小さな恋の綾波


ここは、第三新東京市にある第一中学校。
周りには森林があり、緑の匂いのする土地だ。

朝の始業時間前の喧噪とした雰囲気の中、中学二年とは見えない中性的で小柄な少年が肩から鞄を下げ、木漏れ日の中を走っていた。

「ハッハッハッ・・・」

誰も居ない通り道から建物に一目散に走り込む少年。
建物の中に入ると慌てて自分の靴箱から上履きを取り出して履き替える。
少年は、今まで履いていた靴を乱暴に靴箱に押し込み、上履きを突っ掛けたまま再び走り出した。

「本日は晴天に恵まれ、気持ちの良い朝である。生徒諸君も・・・」
体育館の壇上では髭を生やした定年間近だが生気漲る校長が朝の訓辞を述べている最中だった。

床を這うようにして自分のクラスの並んでいる所に入って行く少年。
ふと顔を上げた時、壇上の校長と目が合ったが、校長は何事もなかったかのように話しを続けていた。

バコン!

その少年の頭を強烈ではないが痛烈な衝撃が襲った。

「痛っ!」
「シーッ!さっさと並べよ」

少年の頭を襲ったものは、悪友の拳骨だった。
少年は下を向いて四つん這いで這っていたため行き過ぎる所だったのだ。

「朝礼のある日に遅刻とは、なかなかやるやないかシンジ」
少年の悪友は少年の耳元でそう囁いた。

少年は、その悪友に苦笑いだけを向けると、何事もなかったように前を向いて朝礼に参加する。
丁度、校長の取り留めのない長い話が終るところだった。

校長の話が終ると各クラスの担任が服装チェックを始める。
本来、背の低い少年は前列の方なのだが今日は遅れて来たので後ろの方に居た。

少年の前の悪友のところで、担任は止まる。

「なに?トウジ君、またジャージで来てるの?偶にはチャント制服着てきなさいよ・・・ん?クンクン・・・何かお酒臭いわね」
担任の赤木リツコはトウジの息を嗅ぎながらそう言った。

「ちょっと風邪ぎみなんですわ、ゴホッゴホッ。きっと咳止めのドロップの臭いですわ、ゴホッゴホッゴホッ!」
トウジは態とらしく咳をし、リツコに咳をお見舞いした。

露骨に嫌そうな顔をするリツコ。
顔を背けたリツコの眼にシンジが飛び込んで来た。

「ほら、トウジ君も彼を見習ってちゃんとした服装をしなさい。アイロンの掛かったワイシャツ、きちんと結ばれたネクタイ、ピカピカに磨かれたバックル。見ていて清々しいでしょ?」
リツコはシンジの服装を誉めながらそう言った。

「全部、母さんがやってくれましたから・・・」
シンジのその言葉にリツコは引きつ攣った笑いを浮かべた。



教室に戻ると、教師が到着するまで喧噪としている中、先程の少年とその悪友達も固まって話しをしている。

「シンジ、なんで遅刻したんだ?」
眼鏡の悪友は、机の上で何やら怪しげな工作をしながら少年に尋ねた。

「いや、出掛けに父さんが鍵忘れちゃって追いかけて届けたら遅くなっちゃったんだよ」
シンジは授業で使う教科書や端末を出しながら答える。

「はぁそらまた大変やったんやなぁ」
もう一人の悪友が机に顔を突っ伏しながら言った。

「トウジが朝から居る方が珍しいんじゃないか?」
ケンスケがニヤリと笑いながらトウジに向かって言う。

「なんやと!」
ガタッとトウジが椅子から立ち上がったところでガラッと音がし、教師が教室に入って来た。
騒がしかった教室が急にシーンと静かになる。

「ちっ!」
舌打ちをして席につくトウジ。
ケンスケはニヤリと笑っていた。


少年の名前は碇シンジ。
最近、ここ第三新東京市に引っ越してきたばかりで、友達と言えるのはこの二人しか居なかった。

一人は眼鏡の少年、相田ケンスケ。
ミリタリーマニアでカメラマニアである。
いつも授業中、何やら怪しげな物を制作している。

もう一人の関西弁混じりの少年は鈴原トウジ。
喧嘩早く、男尊女卑の傾向があるが、クラスの委員長である洞木ヒカリには頭が上がらない。


授業中、クラスの一部の生徒達だけが開いているチャットルーム。
シンジもケンスケに教えて貰ったので開くだけは開いている。

そこに、ケンスケからの意味深なコールが入った。

「完成したぞ!やるぜ!」
「本当か?」
「まぁた失敗だろ?」
「今回は大丈夫!自信があるんだ!」

「前もおんなじ事言ってたぜw」
「あれは笑えたなw」
「今回は、もっと強烈な火薬を仕入れたんだって!」
「よし!抜けるぞ!」

それを合図に何人かが授業中にも関わらず教室を抜け出して行った。

ケンスケとトウジも当然、抜け出して行く。
教室を出たトウジの方を見ると、シンジに向かって手招きをしていた。
さっさと来いと言う感じだ。

(僕も?・・・)
シンジは自分を指さした。

ウンウンと頷くトウジ。

今まで授業をサボったことなど無いシンジ。
壇上で講義を続けている教師とトウジを何回か見比べる。

(逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ・・・)

シンジは、意を決して鞄を持って教室を出た。


じゃれ合いながら走っていく子供達。
壊れたトタンの壁を無理矢理開いて潜って出ると、そこは広大な空き地だった。

向こうの方には貨物列車が走るのが見える。
空き地のいたるところに、土管やドラム缶が集積されている。

その空き地の更に何もない広大なところまで来ると、ケンスケが土に何かを埋め込み準備をしていた。
そこから伸びる紐状の物体。
ケンスケはそれにオイルライターで火を付けると
「伏せろっ!」
と叫んだ。

