ながら『復讐・・・エヴァはまだなの?』と思い悩んで早二日。

ようやくそれが現実の物になろうとしていた。

作戦部長としてパイロットとは仲が良くて悪い事は無い。

だからこそミサトは更衣室で着替え終わったと言うフォースチルドレンに挨拶に行くためにネルフの廊下を走っていた。

仲が良くても最終的には自分が『死んで来い』と命令する立場にいることに気付かないまま。

「新しいチルドレン、サードチルドレンみたいにすぐ死ぬような子じゃなきゃ誰でもいいわ」

自分が手を下したわけでは無いが、死のほとんどの原因を作っておきながら堂々と言ってのけるミサト。

そんなミサトの前に男子更衣室から黒いプラグスーツに着替えた少年が姿を現した。

髪を短く切って一部を立てている、『やんちゃ』という言葉が似合いそうな少年だった。

ミサトは前もって考えておいた挨拶の言葉を口にする。

「あなたがフォースチルドレン?」

「は、はい!わし・・・僕がフォースチルドレンになった鈴原トウジです!!」

ミサトは自分を前にして緊張している少年に優しく言い放つ。

「作戦部長の葛城ミサト・・・ミサトでいいわ」

「はい!ミサトさんよろしくお願いします!!」

14歳の少年でもあり、どうも自分の色香に惑わされているようだ。

(これなら純情な復讐の道具になってくれそうね)

大人の黒い部分を隠しながら上辺と表面上の明るい顔でミサトは更に言う。

「よろしくね、鈴原トウジ君」

「はい!使徒は必ず僕が倒します!!」