第弐話
「たった一つの違い」

◆―――海上



静寂が辺りを支配する。

だがそれは嵐の前の静けさに過ぎず、着実に『それ』は海から近づいていた。

戦車数百機、自走砲による機甲部隊、離陸準備の完了したVTOLによる航空部隊。

それら全ては海から進行してくる『それ』に銃座を向けていた。

海から水飛沫が上がる。

運命の日、攻防戦の始まりを告げる音が辺りに鳴り響く。



◆―――第三新東京市、碇シンジの場合



『本日12時30分、東海地方を中心とした、関東地方全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかに指定のシェルターに避難して下さい』

その少年は、第三新東京行きのリニア式ロマンスカーに乗っていたが、突然の非常事態宣言により二駅手前での降車を余儀なくされた挙句、無人の街に放り出されていた。

待ち合わせ時間は13時、仕方なく降りた駅の掲示板に『葛城ミサトさんへ、碇シンジは駅が止まってしまったので徒歩で待ち合わせ場所に向かいます』と書いて人無き道を歩いた。

一時間ほどかかって目的の駅に到着したが人影は全く無い。

『もしかしたら遅れたから帰っちゃったのかな?』と思い、碇シンジは仕方なく手紙についていた電話番号に連絡してみる。

だが、公衆電話から返ってきたのは《特別非常事態宣言発令のため、現在すべての通常回線は不通となっております・・・・・・》と言う無機質な音声だけだった。

公衆電話の受話器を下ろし、少年は『葛城ミサト』の写真を見つめて溜息をついた。

待ち合わせの場所と時間に葛城ミサトという名前、それだけならいいが写真に薄着でグラビアアイドルの様に前かがみになって胸に矢印で『ここに注目』の文字。

加えてルージュの口紅でキスマークなどつけている。

もう一通の手紙、父・碇ゲンドウからの『来い、碇ゲンドウ』と言う手紙もそうだが、いつから手紙の品性は損なわれてしまったのかと悩んでしまう。

ちなみに待ち合わせをしていた本人葛城ミサトは前日の飲酒による寝坊でまだこちらに向かっている途中だった。

『迎え酒による飲酒運転』+『待ち合わせの遅刻』

その事実を知らないシンジは仕方なく誰もいない駅で一人しばらく待っていた。





30分経過・・・始めの待ち合わせから考えて一時間経過したがやはり待ち人は来ない。

そこで待ち合わせ駅の伝言板に『葛城ミサトさん、14時まで待ちましたが来ませんでしたので。近くのシェルターへ避難します。碇シンジ』と書いて碇シンジはまた歩き出した。





歩いていると進行方向のアスファルトの上で、蜃気楼のように頼りなく立ち尽くし、シンジを見ている蒼銀の髪に紅い瞳の少女がいた。



バサササッ!!