その叫び声に反応し、蜘蛛の子を散らす様に散乱して地面に伏せる子供達。

シュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ポフッ

何も起こらなかった。

「あぁあ、やっぱり失敗じゃん!」
「やっぱ駄目だったな」
「期待通りだったぜ」
子供達は口々にケンスケを嘲りながらズボンや服を叩きながら帰って行く。

シンジも皆に習って残念そうな態度を取る。
ケンスケは、不発に終った物の側で座り込んでいた。

「次ぎがあるって」
トウジがケンスケに声を掛ける。

「あぁ」
ケンスケも落ち込んでいる訳ではなさそうだった。

「シンジ!ゲーセン行こうぜ!」
トウジがシンジに振り返り大きな声で言った。

「うん、いいよ」
シンジは微笑んで答える。

「ケンスケはどないすんねん?」
「俺は、帰るよ。次ぎの設計をしなくちゃ」

「さよか、ほなシンジ二人で行こか」
「うん、じゃぁまたねケンスケ」

「あぁまたな」

ケンスケは不発に終った自作爆弾を抱えトボトボと歩いて行く。
背中が寂しいケンスケを置いてシンジとトウジはゲームセンターに向かった。



繁華街で遊ぶシンジとトウジ。
シンジは楽しかった。

シンジはここへ来る前も友達らしい友達は居なかったのだ。
しかし、トウジはシンジの転校初日から色々と誘ってくれた。

先程の実験も、ごく少数の仲間達しか入れてくれないのだがトウジのお陰で転校したばかりなのに見学する事が出来たのだ。

一頻り遊び回った後、トウジの顔が急に青ざめる。

「どうしたの?」
「今何時や?」

「えぇっと5時半てとこかな」
「やっばぁ〜6時までに帰らんと、おじんにどつかれるんや」

「えっ?そうなの?」
シンジはトウジの話を聞いて、周りをキョロキョロと見渡す。

バス停を見つけ、そこに走り寄るシンジ。
バス停の時刻表を見ると、暫く来る予定はないようだ。

少年の眼にこちらに向かってくるタクシーが映った。

「タクシーッ!」
シンジはやおら手を挙げてタクシーを止める。

「おい、タクシーなんて、わい金持ってへんで?」
「大丈夫だよ!乗って乗って!」
シンジはトウジをタクシーに押し込んだ。


キーッ

タクシーがシンジの家の前で止まる。
豪邸と呼べる程では無いが、そこそこ立派な一戸建てだ。

「ちょっと待ってて!」
シンジはそう言うと家の中に入って行った。

「へへへ・・・」
タクシーの運転手と目が合い、愛想笑いをするトウジ。
タクシーの運転手は怪訝な顔をし、前を向いた。

そわそわと落ち着かないトウジは口笛を吹いたりして誤魔化している。

バタンッ!

シンジの家の扉が開きシンジが走って出てきた。

「はい、これ」
「毎度」

シンジがお札を何枚か運転手に渡し、お釣りを貰ってトウジはタクシーを降りた。

「間に合う?」
シンジはトウジと歩きながらトウジに尋ねた。

「あ?あぁこっからなら充分や」
トウジは石を蹴りながらそう言った。

[あ、あの・・・また一緒に遊びに行けるかな?」
シンジは怖ず怖ずと尋ねる。

トウジは途中の標識に手を回してグルリと周ったり、縁石の上を渡ったりしながら歩いていた。

「あぁいつでも行けるで、しゃぁけどわし、金そんな持ってないからな」
「お金なら大丈夫だよ、この間お小遣い貰ったところだし、僕が出すよ」
シンジのその言葉にトウジは怪訝な顔をした。

「まぁ今日はもう帰らんとあかんから、その話はまた今度な」
トウジはそう言うと走りだした。

「うん、またね絶対だよ!」
シンジはトウジに手を振りながら叫ぶ。

トウジは振り返り、シンジに笑って手を振ってまた走り出した。
シンジはホッとした顔をして自分の家へと向かって歩き始めた。



「シンジ、新しい学校はどう?」
「まぁまぁだよ」
シンジの母、碇ユイは食事の用意を行いながらシンジに話しかけていた。

シンジは何か絵を描いている。
そこへユイが手を拭きながらやって来た。

「何描いてるの?シンジ」
そう言いながら覗き込むユイの顔が歪んだ。

「宿題だよ、何でもいいから想像で描けって」
「だからってシンジ、何もこんな物描かなくっても、ほらっロケットとか宇宙船とかシンジの好きな物描いた方がいいわよ」

シンジは、なんと裸婦像を描いていたのだった。
ユイからすればシンジはまだまだ子供なのだ。
女性の裸に興味を示す等とは思ってもいなかった。

実際、シンジは体型も小柄で未だ声変わりもしておらず、中性的な顔立ちも手伝って幼く見える。
ユイは一人っ子であるシンジを溺愛していたため、世話をやきすぎるぐらいやいていた。

「別に芸術なんだからいいじゃないか!」
シンジは取り上げようとするユイから描き掛けの絵を奪い取ると自室に逃げ込んだ。

シンジが走り去った後には絵具が散乱していた。

「もう子離れしなければいけないのかしら・・・」
一人取り残されたユイは散らかった絵具を片付けながらそう呟いた。



その夜、ユイは夫ゲンドウにその事を相談しようと話掛けた。

「ねぇ貴方?シンジの様子が最近変だと思わない?」
ユイは遠回しにゲンドウがシンジについてどう思っているか探りを入れる。

「なんだ?マスターベーションでもしていたか?」
煙草を吸いながらテレビを見ていたゲンドウは、ユイの意図を理解してユイをからかった。

「そ、そんな事してません!」
「まぁあいつもそろそろそう言う年頃だ、もし見ても見なかった振りをすれば良い」
ゲンドウはシンジが思春期であるから、お前も子離れしろと遠回しに言った。

「そんな・・・」
ユイは膨れている。

「フッ・・・問題ない」
ゲンドウはテレビに視線を戻した。



翌朝、朝食を取るシンジ。
ゲンドウは新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。

「あなた!もぉ新聞ばっか読んでないで支度して下さい!」
「・・・あぁ」

「もぅ、良い歳してシンジと変わらないんだから!会議に遅れて冬月先生にお小言言われるの私なんですよ!」
ユイがシンジの朝食を用意しながら言う。

「君はもてるからな」
ゲンドウが新聞から眼を離さずに言う。

その時、シンジはゲンドウの新聞の下にゲンドウの吸いかけの煙草の火を近付けていた。

「ばぁか言ってないで早く着替えて下さい」
「あちっあちっ・・・」
ゲンドウは火の付いた新聞を慌てて台所に持って行って、水に浸けた。

「きゃぁ何?どうしたんです?」
ユイが突然、火がついた新聞を見て驚く。

「・・・シンジお前には失望した」
シンジはケラケラ笑っていた。

「シンジ、もう学校に行きなさい!」
ユイはここで説教が始まると色々と遅れると思い、早々にシンジを学校へ追いやった。



学校の中、教室移動でトウジ達とがやがやしながら移動しているとダンス教室の中で踊っている少女がシンジの眼に飛び込んで来た。
シンジは一瞬で、その少女から眼が離せなくなってしまった。

