第壱話
「時を超える理由」

◆―――紅い世界



赤い、紅い、あかい、アカイ・・・

目を開けると視界は全て紅く染まっていた。

何度それを見たことか、数百回までは数えていたが今はもう止めた。それは決して変わらないからどうでもいい事として考える様になったからだ。

ファーストチルドレン:綾波レイは碇シンジに話し掛け、サードチルドレン:碇シンジはどこまでも曖昧で自分と他人が混ざり合った『自分が傷つかない』世界を無意識に望んだ。

そしてサードインパクトが巻き起こした結果、全てはATフィールドを失い自分の形を失ってLCLへと帰っていった。

ガフの部屋が開いて生命は自分の形を保てなくなった。

紅い海になって生き物は消えた。

消えた。

きえた。

キエタ。

『気持ち悪い』最後の言葉を残してセカンドチルドレン:惣流・アスカ・ラングレーも消えた。

ATフィールド、心の壁がたった一人の少年を残して全てが消えた。



◆―――紅い世界



一人だけ残された碇シンジ。

しかしその体は既に人ではなくなっていた。

第拾八使徒リリン、人類は全てそれに該当するが碇シンジはリリンですらなかった。

父、碇ゲンドウの右手にいた第壱使徒アダムの体。

渚カヲルの元を創っている第壱使徒アダムの心。

ファーストチルドレン、綾波レイが融合して完全覚醒した第弐使徒リリスの体と心。

初号機のコアに突き刺さった神殺しの武器、ロンギヌスの槍と綾波レイの思いによって溶け合った三個の使徒。

『碇シンジ』の心がATフィールドを人の形を作っているが、そこにいるのは碇シンジであって人ではなかった。

アダムとリリスの禁じられた融合、そして覚醒したリリンの力。強大にして誰一人として到達できない神の領域。

媒体の役目を果たし最後に残った初号機はロンギヌスの槍と共に宇宙空間を漂ってここにはいない。

少年は一人だった。



◆―――紅い世界



LCL、赤い海は生命のスープ。

だがそこからは碇シンジのように人の形を持つ者は現れない。

形を作る為の”魂”がそこには存在しなかった。

全て生まれた場所に還っていってしまっていた。

砂浜から見る赤い海はどこまでも赤く、ただそこにいる。

遠目に巨大なリリスの顔と量産型のエヴァが見えるが決して動く事は無い。

赤い海、生命に溢れていながら決して動く物の無い死の世界。

碇シンジは一人だった。



◆―――紅い世界



いつからか碇シンジはLCLの赤い海の中にいた。

人の思いが、記憶が、感情が、力が、全てが碇シンジに流れ込んでくる。

星は周り、太陽は光を放ち続ける。

だが日付の概念も時間の概念も最早思考から消えていた。

死を考えた事は無いが、一人でいる事に飽きてしまったシンジには最高の暇つぶしだった。

どれだけ時間が経ったか判らない。一人一人、草木一本一本、風、土、火。

全ての思いを碇シンジは感じていた。

目を開けるとそこは赤い海。

また目を閉じて碇シンジはLCLと戯れる。



◆―――紅い世界



『済まなかったな』

一言で全てが終わると本気で信じていたのだろうか?

自分を利用するだけ利用して、親の役目を放棄した父が許せなかった。

全てを通して『碇ユイ』だけしか見ていない父が許せなかった。

他の者を通して別の物を見るその姿勢が許せなかった。

存在そのものが嫌いになった。



『母さん、一緒に死んで頂戴』

可哀想な人だと思った。

だが彼女は父と自分の母が残した面影ばかり見て、シンジを見てはいなかった。

チルドレン、エヴァに乗れる子供、思い人の子供、彼女にとって自分はそういう存在でしかない。

それが悔しかった。



『今、ここで何もしなかったら、あたし許さないからね、一生あんたを許さないからね!』

許されたかったのは自分だったのに、それを全て周りに押し付けた。

エヴァに乗れない歯痒さを自称保護者と言う形で誤魔化した。

《庇護してやってるんだからありがたく思いなさい!》

《私の復讐を叶えなさい!》

《しっかり生きて、それから死になさい!》

記憶が声になって聞こえてくるような気分。

吐き気がする。

見た目とあまりにも違いすぎる現実、それを悟らなかった自分自身に嫌気が差す。

偽善者。彼女の言葉は正しかったのだと知る。



『救ってやれると思ってるの?それこそ傲慢な思い上がりよ!判るはずないわ!』

理解こそが死だ。

判ったその先は?だからどうしろと?