すぐ隣で鳩が飛ぶ音で視線を一旦少女から外し、また戻してみるとその少女は消えていた。

「・・・・・・え?」

幻かと考えたが、そんな思考は轟音によって遮られる。

余震のような微弱な揺れに強風、音がそれに加わってシンジ達を襲う。

「うわっ!」

シンジの目は山から出現した後ろ向きに飛行する国連軍のVTOLと人型の巨大な生物に向けられていた。

「・・・何だ、あれ?」

第三使徒サキエルの襲来。ミサトはその頃駅で、「動かないで待ってなさいよ!苦労かけるなあぁ!!」と自分の失敗を誤魔化していた。



◆―――ネルフ本部、第一発令所



ネルフ本部施設、セントラルドグマにある中央作戦司令室・第一発令所ではオペレータが押し寄せる情報を処理していた。

《正体不明の移動物体は、依然本所に対して進行中》

《目標、映像で確認。主モニターに回します》

モニターに映された巨大な人型は、シンジが見た生き物だった。

「15年ぶりだな」

白髪の初老の男、冬月コウゾウが口を開く。

「ああ、間違いない─────────使徒だ」

手を顔の前で組んで座る碇シンジの全然似てない実父、碇ゲンドウは無表情に答える。



◆―――第三新東京市、”碇シンジ”の場合



あるビルの屋上。

そこには人が出入りする構造はなく、入り口も出口も無いビルの蓋でしかない。

だがその上に少年は立っていた。

”使徒”と呼ばれる巨大生物から、そしてシェルターに向かっている碇シンジから十数キロ離れた第三新東京市に立つそれの姿形は間違いなく”碇シンジ”だった。

(戻ってきた・・・出来るって確信はあったけど、期待はしてなかった)

(あの時・・・サキエルを見ていた僕・・・)

(”ここ”は紅い海と違って心がたくさんある・・・)

(でも僕の時と少し違う・・・)

(もっと早い、つまり最悪の事態だ)

(ここは僕の世界とは違うのかな?)

(平行世界って言ったっけ・・・?)

(数メートルの場所の違い、運命なんてその程度の差でわかれるんだ)

(さようなら、決して会えないこの世界の僕)

(怨むならミ・・・葛城さんを怨んでね)

(ミサトさん・・・か、吐気がする呼び方だ)

(・・・やり直せるなら答えを見つけよう)

(カヲル君の答えを確かめよう)



◆―――第三新東京市、葛城ミサトの場合



シンジの頭上を数発のホーミングミサイルが通り過ぎる。

使徒に全弾命中するが多少仰け反っただけで無傷である。

「目標に全弾命中!!うわあ」

その言葉を最後に国連軍のVTOL機の一機が使徒の右上腕部から発した光の槍に貫かれ撃墜される。

喋っていた乗組員は即死、機体は糸の切れた凧の様にシンジに向かって落ちてきた。

「うわっ!」

突然の事態に動けなかったシンジは目の前に落ちたVTOLを恐怖で見ていた。

ほんの一メートル前にいたら自分はこれに潰されていただろう。

金属の破片がいくつか飛んでシンジの顔に傷を作ったが、墜落のショックで痛みに気付けない。

目の前に墜落、だが自分は無事と言う幸運にシンジは少し安堵したが更なる恐怖が上から迫っていた。

使徒がとどめとばかりに墜落した機体に対して飛翔し踏み潰しに来たのだ。

(視界が暗くなる、影?)

思考が現実に追いつこうとしたその時、シンジは頭上に使徒の足の裏を見た。

踏み潰されるVTOLと碇シンジ。

何か黒い物が見えたと思った次の瞬間、彼の意識は暗闇に包まれた。





爆音が使徒の足元で鳴るちょうどその場所に、青いスポーツカー・アルピーノ・ルノーA310が悲鳴のようなブレーキ音を響かせてやって来た。

「お待たせっ!!・・・・・・って碇シンジ君は!?」

ようやく訪れた葛城ミサト、駅から一番近いシェルターを検索して自動車を走らせてきたのだ。

だが時既に遅く、碇シンジは使徒の足に踏み潰され、燃え盛る炎の中で生を終えていた。

「ま、まさか・・・・・・私のせいじゃないわよ!待ち合わせの駅にいなかったあの子が悪いのよ!!」

碇シンジ圧死の現場こそ見なかったが、何となく周りの状況から現実に辿り着くサングラスをかけて黒いチャイナスーツを着た葛城ミサト。

自分が遅刻した事実など頭から追い出して、出てきた言葉は責任転嫁だった。

燃え盛る炎、傍に落ちるバック、更に目を凝らすとその中には自分が送ったはずのセクシー写真と思わしき物が見える。

「・・・・・・・・・」

ミサトは呆然と目の前の光景から逃避しようとするが、使徒はそんな思いなど気付かずに移動を再開する。



ドガ!!