くるりと回る少女。
ふわっと浮き上がる蒼銀の髪。
俯いた状態から右手の指先を見つめ、その右手を見つめたまま下から上に優雅に挙げる。
その指先をみつめる瞳はルビーの様に深紅だった。

白いレオタードに包まれた身体は、無駄な贅肉など微塵も感じさせない。
小振りだがしっかりと存在を主張している胸。
内蔵が入っているのか疑いたくなる程、細く括れたウェスト。
少し膨らみを持った腰回りから真っ直ぐに伸びる細い足。
キュッと締まった足首。
全てが優雅に滑らかに動いていた。

シンジの中では時がゆっくりながれ、その少女の動きはスローモーションの様に流れている。
その姿はシンジには妖精が舞っているかの様に映っていた。

「おっ綾波か?シンジも渋いのぉ、せやけどあいつはあかん。お前には高嶺の花や」
トウジがシンジの見つめている先を見てそう言った。

「綾波?」
「綾波レイ、人形みたいに無表情で取っ付きにくい女さ。しかもいつも一緒にいるのが、あの瞬間湯沸かし器の惣流=アスカ=ラングレー、まず近付くのは無理だな」
トウジの言葉に反応したシンジに、そう説明するのは、ケンスケだった。

「ほら、行くで!」
未だ見惚れているシンジを半ば強引にトウジは引っ張って行った。



数日後の全校集会。
あれからシンジは蒼銀の髪に紅い瞳の少女の事が忘れられなかった。

しかし、転校してきたばかりのシンジに女の子、ましてや他のクラスの女の子に接する機会等、全くと言って良いほど無かった。
そんな折りの全校集会である。

シンジは 必死で例の少女を探した。

(居た!)

その少女の目立つ容姿は、千人程も居る全校集会でも簡単に見つける事が出来た。

そんなシンジを見たトウジは、前の席に座っている生徒にこっそり伝言をする。
その伝言は、生徒から生徒を渡り歩き、遂には、少女にまで届いた。

耳に伝言を囁かれ振り向く少女。
シンジと眼が合った。

少女の瞳は射抜くようにシンジを見詰め、シンジはその眼に耐えきれなくなり俯いてしまった。

そんなシンジの様子を見詰めクスクスと笑う周りの生徒達。



学校の帰り道、シンジが歩いていると向こうの方で女の子達がはしゃぎながら走って行くのが見えた。
先頭は、あのアスカ、そして少女達の固まりの一番後ろには蒼銀の髪の少女が居た。

シンジは我知らず少女達の後を付けて行ってしまった。

そこは墓地。
少女達は、広めの石碑の上で何やらアイドルのポスターらしき物を広げて騒いでいた。
シンジは少し離れたところで石碑に隠れ覗いている。

「やっちゃいなよ」
「えぇ〜でもぉ」
「ほらぁ、そのためにこんなとこまで来たんでしょ?」
「えぇ?じゃぁちょっとだけ」
少女の中の一人がそのポスターに口付けをした。

(何をしているのかな?)

シンジの所からは、少女達が周りを囲っているため何をしているのかは見えなかった。

バキッ

お約束の様に身体を乗出した時に小枝を踏んでしまい音を立ててしまったシンジ。
一斉に少女達がシンジの方を見る。

シンジは口笛を吹きながらポケットに手を突っ込んで上を向き眼を逸らして、その場を離れて行った。

「「「「クスクスクス」」」
「変な子ぉ〜」
少女達は少年を嘲っていた。

紅い瞳の少女だけは、少年の後ろ姿をジッと見詰めていた。



その夜、少女は不機嫌だった。

「どうしたの?レイ」
母親代わりの加持(旧姓葛城)ミサトがレイに尋ねる。

「・・・何でもないわ」
「何でもなくないでしょ?そんな不機嫌な顔をして」
無表情なレイではあるが、ミサトにはその些細な違いが解る。

そして普段、あまり感情の抑揚を見せないレイが目に見えて不機嫌で有ることは、かなり稀なのだ。

「・・・あの男のせい」
「あの男?」
ミサトは眉間に皺を寄せた。

「・・・墓地で逢った男」
「墓地でって・・・レイ!その男に何かされたの?!」
ミサトは痴漢にでも遭ったのかと慌てた。

「・・・何もされてないわ」
「じゃ、じゃぁその男は何か見せた?」
今度は露出狂にでも遭ったのかと考えを巡らせている。

「・・・何も見せられてないわ」
「そ、そう、もう、そんな所に行っては駄目よ、危ないんだから」
ミサトは特にレイが何かされた訳ではないと解釈した。

「で、どんな男だったの?」
「・・・黒い髪に黒い瞳、可愛い男の子だったわ」

「可愛い男の子?」
「・・・・・」
レイはそのまま黙ってしまった。
ミサトも追求を諦め、今日はそっとしておこうと結論付ける。

「解ったわ、今日はもうお風呂に入って寝なさい」
「・・・はい」

ベッドに入ったレイは名も知らぬ少年の事を思い浮かべていた。

(あの人は何故私を見るの?)
(何故私に構おうとするの?)
(あの人を見るとザワザワする。落ち着かない・・・)

そしてレイは眠りに付いた。


眠りに付いたレイを見てミサトはホッと胸を撫で下ろした。

レイは孤児である。
ひょんな事からミサトが引き取る事になったが、その過去は全く解っていない。
アルピノと言うだけでは説明が付かない容姿。

小さい頃、その髪の色で悩んでいたレイのためにミサトも髪を青く染めた。
しかし、地が黒いため紫になってしまったのだった。

レイを連れて来たのは、夫である加持リョウジだ。
内調と言う国の怪しい所に勤めている夫が連れてきたため、何かあるとは思っているが深い所は聞いても答えてはくれなかった。