彼女は判って欲しいのではなくで、自分に何かして欲しかったのだと知った。

だが全ては遅い、彼女も自分も判りあうには幼すぎた。

でもきっと判っても彼女は変わらない。

《それこそ傲慢な思い上がりよ!判るはずないわ!》

《思い上がりよ!判るはずないわ!》

《判るはずないわ!》

《判るはずないわ!》

そう言って否定する。

自分と同じだ、彼女は周りを否定する事で自分を保っているのだから。

きっと死ぬまで一人。



『あのロボットを作った大人に、妹の苦しみを、わしの怒りを教えたろ思います』

その結果、片足を失った。

教えられた?

何も。

自分の怒りを拳でしか表現できず。笑顔の奥に隠していた”碇シンジ”に向けた怒り。

友と思っていたのは自分だけだった。

語ることも話すこともせず事実を知ったときには全てが終わっていた。

人は嘘つきだ。



『たとえ、50億年たって、この地球も、月も、太陽さえなくしても残りますわ。たった一人でも生きていけたら』

確かに生きている。

死ぬ事も許されずに生きている。

生き続けている。

『とても寂しいけど、生きていけるなら』

そう『寂しい』。

一人は嫌だ。

一人は嫌だ。

一人は嫌だ。

一人は嫌だ。

一人は嫌だ。

一人は嫌だ。



(カヲル君・・・綾波・・・)

(きっと僕は狂ってる)