少し動いた足で落ちていた碇シンジの物と思われる荷物が踏み潰されてミサトは現実世界に舞い戻ってくる。

すぐさま運転席に戻ってルノーA310を急発進させ、何とかその場から逃げる事に成功する。

まだ会ってもいない碇シンジから逃げるように、自分の遅刻が原因で死なせてしまった事から逃げるように、すべての事から逃げるようにミサトは制限速度を100キロほど越えて市街地を走り抜けた。



◆―――ネルフ本部、第一発令所



「目標は依然健在。現在も第三新東京市に向かい、進行中」

第一発令所では怒声が響いていた。

「総力戦だ。厚木と入間も全部挙げろ!!」

「出し惜しみはなしだ!!、なんとしても目標をつぶせ!!」

戦略自衛隊の三人の上級将校達の声が響く。

モニターに映る怪物にミサイルが当たる。

大口径の銃弾が当たる。

片腕でミサイルを掴むが爆発して怪物を包む。

それでも使徒は無傷だった。

「何故だっ!直撃の筈だ!!」

「・・・・・・戦車大隊は壊滅、誘導兵器も砲爆撃もまるで効果なしか」

「駄目だ。この程度の火力では埒が明かん!」

三人の後方、碇ゲンドウと冬月コウゾウはそのやり取りを醒めた目で見ていた。

「・・・やはりATフィールドか」

「ああ、使徒に対して通常兵器は役に立たんよ」

その時三人の内一人が電話を取り、最後の切り札の発令を承認する。

「・・・判りました、予定通り発動します」



◆―――第三新東京市、アルピーノ・ルノーA310(凹みあり)車内



葛城ミサトは自分の持てる全ての技術を使ってあの場から逃げていた。

自分が悪い。

誰が考えてもその結論に辿り着くはずである。

結果はいまだ不透明だが『碇シンジ死亡』はほぼ間違いない。その原因は使徒にあるが、あの場所にシンジがいたのはミサトが遅刻した為と言っても過言ではない。

むしろこの地において、シェルターに向かった彼の行動は模範的とも言えるのだから。

だが葛城ミサトという女はある点において無能と表現してもおかしくない性格破綻者だった。

「違う、違うわ!・・・・・・私は悪くないわ、待ち合わせの場所で大人しくしてないあの子が悪いのよ」

二度目になる責任転嫁を口にしながらアクセルを踏みハンドルを取る。

スピードは高速道路でもほとんど見ない200キロまで達し、はるか後方で上がったN2地雷の衝撃波も届かないほど彼女はネルフに近づいていた。



◆―――ネルフ本部、第一発令所



ドゴゴゴゴゴゴゴゴ



使徒を中心に巻き起こる白い光。

第一発令所のモニターには、巨大な炎が立ちのぼるその光景を映し出していた。

「やった!!」

「残念ながら君たちの出番はなかったようだな」

作戦完遂を確信した上級将校の一人がゲンドウたちに振り返ると、勝ち誇ったかのように語りかける。

《衝撃波、来ます》

オペレータの声と共にモニター全面にノイズが走る。

「その後の目標は?」

《電波障害のため確認できません》

「あの爆発だ。ケリはついてる」

上級将校の一人は全てが終わったと確信して椅子に背を預けていた。

数秒後、ノイズが取り払われモニターに地図が表示される。

《センサー回復します》

《爆心地にエネルギー反応!》

「なんだと!?」

《映像、回復します》

そして映し出されたモニターには、クレーターの中心に立つ使徒の姿があった。

呼吸するように開閉するエラ状の部分、今まで頭があった位置から古い顔を押しのけるように二つ目の顔が作り出されていた。

所々こげているが消滅させるには至っていない。

「我々の切り札が・・・・・・」

「なんてことだ」

軍人の一人が悔しそうに拳を机に叩きつける。

「バケモノめ!!」



◆―――第三新東京市、”碇シンジ”の場合



(大丈夫、君はそんな事じゃ滅びない)

(だって君は天使の名を持つ人類の敵なんだから)

(カヲル君の兄弟で子供なんだから)

(人を滅ぼす為の兵器じゃ倒せないよ)



(先に手を出したのは”人”なのに)

(くだらないな)

(還りたいんでしょ?)