そんないきさつがあったのだが、既に数年を一緒に過ごしているミサトに取ってレイは掛け替えのない娘となっていた。
それは加持に取っても同じである。

目立つ容姿であるレイは、よく苛められた。
そんな折り、助けに入って仲良くなったのが惣流=アスカ=ラングレーだった。

彼女もまた、日本では異彩な容姿のため苛めに在っていたが、その持ち前の勝ち気な性格で跳ね返し、レイさえも庇ったのだった。

学校まで付いていく訳にいかないミサトは、このアスカの登場にかなり救われた。
以後、レイとアスカはいつも一緒に遊んでいたのだった。

「そろそろ、思春期だものねぇ」
苛め問題の次ぎは異性間の問題かとミサトは溜息を吐いていた。



この学校では昼食を食堂で取る事になっている。
自分の分をトレイに乗せて居ると、歩いて行くレイをシンジは見つけた。

シンジは急いで自分の分をトレイに乗せレイの座った席の前に行く。

「こ、ここ良いかな?」
シンジはレイの前の席でレイに尋ねた。

「あんた馬鹿ぁ?そこはあたしが座るのよ!」
赤みの掛かったロングの金髪に青い眼をした少女がトレイを片手に持ち、片方の手を腰に当てシンジに言う。

周りの皆は予想していた展開にクスクス笑っていた。

「シンジ、こっちこいよ」
トウジが笑い者になっているシンジの腕を引っ張って自分の席の横に座らせた。

「どけよ!」
トウジの横に最初っから座っていた生徒はトウジにより強引に席をずらされる。

「振られたな」
シンジの前の席からそう声が掛かった。

トウジがパンの切れ端を投げつけ牽制する。

「女なんか、あんなもんや、気にすんなや」
トウジはシンジを慰めているつもりだった。

シンジ自信、何故あんな大胆な行動を取ったのか解らなかった。
普段のシンジなら遠くに座って眺めているだけのはずだ。

そんなシンジの様子にトウジはシンジが取られそうな感じがして落ち着かなかった。



音楽教室にチェロを持って入るシンジ。
今日は、音楽の検定の日だった。

そこには、先に来て順番を待っているレイが居た。
シンジはレイに微笑んだがレイは冷たい眼差しを向けただけだった。

静寂に居たたまれなくなったシンジは調律を始める。
既に、ここに来る前に調律していたため微調整も必要ない程だった。

なにげに、検定課目の曲を弾き始めるシンジ。
レイも自分のリコーダで、その曲に伴奏を始めた。

ゆっくりと弾かれるチェロ。
それに合わせて吹かれるリコーダー。

最初はゆっくりとお互いを気遣うように静かに優しく合わせられている。
序々に演奏の速度が上がり、音も大きくなっていく。

いつしか二人は見つめ合い伴奏に熱が入って来た。

バタンッ!

検定室のドアが開き睨付ける音楽教師。
どうやら煩かったらしい。

首を竦め微笑み合うシンジとレイだった。



今日は学校主催のダンスパーティだった。
公立であるはずの第一中学校なのだが、何故かカトリック系であったのだ。

そのため、ハロウィンや、ダンスパーティ等、北米式の催し物が多いのである。
ダンスパーティなどは、生徒より教師達の方が楽しみにしているように見える。

往々にして学校主催の催し物に生徒達は懐疑的な物だ。
トウジやシンジ達はダンスホール(体育館だが)の端っこで用意されているジュースを飲みながら女子生徒の品評会を行っていた。

シンジは当然レイに眼が釘付けだ。

「トウジ、僕、綾波を誘うからもう一人を頼むよ」
「え?わしがか?」

「なんだよトウジは委員長じゃなきゃ踊れないってか?」
ケンスケがからかう。

「な、何ゆうとんねん!見とれ!わいの華麗なダンスを見せたる」
そう言ってトウジはドカドカとシンジの後ろに付いて行った。

「ぼ、僕と踊ってくれるかな?」
シンジはレイを誘う。

アスカと顔を見合わせるレイ。
ニヤニヤとしているアスカ。

「・・・構わないわ」
レイはそう言ってシンジの方に向いて踊り出した。

「それではお姫様はわしとや」
「ふん!あんたじゃ役不足だけど我慢しといてあげるわ!」
そう言ってアスカはトウジの方を向いて踊り出す。

シンジとレイは微笑み合いながら踊っていた。

一方トウジは邪魔くさそうに踊っている。
急にアスカが踊りを止めた。

「ちょっとジャージ!あたしじゃ不足だって言うの!」
「何言うとんねん!」

「ふん!」

バキッ!
「うぎゃぁ!」

アスカはトウジの爪先を踵で踏みつぶしドカドカと出て行った。

「アスカ!」
レイはシンジを一督するとアスカを追って出て行った。

「あっ!」
シンジはそんなアスカを止める術は持っていなかった。
挙げ掛けた腕を降ろしがっくりと項垂れるシンジ。

「すまんかったのぉ」
トウジはシンジに謝った。

「いや、無理に頼んだのは僕だから、それより足大丈夫?」
「あぁ、結構痛いけど大丈夫やろ」
トウジは、そう言って足を引きずりながらホールの端へと移動した。

「なかなか華麗なダンスだったぜ」
ケンスケがトウジをからかった。

「煩いわい!」
そう言ったもののトウジもシンジに悪いことをしたと思っていたのだった。



シンジとトウジが放課後、呼び出されていた。
授業中、ふざけ合っていて、教師に呼び出されたのだ。

「大丈夫、俺の言う通りやったら痛うないから」
トウジとシンジはズボンのお尻にタオルを入れている。

この教師は放課後呼び出すと、お尻叩きをする事で有名だったのだ。
教師の名前は日向マコト。

そろそろ頭も禿げ上がりかけている中年教師だ。
一説によると、昔、好きな人が無精髭を生やした髪もぼさぼさの長髪に取られた事を僻んで、その鬱憤を生徒のお尻叩きで晴らしていると言う事だった。

「碇シンジに鈴原トウジ!ここに呼ばれた理由は解っているな」
何やら怪しげな黒い団扇のような物でパンパンと手を叩きながら迫ってくるマコト。

「はい!充分反省しております」
トウジがすかさず答えた。

「宜しい、ではそこの机に付いてお尻を出しなさい」
マコトの言葉に机に掴まるようにしてお尻を突き出す二人。

パンッ!

「つっ!」
演技するトウジ。

バフッ!

シンジをマコトが叩いた時、変な音がした。

ニヤリと笑い、シンジのズボンからタオルを取り出すマコト。

パンッ!