◆―――紅い世界



シンジの中で”それ”は必死になってシンジに呼びかけていた。

『自分はここにいる』

『あなたは一人じゃない』

声が届いているのに聞こえていない。

自らの殻に閉じこもるシンジに”それ”の声が通じない。

新しい情報が次から次へと”それ”を押し潰しシンジから遠ざける。



『・・・碇君』



碇シンジは一人だと思い込んでいた。



◆―――紅い世界



人類全ての知識と叡智を自らの体に収めたような奇妙な感触、だがそれでもこの世界で自分は一人だった。

そんな碇シンジは赤い海から砂浜に上がった時、ある事を考えていた。

『僕は何?』

何か叫んでいたような気もするが、とりあえず自分を考えて思考を止める。

『碇シンジ』

そう、碇シンジと言う形。

手が合って足が合って、髪が黒くて目も黒い。

皮膚も毛も爪も全てを統合して碇シンジと言う形を作っている。



手を上げる。

動く。

足を前に出す。

動く。

掌から加粒子砲を撃つ。

地表が抉れる。

ATフィールドを張る。

張れた。

首を捻る。

動く。

指を動かす。

動く。

腕を牙に変化させる。

指が牙になる。

衣装を変えてみる。

学生服が黒一色の布に変わる。

腕を伸ばす。

自分の身長が数倍まで伸びた。

髪を伸ばす

腰まで伸びた。

色を変える。

黒い髪が白になった。

目を開く。

紅い世界が見える。

ディラックの海を作る。

どこか別の場所に移動した、でも紅い。

右を見る。

紅い。

何かを作る。

顔の前に使徒の顔に似た仮面が出来た。

左を見る。

紅い。

紅い球体を作り出す。

S2機関。

自分を爆発させる。

両足が粉みじんに消し飛んだ。

戻す。

自分の形が再構築される。

歩く。

進んだ。

ジャンプする。

成層圏まで行って地球の丸さを確認する。



・・・・・・・・・



・・・・・・・・・



・・・・・・・・・



おかしいと思ったのは、地面を手の平から生えた触手で削り取ってからだった。

左腕が伸びている。

髪の毛が腰まで伸びている。

右腕から触手が生えている。

腰が座っていた石と同化している。

背中から12枚の羽が生えている。

歯が牙になっている。

足の裏から溶解液が出て地面を溶かしている。

切り離した左足が勝手に動いている。



『これは何?』



嫌悪が身体を突き抜けると、自分の形が戻ってきた。

手は二本、足が二本、顔があって胴体がある人間の形。

ただ背中から生えている12枚のオレンジ色の羽だけは残っていた。

それを見てシンジは納得する。



『僕はもう人間じゃない』



◆―――紅い世界



一度受け入れてしまえば、やれる事の幅が広がるのはいい事だった。

何かをやっている時は、一人だと言う事を忘れていられる。

自分の形が変わることに違和感を覚えて嫌な気持ちのなることはあっても。空を飛んだり、別の場所に即座に移動できるのは面白かった。

紅い世界どころか何も見えない、黒い空間の中に長い間いた事もあった。

どれだけが長いか忘れたので飽きた。

紅い海を何日も泳ぎつづけた事もあった。

加粒子砲を連発して山を盆地に変えた事もあった。

落ちていたエヴァシリーズの一体をATフィールドを両側から作って押し潰した事もあった。

爆風で海を吹き飛ばした事もあった。

破壊で星がえぐれる。

直して星を球の形に戻す。

壊して。

直して。

奪って。

創って。

だがすぐに飽きてしまう。

どこへ行っても誰もいない、紅い世界は寂しすぎた。

何かは作れても命は作れなかった。



◆―――紅い世界



『寂しい』

例え周りの大人全てが自分を利用する事しか考えていなくても、揶揄されても怒られても拒絶されてもそれでも誰かがそこにいた。

LCLによって大人達の欺瞞も偽善も全て知ってしまった。

どうしようもない絶望、誰にも希望をもって接する事は出来ないと判っていた。

だがここでは自分はたった一人だ。

アダムの力を使って人の形をした物を作ってみた、だが心を持たない人形だった。

心を持たせてみてもそれは自分自身と全く同じ者がもう一つ出来ただけだった。

『寂しい』

どうしようもない孤独、永遠の一人。

LCLは第参から第拾七まで使徒の力をシンジに与えた。

LCLは人々の思いを記憶を感情をシンジに与えた。

だがシンジはどこまで行っても一人だった。

寂しい

さびしい

サビシイ

今の自分は神にもなれる。創造主として地球を最初から作り直す事だって出来る。材料は目の前に大量にあるのだから。

頭上に見える巨大な太陽の光を超える光を生み出す事もできる。星を作り直して人類を誕生させる事だってやった事無いがきっと出来る。

その点ではゼーレが考えた『神もヒトもすべての生命は死をもって、やがて一つになる』人類補完計画はある意味成功したと言える。

それでも自分と話せる心が育つまで『新しいヒト』であるシンジは耐えられそうに無かった。

だから戻る。

例え周り全てに絶望していたとしても、ここよりは天国にずっと近い。

知識は充分すぎるほど手に入れたし、これ以上の事態が悪くなる事など考えられない。

シンジに躊躇は無かった。



ディラックの海、そこは全てを飲み込む虚数区間でありながら別の宇宙に通じる道。

ネルフに協力するつもりは無い。

でも自分と同じ道を歩まないように他人が幸せになって欲しかった。

不幸になってほしかった。

でも関わりたくなかった。

自分に優しくしてほしかった。

絶望の中にある変化と言う希望を持ち、知ってしまった真実を胸に秘めて。あの日、あの時、全ての始まりでもあるあの場所を思い浮かべながら、ここ以外ならどこでも良いと思うことも忘れずに、碇シンジは黒い穴を進んでいく。

進みながらシンジは考える。



『結局・・・僕はどうしたいんだろ?』



シンジが消えた後、この世界は終わりを迎えた。