(自分に戻りたいんでしょ?)

(だったらおいでよ)

(”器”はここにあるよ)

(僕と一緒に還ろう)



◆―――ネルフ本部、第一発令所



モニターに移る使徒の肩にあたる部分が呼吸するように開いたり閉じたりする。

砕かれた顔に見える部分の下から、人体の爪の再生の様に新しい顔が盛り上がる。

「予想どおり自己修復中か」

「そうでなければ、単独兵器として役に立たんよ」

第一発令所では使徒の映像をモニターで見ながらゲンドウと冬月が話していた。

そのとき使徒の目が光り。その瞬間モニターが再びノイズ一面に覆われた。

頭上の偵察用無人ヘリコプターに気づいた使徒が目から光線を発射、一瞬のうちにそれを打ち落としたのだ。

「ほう、大したものだ。機能増幅まで可能なのか」

「おまけに知恵もついたようだ」

「再度侵攻は、時間の問題だな」

二人の男は慌てることもなく淡々としていた。





「――はっ、わかっております。しかし――はいっ、了解しました」

「・・・今から本作戦の指揮権は君に移った。お手並みを見せてもらおう」

自分たちでは使徒を倒せなかった戦略自衛隊の上級将校達は撤退命令と指揮権の移譲を知らされ苦々しく言葉を切り出す。

その表情には屈辱が浮かんでいた。

「了解です」

一度も目線を合わせる事無くゲンドウは返答する。

「碇君、我々の所有兵器では目標に対し有効な手段がないことを認めよう」

「だが、君なら勝てるのかね?」

上級将校達の一人は皮肉たっぷりに言った。

「そのためのネルフです」

「期待してるよ」

もちろん本音は違うが、捨てゼリフを残して彼らは発令所を去っていった。





《目標は未だ変化なし》

《現在、迎撃システム稼働率7.5%》

将校達たちが退席するさまを眺めていた冬月が口を開く。

「国連軍もお手上げか。どうするつもりだ」

「初号機を起動させる」

「初号機をか?パイロットがいないぞ」

「問題ない。もう一人の予備が届く」

何の感情も込めず、ただの事実としてゲンドウはその言葉を発する。



◆―――葛城ミサトの場合



彼女はネルフと言う組織においてナンバー3か4の位置にいる。

肩書きは作戦部部長葛城ミサト、階級は戦略自衛隊からの出向という扱いで一尉である。

だがこの地位は決して自らの功績ではない。

国連軍士官学校での彼女の成績は、主席を取る程では無く”上の下”辺りが正確である。

表向きは最高学府卒業と言う学歴で、エヴァに対する理解の為の基礎知識が周りから期待された、と言う事になっている。

ネルフはゲヒルンと言う研究機関上がりの組織で、トップも学者で占められている為、戦争経験者が少ないのでこれは不自然では無いが、実際の理由は彼女が南極で起きたセカンドインパクトに最も接近した葛城調査団ただ一人の生き残りであるからだった。