「ギャーッ!」
シンジの悲鳴が木霊した。


泣きながらマコトの部屋から出てくるシンジとそれを慰めながら出てくるトウジ。

シンジ達が出てきた廊下の反対側にレイが見える。

「ほら、泣いてる所なんか見られたないやろ?」
トウジはシンジの肩を抱き反対側の階段へシンジを促した。

しかし、シンジはレイを見詰めて動かない。
レイもシンジを見詰めている。

「なんだよ!男が泣いてるんが珍しいんか?帰れ帰れ!」
トウジはレイに言い放ちシンジの肩を組んで話しかけた。
「ほら、シンジ、こないだ言ってたゲームやりに行かへんか!今日は俺も少し金持ってんねん」
それでもシンジの目線はレイから離れなかった。

序々にレイの方に歩き出すシンジ。

「なぁ!こないだシンジが言うてた映画でもかまへんど!」
トウジはレイの方に向かって歩いていくシンジに叫ぶ。

「シンジ!行くな!」
トウジのその声と共にシンジはレイと手を繋ぎ走り出した。

「くそっ!」
トウジはズボンから取り出していたタオルを床に投げつけた。


湖の見える丘に二人体育座りで座っていた。
レイが鞄から林檎を取り出しシンジに渡す。

「・・・食べる?」
「あ、ありがとう。(シャクッシャクッ)」
二口くらい囓るとレイに取り返された。

「・・・(シャクッ)」
レイは何も気にせずそのまま囓る。

(か、間接キス・・・)
シンジは耳まで紅くなっていたが、勤めて平静を装った。

「・・・貴方が私の事が好きだって噂になっているわ」
「そう(シャクッ)」
また渡された林檎を囓りながらシンジが答える。

「・・・私は構わないわ(シャクッ)」
シンジから林檎を取りレイが囓りながら言う。

「・・・でも、どうして本人に言わないの?」
「(シャクッ)言おうと思ったけど、なかなか言う機会がなくって」

「・・・そう」
レイにはその言葉で充分だった。



その夜、レイはミサトのドレッサーの前に座っていた。

口紅を付けて見るレイ。
そのまま化粧を進めていった。

場末のキャバレーの様な顔になってしまったレイ。

「レイ!何してるの!早くお風呂入っちゃいなさい!」
「・・・はい」
慌てて返事をして、ティッシュで化粧を拭おうとするレイ。
鏡には泣いたピエロの様になっているレイが映っていた。

「・・・私は人じゃないもの」
レイのその呟きは誰にも聞き取られる事はなかった。



翌日、学校の帰り道、シンジはレイの家に寄った。

「あらぁ、これがシンちゃん?可愛いじゃない、早く上がりなさい」
「お邪魔します」
ミサトの勢いに押されながらもシンジは家の中に入っていった。

「おぉ君がシンジ君か、レイから話は聞いてるよ、まぁ掛けてくれ」
食事を取りながら加持はシンジにそう言った。

「ほらレイ、この生ハムは美味いぞ」
加持は自分の皿にあるプロシュートをレイの皿に乗せた。

肉が嫌いなレイも塩蔵品は食べられるのだ。

「シンちゃんも遠慮しないで食べてね」
ミサトがシンジの分を皿に盛る。

「ありがとうございます」
シンジは礼を述べながらフォークで生ハムを取って食べた。

レイと眼が合う。
レイはクスリと微笑んだ。

そんなレイを見ながらミサトは(良かった)と思うのだった。
家に居てもレイが微笑む事など全くと言って良いほどなかったのだ。

加持もレイの微笑みを見て上機嫌だ。

「ところでシンジ君、君は何か運動はやっているのかい?」
「いえ、僕は運動は苦手で、どっちかと言うと映画を見たりする方が好きで・・・」
シンジは最後の方は声が小さくなっていった。

「映画かぁ、俺が小さい時は映画の事を活動写真って言ってな。親父に活動写真が見たいって言ったら親父の奴、写真を持ってきて眼の前でヒラヒラさせて『ほら、活動写真だ』とかほざきやがったよ」
がっはっはと声を荒げて笑う加持。

(それは幾ら何でもネタでしょ?)

とシンジも苦笑いするしかなかった。
加持はどう見ても30代だ、子供の頃に活動写真なんて言っている訳がなかった。

そしてレイの方を見るとレイもこちらを見て微笑んでいた。


夜、レイがベッドに入ったのを確認すると加持がミサトに言った。
「しかし、お相手があのシンジ君だったとはな」

「知ってるの?」
「NERV司令、碇ゲンドウ、そのご子息さ」

「げっ!あの髭の?!」
本人が居ないと思って好き勝手に言うミサトだった。

「親子揃ってレイを救おうと言うのか・・・」
「どう言う事?」
ミサトが眉間に皺を寄せて加持に詰め寄る。

「レイを最初に助けたのは碇夫妻さ、詳しい事は俺もよく知らない、人工進化研究所第三分室、そこで作られた生命体、それがレイだ」
「人間じゃないって言うの?」

「俺は学者じゃないからな、そこまでは解らないさ、試験管ベビーだって人間だろ?」
「それはそうね・・・」

「兎に角、そのままだと実験動物以下の扱いを受けていたらしい、そこで碇夫妻はレイを保護、俺に預けた」
「なんであんただったのよ?」
碇夫妻と付き合いがあるわけではない自分達に何故そのような事を託されるのかミサトには不可解だった。

「当時、あの組織の影響を受けていない知り合いが俺しか思いつかなかったんじゃないかな」
「あの組織って?」

「通称ゲヒルン、影で色々危ない研究をしていた機関だ、碇夫妻はレイを俺に託すとゲヒルンを崩壊へと導いた、そして報復に備えNERVを立ち上げたんだ」
「じゃぁNERVって戦うための組織なの?」

「いや、単なる研究機関さ、ゲヒルン、果てはそれを後ろから操っていた組織から自分達を護るために立ち上げたと言うわけさ」
「成る程ねぇ」
ミサトは漸く合点が行ったと頷いている。

「NERVに居るメンバーはそうそうたるメンバーだ、碇夫妻に冬月コウゾウ、赤木ナオコに惣流=キョウコ=ツェッペリン」
「惣流=キョウコ?」
聞き覚えのある名前にミサトは首を傾げた。

「そう、アスカの母親だ」
「赤木ナオコって・・・」
その名前にもミサトは聞き覚えがあった。

「そう、りっちゃんの母親だ」
「そしてシンジ君の担任がリツコか・・・」

加持、ミサト、リツコは大学で同級だったのだ。

「ねぇNERVって一体何を研究しているの?」
「それは俺にも解らん。何せ国連の特務機関になって内容は日本政府の特権を持ってしても調べる事ができないんだ」
「そりゃまた大変ねぇ」

「しかし、東方の三賢者と言われる三人に京大の助教授だった冬月コウゾウ、そして碇ゲンドウ、何かとんでも無い事を研究しているのは間違いないな」

「でも、それじゃレイがうちに居るのって危険じゃないの?」
「レイには元々戸籍が無いんだ。だから日本政府から発行された正式な戸籍を持っているレイには奴らの眼は向かなかった。10年近く経った今、既に無い物として処理されているのさ」
「成る程、木を隠すには森の中ってやつね」



第一中学校では今日は体育検定の日。即ち運動会だ。
体力で優劣を付けるのはなんだかんだと人権団体が騒ぎ、今では運動会と言う呼称を使う学校は無くなってきている。

各々の学校で体力検定日と言ったり、スポーツリクレーション日と言ったりして行っている。
要は親を呼べて運動会と同等の事をできればいいのだ。

そして運動音痴のシンジはクラスの総合点にあまり影響しない単独走の選手だった。
クラスの得点としては、やはりクラス対抗リレーが一番高いのだ。

スタートの合図と共に走りだすシンジ。
100m走だったが、50mぐらいのところで既に周りの音も聞こえなくなっていた。

ゴールが遠く感じる。
しかしシンジの眼が見開いた。

ゴールの向こうに両手を胸の前で合わせてこちらを見ているレイが眼に入ったのだ。

(綾波・・・)

急にスピードが上がるシンジ。
一人抜き、二人抜き、三人抜いたところでゴールのテープを切った。
ゴールと同時に倒れるシンジ。

駆寄るトウジ。
シンジのクラスの人間に阻まれレイが近付く事はできなかった。



シンジはベッドの上で眼を醒ました。

「知らない天井だ」

シンジは転校してきて始めて保健室のお世話になった。
カーテンの向こうでは話し声が聞こえる。

「あなたレイちゃん?」
ユイの声だ。
シンジの活躍を応援しに来ていたところシンジが倒れたので、慌てて保健室に駆け込んで来たのだ。

しかし、そこには先客が居た。
レイである。

その蒼銀の髪に紅い眼。
ユイが見間違うはずもなかった。

「・・・私をご存じなのですか?」
レイは怪訝な表情をする。

(どこかで見た事がある・・・)

レイもそう感じていた。

「あ、あぁシンジから聞いていてね」
ユイは咄嗟にそう言ってしまった。

(え?母さんに話した事あったっけ?)

「母さん?」
「あっシンジ、眼が醒めたの?」

(碇君のお母さん・・・碇・・・ハッ)

「・・・い、碇・は・か・せ?」
レイは怖ず怖ずと手を挙げ指をさすかと思われた時、気を失って倒れ込んだ。

「綾波!綾波!」
シンジは急いでレイを抱きかかえると、今までシンジが寝ていたベッドに寝かした。

ユイがレイを診断する。

「母さん、綾波は?」
「大丈夫、ちょっとした精神的ショックで失神しただけみたいだから」

「精神的ショックって・・・」
シンジは悩んだ。

(自分が目覚めてユイを呼んで、ユイが返事をしただけだったはずだ、どこでショックを受けたんだ?)
(そうだ、綾波は確か「碇博士」と言っていた)

「母さん、綾波と知り合いだったの?」
ユイの身体がビクッと動いた。

「シンジ、よく聞きなさい」
「な、何?改まって」

「レイちゃんが大事なら、レイちゃんに近付いてはいけないわ」
「何だよそれ!どういう事だよ!」
シンジは突然の事に怒鳴ってしまった。

「今は解らないかも知れない、でもこのままレイちゃんと付き合って行くと貴方はきっと後悔するわ」
「そんなの解んないよ!いきなり何なんだよ!」
シンジは保健室を飛び出して行った。

「シンジ・・・ごめんなさい、レイちゃんも・・・」
そう言ってユイはレイの頭を優しく撫でていた。



その日シンジは自分の部屋から出てこなかった。

「・・・そうかシンジと出会っていたのか」
「ええ、それもかなり親密な関係になっているみたいです」
ユイとゲンドウも深刻な顔で相談していた。

「・・・問題ない」
「何が問題ないんですか?!」
ゲンドウの言葉にユイはプンプンだった。

「・・・今まで何も無かったのだ、レイの情報はゼーレに渡っていないと見て問題ないだろう」
「でも、あの娘はリリスの因子を受け継いでいます」
「・・・それは私達の罪だ、あの娘達には関係ないことだ」

「でも、それじゃぁシンジは!」
「・・・それはシンジが決める事だ」

「あの子はまだ14歳なんですよ!」
「・・・それでも自分の行動は自分で考え決めなければならない」

「無理に決まってます!」
「・・・ユイ、お前はシンジやレイをどうしたいんだ?」

「それは・・・」
ユイは黙ってしまった。



ガチャン

加持の家では加持が電話を切った処だった。

「なんだって?」
「ゲンドウ氏は二人の判断に任せるそうだ、ユイ博士はご不満なご様子だったがな」

「何が不満なのよ」
「さぁな、俺には解らんよ」

「あたし達はどうするの?」
「恋心に胸を焦がす娘の親になるさ」
そう加持が言うとミサトと顔を見合わせて笑っていた。



数日後、シンジとレイは遊園地に出掛けていた。

ゲンドウは放っておけと言ったがユイは放っておけなかった。
そのため、毎日、シンジがその日何をしたかしつこく聞くようになってしまったのだ。

特に放課後、遅くなると何処で何をしていて誰といたのか逐一聞き出された。
これではレイと逢うことができないと思ったシンジは、平日学校をサボって遊びに行く事にしたのだ。

遊園地は平日であったために空いていた。
どの乗り物も並ぶ事なく乗れ、お昼過ぎには全乗り物を制覇してしまった。

「どうしよっか?」
レイの持ってきたサンドイッチを頬張りながらシンジがレイに尋ねる。

レイは小首を傾げて考えていた。
「実は僕、水着を持ってきたんだ」

シンジがそう言うと
「・・・私も」
と言ってレイがバッグを指した。

この遊園地には海水浴場が隣接している。
ここに来ると決まった時点で二人とも海で遊ぶ気満々だったのである。

顔を見合わせて笑う二人。

実はシンジは泳げない。
海岸で二人、水を掛け合ったり、砂で山を作ったりして遊んでいた。

二人で楽しい時を過ごしていたのに、神は居ないのかと言うぐらい凄い夕立が突然やってきた。

急いで屋根の在るところに避難した二人。
バッグに入れてあったタオルで拭いて服を着たが、突然の夕立は二人には寒さを与えていた。

ガチガチと震えるレイ。
シンジはそんなレイをそっと抱き締めた。

「碇君?」
レイは眼を見開いた。

「ごめん、でも綾波震えていたから・・・他に暖める物がなにもないから・・・」
「・・・ありがとう」
レイはそう言うとシンジの腕を掴み頬をすり寄せた。

「・・・暖かい・・・」
レイが呟く。

軽く重なる唇。
二人のファーストキスだった。

突然、涙を零すレイ。

「ご、ごめん」
シンジは慌てて謝る。

「違うの・・・嬉しいの・・・」
「綾波・・・」
シンジはもう一度しっかりとレイを抱き締めた。

「・・・碇君ごめんなさい」
突然レイが謝った。

「何が?」
「・・・私は人ではないわ」
それはレイの精一杯の虚勢だった。

この温もりを捨てたくはなかった。
しかし、自分の秘密を隠し通す事はできない。
何よりシンジは自分の創造主の息子なのだ。

後で自分以外からその事を聞いてシンジに冷たく突き放される事が脳裏に過ぎった。
それこそレイには耐えられない。
ならば、いっその事、ここで言ってしまおう。
今なら、シンジも自分も傷付く量は少ない。
そう考えての発言だった。