セカンドインパクトの現場での生き残りが使徒に挑むと言う国連上層部に対する視覚効果のピエロ。

彼女の使徒に対する復讐心が利用しやすかった事。

実戦経験が無い為、他の組織との余計な繋がりが無くネルフ生え抜きである事。

日々の生活や性格まで含めると、ミサトはむしろネルフにとっては害悪とも考えられる人物だが、これらの理由によりミサトは作戦部長としてネルフにいた。

それが与えられた物だと知らないのは本人だけの現実のまま。





当然ながら国連軍士官学校卒業のミサトは報告の必要性、重要性は重々承知している。

だが個人の主観が自分の失策を隠そうと必死になっていた。

組織の一部でありながら個人を優先させるミサト。

『サードチルドレン:碇シンジ』に対してミサトがネルフに報告を入れたのは、N2地雷が投下されてから十数分後。

本当の待ち合わせ時間から二時間も経過した後のことだった。



◆―――ネルフ本部、第一発令所



「司令!大変です!」

オペレータの一人日向マコトの慌てふためく声が後に座るゲンドウの元に届いた。

「どうした!?」

怒気を含ませた訳でもないが、ただ普通に喋っただけで威圧感を相手に与える。

マコトはその声に少し引きながらも、今入った連絡を告げる。

「か、葛城一尉から入った報告によりますと・・・」

そこまで言ってマコトは押し黙る、明らかにこの先を言う事を躊躇っている。

「どうした、早く言え!!」

その様子に少し怒りを覚えながらゲンドウは言う。

マコトは躊躇しながらもしっかりとした口調で、その言葉を言った。

「ま、待ち合わせ場所にいなかったサードチルドレンをロストしたそうです。生存は絶望的だと・・・」

ミサトはマコトに電話する時に、自らの失敗の露呈を恐れ『時間どおりに行ったんだけどね、彼いなかったのよ。しょうがないから近くのシェルターしらみつぶしに探してたら使徒に踏み潰されるの見ちゃったの』と連絡していた。

シンジが駅に残した伝言や、ミサトの行動を調べればすぐに判るのだが。

現在使徒と言う人外の敵が目の前に迫っている為、ミサトの行動を調べる余裕の無さと、残した伝言はN2地雷によって消滅している事がミサトを助けた。

これにより『ミサトが遅刻、よってシンジがシェルターに行かざろうえなかった』では無く『シンジが遅刻、彼自身の判断で勝手に歩き回り死んだ』と発令所には認識されてしまう。