しかし、シンジから返って来た答えは意外な物だった。

「それで?」
「・・・恐くないの?」

「まさか、僕を食べようとしている?」
「・・・な、何を言うのよ」
レイはシンジの冗談に笑えなかった。

シンジはそんなレイを見て笑っている。

「いいよ、綾波になら食べられても」
シンジはレイを抱いたまま話す。

「朧気ながら母さん達が何の研究をしているか僕は知っている。母さんが絡んだ時点でそう言う事も想定範囲に入ったよ」
シンジはレイの震えが強まった気がした。

「多分、人と何かの染色体か魂を掛け合わせたってとこだろうけど、そんな事僕には関係ないよ」
レイの眼がカッと見開いた。

「人はね、産まれを自分で選ぶ事はできないんだ。だからどう産まれて来たかは重要じゃないんだ、大事なのはどう生きるかさ」

シンジは正しく本質を見抜いていたのだ。
そしてそれを解った上で自分を受け入れてくれている。
レイはまたしても涙が零れてきた。

「・・・あ、ありがとう碇君」
レイはそう言ってシンジにしがみついて暫く泣いていた。

そんなレイをシンジは優しく抱き締め、頭を撫でているのだった。



次の日、二人は朝から校長室に呼び出された。

「昨日はどこに行っていたんだね?」
校長が優しく諭すようにシンジに尋ねる。

シンジは黙って俯いている。

「黙秘かね?まぁ大方、遊園地にでも行っていたのだろう?君達の年頃には人気がるからねえ」
校長は物解りの良い校長を演じていた。

いや、実際、多くの場合、物解りの良い校長で通じるのだろう。
しかし、シンジには解った口をきく嫌な教師でしかなかった。

「僕達は結婚したいんです!」
シンジのその言葉にその場に居た全員が一瞬凍り付き、次の瞬間には失笑を漏らしていた。

「何が可笑しいんですか?」
シンジは怒りを露わにして怒鳴った。

「いや、これは悪かった、別に馬鹿にした訳じゃないんだ。しかし君達はまだ14歳だ。他にやらなければいけない事が沢山あるんだよ」
校長は立ち上がるとシンジの前に行き、少し腰を曲げシンジと目線を合わせると諭すようにシンジに言った。

「どうしてですか?僕達は一緒に居たいんです。共に歩きたいんです。そのためには結婚するしかないじゃないですか?どして結婚しちゃいけないんですか?」
手淫すら禁じているカトリックではそれは真理だった。

生涯共に歩く事、それが結婚なのである。

その場に居合わせた皆は、渋い顔を突合わせた。

それは、家に帰っても醒めた家族しかいない旦那や、家に帰るのが嫌で仕事に没頭している中年教師、快楽のためだけに愛人をしている女教師等には耳の痛い言葉だったのだ。

シンジが教室に返ると黒板に落書きがされていた。
それはシンジとレイを描いた物で、「結婚して!」とシンジがレイに言っている図だった。

「ヒューヒュー」
「やるね新郎!」
「今晩は初夜かい!」
罵声が浴びせられる中、シンジは席に着いた。


レイの方も似たような物だった。

教室に入るなりベールの代りにハンカチを被せられた。
周りからは、紙吹雪が掛けられる。

「おめでとう!」
「新婚旅行はどちらに?」
筆箱をマイク代りにした生徒がインタビューよろしくレイに迫る。

いつもは庇ってくれるアスカも今日は一緒になってやっていた。


シンジの教室ではトウジが後ろからシンジにチョッカイを出していた。

「よう、どないやったんや?キスぐらいやったんやろ?」

その言葉にシンジは振り返り、トウジに掴みかかった。
一斉に机をどけられ、殴り合いの場が作られる。

周りで歓声を上げる生徒達。

シンジが上になっていたのは最初に飛びかかった時だけだった。
すぐさま返され後はトウジに滅多打ちにされていた。

教師が来て二人を引き剥がした時にはシンジは鼻血を出して血だらけとなっていた。
シンジはポケットからハンカチを出し血を拭う。
鞄を取ると教室を掛けだして行った。

下駄箱の所でレイと逢った。
レイも同じような状況で居たたまれなくなり教室を出てきていたのだ。

二人手を繋いで学校から出て行く。
そんな二人をトウジとアスカはそれぞれの感情を抱えながら眺めていた。



二人は初めて二人で話した湖の見える丘に来ていた。

二人はここに来るまで何も話していなかった。
お互いがお互いの手の温もりだけを感じながらここに向かっていた。
どちらが言い出した訳でもなく、それで居てお互いに行き場所を知っている様に歩いていた。