これによりミサトは、シンジ不在の段階での連絡不備と言う理由で減俸一ヶ月と言う異常なほど軽い罰で終わることになる。

思っても見なかった予備パイロットの死亡の知らせ、たった一人の息子。だがゲンドウはたった一言だけ呟いて全てを終わらせた。



「役にたたん奴だ」



◆―――ジオフロント、葛城ミサトの場合



ミサトは何とかカートレインを使用してジオフロントに戻り、急いでネルフの発令所に向かっていた。

減俸一ヶ月を言い渡されたときは『えびちゅが・・・』等と自分が飲むビールの心配をして、既に頭の中から”見殺しにした碇シンジ”は消えていた。

彼女の頭の中には現在『どうやって使徒を倒すか』が渦巻いているが、その方法も思いつかずただ歩を進める。

何度か迷いながらエレベータに乗り込むミサト、何層か移動すると途中で親友が姿を見せる。

赤木リツコ。水着に白衣、金髪に眉が黒とかなりアンバランスな格好だが。凛とした目はミサトを窘めていた。

「あら・・・リツコ」

「何やってたの葛城一尉。こっちは人手もなければ、時間もないのよ」

「ゴミン」

何度か交わされた親友同士の軽い挨拶、ここがネルフと言う組織であっても大学時代からそれは変わることなく続けられていた事だった。

「予定していたサードチルドレンの損失、これはレイに頑張ってもらうしかないわね」

リツコのその言葉を聞いてミサトはようやく、正規パイロットの存在に思考が移る。

「まっさか勝手に動き回って使徒に潰されちゃうとはねーー」

いけしゃあしゃあと嘘八百を並び立てるミサト。今この場が使徒との戦場でなければリツコはミサトの嘘に気付いたかもしれないが、生憎と気付く事は出来なかった。

彼女ら二人の頭の中には、もう”来る筈だった少年”はいない。



《総員第一種戦闘配置。繰り返す、総員第一種戦闘配置。対地迎撃戦用意》



乗り換えたエスカレータを二人が登る時に、ネルフ館内に放送が走る。

目標:使徒が再生を終え、再び移動し始めたので司令が命令を出したのだ。

「ですって」

「コレは一大事ね」

「で、初号機はどうなの?」

「B型装備のまま、現在冷却中」

「それホントに動くのぉ。まだ一度も動いた事無いんでしょ」

「起動確率は、0.000000001%。オーナインシステムとは、よく言ったものだわ」

「それって、動かないって事?」

「あら失礼ね、0ではなくってよ」

「数字の上ではね。まぁ、どの道、『動きませんでした』では、もう済まされないわ」

「そうね・・・レイでの初号機起動。今だ成功した事無いからなおさらだわ」



◆―――ネルフ本部、病室、綾波レイの場合



ゲンドウはサードチルドレンでもある自分の息子が死亡により来なくなった事をたった一言で済ませた後、発令所の司令席から病室で治療中の綾波レイを呼び出した。

《レイ》

「はい」

《予備がいなくなった、もう一度だ》

「はい」

とそれは簡潔かつ単純なものだった。

ファーストチルドレン、綾波レイは蒼い髪にアルビノだが見た目はまだ中学生、この歳ならエヴァンゲリオン初号機と呼ばれるロボットに搭乗して使徒と戦うことを躊躇するのが平常時の”普通”であるが、彼女は躊躇う事も断る事もしなかった。

ただそれが自分にとって”当たり前”であるようにレイは行動する。

額から右目を覆い隠す包帯、背中と右足の太ももにも包帯は巻かれ左腕はギブスによって固定されている。

体を動かせば荒い息が口から吐かれ、包帯が血で滲む。

放っておいたら死にそうとは言えないが、決して軽症でもない重病人。

だが彼女は純白のプラグスーツを着て、神経接続のためのインターフェイス・ヘッドセットを頭につけてまだ一度も起動した事の無いエヴァ初号機のエントリープラグへと入っていく。

『碇司令による命令』これが今の彼女の最優先だった。



◆―――ネルフ本部第一発令所、第七ケイジ



レイにとってエントリープラグ内は慣れ親しんだ空間であった。

だがそれはある場面までの話である。

シンクロの第三段階、絶対境界線の突破。いつもそのタイミングで起動は失敗する。

時にはエヴァが完全に停止し、時にはエヴァが暴走し、時にはパイロットが気絶する。

『冷却水排出!ケイジ内全てドッキング位置』

『停止信号プラグ排出』

『パイロット、プラグ内コックピット位置につきました!』

『了解、エントリープラグ挿入!』

周りから聞こえてくる言葉は何度も聞いた事のあるチェック項目。

何度も聞き、今では何も見ずに言えることだろう。

だがレイはそれをふざけ半分でやりはしない。そもそも『ふざける』と言う概念が彼女には無かった。

彼女にとって生きると言う事は『碇ゲンドウへの依存』であり、命令は絶対、他者と話すことも稀だった。

表情を作らないまま、レイの乗ったエントリープラグは紫の巨人の首の後に挿入される。

『プラグ固定終了、第一次接続開始!』

『エントリープラグ注水!』

オペレーターの言葉と共に、エントリープラグへLCLが注水されていく。

何度繰り返したかわからない工程。

血の味のする液体にも何の反応も示さずにレイはただ心を落ち着ける。

『主電源全回路接続、続いて主電源全回路動力伝達、起動スタート!』

『起動用システム作動、稼働電圧臨界点突破』

オペレータの声の元、次々と起動準備がすすめられていく。

『シナプス挿入・・・結合、パルス送信開始』

『A10神経接続異常なし、初期コンタクトすべて問題なし!』

いつもここまで、誰もが絶望を頭の隅に置きながらそれでも希望を胸に抱えオペレータの言葉を待った。



(これで起動しなければ人類は使徒に滅ぼされる)



静寂に包まれるネルフ。

その中でオペレータだけが着々と入ってくる初号機の情報を読み上げる。

発令所もエヴァのケイジも全ての人が、まだ一度も起動していない初号機の起動を願った。



◆―――第三新東京市、”碇シンジ”の場合



その頃シンジは紅い海の知識と目の前の現実を比較していた。

自己修復に機能増幅を備えるサキエル、町の概観に自分の下から感じる”リリスの波動”。

(どうも大筋は僕の世界と一緒だね)