「・・・大丈夫?」
レイがシンジの腫れてきた頬を見て聞いた。

「うん、大丈夫だよ」
シンジはそう言って笑おうとしたが、頬が引き攣った。

そんなシンジの頬に優しく触れるレイ。

二人のそんな甘い時間を引き裂くかの様に、また雷雨が降り注いできた。
しかし、今回は二人とも動こうとしなかった。

シンジは頭に鞄を乗せるとレイに出来るだけ雨が当らないように抱き寄せた。
レイもシンジに寄り添う。

シンジは自分の上着をレイの頭から被せた。
シンジの上着の中に入るようになったレイ。
そのままシンジの身体を抱き締めた。



「もうぅこんな雨の中何やっていたのよ!」
ミサトがレイの頭をバスタオルで拭きながら言う。

「・・・ごめんなさい」
レイは蚊の鳴くような声で謝った。

昨日の連絡はミサトも受けていた。
しかし、それでレイを叱ろうとはミサトは考えていなかった。

レイは俯いてい震えている。
「ふぅ・・・シンちゃんが好きなのね?」
コクンと頷くレイ。

「・・・私は・・・」
レイが何かを言おうとしているので、レイの髪を乾かしながらミサトは次ぎの言葉を待った。

「・・・私は碇君と一緒に居たいだけなのに」
レイの眼から涙がポロリと落ちる。

「レイ・・・」
ミサトはレイを抱き締めた。

「・・・どうして一緒に居ちゃいけないの?何故皆、邪魔をするの?」
レイは泣きながらミサトに抱きつき訴える。

「・・・碇君は人は産まれを選べないから産まれは関係ないって言ってくれた。こんな私を全て受け入れてくれたのに!」

ミサトはレイを抱き締め頭を撫でてやることしか出来なかった。

そんな二人を影から見ていた加持も沈痛な表情をしていた。



シンジは帰ってくるなり自室に閉じこもった。
ユイは何度かシンジの部屋の前から宥めたり怒ったりしたが、何の反応もなかった。

「食事・・・ここに置いておくから」
ユイは扉の前に食事を置いて階段を下りて行った。

「私がしつこく言い過ぎたからこんな事に・・・」
ゲンドウに向かってユイが言ったがゲンドウは返事をしなかった。

ユイにとっては懺悔のつもりだったが、ゲンドウはゲンドウで放っておけと言ったのに口を出すからだと、憮然としていた。

「・・・シンジも子供ではない、今は自分で整理しているだけだ、放っておけ」
しかし、ユイに甘いゲンドウはその姿勢を貫けず助言するのだった。



翌日、シンジが学校に行くと教室にはトウジとケンスケしか居なかった。

「その、なんや、悪かったなシンジ、これからお詫びにええことやったるさかい、ちょっと付いてこいや」
そうトウジに言われここまで引っ張られて来た。

ここは、例の空き地の端っこにある、朽ち果てた教会だ。

トウジは何やら司祭のつもりなのか白いローブを羽織っている。
周りにはシンジのクラスとレイのクラスの殆どの生徒が来ていた。

レイも同じ様にアスカに連れて来られたらしい。

「オホン、それではこれより厳粛且つ厳かに碇シンジ並びに綾波レイの婚礼の儀を行う」
「「「クスクス」」」

「そこ!笑わない!これは真剣な結婚式なんだからな!」
トウジは笑っている生徒に一喝した。

生徒達も真剣な顔に変る。

「汝、碇シンジは健やかなる時も病める時も・・・ちっ難しいや、妻、綾波レイと生涯を共にすると誓いますか?」
「誓います!」
シンジははっきりと答えた。

それを聞いて微笑むレイ。

「汝、綾波レイは・・・ムニョムニョムニョ誓いますか?」
「クスッ誓います」
少し笑ったもののレイもはっきりと答える。



その頃、誰も居ない教室に入って来た教師は一人残っているケンスケに状況を教えろと迫っていた。
ケンスケは耐えきれず話すと教師は一目散に校長室に駆けて行く。
それを見送ったケンスケは、たった今完成したばかりの物を持って皆の所へ向かった。

車で現場に向かう教師達。
ケンスケはトタンの穴を通り近道をして走って行く。



「それでは指輪の交換を」
そこにトウジが用意してあった指輪を出した。

吃驚した顔でトウジを見るシンジとレイ。
それは銀の安物だったが、トウジからすれば大金を叩いたのだろう。

「ありがとうトウジ」
シンジはそう言って、その指輪をレイの薬指に通す。

レイも、もう一つの指輪をシンジの薬指に通した。

「よしっ!これで終りや!それでは誓いの口付けを・・・」
「大変だ先生達が来るぞ!」
そこにケンスケが飛び込んできた。

「「「「わ〜〜〜〜」」」
蜂の子を突いたように逃げ出す生徒達。

生徒と教師の追い駆けっこが始まった。

「待ちなさぁい!待たないと実験動物にするわよ!」
リツコが危ない事を叫びながら走っている。

教師達がバテて来た頃、リツコのスカートを生徒が脱がした。
「キャー何するのよ」

皆、おもしろがって、他の教師達の服も脱がせに掛かった。
今度は下着姿で逃げ回る教師達を生徒達が追いかけている。

ドォーーーン!

そこに大きな爆発音がした。

「成功だ!」
ケンスケの作った爆弾が漸く爆発したのだ。
燃え上がる誰かの車。

それを見て教師達は、叫びながら他の車に乗って逃げ出した。
固まって歓声を上げる生徒達。
ケンスケは皆に胴上げされていた。


一方、シンジとレイはトウジが皆とは別な方向へ逃がしていた。
そこに見える、一台のトロッコ。

草がボウボウと生えているが線路は続いている。

「これに乗って逃げるんや」
「うん!」
シンジとレイはトロッコに乗りシーソーの様に二人で漕いでトロッコを動かし始めた。

そこに迫るは、怪しげな黒い団扇の様な物を翳しながら迫ってくる禿げた日向マコト。
息が上がってかなり苦しそうだ。
「も、もう逃げられんぞぉ・・・ハァハァ」

ゼェゼェ言いながら言っても迫力が無い。

「しゃぁないなぁ、ほな今日は徹底抗戦といきまっか」
トウジはそう言うと靴を脱ぎ手に持って対抗する意志を見せた。

あわや激突と言うところで日向マコトは踵を返し逃げた。
「ま、待て!待たんかい!」

今度はトウジがマコトを追いかけて行く。


シンジとレイは、二人で力を合わせながらトロッコは走らせる。
連結線路を越え、橋を越え、どこまでも、どこまでも二人は漕ぎ続けた。

その先に二人の未来が待っている事を確信して。



戻る

――――――――――――――――――――――――――――――
後書き

ここまで読んで頂きありがとうございました。

知ってる人は知ってると思いますが元ネタは「小さな恋のメロディー」です。
ヒロインの女の子がメロディーと言う名前なんですね。

夢魔はこの映画が大好きなんです。

もう30年ぐらい前の映画らしいんですが、ふと配役がエヴァと被るなぁと思い書いて見ました。
ただ、設定は12歳くらいだったと思いましたけど。

まぁイギリス映画なんで主人公の男の子が気が弱い設定でもちゃんと女の子に声掛けるんですけどね(笑
音楽の検定は本当に主役の男の子がチェロなんです。
ダンスの時、悪友の足を踏むのは、ちょっと太目のブスな女の子なんですけどね。
ヒロインの女の子は髪の長い女の子だったのですが、それは今回は不問としましょう(汗

連載にしようかとも思ったのですが、この映画を知っている人はラストが解るので面白くないなと思い、ちょっと長いけど一話で納めました。

お陰で多くの謎を残したまま終了ですが、あまり深く考えないで下さい(^_^;)



新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAX の作品です。
拙著は当該作品を元に作成した代物です。