(もう僕がいない・・・・・・それだけか)

自分の記憶の中では、この時間帯は初号機の起動が行われていた。

エヴァに関して、自分が持つ記憶がどれだけ一致するか今の所不明だが。確かめるつもりは無かった。

ほぼ同じなら自分が傷つく事を知っているからだ。

それにやろうとしている事が決まったら、もう他の事はどうでもよくなっていた。

(これは茶番だ・・・)

(シナリオと言う名の仕組まれた現実)

(起動しない筈が無いんだ・・・)

(だってこの時の母さんはまだ覚醒してないんだから)

(僕を追い詰める為の嘘だったんだ)

(零号機でシンクロしてるならパーソナルパターンが酷似してる初号機でも・・・)

(七ヶ月もかかった苦労・・・)

(頑張ってね・・・この世界の綾波)

(今の綾波なら大丈夫だよ)

(多分ね)



◆―――ネルフ本部第一発令所、第七ケイジ



『ぜ、絶対境界線突破しました!!』

オペレータは信じられない光景に驚く自分を、オペレータとしての自分で覆い隠し状況を報告する。

『双方向回線開きます、エヴァ起動!シンクロ率25.2パーセント!!』

おお、と管制室にどよめきが走る。

『ハーモ二クス、誤差0.3。許容範囲内です・・・・・・』

今まで決して正常起動しなかった初号機の起動。発令所は驚きと歓喜に包まれ、誰しもが喜び、驚く中で発令所に戻った作戦部長は声を張り上げて命令を下す。

「エヴァンゲリオン初号機!発進準備!」

発令所内もケイジ内もその声で自分たちの仕事を思い出し、それぞれが自分たちのするべき事をする。

自分たちの頭上、第三新東京市で一人の少年が冷静に戦況を見ているなど誰一人知ることは無かった。





《第一ロックボルト解除》

《解除確認、アンビリカブルブリッジ移動!》

肩を抑えていた拘束具が外され、作業員の移動も兼ねた場所がエヴァの前方へ滑るように移動していく。

《第一、第二拘束具除去!》

《1番から15番までの安全装置解除!》

《内部電源充填完了、外部コンセント異常なし!》

肩を押さえ付ける拘束具を残して初号機を押さえつける物は無くなった。

《エヴァンゲリオン初号機、射出口へ!》

エヴァの立つパネルが移動して、射出用のレールの上に乗る。

《5番ゲートスタンバイ!》

《進路クリア、オールグリーン!》

カシュカシュカシュッと軽やかな音を立ててレールの行く手をはさんでいたシャッターが開いて行く。

《発進準備完了!》

「了解!」

ミサトは全ての準備が整ったのを確認して後ろを振り向いた。

その場所には総司令の碇ゲンドウがいる。

「構いませんね」

「使徒を倒さぬ限り人類に未来は無い」

ゲンドウは冷たく言い放つと、それに満足したミサトは号令を飛ばす。



「エヴァンゲリオン初号機発進!!」



ミサトの勇ましい声と共に射出口固定台ごと初号機は地上に打ち上げらた。

「・・・・・・・」

だがレイはその凄まじいスピードによる衝撃の痛みに少しだけ顔を歪ませただけで、後は驚きもせず終始無表情だった。

そして地上に出たエヴァンゲリオン初号機は相対距離で数歩ほど離れた位置にいる使徒の姿を確認する。

《目標は、最終防衛ラインに侵入しました》

モニターに写る対峙する二体の巨人を見ながら、ミサトは高鳴る自分の鼓動を抑えられなかった。

『遂に私の復讐が始まる』

レイの事など駒としか考えていない、偏った思いが目に狂気を宿らせる。

発令所の誰もがミサトと同じ映像を見ていたので、誰も気付かなかった。

戦いが始まろうとしているその近くのビルの上から、少年が戦場を見下ろしている事に。